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リオナにナデッタを預け、ミラーナはレディックと共に廊下から続くバルコニーに出た。陽の傾きで足元は温かいが目元はちょうど日陰になっていて眩しくない。下を見れば使用人や兵士たちが行き交い、騎士団長の姿に気付いた兵士は姿勢を正して敬礼していた。レディックはそれに手を上げて返している。
レディックは話をするなら空き部屋に入ろうと言い出したが、密室で二人きりになるわけにはいかない。これ以上好き勝手なことをさせるわけにはいかないのだ。
外に出て、さらに距離をとって立つミラーナに不満顔を向けながら、レディックの方から切り出した。
「話ってなんだ?」
「言いたいことはたくさんあるのですが、とりあえず…あの部屋はなんですか?」
「俺たちの部屋のことか?」
「そうです。どうして三人の部屋があるのですか?それもずいぶん前からご用意なさっていたかのように見えたのですが…」
ミラーナは平静を保ちつつ鋭い針のような声をレディックに向けた。熱くなって声を荒げれば相手の思うツボだと自分に言い聞かせる。本当は理由など聞きたくないが、聞かなければ話は前に進まない。
「もしかして、私たちのことをずっと前からご存知だったのですか?」
「あぁ、知っていた。」
「すぐに認めましたね。いつからですか?」
「戦から戻ってしばらく経ってからだ。戦後の処理と並行して君を捜しはじめ、半年程前に君があの孤児院にいることを知った。」
「そんなに前から!?」
「そうだ。そして、部下から君には娘がいると報告を受けた。その娘が俺と同じ顔をしていて非常に驚いたと言ってな。」
その日のことを思い出しているのか、レディックが嬉しそうに笑っている。その柔らかい表情にかつての面影が重なり、思わず胸が高鳴った。やはり笑顔も娘と似ている。
ミラーナはサッと視線を外し、男の顔が視界に入らない程度に俯いた。
「まさか、それだけの理由であの部屋を用意したのですか?」
「そうだ。あの部屋は必ず君とナデッタを連れ戻すという俺の決意と意思表示だ。実際にそうなっただろう?」
「私がここへ来たのは、貴方様が娘を連れて行くと仰ったからです。そうでなければ来ることはありませんでした。」
「それでも君は自分の意思でここへ来た。確かにナデッタを利用するような真似をしたが、俺は後悔していない。君を俺の傍に連れ戻す為ならなんだってする。今はナデッタもそこに加わっているが。」
柔らかい表情から真剣な眼差しを注がれる。求愛にしか聞こえないような言葉を平然と言ってのける男に堪らない羞恥を感じて、ミラーナは咄嗟に背を向けた。この男はどこかに羞恥心を置いてきたのだろうかと思ってしまう。
「どうしてそこまで…。」
今はそれしか言うことができない。ミラーナが右手をパタパタと振って顔を冷ましている隙に、レディックは足音を消してミラーナの背に近寄った。
「君のことは、あの日君が約束の場所に現れなかった日から捜し始めていた。しかしそのあとすぐに戦が始まって、俺はそちらの方に集中しなければならなくなった。」
「申し訳ありません、少しだけ待って下さ…あっ…」
レディックはミラーナを背後から抱き締め、右手をそっと掴んで手の甲に唇を押し当てた。毎日の雑用でガサガサになった手にレディックの厚い唇が触れている。ミラーナは途端に恥ずかしくなって手を引こうとしたが、唇が離れることはなかった。
「あの、レディック様…うん?」
ふと視線を感じてレディックの身体の陰から周囲に目を向けると、遠くから二人を見つめている人々の姿が目に入った。よく見れば外を行き交う者たちや廊下を歩く者たちが立ち止まり、二人の様子を伺っている。それも数人ではなく、外と内を合わせて少なくとも数十人はいる。
----な!?どうしてあんなに人がいるのよ!いつから見られてたの!?
『密室に二人きり』ではないから大丈夫だと、うっかり油断してしまった。ミラーナは慌てて身をよじるが、当然ビクともしない。頭上から微かに聞こえる愉快そうな笑い声が心底憎らしかった。
「ちょ、ちょっとレディック様!離れて下さい!!」
「嫌だ。」
「大声を出しますよ!」
「俺は構わない。君が大声を出せば出すほど人がやって来るだろう。その方が俺にとっても好都合だ。」
「もぉぉ!!」
動かなければ抱擁を受け入れたように見られ、動けば左手に痛みが走る。
----逃げられない!!
