第6話 名を焼く町
第6話 名を焼く町
三人は石切り場を出る前に、顔と髪を灰除けの布で覆った。死体を扱うときに使う布で、イヴェンが薬箱へ予備を入れていたものだ。朔は外套の下へアデルの細剣を差し、アデルは短い弩を背負った。イヴェンの薬箱には、治療道具と赤煙の薬瓶が収まっている。
城壁に沿って北へ進むと、壁の向こうに大灯礼の白い飾りが見えた。鐘楼から歌が流れ、灰の花びらが風に乗って壁を越えてくる。四日後、あの町を守るために四十八人の名が白札へ移される。
古い検疫墓地は、石切り場から半刻もかからない場所にあった。墓標はほとんど倒れ、北端の納骨小屋だけが残っている。イヴェンが床の灰を払い、錆びた鉄扉を露出させた。
扉の脇には、掌を当てる浅い窪みがあった。イヴェンが右手を重ねる。半円形の焼印が一度だけ白く光り、長く使われていなかった錠が石の中で動いた。
地下搬入路には、古い薬と湿った石の臭いがこもっていた。三人は灯りを絞り、死体を載せた台車の轍をたどった。路は城壁の下を抜け、やがて上り坂になった。
突き当たりの石扉には、四つの円を重ねた掌形が刻まれていた。
「ここから先が聖堂だ」
イヴェンが囁いた。
朔は右手を窪みへ置いた。骨に残るセヴランの名と、掌の内門印が同時に熱を持つ。口から、覚えたはずのない祈句がこぼれた。
――この手の名を認めよ。
それは扉へ開けと命じる言葉ではなかった。教会の石へ、掌に結ばれた名を照合させる言葉だった。
石扉が奥へ沈んだ。
荷車を二台並べられる幅の白い北廊下に、十二人の兵士が待っていた。槍先はすでに三人へ向けられている。先頭には、背の高い痩せた司祭が立っていた。年齢は五十前後。髪も眉も白いが、顔に皺は少ない。首元まで白い法衣を着て、手袋をしていない。両手の皮膚には、炉を扱う者特有の白い火傷が薄く走っていた。
「待っていたよ。セヴランの中にいる者」
穏やかな声だった。
アデルが背の弩へ手を伸ばした瞬間、床に埋め込まれた戸籍札の写しが光った。
アデルとイヴェンの手足が、床へ縫い留められたように動かなくなる。
朔だけは立っていた。
術が、この世界に名の根を持たない魂を見つけられない。
司祭は満足そうにうなずいた。
「やはり中身が違う」
兵士の槍がアデルとイヴェンの喉元へ寄った。朔は細剣へ手をかけたが、二人の皮膚に穂先が触れるのを見て指を離した。
兵士たちが朔の細剣とアデルの弩を取り上げ、三人の顔を覆う布も剥がした。武器は一人が、イヴェンの薬箱は別の一人が抱える。続いて白い革帯をアデルとイヴェンの手首へ巻いた。帯の文字が光り、二人の指まで動かなくなる。それを確かめてから床の光が消され、二人は兵士に立たされた。
「リュカはどこだ」
「あの少年なら地下牢だ。元気だよ。私の指を一本噛んだ」
司祭は右手を見せた。人差し指に布が巻かれている。
「ヴァルケ」
イヴェンが白い革帯に両手を取られたまま、その名を押し出した。
「覚えていてくれたか。私はいま、この町の白炎を預かっている」
「工房を襲わせたのはお前か」
「施療院で君を取り逃がしたあと、追跡糸で工房を見つけた。そこにイヴェンがいるとわかれば、逃げた君が使う道も絞れる」
ヴァルケは、三人が出てきた石扉へ目を向けた。
「古い外扉は帳面から印を消しても開いてしまう。だから印が使われたときだけ、私へ知らせる術を足した。仲間をここへ運べば、君は助けに戻ると思っていたよ」
ヴァルケは朔へ近づいた。
その目には憎しみも恐れもなかった。珍しい器具を見る医者のようだった。
「どこの世界から来た?」
「答える必要はない」
「君の世界には、随分と命が余っているらしい」
朔の右手が空になった腰へ動き、そこで止まった。
「自ら未来を捨てた魂など、私は初めて見た」
「なぜ知ってる」
「この世界に名の根がないのに、死の形だけが魂へ残っている。炉の近くではよく見える」
ヴァルケは微笑まなかった。
「私は四十八人の名を奪う。君は自分の未来を捨てた。違いは、選んだのが本人か私かだ」
「あいつらは望んでない」
「望みを尋ねて、城壁が守れるならそうする」
ヴァルケは窓の外を示した。
白炎の向こう、昼でも灰の影が城壁へ張りついている。夜葬谷で見たものが、数え切れないほど蠢いていた。
「最後の白札は、あと四日で尽きる。次の札がなければ白炎は消え、その夜だけで三万一千人が夜のものへ晒される。子どもも、罪人も、君が薬を盗んで救った女たちも。私は四十八人を選ぶ。君なら誰を選ぶ?」
朔は答えられなかった。
アデルが白い革帯に両手を取られたまま、ヴァルケを睨んだ。
「選ばれる側に、あんたたちはいない」
「その通りだ。公平ではない」
ヴァルケはためらわず答えた。
「だが、公平でないという理由で白炎を消せば、死ぬ者が増える。それだけだ」
その言葉が嘘ではないことを、朔はなぜか理解した。
だからこそ不快だった。
ただの悪人なら、斬れば終わる。
ヴァルケは正しい数字を並べて、人間を結界の部品へ変えていた。
「君に提案がある」
司祭は言った。
「セヴランの身体へ、新しい名を焼こう。冬城朔という音を、この世界の骨へ結ぶ。拒み痕は止まり、少なくとも数十年は生きられる」
胸の黒い線が痛んだ。
アデルの顔を見ることができなかった。
南の空。灰原の向こう。木から落ちる林檎。四十日目の朝。
それらが、一度に現実の重さを持った。
「……本当に、できるのか」
朔は訊いていた。
アデルが息を呑む音がした。
ヴァルケは初めて笑った。
「できる。ただし未来が要る」
ヴァルケが指を鳴らした。兵士が奥の扉を開き、リュカを引き出した。両手を縛られ、片目が腫れている。
それでも朔を見ると、笑おうとした。
「この子は名炉の測りで、六十三年を残している」
ヴァルケは言った。
「半分を君へ。半分はこの子に残す。それで二人とも生きられる」
朔の口は乾いていた。
生きたい、と思った。
はっきりと。
否定できないほど強く。
「何をすればいい」
朔はヴァルケに訊いた。
アデルが彼の名を呼んだ。
その声に振り返らないまま、朔は兵士に挟まれて名炉へ続く扉をくぐった。アデルとイヴェンも、白い革帯を引かれて後ろから続いた。




