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奴隷と犬

 「おい! 変態クソジジイ!」

 ニンフの囁きの地下室ドア前で乱暴にノックしながら俺が叫ぶと、覗き穴からこちらを伺う気配とともに、やや遅れて敬助(ケイスケ)の野郎が中から出てきた。いつの間にか現れた俺たちをヤツは警戒しているようだった。

 「なんだ、坊主? 返品交換は受け付けねぇって言っただろ?」

 おいおい、コイツ、ふざけてやがるぜ。俺をコケにしたことを、これからたっぷり後悔させてやるからな。

 「よぉ、さっきぶりだな」

 俺は拘束されたフリをしたコギトを小脇に抱えたまま、ゆっくりと敬助の傍に歩み寄った。敏感に危険を察知した敬助はドア付近の呼び鈴を押そうとしていた。恐らく、用心棒を呼ぶためのものだ。俺はコギトから手を離した。すかさず、俺から解放されたコギトが敬助の足を引っ掛けて転倒させた。俺は起き上がろうとしている敬助の懐に飛び込み、ひ弱な腹にパンチを一発お見舞いした。敬助の身体がブッ飛んで壁に叩きつけられた。敬助は、嘔吐すると、ヨタヨタしながら床に這いつくばった。俺はその右手を踏んづけた。

 「無駄だぜ。誰も来ねーよ」

 虚しく(くう)を掴んだ痛々しい手に護身用のポケットナイフをブッ刺すと、まるでキリスト様が磔刑になったときみてぇになった。

 あらかじめ、俺たちは入り口に二人いた用心棒を一人頭約五百バーツで買収していた。ここには二人しか用心棒がいないことは、コギトからの情報で確かだった。俺の手元にまだ千バーツ近くの大金があったのは敬助にとって誤算だっただろう。

 俺たちは敬助を地下室にあった椅子に鎖で縛りつけて、手足を拘束した。すでにヤツは満身創痍だったが、軽く拷問することにする。俺は敬助の歯をその辺にあった錆びたペンチで抜いてやった。抜くたびにヤツの悲鳴が上がり、ただでさえ薬物乱用の影響で残り少なかった歯は一本も無くなった。

 「これって金歯だろ? 売れっかなぁ?」

 「知らん。汚いからこっち向けんな。なぁ、おっさん。歯無しになったお陰で、オレの同僚として、再就職出来るかもな。よかったな」

 ニッコリ笑いながら、コギトは敬助の顔を蹴った。コギトの靴にはヒールがあったから、そこそこ威力が出る。蹴ったところで、もうヤツはなんの反応も示さなくなっていた。どうやら生きてはいるみてぇだが。

 「おい、やり過ぎると死んじまうんじゃねーの」

 俺の言葉を無視して、コギトは敬助の顔をさらに蹴り続けた。血塗れになったヤツの顔面が酷く腫れて変形していった。血が飛び散って、コギトの靴を汚していた。全く、聞いちゃいねーぜ。殺さねぇって話じゃなかったのかよ。その尋常じゃねぇ様子を見て、俺はピンときた。

 「もしかしてよー、お前の初めてってさ、この変態クソジジイ?」

 「……だったら、なんだ」

 コギトの声は少しばかり震えていた。

 「あーあ、そりゃ、ご愁傷様なこった。こんなクソキモいヤツが初めてとか、俺だったら自死を選ぶぜ」

 コギトは蹴るのをやめて急に俯いて静かになった。その足元に一粒の液体が零れ落ちた。

 「……何? お前、泣いてんの?」

 「ああ、そうだよ。こんな男にいいようにされた自分が心底情けなくて泣いてんだ!」

 メソメソしだしたのを見て一瞬うげーダリィなとか思ったけど、そういうことじゃなかった。この男にいいようにされたのは、ただのガキでしかないコイツなりの生存戦略であって、誰に責められるいわれもない。でも、この坊ちゃんは自分の不幸じゃなくて自分の無力さを嘆いているのだった。へぇ、意外と根性あるじゃん、コイツ。

 俺はプライドなんて役に立たねぇなら躊躇なく捨てちまうが、コイツは違うのだ。それが「お育ちの良さ」なんだろう。そういうコイツの甘ちゃんみたいなとこが、なんだか不思議とすげぇ尊いものに思えた。こういう人間はこのまま生きていくのが美しいのかもしんねぇな。