しっかりと抱き締めているのに、左手首には負担がかからないようにしている気配りに不覚にもときめいてしまう。しばらく抵抗を試みるもこれ以上は無駄だと判断して、ミラーナは諦めて大人しくすることにした。
腕の中で静かになったミラーナの背中に自身の身体を密着させ、レディックは静かに口を開いた。
「俺からも聞きたいことがある。」
「…なんでしょうか。その前に離れて下さい。」
「あの日、なぜ約束の場所に来なかった?なぜ姿を消したんだ?」
「!」
「俺は君に何かをしてしまったのか?」
レディックの低い声が耳元をかすめる。ミラーナは目を閉じて、あの日のことを思い返した。
レディックと出逢った日の五日前に、ミラーナは職を失った。事前の解雇通告は無く、すぐに新しい職を探しても見つからなかった。元々小指の爪ほどしかなかった貯蓄はすぐに底を尽いたが、なんとか知人の伝で修道院に入れるようになった。そして世俗と離れる決意をした矢先にレディックと出逢ってしまったのだ。
レディックとの約束の日は修道院に入る日だった。ミラーナはレディックのもとへは行かずに修道院へと向かった。身分の差や自分の置かれた状況を考えても、黙って身を引く方がいい。貴族の青年と恋に落ちた母親のようになるよりは、誰とも添い遂げずに衣食住に困らない道を選んだ。
そうだ、とミラーナは幼い頃のつらい記憶を思い出して顔をしかめた。
ミラーナの母親は貴族の青年との恋に溺れ、子ができた途端に捨てられた。そんな母親に待っていたのはつらい現実だった。未婚で子を宿した女に対する周囲の目は冷たく、母親は誰の助けも得られずに一人でミラーナを産んで育てた。わずかな給金を得る為に寝る間もなく必死で働いた。見知らぬ者から突然殴られたこともあった。そして無理がたたって若くして命を落とした。
そしてミラーナもまた、腹に子が宿っていると分かった途端に穢らわしい者を見る目で修道院を追い出された。偶然その場を見ていた孤児院の院長シュナード・サイラーに助けてもらえなければ、今頃どうなっていたか分からない。
貴族の言葉なんて絶対に信じてはいけない。それはミラーナの母親が死ぬ間際まで言っていた言葉だった。
----レディック様は目的を果たす為ならなんでもするって言ったじゃない。
「ミラーナ?」
「…離れて下さい。」
「答えてくれたらな。」
「答えられることなど何もありません。…本当の目的はなんですか?」
「どういう意味だ?」
レディックの腕が緩み、ミラーナは振り向きながら距離をとった。周囲に目を向けて人払いをしてほしいことを伝える。レディックが片手を上げ、人の気配が消えてから言葉を続けた。
「レディック様が孤児院へ来られた頃と今とでは、私に対しての態度があまりに違います。」
「それは!その…」
「突然の甘い台詞も、今のような思わせぶりな行動も、何かを企んでおられるとしか思えません。私は教養のない女ですから、少し優しくすれば他人の言葉でも簡単に信じると思っておられるのですよね。」
「他人だと?」
「そうです。貴方様と私は過去に一度接点があっただけです。そのような関係など、他人と大して変わりませ…ッ」
言い終わる前にグイッと身体を引き寄せられ、言葉を遮るように唇を重ねられる。舌を差し込まれ、息をするのも許されないような荒い口付けをしてくる男の顔を見て、ミラーナはハッと息を呑んだ。
「それ以上言うのはやめてくれ…」
「え?」
「すまない、そろそろ仕事に戻る。部屋まで送ろう。」
レディックは身体を起こし、ミラーナを連れてバルコニーの扉を開けた。
「あの部屋は君とナデッタの為に用意したものだ。だから君たちはあの部屋を使ってくれ。」
「でも…」
「騎士棟にある俺の部屋はまだそのままだから気にするな。行こう。」
「あ…はい。」
差し出された大きな手に手を乗せようとしてピタリと止める。レディックは手を下ろして俯くミラーナの頭をそっと撫で、踵を返して歩き出した。




