5.
私は愕然としてしまった。この女は…!ついこの間まで平民だった分際で…!
マナーも覚束ない平民女に対してどれだけ周囲が寛容に接してくれていたか、全く理解していなかったのか。
それにさっきのあの女の言葉。
あの寛容なご夫人達のご主人に取り入るようなことを言っていたのね。今までどれだけ皆様にご迷惑をかけてしまったのかしら。
明日からお詫び行脚ね。
隠居された身?何を言ってるのかしら。あの女がいつまでもあの夜会を卒業出来ないから!私は未だに顔繋ぎのために夜会に出て頑張っているのに!
苛々した顔を隠す事ができないほど感情を揺さぶられた私は、明日からのスケジュールを考える事で徐々に冷静になっていった。
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カチャ
「母上、お呼びでしょうか。」
「アヤーム。久しぶりですね。貴方にいくつか伝えないといけないことがあります。」
彼女の悪評について息子に説明する。出来るだけ淡々と、感情を挟まないよう気をつけながら。なのに。
「なっ、いくら母上でもカンティーナのことを悪く言うのは許せません!」
ふう。この子ももう諦めないといけないのかしら。
あの平民女の後始末がひと段落した時に息子を呼び出した。そしてあの女の所業を伝えたのだが。
そう、あの女から私が姑根性でいびっているとでも聞いているのね。……息子ももう無理かもしれない、と思いながらも一縷の望みである言葉を伝えてみた。
"わたしがまだ至らないところだらけで皆様を苛立たせてしまうのが申し訳ないのです。"
"あまり貴方様を占領していたら他の方から怒られてしまいますわ。"
キッと私を睨みつけていた息子が不意を突かれたようにこちらを見つめている。
「ど、どうしてそれを」
「どうしてもこうしても。貴方の"可憐で健気な奥様"がマナーを嗜めたご夫人方の旦那様に言ったセリフよ。」
「それは…それはカンティーナが他のご令嬢から嫌がらせをされている時に」
「ふん、やはり貴方にもこう言って近づいたのね。…どうやら彼女の殿方を捕まえるためのテクニックだったようだけど。」
「テクニックだなんて…カンティーナは美しいから昔から女性に嫌われやすいのです!」
「殿方を味方につけるのはあんなに容易いのに、女性からは悉く嫌われるのね。」
私の嫌味は少しくらい通じただろうか。だがここで追求は止められない。
「まあいいわ。貴方が認めないのならこれから先苦労するのは貴方だから。今回の話はいつも主催してくださっている、ルトワ・アランソン伯爵夫人からの伝言を伝えるために呼び出したの。」
「ああ、アランソン伯爵夫人ですか。あの方はカンティーナにも親切にしてくださる方ですよ。」
「彼女は根っからの善人ですからね。……だから大問題なんです。」
彼女からの手紙を広げながら息子に告げる。
「もう我が家の夜会にご招待することはできません、というお手紙を頂いたわ。」
息子から表情が抜けた。それはそうだろう。アランソン伯爵家の夜会に招待されないというのは社交界との訣別を意味する。だってあの鷹揚な彼女が判断したのだ"我が家に招きたくない"と。
「だ、誰がそこまでの嫌がらせを!抗議します!確かにカンティーナは男性に慕われやすいですが、嫉妬に狂ってそんな事を唆すなんて!」
私はため息をつきながら資料を読み上げた。
"まあ、2人目も女の子でしたの?それは大変ですわね。男爵家といえども後継は必要でしょうに。あらごめんなさい、私ってば。私は1人目で嫡男を産みましたでしょう?男の子が出来なかったら貴方の立場がどうなるのかと心配になってしまって。"
「ハイバット男爵夫人にこう言ったそうよ。流石にあの女といえどもこんな酷い事を言うなんて信じられなくて複数の人に聞いて回ったわ。そうしたらみんながみんな同じ台詞を教えてくれたのよ。」
息子はもう真っ青だけど、ここで追求を止めるわけにはいかない。…だって。だって息子の事をこの先も"息子"と呼べるかどうかの瀬戸際だから。
「それまでにもかなりの人にあの女…ああごめんなさい、貴方の"可憐で健気な"奥様だったわね。前からかなり距離を置かれていたみたいよ。特に最近は一部の平民の参加者とあまり評判のよろしくない男爵夫人なんかを取り巻きと称して侍らせてやりたい放題だったみたいだし」
「取り巻き…そんな言い方!やっとカンティーナにも気の置けない女友達ができたと言うのに酷いですよ。」
「でも話を聞いている限り、大袈裟とは言い難いわよ。夜会には貴方も一緒に参加しているんでしょう?男性陣は何も言わないの?」
「男性陣は…虐められたと言って私の元に来たカンティーナを一緒になって慰めてくれていました。」
「なるほどね、そうやって殿方に近づいていたのね。…ムッとした顔をしているけどあなた、我が家の危機的状況を理解している?…そういえば先週はどうだった?男性陣はいつもの通りだったの?」
そう問うた私の顔を見て息子は真っ青になった。
「先週は。先週はどなたもお忙しいようで二言三言話すと忙しなくどこかに行かれたので…。あの日は…カンティーナがやってきて同じように嘆いても…」
"大変そうだね、ご主人も心配だろう?2人で別室で少し休憩してはどうだい?"
