その女、エチカ
叡智の果実と書いて『叡智果』──叡智って言葉はピンとこねぇけど、きっとなんかいい意味なんだろうなぁ。
まぁ、入荷したのはエチカ本人じゃなくてエチカ似の女らしいんだけど。つーか、まだ女ですらなくてただのガキかも。あの仲介人の品揃えって毛も生えてねぇような娘ばっかだから。正直言って、ノリ気じゃなかった。だって、なんか可哀想じゃん。俺にだってそれくらいの情はある。とはいえ、エチカに似てるなら、ガキだろうとウチの商品にふさわしいか見定める価値はあった。
エチカは界隈に突如現れると、一夜にして旋風を巻き起こした女だ。この俺ですら、その顔をよく知っている。
宣材のプロフィールがインチキじゃねぇなら、歳は十六で俺の一個下。あとは、身長体重とスリーサイズ以外の情報はほぼ不明。こんな上玉が今の今まで誰にも発見されなかったのはすげぇ怪しい話だけど、そんなとこすらミステリアスだと評判だった。
今、界隈の誰もがエチカに異常なほど狂っていた。俺としては美人過ぎて逆に抜けなくね? とか思ってる。綺麗過ぎる女って、なんかエロくなくねぇか? 上手く言えんけど。もちろん、一発ヤれるならヤりてぇけどさぁ。
薄汚れたバンで碌に舗装もされていねぇ道を走らせること三十分くらいか。例の仲介人の店に到着した。店ってほど上等な見た目をしてねぇ廃屋同然の建物の前に車を停めた。何度かここに来たこと自体はある。そのときはただ商品を運ぶだけだったけど。
今回ボスが俺みてぇな下っ端の運転手を寄越した理由として、ここの遠いって程でもねぇが別に近くもねぇ絶妙な立地の悪さがダルかったんだろうなと思う。俺はボスにエチカ似の女が本当に存在するのかどうかってのを確認するためだけにパシられて来たのだ。念のためいくらか金も持たされてはいるが。
車から降りると、汚水の臭いが漂って、濡れた地面が俺の靴を汚した。ただでさえボロい靴が余計にみすぼらしくなって、俺はため息を吐いた。中心部の繁華街以外はみんなこんなもんだ。真っ昼間、クーラーなしだったから汗だくになった額を手の甲で拭った。オンボロ車過ぎてクーラーがブッ壊れてんだ。クソが。これで収穫なしとかは勘弁して欲しいところだな。
停車音を聞きつけた仲介人がのっそりと店の奥から姿を現した。この仲介人──確か、敬助とか言ったっけ。敬助は顔色が異様に悪ぃキリストみてぇな不気味なおっさんである。上半身裸の酷く痩せぎすな身体にはピアスとタトゥーがびっしり入っていて、恐らくジャンキーだろう。
この店──通称『ニンフの囁き』は小児性愛者御用達の娼館も兼ねており、よくド変態が出入りしていた。ここで一番売れっ子の女の子は両腕が無ぇらしい。だから、嫌なんだよ。そもそも店名がキモ過ぎる。女の子は全員、敬助のお手つきなうえ敬助の趣味で身体のどこかしらにピアスが入れられていた。最も始末が悪いのは敬助の審美眼だけは悪くねぇとこだ。
「おい、エチカ激似のがいるってホントかよ」
「……あぁ、ホントだよ。どこでその話を聞いた?」
敬助はニヤニヤ気色悪りぃ笑みを浮かべていた。
「別に、どこでもいいだろ。いいから見せろよ、ボスの使いで来てんだぞ」
「……ついてきな」
建物の地下へ階段で降りていくと、牢屋の方がマシな空間にたくさんの女の子がいた。彼女たちは一様に怯えた目つきで俺たちの様子を伺っていた。足首は錠がついた鎖に繋がれている。手首だと細すぎて錠が外れてしまうのだ。……そんな年頃のガキが気の毒に。
地下の奥の奥には錠前つきの扉があって、敬助は腰につけてるキーリングの中の一つでそこを開けた。意外にも扉の中は明るくて清潔だった。部屋の中心に置かれた鳥カゴみてぇな檻にソイツはいた。檻の中にちょこんと座り込んだソイツはエチカの髪を短く切ってボブにしたらこんなだろうなって感じだった。確かにすげぇ瓜二つだ。あと、思ったより幼くなさそうな娘でなんだか俺はホッとした。
