第9話「四回戦前日――強打の北辰高校と、エースが背負う約束」
第9話では、県立星陵高校との三回戦を突破した肇たちが、次なる四回戦――県立北辰高校との一戦へ向けて準備する前日の様子を描きました。
次の相手となる北辰高校は、ここまで三試合すべてで五得点以上を記録している強打のチーム。
初戦七得点。
二回戦九得点。
三回戦六得点。
三試合合計二十二得点という攻撃力を持つ相手に対し、今回は肇自身が一条昴監督へ、
「明日は最初から投げます」
と宣言しました。
二回戦、三回戦では仲間たちへ序盤を託した肇。
しかし四回戦では、いよいよエース・高橋肇が初回からマウンドへ立ちます。
もちろん、一人ですべてを背負うわけではありません。
前薗晃大をはじめ、久我直哉、黒崎蓮、早川慶介、そして野球部の仲間たちがいる。
さらにスタンドには、吹奏楽部の真悠、チアリーディング部の眞衣。
そして【いつもの4人】の美琴と莉奈も応援へ駆けつける予定です。
甲子園への道は、まだ途中。
高校通算五十八本塁打という記録も一度忘れ、四回戦は再び〇対〇から。
肇たちにとって、新しい勝負が始まります。
県立星陵高校との三回戦を八対一で突破した翌週。
放課後の野球部グラウンドには、いつも以上に張り詰めた空気が漂っていた。
次の相手は――県立北辰高校。
ここまで三試合すべてで五得点以上。
特に中軸の破壊力が高く、一度流れを渡せば一気に大量得点へつなげてくる打撃型のチームだった。
「集合!」
一条昴監督の声が響く。
練習を止めた選手たちが、一斉に集まった。
肇。
正捕手の前薗晃大。
主将の鈴木和誠。
そして三回戦で先発した久我直哉、橘優成、安西航、大野蒼真、西川陸斗、森川駿たちも輪に加わる。
一条監督は資料を広げた。
「明日はいよいよ四回戦だ」
「はい!」
「ここまで三つ勝った。だが、明日の北辰は今までとは少し違う」
選手たちの表情が引き締まる。
「北辰は打つ。とにかく振ってくる」
一条監督はスコアを読み上げた。
初戦――七得点。
二回戦――九得点。
三回戦――六得点。
「三試合で二十二得点……」
晃大が呟いた。
「そうだ」
一条監督が頷く。
「長打だけじゃない。走者を出した後の攻撃も上手い」
和誠が資料を見る。
「上位打線がかなり出塁してますね」
「だから明日は先頭打者を簡単に出すな」
「はい!」
一条監督の視線が肇へ向いた。
「高橋」
「はい」
「明日はどうする?」
一瞬、全員が肇を見た。
二回戦。
肇は四番・一塁手として先発し、六回から登板した。
三回戦。
久我と橘を中心に五回まで戦い、六回から肇たち固定メンバーが出場した。
だからこそ、四回戦でも何か考えているのではないか。
肇は少し考えた。
そして答える。
「明日は――最初から投げます」
空気が変わった。
晃大が笑う。
「やっとエースが最初から来たか」
肇も笑った。
「北辰には最初から全力で行きたい」
一条監督が確認する。
「完投するつもりか?」
「できるなら」
「駄目だ」
即答だった。
「え?」
「最初から完投すると決めるな」
一条監督は肇を見る。
「お前の夏は明日で終わりじゃない」
「……はい」
「地区大会を勝ち抜いた先に甲子園がある。さらに、お前はその甲子園で優勝すると言っているんだろ?」
肇は黙って頷いた。
「だったら一試合で全部使うな。投げられるところまで全力で投げろ。交代が必要だと俺が判断したら従え」
「はい!」
久我が横から言った。
「高橋先輩」
「何?」
「俺もいつでも投げられます」
続いて黒崎蓮。
「俺も」
早川慶介も頷いた。
「任せてください」
肇は三人を見る。
そして笑った。
「分かった」
一条監督が言う。
「それがチームだ」
「はい!」
◇◇◇
全体練習が再開された。
今日、肇が特に時間を掛けたのは投球練習だった。
ブルペン。
捕手は晃大。
バシィン!