「そう言ってさっと離れていきました。」
大きく頷く。
「そうね、ご主人方も流石にハイバット夫人の件は見逃せなかったのよ。彼女の立場を知らなかったとしても、多家の後継問題を嘲笑うのは流石にやりすぎよ。今まであの女に同情的だった殿方も、その話を聞けば距離を置くしかなくなるでしょうしね」
「でも、カンティーナは相手の立場を気遣ったのでしょう?余計なお世話かもしれないけど。」
私は目の前が真っ暗になった。ああこれは。
「破れ鍋に綴じ蓋というものね。とにかくアランソン伯爵家の夜会にはこれから招待されることは無いとだけあの女に伝えてちょうだい。そしてあなたは。」
息子を残して部屋を出る。早く夫に相談しなければ。我が家の今後について。
ドアを閉める前、最後の慈悲を息子に与えた。
「あなたにはまだ真の友人はいるかしら?いると思うなら。」
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「いると思うなら、ハイバット男爵夫人に言ったことの不味さを教えてもらいなさい。…それで理解できないならもう私ではあなたを救ってあげられないわ。」
母が去り際に残した言葉が腹の奥の方にずしんと重く残っている。
真の友人。最近は夜会で当たり障りない会話をするか、カンティーナが連れてきた人物とのやり取りがほとんどだった。だが、母の言葉を信じるなら。それ以外の人間に相談するべきだろう。
私は学園時代に仲良くしていたが、最近会話をする機会に恵まれなかったコンティ・ブランデンブルグ子爵に連絡を取った。
「やあ!久しぶりじゃないか!元気そうだな…って言おうと思ったけど何か悩み事か?」
彼は昔から快活で、正しい人だった。相談するなら彼しかいないと思った。
「最近は同じ夜会に出ていても、君の周りには僕の知らない人が沢山いるから話しかけ辛くってな。」
「そうだな、最近は…。」
最近、平民か男爵位あたりの紳士と会話をすることが多くなった。いつからだろう?それより上の男性陣と話す機会が減ってきたのは。
「最近は爵位持ちの方々とはあまり話す機会が少なくなってね。私としてはもっと交流を図りたいんだが中々、ね。」
「もしかしてその辺りを悩んでるのか?…気にせず輪に入ればいいじゃないか!って言ってやりたいんだが。…このままなら多分親しくなれる事は無いだろうな。」
ストレートにそう言われてしまい、カッとなった。だが、そこまで言われるほど私たち夫婦は何かしているだろうか。確かに平民からの嫁入りだから多少マナーが覚束なかったり話題が適切では無いことがあるかもしれないが。
「おい、何を言われても受け止めるだけの度量はまだあるか?」
「な、何を言うつもりだ?……でも教えて欲しい。」
そこで彼が語った事で私の頭の中は真っ白になってしまった。
「君はハイバット男爵夫人はどんな方か知ってるかい?」




