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 イーヴェル領主ガレオン・バロイド伯爵には妻と三人の息子がいる。妻シレイラ、長男ダグリス、次男ハルソン、そして三男のレディックだ。ダグリスは次期当主として父親の側近を務め、ハルソンは領内管理長官を務め、レディックは領主が抱える騎士団の騎士団長を務めている。

 それぞれの息子たちは皆が優秀で、彼らが衝突しないよう上手くまとめているのは父親ではなく母シレイラだった。


 ダグリスとハルソンはすでに結婚していて、リークシュア城の広大な敷地内にそれぞれ家を建てて妻子と共に住んでいる。レディックは独り身であることと騎士団長という立場から、緊急事態にも対応できるよう敷地内にある騎士棟の一室に住んでいた。


 この領主一家が揃うリークシュア城の謁見の間の中央に、ミラーナは立たされている。領主夫妻は金の細工が施された豪華な椅子に座り、その周りを三人の息子たちが静かに佇んでいる。しかし矢のような視線を全身に受けているのはミラーナではなくその隣にいる少女だった。


*


 レディックは宣言通り、昼前に迎えの馬車をよこしてきた。そこにレディックの姿はなく、迎えに来たのは部下であり副団長のサザール・インハルトだった。

 サザールは孤児院の前で見送りの仲間に囲まれているミラーナとナデッタに歩み寄り、ニコリと微笑んでから膝を曲げて目線を低くした。


 「団長の命によりお迎えに上がりました、ナデッタ様。」

 「ナデッタさま?どうして『さま』って付けるの?」


 ナデッタがキョトンとした表情で首を傾げる。途端にざわつく周囲の空気など意にも介さず、サザールは当然のように言葉を続けた。


 「それは、あなた様が領主様のま…」

 「あの!!」

 「おや、これはミラーナさん。あぁ、そうだ!団長からあなたも付いてくるのかどうかを聞いてくるように言付けられていたのでした。で、どうなさいますか?」

 「…私も行きます。この子を一人にするわけにはいきませんから。」

 「そうですか。ではこちらの馬車にお乗り下さい。今回は特別に、お二人は同じ馬車に乗ってもよいということですので。」


 サザールは立ち上がり、ナデッタの手を引いて馬車へ連れて行った。ミラーナに背を向けるのは『乗るなら自分で来い』ということだろう。その背中をキッと睨みつけ、怒りに震えるのを堪える為に奥歯を噛み締めた。


 ----つまり、あくまで私の意思であり強制ではないってことね。どこまで勝手なの!ナデッタはまだ五歳なのよ!?


 ミラーナは振り返り、シュナード・サイラー院長と別れの抱擁を交わした。


 「院長様、本当にお世話になりました。院長様に助けて頂いたご恩は一生忘れません。」

 「ミラーナ、気を付けて行きなさい。何かあればいつでも帰っておいで。」

 「はい。オッズ、ナデッタと仲良くしてくれてありがとう。」


 隣に立っていたオッズとも抱擁を交わす。相変わらずヒョロッとしているが、ナデッタはオッズのこのヒョロさが大好きだった。ナデッタはミラーナにだけ口癖のように『オッズには勝てるかも』と言っていた。


 「いや、いいんだ。寂しいけど…。なぁ、ミラーナ。」

 「うん?」

 「こんなこと言うと怒るかもしれないけど、あの騎士団長様はたぶん悪い人じゃないよ。」

 「…。」

 「あっ、無神経なこと言ってごめん!ただ…」

 「オッズ、いいの。それは私も分かっているから。」

 「え?そうか…。うん、分かった。それじゃあ気を付けてな。」


 ミラーナは孤児院の皆に別れを告げて、ナデッタのいる馬車に乗り込んだ。


*


 ----どこが悪い人じゃない、よ。着いて早々こんな場所に連れてくるなんて!!


 二人を乗せた馬車はリークシュア城に入るなり、そのまま()()()()()()の通行門へと向かった。何も知らずに降りた二人は待機していた侍女に案内されて真っ直ぐにこの謁見の間へと連れてこられたわけだが、扉が開いた瞬間の衝撃たるやその場で意識が遠のきそうになった。


 なんの心の準備もないままに、突然領主と対面することになったのだ。しかも領主一家が揃っている。領内に住む貴族ですら緊張するであろうこの状況に、庶民の女の心臓が耐えられるわけがなかった。


 「面を上げよ。」


 ミラーナはバロイド伯爵の言葉を受けて顔を上げ、目の前に並ぶ顔にサッと視線を向けてからバロイド伯爵の目を見た。瞳の色はレディックと同じ青色だ。


 「名と歳は?」

 「ミラーナ・クライネと申します、二十四歳です。それから、この子は娘のナデッタと申します。」

 「二歳差か…。ふむ、ナデッタとやら。そなたの歳は?」

 「五歳です!」

 「ハハハ、元気が良いな。声も愛らしい。それに…レディックの幼い頃とまったく同じ顔をしておる。なぁ、シレイラもそう思わんか?」


 シレイラは顔を隠した扇子の陰からじっとナデッタを見下ろし、ミラーナをチラと見てからスッと視線をそらせて頷いた。


 「えぇ、本当に。幼い頃のレディックを描いた肖像画からそのまま抜け出てきたようですわ。」

 「ハハハ、上手いこと言うな!そう、まさにそれだ。」

 「あ、あの!発言をしても…よ、よろしいで…しょうか…。」


 ミラーナは咄嗟に手と声を同時に上げるが、一斉に向けられた目に瞬時に勢いを削がれて声を萎ませた。その様子を無表情で見下ろしてくるレディックに無性に腹が立ったが、今は堪えるしかない。緊張と恐怖で張り裂けそうになっている心臓を抑えて手だけは上げ続けた。