 「さっきメス犬だとか言ったの、訂正するよ。お前のこと、ちったぁ見直してやってもいいぜ」

 「……じゃあ、今からお前はオレの忠犬になってくれるってワケか? どうなんだ、清志郎」

 うわコイツ、根に持ってやがる。生意気だけど、不思議と腹は立たなかった。だって、きっと、このとき俺はコイツに惚れたんだ。

 「おうよ、上等だぜ。俺は、お前の犬だ。これからは、俺がコギトの力になってやる」

 「その言葉、忘れるなよ。裏切ったら絶対許さない」

 かなり好き放題やっちまったし、もうボスの元へ戻る気はなかった。いや、戻れねぇと言った方が正しい。百パーセント殺されるのがオチだ。


 俺たちは監禁されていたガキどもを一人一人逃がした。俺としてはあんま関わりたくなかったけど。俺はコギトの犬になったっつっても、それは完全なるイエスマンになるって意味じゃねぇんだ。

 「坊ちゃんはお優しいことで」

 「万が一、そのまま死なれたら寝覚めが悪いだろ」

 「それって、コギト、テメーの都合だろ? 外に出したとこでコイツらが生き残れるとは到底思えねぇよ」

 実際、ガキどもは戸惑うばかりだった。無理もねぇ。主人を失った従順な奴隷がどう生きていくってんだ?

 「そうだ、これはオレのエゴでやってることだ。彼女たちに対してなんの責任も持てないことはわかってる。お前がやらなくても勝手にするさ」

 「まぁ、オメーがやるってんなら、やるけどよー。どうなっても俺ぁ知らねぇからな」

 敬助のキーリングには大量の鍵がジャラジャラついていて、どれがどこのやつなのか識別するのが大変だった。ついでにヤツはコギトが入れられてた檻の中にブチ込んで放置しておいた。そのままだと死ぬかもしれんが、知ったこっちゃねぇ。故意に「殺す」のと結果的に「死んでいた」ってのは大きな隔たりがあるのだ。

 階上に上がった一室に、薄手のワンピースを着た、せいぜい十二歳くらいの女の子がベッドに寝そべっていた。不潔な部屋のシーツには干からびた血がついたままだった。死んだ目でその娘はただ明後日の方向を見つめていた──彼女には両腕が無かった。どうやら事故による欠損じゃねぇみてぇで人為的に切られた跡があった。あまりにも酷ぇ状態だったから、思わず俺は目を背けてしまった。あぁ、この()が例の……。美少女ではあったが陰惨過ぎる。コレに欲情する人間がいる事実に吐き気がするぜ。

 「……ユキか。オレだ」

 「……アリスちゃん?」

 なるほどなぁ、コギトの苗字は『有栖川』だから『アリス』って源氏名なのか。

 「……誰、です、か……お客さん?」

 『ユキ』と呼ばれた女の子はコギトの隣に立っている俺の存在にハッと気づくと怯えだした。彼女は不自然なほど笑顔を貼りつけて媚びへつらってきた。

 「大丈夫、大丈夫だから。コイツはオレの仲間だ。お前はもう助かったんだ」

 コギトは、女の子の身体を抱きとめながら、柔らかい口調でなだめた。

 「どういうこと?」

 「もう、お前は自由になったんだよ。ここから逃げられるんだ」

 「そんなこと言われたって……これから私、どうすればいいの?」

 当然の疑問だよな。そんなん、俺らにだってわからん。

 「お前には家族がいるんだろ。家族の元へ帰れ」

 「ダメだよ、帰れない。私がお兄ちゃんの学費稼がないと……お兄ちゃんは頭いいから学校に行くんだ」

 「おい、バカなこと言うなよ」

 「……バカなことって、何」

 女の子の語気が強くなって、コギトは言い淀んだ。よくねぇ流れだ。だから、俺は「どうなっても知らねぇ」って言ったんだが……。

「これから誰が私にお金くれるの? ……アリスちゃんじゃないよね。だったら、バカにしないでよ」

 「本当なら、お前みたいな年頃の子供が働く必要なんてないんだよ。お前にだって学校に行く権利がある」

 何を言い出すかと思えば、机上の空論かよ。ここで道徳を持ち出したのは失敗だったろうに。そもそも、お前それブーメランだろ? これだからドーム育ちの坊ちゃんは困るぜ。このときばかりは、女の子に同情した。まぁ、俺はコギトの危ういまでの真っ直ぐさに惹かれたんだけどな。

