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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
インクイジターの黎明
70/71

始まり・7

 二人の足元を吹き抜ける夜風に砂塵が舞う。

 アンカルヤとリエナテは、月明かりに染まる朽ち果てたレストランを見上げた。

 建物の正面の入り口の両開きのドアは、蝶番が錆びて崩れ、抜け落ちていた。

 入り口の傍らには店の看板を吊り下げていた金属のハンギングブラケットが残っていたが、肝心の看板は吊るされていない。


「ここはレストラン、なのか? 看板が見当たらないが……」


『彼』は廃棄と化したレストランを改めて見上げる。

 三階建の建物は、基礎と骨組みがしっかりと組まれているようだ。周囲の建物とは異なり、見た目で確認できるほどの傾きや歪みはない。窓ガラスは抜け落ち、壁にはひびや穴が目につくが、建物自体には倒壊の気配はない。


「さあ、店に入りましょう」


 店の前で立ち止まり入店を躊躇うアンカルヤをその場に残し、リエナテは臆する様子もなく店内に入っていった。その背を見て、アンカルヤは慌てて彼女の後を追う。


「待て待て、もう少し慎重に行動しろ。内が野犬や妖魔の棲家になっていたらどうする」

「ああ、そういう危険もあるのね。そこまでは気が回らなかったわ。アンカルヤと違って、私はこういう状況には不慣れだから」


 この様子では、リエナテに先頭を任せるのは不安がある。『彼』は彼女を追い越して、先に店内に足を踏み入れた。このような状況に不慣れなのは『彼』も同じなのだが、それでも彼女に先頭を任せるよりはまだましだろう。

 そして店内を見渡し、大雑把にだが安全を確認する。

 幸いなことに、店内には動物や亡霊を含め、先客の気配はなかった。

 そのことに安堵しながら、店の内装に目を向ける。

 店内は一階がレストラン、二階と三階が宿泊施設というオーソドックスな造りになっていた。意外と店内の空気は悪くない。建物に隙間が多いので、風通しはよいようだ。

 レストランは二階と三階を貫く吹き抜けになっていて、天井が高い。天窓の隙間から、黒い雲と星が見えた。

 長いカウンター席に、二十席ほどの丸テーブル。

 昔は天井に吊るされていたはずの大きなシャンデリアは、今は落下して床板に埋まっている。

 店の奥には立派な暖炉がある。かつては温かな火が灯り、店内を明るく照らしていたのだろう。

 暖炉の上部には、鹿の頭部の剥製が飾られている。埃にまみれてミイラのように干からびた雄鹿が、濁った瞳で『彼』を見下ろしていた。

 外観相応に、店内も広くて立派なレストランだ。営業していた頃は、さぞ賑わっていたことだろう。どうせなら、その頃に来店したかったものだと『彼』は思った。

 だが、今となっては、このレストランも廃墟以外の何物でもない。


「さあ、座ってゆっくりしましょう。『作者さん』も首なし騎士との戦いで疲れたでしょう」


 それはありがたい提案だった。リエナテの言う通り、先程の戦いで『彼』は疲労しており、体は重い。休息を拒む理由はなかった。

 だが、ここは朽ちた廃墟のレストラン。この店が営業していた頃であれば、宿泊施設を借りて一休みすることもできたであろうが、今のこの場所では到底くつろげそうにない。

 しかしリエナテは、そのようなことも気にせず、足取り軽くレストランの中央の席に向かう。

 その表情はとても楽しそうで、深夜の廃墟の中ではあまりにも場違いだった。まるで彼女の周囲だけ世界が異なっているように見える。

 やはり彼女は、アンカルヤの記憶の中にあったリエナテとは異なる。夜に一人ではトイレにも行けないような気弱な少女が、ホラーアクション小説の世界で楽しそうにはしゃぐ姿には違和感しかない。