髪にはちゃんとツヤがあった。肌のキメも細かく、パッと見、外傷は無し。切れ長のデカい目には長い睫毛が影を落としていた。マッチ棒の一本くらいなら乗りそうだ。鼻筋はつんと通っていて、唇は柔らかに潤んでいる。
例によって、両耳はピアスだらけだった。やりたい放題かよ。これも敬助の趣味なのか謎だったけど少年みてぇな恰好をさせられていた。ワイシャツにショートパンツというスタイルだけど、装飾過多で貴族趣味……つーのかな。変態の考えることはよくわからん。
ショートパンツから覗いた脚はすらりとしていたが、ガリガリな感じはしなかった。ただ、マジで全然おっぱいが無ぇのはちょっとマイナスポイントかもしんねぇ。
特に印象的だったのは、ビクビクしていた他の娘と違って、コイツはシャンとしているところだった。不思議とコイツの目は俺たちを真っ直ぐ見据えていた。
「……なぁ、エチカはさぁ」
独り言みたいに、くつくつ笑いながら、敬助はブツブツ喋り出した。
「名前の通り、叡智の実しか食わないらしいねぇ。叡智の実ってのはリンゴのことだけどさぁ。要は知恵の実ってことだよなぁ」
「ハァ?」
なんの話だよ、急に。
「コイツはさぁ、エチカと違ってなんでも食うぜぇ」
敬助はジーパンのポケットから骨がついた謎の肉片を取り出すとソイツの目の前にくれてやった。
「……食いな」
さっきまで堂々としてたクセに、急にソイツは上目遣いになって不安そうに俺たちを見やってから、おずおずと食い始めた。ソイツは媚びるように肉片を摘まんだ敬助の指先を見つめながら舐め回した。肉片が咀嚼され、骨の露出部分が広がっていく。ソイツの小さな口に敬助の長い指がにゅるにゅる入り込んでいって、むしゃぶりつく汚らしい音が鳴った。それどころか、ソイツは喘ぎに近い吐息まで漏らしてきた。
犬みてぇでだらしがなかった。エチカのことエロくねぇって言ったけど、あれ、ちょっと嘘かもしんねぇ。正直、少しだけ俺は今エチカにソックリなコイツのことをエロいと思った。それも嘘。かなりエロい気がする。所謂、美形の女が下品にモノを食う様は不覚にもグッときた。
綺麗さっぱり食い終わると、ソイツの口元から、唾液がべったり付着した、ただの骨が引き抜かれた。ソイツは息をハアハア言わせて、トロンとした目を潤ませながら、ぐったりしていた。
「な? 言っただろ?」
「すげぇ仕込まれようだな。呆れるぜ」
「まぁな。ここまでするのには骨が折れたよ」
んなことたぁ、誰も聞いてねぇよ。
「……コイツ、いくら?」
俺が値段を聞くと、敬助はいよいよ爆笑し始めた。
「残念だがコイツはなぁ、売りモンじゃねんだよ。俺はコイツが気に入ってんだ」
じゃあ、ただ俺に専属性奴隷を見せびらかしたかっただけかよ。ナメやがって。
「おい、変態クソジジイ。ふざけてるとブン殴るぞ」
「……まぁ、それなりの値で買うってんなら、特別に考えてやらなくもないがなぁ」
それは、俺の一存では決められなかった。ボスには確認してこいとしか言われてはねーし……。勝手に交渉していいモンなのかわかりかねた。
「買うなら俺の気が変わらんうちに買うんだな。俺はいつ誰にコイツを手放したっていいんだぜ」
俺が決めあぐねていると、敬助はせかしてきた。一応ちゃんと値段を聞いたら、ボスに持たされた金じゃギリギリ足りないくらいだった。でも、ここで俺が上手いこと交渉したら……買える。
「さぁ、どうするんだ?」
俺はバカなのでこういう局面に弱い。頭がグルグルしてよくわからなくなる。
これは自慢だが、俺はケンカがめっぽう強い。今までの人生、俺は全てを暴力で解決してきた。このクソジジイも拳で黙らせることは出来るだろう。