 「それってアリスちゃんの本当(・・)でしょ? どうせアリスちゃんにはわかんないよ、私たちのことなんて」

 「……そうだ、わからないさ。オレはお前たちじゃないから、わかるワケない。お前が助けを求めないなら、もうオレは止めない。勝手に野垂れ死ねばいい」

 「アリスちゃんのバカ!」

 女の子は、年相応の様子で、大泣きし始めた。取り付く島もない。こりゃ、お手上げだ。俺は肩をすくめた。

 「……行こう」

 ギャン泣きしてる女の子を尻目に俺たちは部屋を出た。

 「いいのかよ? あの()、知り合いなんだろ?」

 「彼女とは何回か一緒に仕事しただけだ」

 「それじゃあ……」

 なおさら情の一つや二つ移るもんじゃねぇの? 少なくとも俺はそうだ。それをコギトのヤツときたら、優しくすんだか冷たくすんだか、よくわからん態度でほったらかしやがった。どうすんだ、これ。

 「おい、忘れたのか? オレはエチカと再会しなきゃならないんだ。オレにとって彼女はそれ以上の価値を持たなかったってだけの話だよ。オレには彼女の人生を面倒見るほどの力は無いんだからな」

 確かに、筋は通っている言い分ではあった。誰かを想うことは誰かを想わねぇってことだ。でも、そう切り捨てるにはあまりにも……。

 「……お前さ、嘘つくの下手過ぎじゃね? もっと練習しといた方がいいぜ」

 「うるさい」

 「まぁ、元気出せよ。女ってのは星の数以上にいるんだからな!」


 俺たちは敬助の金庫からあるだけの金を窃盗した。なんと五十万バーツもの大金が入っていた。とんだごうつくジジイだぜ。これでコギトを買った分はチャラなのだが、自分で稼いで俺に払うと言って聞かなかった。

 「つーかよぉ。こんだけ金があるなら、もうコギトを出品する必要なくねぇか?」

 「アホか。こんなん二百万円程度だろ?」

 「エンってなんだ?」

 「東京の通貨だよ。そもそも東京では物価が違うんだ。もしオークションの基準が東京と同じだったら、エチカどころか、ヒト一人買えやしないだろうな」

 「じゃあ、いくら必要なんだよ?」

 「最低でも、一億円。つまり約二千二百万バーツ」

 なんだよそれ⁉ ……ということは、一体どういうことだ? つまり、ええと、屋台のラーメンが一杯二十五バーツだとすると……八百年以上三食ラーメン生活が可能ということになる。規模がデカすぎて意味わからねぇ。

 「テメー! そりゃ無茶だろ!」

 「まぁ、そう言ってくれるなよ。なんにせよ、町田(マチダ)に行くべきだと思う。確かエチカの店もあそこだろ? 東京の人間も多いしな」

 マチダはここいらのスラムでも一番の歓楽街と謳われている。実際、直接ドームに面してる三鷹(ミタカ)とかよりよっぽど栄えていた。だから買春のために来たドームのヤツらもウジャウジャいるだろう。俺たちが紛れ込むにはうってつけの場所ではある。エチカがいるらしいパラディーソの情報も集めたいし、ひとまず向かうのは正解かもしれない。マチダまではここから車を一時間くらい走らせれば着く距離のはずだ。

 ガレージには、敬助の私物なのか知らんが、一台外車が停めてあった。しかも、サイコーなことに、防弾ガラスつきだった。なかなか、いいモン持ってんなぁ。ヤツのカスな人望とアコギな商売が窺い知れるぜ。ガソリンも満タンじゃねぇか。まるで、神様が俺たちのために用意してくれたみてぇだ。実は俺はこう見えて信心深ぇので八百万の神様全てに感謝した。サンキュー、神様たち! それに俺たちは乗り込むと、キーを差して、エンジンをかけた。もちろん、スクラップ同然の愛車と違って、クーラーは正常に作動した。

 「今日で俺のトラキチ号とも永久にサヨナラだな。俺ぁ一生コイツを手放したくねぇよ」

 「なんだ、そのトラキチ号とかいうのは」

 「乗ってたバンだよ。俺の元愛車」

 「お前、車に名前とかつけるタイプなのか? しかもトラックじゃないのに()()キチなんだな……」

 「そこまで考えてねぇよ」

 あのバンをトラキチ号と名付けたのは車体の傷がトラ柄に見えたからであって、そういう理由ではない。漢字にすると『寅吉』である。が、それを説明するのはダルかったのでやめた。

トラキチ号は苦楽をともにした愛車だったが、特に未練はなかった。コイツのポンコツ具合にはウンザリしてたんだ。しょっちゅうエンストしてたし。

 ガレージのシャッターを開けると、眩しいほどの赤い夕焼けが瞼を照らした。そうか、もうこんな時間なんだな。

 「行くぜ! 全力疾走するから舌噛むなよ!」

 そう俺が叫んで、アクセルを全開にすると、車はすげぇスムーズに走り出した。思わず口笛を吹いたら、助手席に座ってるコギトが安全運転しやがれと文句を言いながら小突いてきたけど無視した。コイツ、律儀にシートベルトまでしててウケるぜ。