 リエナテが指差したのは、店の中央よりやや奥に位置する大きなテーブル席だ。

 そこはちょうど天窓の真下で、ガラスの抜け落ちた窓枠から差し込む月明かりが、まるでスポットライトのように丸いテーブルを照らしていた。

 宙をゆっくりと漂う無数のホコリが月光を反射してキラキラと輝き、割れた床板の隙間から顔を出した小さな花々が夜風に揺られて踊っている。

 それはどこか神秘的で、美しい光景だった。

 だが、もちろんそれは気のせいだ。

『彼』は落下したシャンデリアの横を回り込み、床の隙間に足を引っ掛けたり、腐った床板を踏み抜かないように注意しながら、その席に近づく。

 そうすると現実が見えてきた。

 どんなにキラキラしていても、ホコリはホコリでしかない。テーブルと、それを囲む椅子はボロボロで、灰色の土埃が積もっている。

 周囲の花々も、穴だらけの床の隙間から伸びる雑草にすぎない。

 離れて見ているぶんには美しい景色だったが、こうして近くで見れば廃墟は所詮廃墟にすぎないという事実だけがそこにあった。


「こんなに小さな花なのに、逞しいわね。天窓からの僅かな陽光だけで、花を咲かせたのね」


 リエナテは雑草の白い花を指で突いて揺らした。

 そして純白のドレスが汚れることも構わずに、椅子に腰掛ける。躊躇う様子は微塵もなかった。女の子として、それはどうかと思う。

 アンカルヤなら雑草の花など気に留めたりはしないし、リエナテならドレスが汚れるようなことは避けようとするはずだ。この少女はリエナテを自称しているが、やはり違和感がある。


「ほらほら、『作者さん』も座って、座って」


 リエナテに促され、彼女の向かいの席の背もたれに手を乗せる。

 そこでようやく『彼』は気が付いた。

 右手に、まだ斧を持ったままだった。

 武器から手を離そうとするが、指が強張っていて動かない。無理に指を動かそうとすると、腕の芯に痛みが走った。

 手から滑り落ちた斧が、ボロボロの床板に突き刺さる。足の上に落ちなくてよかったと、冷や汗をかいた。


「腕の調子が悪そうだけど、大丈夫?」

「先程の戦いで無理をしたからね。この体の身体能力は素晴らしいのだが、私はそれを使いこなせずに持て余してしまっている。本来のアンカルヤであれば、このようなことはないのだろうが……」


『彼』はベルトポーチから中級の治癒の魔法薬を取り出すと、一口で飲み干した。

 右腕の骨と関節と筋肉が燃え上がるような熱い痛みに襲われる。

 思わず悲鳴を上げそうになるが、女の子の前でみっともない姿は見せられない。

 奥歯を噛み締めて激痛に耐える。

 しばらくすると、徐々に腕の熱と痛みが引いていく。しかし痛みの余韻は痺れとなって、まだ腕の芯に残っている。

 軽く右腕を動かしてみる。痛みはないが、腕の動きに違和感がある。まるで水の中で腕を動かしているような感覚だ。腕の調子が完全に回復するまでには、もう少し時間がかかりそうだ。

 ゲームでは治癒薬を多数用意して連続で使用しながら強敵と戦うゴリ押し戦法が有効だった。しかし治癒に無視できない痛みが伴う現実では、その戦法は使えそうにない。こんなところにも、ゲームと現実の違いが存在していた。


 腕の治療を終えた『彼』は、床に刺さった斧を拾い、腰のホルダーに収めた。それからリエナテの向かいの席に着こうとして、体が一瞬止まる。

 椅子の座面は、湿った土埃にべっとりと覆われていた。この上に座るのは、流石に抵抗感がある。純白のドレスで、この上に躊躇うことなく座ったリエナテはすごい。

 だがまあ、服が汚れたくらいで人間は死んだりしない。

 観念して、『彼』は埃の上に腰を下ろした。

 椅子の座面のクッションは腐っていて、座り心地はゴツゴツして劣悪だった。

『彼』とリエナテが丸いテーブルを挟んで席に着くと、二人は同じタイミングで大きくホッと息を吐いた。


「――やっぱり、無理があるわね」


 リエナテがポツリとそう呟いた。

 それは思わず溢した独り言で、『彼』に聞かせる気はなかったようだ。それでも『彼』の耳には届いた。


「無理?」

「ああ、なんでもないわ。気にしないで」

「しかし、なにか無理をしているのなら――」

「いえ、そういうのではないの。ただ、これをデートと言い張るのは、やっぱり無理があるなって思っただけ」


 何を今更。それは最初からわかっていたことだ。


「私の存在は、偶然による一時的なもの。『作者さん』とアンカルヤが蘇生して、この世界が終われば、私も終わる。だから、そうなる前に色々と体験しておきたかったの。誰かと遊んだり、おしゃべりしたり、美味しいものを食べたり。この状況ではどれも無理なんだけど、せめて気分だけでもと思って……」


