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強めの風にザワザワと木の葉が揺れている。風に乗って湿った空気が流れ込み、そろそろ雨が降りだしそうな気配がしたので、ミラーナは庭にいる子供たちのもとへ向かった。
----またやってる!
ミラーナは立ち止まり、げんなりとした目で目の前の光景を見た。大きな子供たちは木の枝を剣に見立ててぶつけ合い、小さな子供たちはその周りを囲んで勝負をはやし立てている。最近子供たちの間でこの『戦いごっこ』が一番夢中になる遊びとして定着してしまった理由は他でもない。この領地で最も有名な騎士団が日を空けずに出入りするようになったからだ。
武具を身につけ馬に跨がる凛々しい騎士の姿は、田舎で暮らす子供たちの目にはキラキラと輝いて見えた。そうなれば当然、戦士の真似事をしたくなるのが子供というものだ。ミラーナはスゥッと息を吸い、小さな戦士たちに声をかけた。
「皆、そろそろ中に入りなさい!雨が降ってくるわよ!」
「はーい!」
「なぁ、強く降ったら外に出て身体洗おうぜ!」
「あ、僕も洗う!」
「私も洗いたいから、ついでに桶に水を溜めておいてよ。」
子供たちがワイワイと話しながら立ち去っていく後ろ姿を見届ける。ミラーナはフゥと息をつき、振り返った瞬間ビクリと身体を強張らせた。
----いつの間に!
目の前にはレディックが黙ったまま腕を組んで立っている。顔を合わせるのは畑から孤児院まで抱いて連れて帰られた日以来だ。といっても、三日も空いていない。
----騎士団長って、戦が無い時は暇なの?
ミラーナがそう思うのも無理はない。管轄地域になったとはいえ団長自らが部下を率いてわざわざ足を運んでいるのだ。なぜここにいるのかは分からないが。
----あ、そうか。最初は全体を把握しなくちゃいけないものね。
つまりは、しばらくの間は顔を見かけることが増える。ミラーナは心の中で『仕方がない』と溜息をつき、男に向けて頭を下げた。さすがに会うのが三回目にもなると、ミラーナも落ち着いてくる。
「こんにちは。先日はありがとうございました。」
「…。」
「雨が降りそうですので、この辺りを回られるのでしたらお気を付け下さい。」
では、ともう一度軽く頭を下げて踵を返し、子供たちの後を追うように足を向けた。本当はレディックのすぐ近くにある扉から入ろうと思っていたが、その為には男の横を通らなければならない。慣れたとはいえ、居心地の悪さが無くなるわけではなかった。
「待て。」
低い声がミラーナの足を止める。すでに何人かはチラチラと二人の様子を遠目に見ているのが分かった。ここで困った態度に出れば噂のネタになるだけだ。ミラーナは平然を装い、ゆっくりと振り向いた。
「なんでしょうか。」
「仕事は休んでいるのか?」
「はい。バロイド様が、」
「バロイド様?」
「手首が治るまで休むようにと仰って下さいましたので。すぐに代わりの方を連れてきて下さってありがとうございます。」
青色の瞳を真っ直ぐに見つめて礼を言う。ただ感謝を伝えているだけであることを示す為に、ミラーナは礼儀としての笑顔を向けた。たとえ相手の表情が険しくなっていこうとも、ミラーナは表情を崩さない。
「なぜ今さらバロイドと呼ぶ?」
「貴方様を名でお呼びするのは周囲に誤解を与えかねないと思いまして。私が軽率でした。申し訳ございませんでした。」
「そうか…。」
「では、これで失礼致します。」
「待て。まだ話は終わってない。」
二度目の呼び止めにやや呆れつつ、そうは見えないように気を付けて向き直った。先ほどよりも空の色が暗くなり、遠くからゴロゴロと唸る音が聞こえている。
「一つだけ聞きたいことがある。」
「なんでしょうか。」
「ナデッタに父親が死んだと言ったのはなぜだ。」
低い声に微かな非難を含ませた言葉を向けられ、ミラーナの心臓がドクリと鳴った。
----まだ諦めてないのね…!