だた、金という別の力が絡んでくると厄介だ。人間社会の規範で生きていくうえで、金は暴力以上に強いことがある。モノが金で交換出来るってのは、人間が考えた一つのルールである。それに俺が従う理由はない。ない、のだが……。
俺はボスの部下だ。ボスの店に所属している。店の一員として俺が人間社会の外に出たら、ボスのメンツってヤツがまずくなるんじゃねぇの? ボスには多少なりとも恩義があった。
逆に言えば、金さえ払えばコイツを手に入れることが出来るのだ。俺の見立てでは、コイツは間違いなくウチ一番の売れっ子になるはずだ。まず、こんな上玉かつ健康そうな娘は滅多に存在しねぇ。コイツが丁寧に扱われてきたのは見た目ですぐわかった。そのうえ、完璧に調教済みだ。ウブな素人とはワケが違う。しかも、エチカに似てるとなりゃあ、相当な広告塔になるだろう。
……ダメだ、マジでよくわからんくなってきた。
でも、このとき俺の中にボスに褒められたいという邪な気持ちがあったのは確かだ。
きっと、ここが勝負のしどころだ。
「……アンタ、今度から商品を売るなら勝手に傷モノにするのは止めとくんだな。なんだよ、この耳は」
まず、俺は耳に入れられた大量のピアスからイチャモンをつけた。実際、客層がやや狭まるレベルなので、これは正当な主張だ。
「それに、この娘もう処女じゃねぇだろ? いくらアンタの調教が素晴らしくてもよー、初モノってだけで喜ぶ客は多いんだぜ」
こればかりは、さすがに反論出来まい。俺にはよくわからん感覚だが、年端もいかないガキを買う客ってのはそういうモンなのだ。
「……なるほどなぁ。じゃあ、七千五百バーツ」
「ダメだね。六千バーツ」
買える値にはなっていたものの、さらに俺は値切った。
「七千バーツ」
「冗談じゃねーや! 六千五百バーツ、これ以上は出さねぇよ」
「……わかったよ。その代わり返品交換は受け付けねぇからな」
根負けしたのか、敬助は握手を求めてきた。交渉成立ってワケだ。初めてにしては上出来じゃねぇの? 結果、俺は約千バーツ懐に収めることに成功した。
商品を荷室に乗せて俺はバンを走らせていた。まさか、こんなに上手くいくとは思ってなかった。もしかして俺、商才あるんじゃね?
「……なぁ」
内心すげぇ浮かれていると、荷室から声がした。げっ、コイツ……話しかけてくんのかよ。俺はギョッとしながらも無視した。
「なぁ、おい。お前以外いないだろ、このボンクラ」
随分、口が悪ぃな。もちろん、四肢を拘束した状態で逃げられないようにしていた。この状況でよくこんな態度でいられるよな。俺は舌打ちした。
「……商品が喋んじゃねーよ」
俺が威嚇すると、コイツはケラケラ笑い出した。
「お前さ、あのおっさんに騙されたんだよ」
ハァ? どういうことだよ。
「オレはな、男なんだよ」
「ハァ⁉ お前男ぉ⁉」
思わず俺は運転中に振り返った。
「バカ、前見ろ前!」
うっかりよそ見をしたら、前方のトラックと激突しそうになった。すんでのところで、大きくハンドルを切った。バカ野郎死にてぇのか! とトラックの運転手が怒鳴ったので、俺はうるせぇ! 交通ルールでも遵守してろや! と怒鳴り返した。トラックはそのまま走り去って行った。
俺は車を安全な路肩に緊急停止させた。そして、恐る恐る、荷室を見た。そこには、綺麗な人間がいた。運転席から身を乗り出して、そっとソイツの股間に触れた。女にあるはずねぇモノが確かにあった。
「な? わかったか?」
──マジかよ。俺は絶句した。
「身体検査の一つもしないで即決したのはお前くらいだろうな、ボンクラ」
そうだ、どうしよう。どうしよう、どうしよう。俺の手元に残ったのは、コイツと千バーツ。どう言い訳する? そもそも「見てこい」としか言われてなかったんだから、買う前に連絡くらい入れるべきだったんだ。