 そう言って、リエナテは寂し気に息を吐いた。


「重い話をさらりと言わないでくれないか。私も反応に困る。すまないが、私も精神的にあまり余裕がある状態ではなくてね。今のキミに気の利いた言葉は返せそうにない。キミも随分と深刻な状況にあるようだが――、そもそもキミは何者だ?」


 アンカルヤの記憶とは明らかに異なるリエナテの性格や、これまでの彼女の言動など、この少女には不可解な点が多い。

 状況を確認する前に、情報源となる彼女がどの程度信用できるかを見定めなければならない。


「えっ? さっきも言ったけど、私はリエナテの記憶よ」

「だが、キミの言動はアンカルヤとも私とも、そしてリエナテとも明らかに異なる。少なくともリエナテは、初対面の相手を一方的にデートに誘い、人気のない深夜の廃墟を臆することなく平然と歩けるような女の子ではなかったはずだ。アンカルヤの記憶を通して私が知っているリエナテの人物像とキミとでは、印象が重ならない。とても同一人物とは思えない。重ねて聞くが、キミは何者だ?」


 しかし『彼』の問いかけに、リエナテは何故そのような疑問が自分に向けられるのかわからないといった様子だ。


「貴方は何を言って……あっ、そうか。『作者さん』はあの子の記憶に残っているリエナテしか知らないのか。だから、この私がわからないのね」

「――どういうことだ?」

「つまり、より正確に詳細に説明するとね、私はリエナテの記憶であって、リエナテ本人ではないのよ」

「んん?」


『彼』はリエナテが何を言いたいのか理解できず、首を傾げた。






 リエナテは、ロスリミア大陸の南東に位置するセルメイ王国の地方貴族の家庭に三女として生を受けた。

 生まれつき体が小さくて体力も控えめであった彼女は、元気で活動的な兄と姉に囲まれて育った影響もあり、とても引っ込み思案なおとなしい少女であった。

 兄と姉が荘園のぶどう畑を小作人の子どもたちを引き連れて駆け回っている間も、リエナテは自室にこもって人形で遊んだり絵本を読んで過ごしていた。

 彼女は、母が読み聞かせてくれる昔話やおとぎ話が大好きだった。

 そして空想の中で、それらの物語の主人公を自分に置き換えて楽しんでいた。

 やがて彼女は既存の物語では満足できなくなり、自分を主人公とした自作の物語を妄想するようになる。

 空想の世界のリエナテは、世界を旅する魔法使いであり、囚われの姫君を救出する騎士であり、孤島に隠された海賊の秘宝を探す冒険家であった。

 物語によってリエナテの配役は様々であったが、その全てで彼女はおとなしく引っ込み思案な少女などではなく、明るく元気で活動的な少女であった。


「――つまり、私は現実のリエナテではなく、彼女が思い描いたいた理想の自分が実体化した存在なの」

「記憶の実体化とは、そういう意味だったのか。奇妙な言い方だとは思っていたが、なるほど納得だ」


 要するに彼女は、リエナテが空想した物語の主人公が実体化した存在なのだ。これは『彼』とアンカルヤの関係にも似ている。

 物語の現実化。物語の登場人物の実体化。

 どうやらこの現象は、王冠物語というゲームだけにとどまらないようだ。

『彼』が勢いとノリだけで書いた未完の短編小説まで、こうして不完全ながらも実体化しているのだから、他にも無数のフィクションとキャラクターがこのように実体化している可能性は高い。


「しかし私の見たアンカルヤの記憶の中に、キミは存在していなかった。アンカルヤは昔の自分のことを、いろいろと忘れてしまっているようだね」

「忘れたというよりも、捨てたといったほうが正確ね。リエナテがアンカルヤとなる過程で――つまり、ひ弱な田舎貴族一家の三女が神殿の吸血鬼狩人になる過程で、あの子は足かせとなるものを全て捨て去ってしまった。優しい感情とか大切な思い出とか、名前とか人格とか。リエナテであった頃の記憶も、あの子が手放してしまったものの一つよ」


 リエナテはアンカルヤとなるとき、それ以前の自分を切り離してしまったのだ。

 言われて気が付いたが、たしかにアンカルヤがリエナテであった頃の記憶には不自然なところがあった。兄や姉がいたことは覚えているが、その容姿や声については漠然としたイメージしか残っていない。それどころか、家族の人数や名前すら記憶が曖昧だった。


