第九話 旅立ち。
乗合馬車は町の入り口にやってくる。
いつもアブラノキの実を買ってくれた店の主人や、薬草の採取を依頼してきた薬師は、ラナが村を離れる事をひどく残念がっていた。
餞別だと、店の主人は小袋に入った蜜飴をくれたし、薬師は腹痛の薬を持たせてくれた。
挨拶を済ませ、ラナと父親は町の入り口で馬車を待っていた。
昼頃には着くそうだから、馬を少しだけ休ませたらそのまま出発するだろう。
ラナと父親は何も話さず、二人で並んで立っていた。
やがて、がらがらと車輪の回る音が近づいてきて、幌のかかった馬車の姿が見えた。
御者はラナ達が客だという事を確認すると、馬車の近くで待っていてくれと告げ、馬を荷台から外して水飲み場へと連れていった。
「ラナ」
父親がラナの手を両手で握った。
大きな身体をかがめてラナの目を覗き込む。
「身体に気をつけるんだよ」
「うん」
「〈危険回避〉のスキルがあるからって、けして過信しちゃいけないよ」
「うん」
「無理はしないように」
「うん」
御者と馬が戻ってきても、父親はラナの手を離さなかった。
「あちらは夜はまだ冷えるだろうから、暖かくして寝るんだよ」
「うん」
馬を荷台につけ終わった御者が、促すようにラナ達を見た。
父親は強くラナの手を握った。
「頑張るんだよ」
父親の声はかすかに震えていた。
いつも穏やかな表情を浮かべている目には、薄っすらと水の膜が張っている。
「……うん」
ラナは耐えきれなくなって俯いたが、涙がこぼれそうになって慌てて上を向いた。
父親が御者に前金に当たる銀貨を渡し、ラナは幌馬車の荷台に乗り込んだ。
「行ってきます!」
精一杯の笑顔でラナは父親にそう告げた。
馬車が遠くなっても父親はそこに立ち、手を振り続けてくれた。
ラナも姿が見えなくなるまでずっと手を振った。
やがて町すらも見えなくなり、ラナは少しだけ泣いた。
乗合馬車には一家でオニキスに移住するという二人の姉妹を連れた家族と、やはりオニキスに奉公に上がるというラナと同じ年頃の女の子が乗っていた。
オニキスはここら辺りでは一番大きな都市だ。
ラナは、その一つ手前の町で降りる。
村の出身の人がそこで暮らしており、ラナに住むところを紹介してくれる手筈になっているのだ。
ラナと女の子は年が近いせいもあり、旅の間親しくなった。
名をアネットといい、オニキスの仕立て屋にお針子として奉公に上がるのだそうだ。
「これも自分で縫ったんだよ」
アネットは得意げに言いながら、自分の着ているスカートをラナに見せた。
よそ行き用だから奮発したんだ、と裾に綺麗な赤い糸で刺繍をしてあるのも見せてくれた。
何日も馬車に揺られ、途中やはりオニキスに奉公に上がるという男の子が三人それぞれ違う町から乗ってきた。
夜は外に天幕を張り、御者と一家の父親、それと男の子達が代わる代わる火の番をしながら眠った。
ラナとアネット、母親と姉妹は幌馬車の荷台で夜を過ごした。
夜はひどく寒い。
ラナは母親が編んでくれたみっしりと目の詰まった毛糸のショールにしっかりとくるまり、アネットと身を寄せ合いながら眠った。
そうして、とうとうラナの降りる町へと馬車が着いた。
乗合馬車の後金である銀貨を御者へと手渡す。
「ラナ、ラナ!」
幌馬車の荷台からアネットが身を乗り出して叫んだ。
「オニキスに来たら、絶対会いに来てね! おばあちゃんの花園っていう仕立て屋だからね!」
絶対だよ! と叫ぶアネットを乗せた馬車が遠ざかっていく。
ラナは馬車が小さくなるまで見送った。
レンガ造りの家が立ち並び、道路は平べったい石で舗装されている。
今日から、ラナはこの町で一人ぼっちで暮らすのだ。