「とりあえず、これ、外してくれないか?」
コイツは拘束具を外すよう言ってきた。
「逃げないからさ。痛いんだよ」
なんか、もう、どうでもよかった。言われるがまま、俺は外してやった。
「ありがとう。だいぶラクになったよ」
助手席でコイツは手足を大きく伸ばした。俺が移動させてやったのだ。これから、どうしよう。落ち込んでたら、スコールまで降ってきた。
「クソがぁ!」
ハンドルに八つ当たりをすると、土砂降りの中、クラクションが虚しく響いた。やり場のない激しい怒りが俺を襲ってきた。……いや、やり場なら、ある。すぐ隣にな。
「……まさか、あのクソジジイ男もイケるクチとはな。アイツにケツ穴掘られて気持ちよかったか? あ?」
それが、コイツにとってどれだけ屈辱的な言葉なのかは理解していた。そして、コイツの神経を逆撫でしているのも手に取るようにわかった。横柄な喋り方からして、コイツのプライドは高いと見た。そこを突くのだ。
「……別に」
「それにしちゃあ、ヤル気満々だったじゃねぇか。テメーががっついてるときさぁ、犬みてぇで無様だったよ」
顔にこそ表さなかったものの、コイツの手にグッと力が入ってワナワナ震え出したのを俺は見逃さなかった。……結構わかりやすいヤツ。
「殴りてぇなら殴ってみろや。まぁ、クソジジイのテクでよがってるようなメス犬風情には、そんな根性ねぇかもしんねぇけどな!」
ぺちん、と弱弱しいビンタが飛んできた。全然、痛くなかった。思った通り、コイツ殴り慣れてねぇな。力の入れ方が全くもってなってねぇ。
「ブン殴るときはなぁ!」
そう言いながら、俺は振りかぶった。
「こうやんだよぉ!」
そんでもって、グーでコイツの顔面に殴りかかった。隙だらけで無防備な頬っぺたの柔らかい感触が拳に伝わってきた。コイツの頭がマトモに窓ガラスにぶつかって、ゴンッと鈍い音が鳴った。
無論、これでも手加減はした。コイツを煽ったのはフェアに殴りたかったからだ。一方的に俺だけが殴るのはなんか性に合わねぇ。
むくり、とすぐにコイツは起き上がった。泣くかなぁとか思ってたら、すげぇ剣幕で俺は怒鳴られた。
「バカ野郎! 商売道具に何しやがる!」
あ、ヤベ。そうだった、コイツって商品だった。こうして、俺の手元には千バーツと殴られて顔が腫れたコイツが残された。ついでに、雑貨屋で湿布を買ったから、金もちょっと減った。
最悪だ。こんなんじゃあ、下手したらボスに殺されちまうよ。スコールがいつの間にかやんで、空に虹がかかっていた。アホくさ。絶望している俺にコイツはこう言った。
「……なぁ。お前さ、あのおっさんを見返してやりたくないか?」
そうだよ、元はと言えば全てあのクソジジイが元凶じゃねーか。
「アイツ、ブッ殺してやる!」
俺は車を急発進させた。今すぐニンフの囁きに戻って、あのクソジジイをどうにかしてやるしかねぇ。
「おいおい、落ち着けって。安全運転で頼むぜ。まぁ、オレも同じ気持ちだけどな」
「うるせぇよ。俺はイラついてんだ。黙ってろ」
猛スピードで運転すると、周囲の水溜まりがすげぇ勢いでフロントガラスにまで飛び散ったので、ワイパーで掃除するハメになった。
「ていうか、お前すごく若そうだけど、ちゃんと運転免許持ってるんだろうな?」
「免許ぉ? んなモン持ってるワケねぇだろ。さては、テメー、ボンボンだな」
「……なるほどな」
聞くところによると、このクソみてぇなスラムからずっと遠くに見える超巨大なドームの中には東京とかいう一つの「国」が存在するらしい。ドーム内では政府や法律がちゃんと機能してるってんだから驚きだ。きっとコイツはドーム出身の人間に違いねぇ。じゃなきゃ、免許がどうとか寝ぼけたこと抜かさねぇだろ。これだから、ドームの連中ってのはどうにも苦手だ。金にモノを言わせた世間知らずどもがよ。