「ストライク!」
返球。
肇が受け取る。
晃大が次のサインを出す。
スライダー。
肇が投げる。
バシッ!
「いい」
もう一球。
カーブ。
続いてフォーク。
そしてストレート。
バシィィン!
「今のいいぞ」
「本当?」
「今日一番」
肇はロジンバッグを触る。
「北辰、振ってくるんだよな」
「データではな」
「だったら最初から変化球多め?」
「いや」
晃大は首を横に振った。
「逆だと思う」
「逆?」
「お前のストレートを見せる」
肇が少し笑った。
「強気だな」
「振ってくるチームだからこそだよ」
晃大がミットを構える。
「最初から逃げた配球をしたら向こうが乗る」
「なるほど」
「だから初回は攻める」
「いいね」
「ただし」
晃大が真剣な顔になる。
「三回戦みたいに、昔の仲間だからって楽しんで投げる余裕はないぞ」
「分かってる」
「明日は勝つためだけに投げる」
「うん」
「甲子園行くんだろ?」
肇は即答した。
「行く」
「じゃあ投げろ」
「おう」
肇が振りかぶる。
投げる。
バシィィィン!
晃大のミットが大きな音を立てた。
◇◇◇
投球練習を終えると、今度は打撃練習。
肇がバッターボックスへ入った。
三回戦では――三本塁打。
高校通算五十五本から、一気に五十八本まで伸ばした。
その数字は校内でも大きな話題になっている。
だが肇本人は、すでに三回戦の記録を頭から切り離していた。
「お願いします!」
打撃投手が投げる。
カキィン!
鋭い打球がセンター方向へ。
次。
カキン!
右方向。
次。
あえてバットを短く持つ。
カキン!
一、二塁間を抜く打球。
それを見ていた和誠が声を掛ける。
「今日はホームラン狙わないんだな」
肇が振り返る。
「当たり前だろ」
「三回戦で三本打ったから、もっと狙うのかと思った」
「ホームランは結果」
肇はバットを構え直す。
「明日は一本のヒットでも勝てればいい」
和誠が笑った。
「四番らしくなったじゃん」
「前から四番だよ」
「そういう意味じゃない」
次の球。
カキィィン!
今度は左中間を破るような鋭い打球。
「ナイスバッティング!」
仲間たちから声が飛ぶ。
肇は一塁まで全力で走った。
明日は投手として。
そして四番打者として。
チームを勝利へ導く。
◇◇◇
一方。
校舎では吹奏楽部も四回戦へ向けて練習していた。
千鶴が部員たちの前に立つ。
「もう一度、最初から合わせましょう」
「はい!」
真悠もトロンボーンを構える。
野球応援。
兄の肇が打席へ入れば、スタンドから演奏する。
肇がマウンドへ立てば、仲間たちと声援を送る。
「真悠」
隣の部員が声を掛ける。
「何?」
「明日、お兄さん先発かな?」
「たぶん」
「楽しみだね」
「うん」
すると千鶴の声が飛ぶ。
「そこ、私語しない」
「すみません!」
「真悠さんも」
「はい!」
学校では教師と生徒。
吹奏楽部では顧問と部員。
千鶴は決して特別扱いしない。
真悠もそれを分かっていた。
再び演奏が始まる。
音楽室いっぱいに、力強い応援曲が響いた。
◇◇◇
別の場所では、眞衣たちチアリーディング部も練習中だった。
「もう一回!」
「はい!」
眞衣が声を上げる。
動きを合わせる。
腕の位置。
足の運び。
声。
四回戦は、これまで以上の応援になる。
休憩時間。
眞衣がスマートフォンを見る。
【いつもの4人】
そこに新しいメッセージが届いていた。
美琴。
『明日、行けることになった!』
「えっ!」
眞衣はすぐ返信する。
『本当に!?』
すると莉奈からも。
『私も行ける!』
眞衣の顔が明るくなる。
『真悠にも言う!』
すぐに真悠もグループへ入ってきた。
『二人とも来るの!?』
美琴。
『行くよ』
莉奈。
『応援するって約束したから』
真悠。
『ありがとう!』
美琴から続けてメッセージ。
『拓真兄ちゃんも「ちゃんと応援してこい」だって』
莉奈も。
『航平兄ちゃんも同じ(笑)』