 発車してから間もなくニンフの囁きが遠くに見えるくらいになった。薄暗い中、か弱い灯りにぼんやり照らされた建物は点みたいだった。それをコギトは、完全に見えなくなるまで、ずっと眺めていた。

 「……なぁ、清志郎(セイシロウ)はさ……。いや、言いにくいことなら答えなくてもいいんだ……」

 「なんだよ」

 「身体を売ったことはあるか?」

 なんだ、そんなことか。やたらと畏まった様子だったから、もっとおっかない話かと思っちまった。

 「あるよ」

 「それって今も?」

 突拍子もないコギトの質問に思わず俺は噴き出した。コギトと違って決して俺は美しくはない。顔自体はフツーだと思うけど。短髪に太めの眉で目つきは悪ぃ……というのは、どう見てもその手の変態にはウケがよくねぇ。

 「んなワケねーだろ。そんなツラか? 俺は。それにもう十七だぜ?」

 「おい、やっぱお前未成年じゃないか。まだまだ春なんて売ろうと思えば売れるだろ。それに、結構カワイイ顔してると思うぜ」

 よくわからん褒められ方をした……。ギリ悪口じゃね?コギトが俺にも売春しろとか言い出したらどうしよう。

 ──十一のとき親父が死んだ。焼死だった。大規模な山火事が起きて、火は俺の住んでいる村まで到達した。家も何もかも焼けた。どうにか生き延びたものの、生活に困って、俺はお袋と山間部から麓のスラム街まで食い扶持を探しに出た。八王子(ハチオウジ)で俺たちはしばらく一緒に路上生活を送ってたけど、お袋は俺のことを捨てた。そんなワケで、俺はストリートチルドレンになった。

 最初は途方に暮れた。でも、途方に暮れても飯は食えねぇ。食い物のゴミを漁って食いつないでいたが、他のストリートチルドレンと小競り合いになることもしばしばあった。それで、気付いたのだ。俺にはケンカの才能があるってことに。

 でも、一日に多くて一食という生活には限界があった。見様見真似で物乞いしてたら身なりのいい男が話しかけてきた。そのときの俺はよくわかってなかったんだけど、恐らく買春しに来たドームの人間だった。言われるがまま俺は男について行き、ホテルの一室で初めて金を稼いだ。

 最中(さいちゅう)に男のナニを何度嚙み切ろうと思ったかわからねぇ。というか、マジで噛み切りかけて男とモメた。それでも、終わった後、男は百バーツ俺によこした。子供が大金を手にするには手っ取り早い方法だったが、このままだと俺は誰か殺す気がしたし誰かに殺される気もした。

 男から貰った金で俺は一本のポケットナイフを買った。意外と頑丈で今も愛用している。窃盗や恐喝で生活してたら、ボスに拾われて今に至るってワケ。

 「俺ぁ、すぐ頭に血ぃ上るからよー。向いてなかったんだよな、そういうの。だから、オメーのことはスゲーと思ってんだ」

 「唯一オレが持ってるカードが美貌だっただけさ。十七のお前から見て十四は年増か?」

 ……それ、自分で言うんだな。あと、どうやらコギトは十四らしかった。

 「あ? 十四なんてガキだろ」

 「いや、お前も十七だろ……。とはいえ、オレには時間が無い。いつ変声期がくるかわからないからな。そしたらオレの価値も大暴落だ。出来れば、その前に決着をつけたいが……」

 コギトの声はまだガキそのもので女みてぇだった。十四にしてはかなりチビとはいえ、まだ声変りしてねぇのが不思議なくらいだ。そのせいか、コギトは十二歳くらいの少女にも見えた。実際、俺はそうだと思ってた。

 声変りしたら、確かに、コギトの中性的な「美しさ」みたいなモンはなくなるんだろうな。変態のことは理解もしたくねぇが、ヤツらがそれに惹かれてガキとセックスしてるのは明らかだった。もちろん、ガキは弱くて扱いやすいというのもあるだろうが。

 「まぁ、ド変態どもからしたらそうかもしんねぇけどよー。デカくなったとこで、きっとコギトは所謂イケメンになるだろ」

 「そんなの、言われるまでもなく、当然だろ」

 ……相変わらず、クソ生意気なガキだぜ。(続)

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