ドームの連中にはちょいちょい会ったことがある。一部のヤツらはセクサロイドにはねぇ「ヒトのぬくもり」を求めてわざわざスラムに客として観光に来るのだ。サイボーグ化してねぇ生身の人間を。もちろん、法治国家様では非合法な手段と目的であることは明白だ。全く、笑えるぜ。ドーム出身のコイツがどういう経緯で身売りされたのかは謎だが。
「オメー、なんも知んねぇのな」
お望み通り、安全運転してやった。さすがに法定速度以上は飛ばしてるけど。トロいのは嫌いだ。
「……そうだ。お前の名前すらな。お前、名前は?」
「あ? んなもん聞いてどうすんだよ?」
「ずっと、お前って呼ぶのは不便だろ」
メンドくせぇな……。でも一理ある。しょうがねぇから答えてやった。
「……清志郎」
「苗字は?」
「バーカ、苗字なんてねぇよ。そんなご身分じゃねぇ」
クソ暑ちぃので窓を開けると、雨上がり特有の湿気と土の濡れた匂いが充満した。これでも開けないよかマシだ。
「じゃあ、漢字は?」
「漢字ぃ? あー……清い志に太郎の郎で、清志郎」
「へぇ、存外に立派な名前じゃないか」
「そりゃドーモ」
走行速度が起こした生温い風が、隣に座ったコイツの髪をなびかせていた。
「オレの名前はな」
「聞いてねぇよ、ボケ」
「コギト」
「コギトォ?」
「Cogito ergo sum──我思う故に我ありってことさ」
意味不明な単語の羅列に俺は面食らった。
「ハァ? わかるように喋れや。俺ぁバカなんだよ」
「考える仁義の人と書いて『考義人』……生きるうえで思考停止するなってことだとオレは考えている。祖父が名付けてくれた」
「あっそ」
「……そして、祖父はエチカの名付け親でもある」
エチカァ? なんで急にエチカの名前が出てくんだ?
「エチカは……有栖川叡智果は、オレの実の姉だ」
「……マジ?」
道理でエチカに似てるワケだ。ぼんやりと外の景色を眺める横顔は、湿布が貼られていても、エチカみてぇで美しかった。男の俺でも素直にそう思えるくらいには。
「オレはエチカと再会を果たす、必ずな。そのためだったら、なんだってしてみせる」
「へぇ……で、手始めにあのクソジジイをブッ殺すってワケか! そいつぁ、いいなぁ!」
「アホか。オレはそんなチンケな復讐には燃えてない。いいか? エチカを買い戻すんだよ」
「ハァ? 買い戻すぅ? オメーですら六千五百バーツだったんだぜ。エチカなんて、いくらになってるかわかんねぇぞ? 大体、そんな大金どうやって用意すんだよ?」
「オレ自身をオークションに出品して、変態どもから金を巻き上げる。さらに、その金でエチカを落札する。近々エチカもオークションに出品されるんだ」
オークションで自分自身元手に、エチカを落札する⁉ チマチマ春でも売ってどうにかすんだとばかり思ってたけど……コイツ、さすがにイカレてやがるぜ。
──コイツの語ったことは、以下だ。
オレは身売りされたあと、あのおっさんに監禁され、たまに他の客に貸し出されるという生活をここ三か月ほど送っていた。外部との接触がほぼない状態だったが、とある客が読んでいた新聞の中に意味深な広告を見つけた。ドームでは滅多に見ない紙の新聞で、どうやら定期的に同じ広告主が同じ文面から始まる新聞広告を掲載しているみたいだった。で、最新のものがコレだ。
ぱらいそから親愛なる紳士淑女の皆様へ
長き月夜に
一番多くの銀貨を積んだ方
叡智の果実を献上致します
エチカが『Paradiso』という高級店に所属してるのはオレも知っていた。今や姉は有名人だからな。一応、表沙汰にはなっていないようだがパラディーソ主催の会員制人身売買オークションが開催されているという噂は周知の事実なんだろ?