眞衣は画面を見ながら笑った。
三回戦で戦った相手。
しかし今度は、その妹たちも味方になる。
『じゃあ明日球場で!』
『了解!』
『また4人で会おう!』
【いつもの4人】。
明日も再び、四人が球場に揃う。
◇◇◇
野球部の練習終了後。
一条監督は三年生だけを残した。
肇。
晃大。
和誠。
西川。
森川。
松岡。
そして他の三年生たち。
「お前たち」
一条監督が静かに言った。
「明日負ければ、これが最後になる」
誰も言葉を発しない。
高校野球。
三年生最後の夏。
勝ち続けている間は、次がある。
しかし一度負ければ――その瞬間に終わる。
「怖いか?」
一条監督が尋ねる。
西川が答えた。
「怖いです」
森川も。
「終わりたくないです」
晃大も頷く。
「俺もです」
和誠が全員を見る。
「でも、だから勝つんですよね」
一条監督は少し笑った。
「そうだ」
そして肇を見る。
「高橋」
「はい」
「お前は?」
肇は少し考える。
「怖いです」
仲間たちが肇を見る。
「甲子園に行くって言いました」
一条監督は黙って聞く。
「優勝するって約束もしました」
千鶴と交わした約束。
最後の高校野球。
地区大会で優勝する。
千鶴を甲子園へ連れていく。
そして甲子園でも――優勝する。
「だから」
肇は仲間たちを見る。
「まだ終われません」
和誠が笑う。
「俺たちもだよ」
晃大が肇の肩を叩く。
「一人で背負うな」
「分かってる」
「本当に?」
「……たぶん」
「たぶんじゃない」
三年生たちが笑った。
一条監督も笑う。
「よし」
そして最後に告げた。
「明日は全員で勝つぞ」
「はい!」
◇◇◇
夜。
肇が帰宅すると、千鶴はリビングで仕事をしていた。
「ただいま」
「おかえり」
千鶴が顔を上げる。
「練習お疲れ様」
「千鶴も」
「私は仕事です」
「吹奏楽部の練習もあったでしょ」
「まあね」
肇は鞄を置く。
千鶴が尋ねた。
「明日、先発?」
「うん」
「最初から?」
「最初から」
千鶴は少しだけ表情を変えた。
「そう」
「心配?」
「しますよ」
「大丈夫」
「その言葉が一番心配」
「え?」
「肇はすぐ大丈夫って言うから」
千鶴は椅子から立つ。
「肩とか肘とか、少しでも変だと思ったらちゃんと言うこと」
「分かってる」
「監督にも」
「うん」
「前薗君にも」
「はい」
「無理して投げ続けない」
肇が笑った。
「先生みたい」
「先生です」
「家でも?」
千鶴は少しだけ笑った。
「今は違います」
二人の視線が重なる。
肇が言う。
「約束、覚えてる?」
「何の?」
「甲子園」
千鶴はすぐに分かった。
「もちろん」
「まず地区大会で優勝する」
「うん」
「千鶴を甲子園に連れていく」
「うん」
「それから――」
「甲子園でも優勝する」
千鶴が先に言った。
肇は驚く。
「覚えてるじゃん」
「忘れるわけないでしょう?」
千鶴は穏やかに微笑む。
「でも、一試合ずつ」
「分かってる」
「明日は四回戦」
「北辰高校」
「まずそこに勝つ」
「うん」
「その次は、その次」
肇は頷いた。
「分かった」
◇◇◇
夕食を終えた後。
肇は自分の部屋で練習ノートを開いた。
そこには――。
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
三つの丸。
その下。
『四回戦突破』
まだ丸はない。
肇はその文字を見つめる。
三回戦では一試合三本塁打。
高校通算五十八本。
だが、それは明日の試合を一対〇から始めてくれる記録ではない。
四回戦は〇対〇から始まる。
投手として一球ずつ。
四番として一打席ずつ。
積み重ねるしかない。
するとスマートフォンが震えた。
晃大からだった。
『明日、最初から飛ばすぞ』
肇は笑う。
『了解』
続いて和誠。
『絶対勝つぞ』
『当たり前』
さらに久我。
『いつでも後ろ行けます』
黒崎。
『俺も準備します』
早川。
『任せてください』