返す言葉を探している間も見透かすような眼差しに絡まれ足がすくみそうになる。なぜそんなことを聞くのか。なぜそっとしておいてくれないのか。責任を取ってほしいと頼む気など欠片も無いというのに。
脈打つ胸の痛みに怒りと苛立ちを覚え、両手をギュッと握った。
「それは、」
「お母さん!」
「え?」
ミラーナの声と同時に少女の声がして、二人は同時に振り返った。開けた扉からナデッタがミラーナのもとへ一直線に駆け寄ってくる。ナデッタはミラーナのスカートにしがみつき、目線だけをチラとレディックの方に向けた。
「お母さん、またお兄ちゃんにいじめられてたの?」
「ナデッタ!そんなこと言っちゃダメって言ったでしょ!?…申し訳ありません、ご無礼をお許し下さい。」
「…。」
ミラーナは頭を下げてからしゃがみ込み、ナデッタに目線を合わせた。ナデッタがレディックに対して子供ならではの直球な口撃を与えてくれたおかげで少し胸がスカッとしている。直前までの苛立ちや動揺は消え去り、怒りだけが残った。
「ナデッタ、すぐに行くから先に戻っていてくれる?」
「うん…。お部屋で待ってるね。」
「分かったわ。」
ナデッタはもう一度レディックに視線を向けて、建物の中に入っていった。ミラーナは立ち上がり、スカートの裾を直して元の位置に戻った。レディックはまだ扉の方を見つめている。その横顔までナデッタとそっくりだが、絶対にそれを認めるわけにはいかない。
ミラーナは深く息を吸い、周りには聞こえない程度に声を抑えてキッパリと言い放った。
「先ほどの答えですが。」
「うん?…あぁ。」
「あの子にそう言ったのは、父親が誰だか分からないからです。」
「ッ!」
貴族間の婚姻とは違い、平民にとって女が純潔でないことはそれ程大きな問題ではない。互いに配偶者や婚約者がおらず、合意さえあれば基本的には自由だ。もちろんそれは公に認められているわけではないので、暗黙の了解というものだが。
「どこの誰かも分からない父親などいないも同然ですから。それなら死んだことにした方が私たちの為なのです。」
「本気で言ってるのか?誰の子か分からないだと!?」
「はい。はしたない女と思われても構いません。誰に何を言われようと、あの子は私がお腹を痛めて産んだ、私だけの子です。」
「なぜそうまでして認めようとしない!」
眉間に皺を寄せる男の青い瞳が怒りに震えている。その怒りをミラーナではなく周囲からの視線に向けた瞬間、辺りから足早に立ち去る足音と共に人の気配が消えた。
ポツポツと降りだした雨が瞼をかすめ、ミラーナは目を伏せた。
「バロイド様が…どうしてあの子をそこまで気にかけておられるのか分かりません。ですが、ここは街とは違い狭い村の中です。これ以上おかしな噂の的になっては私たち母子は住む場所を失ってしまいます。」
「はぁ…もういい。それ以上言う必要はない。」
「ありがとうございます。でしたらもう、」
「この際、血の繋がりなどどうでもいい。」
「このお話は…はい?今なん…と…」
ミラーナは顔を上げたと同時に言葉を失った。先ほどまで怒りに燃えていた瞳は、今や凍えるような冷たさを放ちながらこちらを見下ろしているのだ。レディックの口から出た言葉に耳を疑う間もなく、容赦ない言葉が追い打ちをかけてきた。
「お前がそう言うのならそれで構わない。だが俺は諦めるつもりは無い。」
「なぜそうまでしてあの子を連れていこうとなさるのですか!」
「ナデッタが誰の子であろうと、あの子が俺と似ているのは事実だ。」
「同じような顔などどこにでもいます!」
ギロリと睨みつけられ、ミラーナはグッと喉を鳴らした。これ以上余計なことは言うなという眼差しが、一瞬でミラーナから威勢を奪い去っていく。邪魔をする者にはこれほどに恐ろしい眼を向ける男だったのかと、ミラーナは唇を噛んだ。
「俺はナデッタを迎えにきた。明日あの子を城に連れて帰る。」
「な…!?あの子に何をなさるおつもりですか!」
「お前に言う必要があるのか?」
「たとえ領主様のご子息といえども、他人の子を攫うような真似は領主様がお許しになるはずがありません!」
「俺が人攫いだと?侮辱罪で罰せられたいのか?」
「違うと仰るのであれば乱暴な真似はおやめ下さい。それに…子を守る親は何をするか分かりませんよ。」
「ハッ、お前に何ができる。まぁいい、俺は一度決めたことは絶対にやり通す。」
レディックはそう言うと、突然背を向けて歩きだした。気が付けば耳元では雨の音が鳴っている。ミラーナは服に次々と水玉模様ができるのも構わずに、男の背中を睨みつけた。
「明日の昼にここに迎えの馬車をよこす。あの子を隠したり危害を加えたりすれば、この地域にいる者全てをこの村から追い出す。もちろん、孤児院にいる子供たちもな。」
「なんてことを…!」
「そうだな、あの子がどうなるのか気になるならお前も連れていってやってもいい。付いてくるかどうかは明日の昼までにお前が決めろ。」
フン、と鼻を鳴らしたのを最後に男が立ち去っていく。耳の奥で渦巻くのは雨雲が唸る音か、それとも己の中の怒りか。ミラーナは立ち去る男の姿が消えるまでその場に立ち尽くした。