この新聞広告の『ぱらいそ』とは『パラディーソ』のことであり『叡智の果実』とは『叡智果』のことなのではないだろうか? 一応説明しておくが『ぱらいそ』はイタリア語の『Paradiso』と語源が同じなんだ。どうやら『叡智の果実』の箇所は人名の隠語になってるようだ。詳しくないから、オレにはエチカの名前しかよくわからなかった。そして『長き月夜に』の箇所は一か月に一度変わる。先月までは『葉落つ月夜に』だった。先々月までは『文読む月夜に』だったんだ。はるか昔の暦では、八月は葉月、七月は文月、そして九月は長月という和名で表現された。
今は八月──つまり来月エチカが人身売買オークションに出品されることを意味しているのではないか? それが憶測ではないのなら……オレはオークション開催日までに大量の札束を用意してエチカを落札しなきゃならない。姉が解放されるならなんでもいい。だた一目だけでも会えればそれでいい。姉を救う方法は他にもあるだろうが、この世で金以上に強く確実な力をオレは知らない。
「……それを俺に話してどうすんだ?」
「悔しいがオレだけでは力不足だ。オークションにオレを出品するにはどうしても出品者が必要なんだ。だから、清志郎、お前に協力してもらいたい」
大口叩いといて、なんともしおらしい。高飛車なクセにコイツは自分の弱さを認めたのだ。そこが、気に入った。
「無論、タダとは言わない。……そうだな、オレを買った分の六千五百バーツお前に支払おう。これから稼ぐんでね、しばらくツケにしておいてくれよ」
「いいぜ、面白そうな話だから乗ってやるよ。俺ぁケンカだけは強ぇんだ。移動のときも役に立つだろ」
「そんな安請け合いして大丈夫かよ? こちらとしては頼もしいけどな」
どういうワケか、俺の心は血湧き肉躍っていた。まるで小説みてぇな話だったからだ。これは自慢じゃねぇけど、俺も少し文字は読めんだ。……まぁ、小説なんて読んだことねぇけど。非日常は退屈の中でサイコーのスパイスなんだ。ともあれ、俺とコイツ──運転手と男娼とかいう変なコンビ爆誕の瞬間だった。
「ところで、オメー、あのクソジジイをブッ殺したくないかって言ってたな。答えはもちろんイエスだぜ」
「そこまでは言ってない。勝手にオレの言葉を改竄するんじゃない。アイツには、常識の範囲内で、相応の報いは受けてもらう」
もうすぐニンフの囁きに着くってのに、ヒヨったこと言い出しやがって。冗談じゃねぇよ。やるからには徹底的にやりてぇのに。
「つまんねーなぁ。俺だったらアイツを再起不能にしてやんのによー」
「……殺してしまったら、アイツは罪を償えない」
コイツから低く発せられた声は酷く冷たかった。ガチで「殺す」という選択肢があったみてぇに。俺としても、ホントに殺すつもりは毛頭ねぇ。気が済むまでボコれればそれでいい。半殺しにするのは構わねぇが、さすがに殺人はマズイぜ。
「あー、ハイハイ。そういう道徳的な話は俺にはよくわかんねぇよ」
「いいから、お前は黙ってオレの言うこと聞いとけよ。お前はオレの力になってくれさえすれば、それでいい」
やっぱコイツってクソ生意気だわ。ハラタツ~。でも、コイツにも少しは役に立ってもらわなきゃなんねぇから、殴るのは我慢してやった。(続)