肇はしばらく画面を見つめた。
「……一人じゃない、か」
一条監督。
晃大。
和誠。
久我。
黒崎。
早川。
そして野球部の仲間たち。
吹奏楽部。
チアリーディング部。
真悠。
眞衣。
美琴。
莉奈。
さらに三回戦で敗れた拓真と航平の想いまで背負っている。
けれど、それは重荷ではなかった。
むしろ――力になる。
肇はノートの余白に一行だけ書き加えた。
『全員で勝つ。』
◇◇◇
就寝前。
肇が寝室へ入ると、千鶴が先にいた。
「もう寝る?」
「うん」
「明日早いからね」
肇はベッドへ入り、千鶴の隣へ横になる。
千鶴は肇をそっと抱きしめた。
「肇」
「ん?」
「頑張ってね」
「うん」
「でも――」
「無理はしない」
「分かってるならいいです」
肇も千鶴を抱き返す。
「明日」
「うん」
「絶対勝って帰ってくる」
千鶴は少しだけ微笑んだ。
「待ってる」
「球場にいるでしょ」
「そうでした」
二人が笑う。
千鶴は吹奏楽部顧問として。
真悠は吹奏楽部員として。
眞衣はチアリーディング部員として。
美琴と莉奈も観客として。
そしてグラウンドでは――。
エース・高橋肇。
高校通算五十八本塁打の四番打者。
県立北辰高校との四回戦。
強打の相手に対して、今度は初回からマウンドへ立つ。
肇は目を閉じた。
「おやすみ、千鶴」
「おやすみ、肇」
地区大会優勝まで。
甲子園まで。
そして、甲子園優勝まで。
まだ道は長い。
けれど今は、その先を見る必要はない。
まずは明日。
四回戦。
県立北辰高校。
練習ノートに書かれた、
『四回戦突破』
その横へ四つ目の丸をつけるために――。
肇にとって高校最後の夏の、新たな一日が始まろうとしていた。
第9話「四回戦前日――強打の北辰高校と、エースが背負う約束」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は試合そのものではなく、四回戦を翌日に控えた肇たちの準備を中心に描きました。
三回戦では一試合三本塁打を記録し、高校通算本塁打数を五十五本から五十八本へ伸ばした肇。
しかし一条監督が伝えたように、過去の記録が次の試合で得点を与えてくれるわけではありません。
明日はまた〇対〇。
そして今回、肇はエースとして初回からマウンドへ立つことを決めました。
そんな肇に対して一条監督が伝えたのは、
「最初から完投すると決めるな」
という言葉。
肇の後ろには仲間たちがいます。
久我直哉。
黒崎蓮。
早川慶介。
そして正捕手・前薗晃大。
一人ですべてを背負うのではなく、必要なら仲間へボールを託す。
これまでの三試合を経験したからこそ、肇自身も「全員で勝つ」という意味を少しずつ理解するようになっています。
一方、応援する側にも嬉しい再会があります。
真悠と眞衣に加えて、美琴と莉奈も四回戦の応援へ来られることになりました。
三回戦では敵チーム側だった美琴と莉奈。
しかし今度は、拓真と航平から託された想いも胸に、肇たちの甲子園への道を応援します。
【いつもの4人】が再び球場に揃うことになります。
そして夜。
千鶴との会話で改めて確認した、あの日の約束。
地区大会で優勝する。
千鶴を甲子園へ連れていく。
そして――甲子園でも優勝する。
大きな目標ではありますが、千鶴が伝えたように、まずは一試合ずつです。
肇の練習ノートには、
『初戦突破 ○』
『二回戦突破 ○』
『三回戦突破 ○』
そして、その下にはまだ丸のない、
『四回戦突破』
という文字。
さらに肇自身が書き加えた、
『全員で勝つ。』
次はいよいよ四回戦。
高橋肇はエースとして初回からマウンドへ。
そして高校通算五十八本塁打の四番打者として打席へ。
対するのは、三試合で二十二得点を奪ってきた強打の県立北辰高校。
果たして肇たちは、四つ目の丸を練習ノートへ刻むことができるのか。
甲子園へ続く高校最後の夏――。
いよいよ、四回戦が始まります。




