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灰の底で息をする  作者: 黒猫


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第5話 死にに行くんじゃない

 第5話 死にに行くんじゃない

 

 白炎教会(はくえんきょうかい)が工房を襲ったのは、大灯礼の四日前だった。


 夜明け前、裏口の警鈴が一度だけ鳴った。


 見張りが合図を続けるより早く、扉が内側へ吹き飛んだ。青白い火が床を走り、乾いた革へ燃え移る。煙は出なかった。炎に触れた木も布も、色だけを失って崩れた。


「教会だ!」


 誰かが叫んだ。


 朔は枕元のパンを掴んで起きた。


 広間へ白い外套が雪崩れ込む。兵士の顔は銀の面で覆われ、長槍の穂先に白炎(はくえん)が灯っていた。逃亡者たちは荷物を捨て、工房奥の乾燥場へ走る。革を吊るす棚の下には、古い床板で隠した点検口があった。人ひとりが肩をすぼめて降りられるだけの穴で、使われなくなった排水路へ通じている。


 アデルが(いしゆみ)を射た。


 先頭の兵士が倒れる。二人目の槍を剣で払い、喉へ刃を入れた。迷いのない動きだった。


 朔の身体も動いた。


 考えるより先に兵士の手首を折り、奪った槍で次の兵士の膝を砕く。セヴランの記憶だった。どこを打てば人が立てなくなるか、指が知っている。


 兵士が面を外した。


 若かった。


 恐怖に歪んだ顔を見た瞬間、朔の手が止まった。相手は止まらなかった。槍の柄が脇腹へ入り、床へ倒された。


「朔!」


 アデルが兵士を蹴り飛ばした。


「立って。全員、奥の点検口へ!」


 工房の屋根が燃えていた。


 イヴェンは薬箱を胸へ縛りつけ、歩けない老女を背負っている。リュカがその後ろで、幼い子の手を引いていた。乾燥場では先に着いた者が棚をずらし、床板をはがしている。点検口の脇に備えてあった非常袋が、真っ先に穴へ落とされた。


 白炎が梁を舐めた。


 音もなく崩れた木材が、逃げる者たちの間へ落ちる。人の列が二つに割れた。リュカの手から子どもが離れた。


「先に行け!」


 リュカは子どもを押し、梁の向こうへ戻った。


 朔も戻ろうとした。


 白炎が近づいた途端、胸の黒線が一斉に焼けた。膝が落ちる。拒み痕が火に引かれるように脈打ち、手足から力が抜けた。


 二人の兵士がリュカを捕まえた。


 少年は噛みつき、殴られ、それでも朔を見た。


「来るな!」


 叫んだのはリュカだった。


 梁がもう一本落ちた。


 アデルが朔の襟を掴み、開いた点検口まで引きずった。朔を先に排水路へ落とし、自分も続く。直後、乾燥棚が白炎に包まれ、穴の縁が白く崩れた。


 旧排水路は、人ひとりが背を丸めて進めるほどの幅しかなかった。残った者たちは膝まである冷たい廃水をかき分け、一列になって北壁の外を目指した。


 二十三人のうち、石切り場の排水口から出られたのは十五人だった。


 四人が教会兵に捕らえられ、三人が崩れた梁の向こうに取り残された。崩れた梁の破片で脇腹を裂かれた男は、水路の半ばで動けなくなった。前後の人が服を掴んで排水口の外までは運び出したが、そのときにはもう息がなかった。

 夜が明けるころ、彼らは城外の石切り場跡へ隠れた。


 誰も泣かなかった。


 泣けば声が響くからだった。


 イヴェンが負傷者を診ているあいだ、アデルは奪った槍を濡れた地面へ置いた。白炎の消えた穂先から、髪より細い光が伸び、朔の外套の裾へ続いていた。


追跡糸(ついせきいと)


 朔は言った。


 セヴランの記憶が、それを知っていた。


「普段は見えない。教会の武器を近づけると、こうして浮く。戸籍札を持たない者や、帳面の上では死んだ者を追うための術だ」


 アデルが裾を裏返すと、縫い目に白い結び目があった。施療院で薬を盗んだ日につけられたものだった。


「俺が連れてきた」


 朔の声は、自分のものではないように聞こえた。


 アデルは糸のついた裾だけを切り取り、火へ入れた。青い火花が上がる。


「私が......迂闊だった。本当は確かめないといけなかったのに」


「俺が勝手に町へ入ったからだ」


「俺のせいで、リュカも......」

 アデルは何も言わなかった。


 朔は懐から黒パンを出した。


 白炎の熱で片側が硬くなっていた。明日の自分のために残したものだった。


 それを握り潰した。


「聖堂へ行く」


「行ってどうする」


「内門を開ける。牢にいる全員を出す」


「計画も人数も足りない」


「四日待てば、リュカは炉に入れられる」


「今行っても、死にに行くだけだ。」


「死にに行くんじゃない」


 アデルが朔を見た。


 朔自身も、その言葉に驚いていた。


「戻ってくる」


 声にした途端、恐怖が形を持った。


 戻れないかもしれない。


 リュカを助けられないかもしれない。


 アデルも死ぬかもしれない。


 以前なら、どれも同じ灰色の出来事だった。いまは一つずつ違う痛みを持っていた。


 イヴェンが薬箱を閉じた。


「聖堂の北側に、骨医(こつい)だけが使う搬入口がある。私の古い印がまだ通るかもしれん」


「一緒に来るのか」


「お前ひとりで行かせては、それこそ無駄死にだ」


 アデルが息を吐いた。


「残った十二人は、石切り場の横穴に隠してある食料と二台の荷車を持って、南の旧採掘道へ。壁を出た先の焼けた礼拝所で明日の夜まで待って。私たちが戻らなければ、そのまま灰原(はいばら)を越えて」


 誰も反対しなかった。


 反対する余力がなかった。



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