 「発言を許可する。申してみよ。」

 「あ、ありがとう、ございます。その…娘の父親についてはすでにご子息に何度も申し上げております。」

 「ほう。そうなのか?」

 「はい。この子には…父親はおりません、と。ですので、すでに亡くなっていると話してあります、と。」

 「父親がいない?ではその子はレディックの娘ではないのか?」

 「違います!これ以上は…娘の前で口にすることではございませんので、察して頂けると…。」

 「ふむ。」


 バロイド伯爵は髭をさすりながら黙り込み、すぐに側に控えていた侍従に耳打ちをした。レディックは相変わらずの無表情だが、よく見れば兄二人はなぜか笑いを堪えている。父親であるバロイド伯爵から見えないことをいいことに、コソコソと耳打ちし合っていた。


 ----何がそんなに可笑しいのよ!兄弟揃ってどこまで人を馬鹿にすれば気が済むわけ!?


 そういえば、とふとここに来るまでのサザールを思い出した。馬車の中でナデッタと仲良く話していたかと思えば、突然『早くお父さんに会いたい?』という質問を向けたのだ。ミラーナはすぐに止めようとしたが、それよりも早くナデッタは顔をムッとしかめさせて『お兄ちゃんはお父さんじゃない!』と言い返していた。

 そして窓の方に顔を向けて必死で笑いを堪えていたのだ。


 これらへの怒りが幸か不幸かミラーナを冷静にさせた。ミラーナは直前までの緊張がスッと消え、スンと冷めた眼差しを領主一家に向けた。こうなったら、たとえ自分の身を貶めようとも認めてやるものか。


 「ミラーナといったな。」

 「はい。」

 「ナデッタを一旦別室で待たせておく。そなたはここに残るように。」

 「娘をどこへ連れて行くおつもりですか?」

 「心配するでない。そこには同じ年頃の私の孫たちがいるから、子供同士遊ばせておけばよい。連れて行け。」

 「畏まりました。」


 そこまで言われてしまっては引き止めことなどできない。もしそれを拒めば、今度こそ不敬罪で捕まってしまう。侍従がナデッタの手を引いて扉から出て行くのを見送り、ミラーナは小さく溜息をついた。

 バロイド伯爵はついでに人払いを命じ、謁見の間には領主一家とミラーナだけが残った。


 「さて、ミラーナ・クライネ。先ほどの続きだが、レディックが父親では無いというのはどういう意味だ?」

 「そのままの意味です。あの子の父親は誰か分かりません。」

 「ほう。つまり他の男の子である可能性があると言うのだな?」

 「そうです。」

 「ならばレディックである可能性もあるのだな?」

 「それは…」

 「もう一度だけ聞く。もしこの私に嘘をつけば、いかなる理由があろうとも母子揃って厳罰を与える。」

 「そんな!!」

 「ナデッタは誰の子だ?」


 バロイド伯爵の鋭い声が見えない刃となってミラーナを突き刺してくる。ミラーナからの返答を待つ間もまるで獲物を見据える捕食者のような目を向け、じわじわと追いこんでいった。

 それを肌で感じた瞬間、ミラーナの頭の奥でプツリと線が弾け飛んだ。


 ----どいつもこいつも…いい加減にしろってのよ!!


 「…。」

 「どうした。返事をせぬか。」

 「お許し下さい、お答えできません。」

 「答えられぬとな。それは父親が分からないからか、それともレディックを父親と認めたくないからか?」

 「どのように受け取って頂いても構いません。ですがこれだけは言わせて下さい。」

 「なんだ?」

 「私は何も望んではおりません。娘と二人、静かに暮らしていきたいだけなのです。ですからあの子が誰の子かなど気にしたこともないのです!!」


 声が震え、息が荒くなる。これまで我慢していた苛立ちが一気に噴き出し、ミラーナの理性を奪っていった。この場に娘はいないのだから、もう堪える必要はない。言葉を選ぶ必要も無いのだ。

 ミラーナは思いきり息を吸い込み、腹の底から大声を張り上げた。


 「私には娘さえいればいいのです!たとえ誰かが父親だと名乗り出ようとも、その方に責任を問うつもりなど一切ありません!娘を渡す気も、養ってもらう気も、守ってもらう気も無いんだからもう放っといてよ!!」


 ミラーナの叫び声が部屋中に響き渡る。怒りに震える目にはもはや何も映ってはいなかった。領主の険しい顔も、その妻の冷めた表情も、兄たちの驚いた顔も映らない。映るのは、それでも無表情を貫くレディックの顔だけだった。

 そのレディックに鋭い眼差しを向け、ミラーナは声を低くして口を開いた。


 「レディック、一度だけ言うわ。これ以上娘にまとわりつくのはやめて。」

 「…。」

 「力の無い女二人をこんな風に親兄弟の前に連れ出して追い込むなんて…こんな真似をして何が楽しいのよ!?いい加減にしなさいよ!!」

 「…。」

 「それが男のすることなの!?あなたがそんな卑劣な男だとは思わなかったわ!!さっさと娘を返して!!」


 ミラーナは目を見開き、レディックを睨みつけた。互いに瞬きもせずに見つめ合う。何も言おうとしないレディックにさらに怒りが沸き起こり、ミラーナがカッと頭に血を上らせたと同時に高い笑い声が耳を貫いた。

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