「切り捨てられた記憶、か。本来はアンカルヤと同一人物であるはずのキミが、こうしてアンカルヤとは別に実体化したのも、それが理由なのかしら?」

「そうね。それが理由なのかはわからないけれど、私とあの子が同じでないということは間違いないわ」


 なんとも気の滅入る話である。

 物語の主人公が過酷な過去を背負っているというのは、よくある設定だ。

 だがそれは、フィクションの中だからこそ楽しむことができるのだ。

 自分の思い描いた架空の人物が、まさか実体化してしまうと知っていれば、このような人生をアンカルヤに設定したりはしなかった。

 彼女の過酷な人生の責任が自分にある、などとは流石に思っていない。空想の物語が現実化することを事前に想定するなどということが、そもそもありえない。

 だが、こうしてありえないことが起こってしまった以上、無関心というわけにもいかない。

 これがゲームや小説であれば、作者である『彼』は彼女たちを簡単に救うことができた。設定をハッピーなものに書き換えるだけでよいのだ。

 しかし、残念ながら今の『彼』は作者などではなく、一人の無力な人間だ。『彼』がアンカルヤやリエナテに対してできることなど、何もなかった。


「ところで、さっきから気になってたんだけど、私の名前はリエナテだからね」

「ん?」

「私はリエナテ。キミじゃないわ」

「――ああ、それはすまなかった」


 キミではなく、名前で呼べということか。

 たしかに、いつまでもキミでは失礼だろう。


「それと貴方には深刻な顔をさせてしまったけれど、デート云々については気にしないで。『作者さん』に変な奴を紹介する前に、いろいろと相談しておきたいことがあるの。そのための口実という理由もあるから」

「つまり、変な奴に聞かれると不都合な話があるということか?」

「それは、まだわからないわ。変な奴は貴方に取引を持ちかけるつもりらしいの。この相談事が不都合かどうかは、その内容次第ね」


 そういうことかと『彼』は頷いた。

 リエナテが変な奴と呼ぶ何者かは、今回はじめて会うことになる他人だと思われる。このような異常な状況に対処できる知り合いに、心当たりはないからだ。

 支援者を自称しているとのことだが、見ず知らずの他人からの理由の解らない善意ほど気味の悪いものもない。

 だが、支援の内容が何らかの取引で、相手にも利のある話であれば、こちらも納得して受け入れることもできる。もちろん、引き換えとなる要求次第ではあるが。


「取引というのは、どのような内容かな?」

「向こうの要求を『作者さん』が了承すれば、貴方とあの子の命を救ってくれるそうよ」

「……それは興味深いな」


 現状を見れば、蘇生の霊薬が正常な効果を示していないことは明らかだ。

 つまり現在の『彼』は、命の危機に直面していると判断して間違いない。

 命を救う。

 今、『彼』に対してこれ以上に強力な取引のカードは他にないだろう。


「それで、相手の要求は?」

「ごめんなさい、私は知らないわ。向こうの要求については、貴方に直接話したいそうよ」


 これで『彼』には、変な奴に会わねばならない理由ができた。

 交渉というものは、まず相手をテーブルの対面に着かせなければ始まらない。

 そして伏せられたカードによって、『彼』は交渉のテーブルに着く以外の選択肢を奪われた。何しろ、自分の命を人質に取られているようなものなのだから。


「でもそのかわりに、『作者さん』とあの子の現状と蘇生の霊薬の問題については、いろいろと教えてもらったわ」


『彼』は息を呑んだ。

 謎だらけの状況ではあったが、中でも重要な疑問は二つ。

 一つは、『彼』の書いた小説が実体化したこの世界は何なのか?

 そしてもう一つは、蘇生の霊薬の効果はどうなっているのか?

 この内、優先すべき疑問は後者だ。こちらは自分の命に直結している問題だからだ。


「助かる! それは今、私が最も求めている情報だ」


 思わず身を乗り出した『彼』を、リエナテが両手を上げて制する。


「待って、待って! 気持ちはわかるけど、少し落ち着いて。まず前置きしておくけれど、今から私が話すことは、全て変な奴から教えてもらった情報だからね。真偽は不明ということは、常に意識しておいて」


 リエナテの言葉に、『彼』は小さく頷いた。


「変な奴――つまり正体不明の自称支援者が情報源ということだな。そうなると、どこまで信用してよい話なのか、判断が難しいな」

「そうね」

「――わかった。では、それを踏まえた上で話を聞かせてもらおう」


 疑うにしても、信じるにしても、まず話を聞いてみなければ正否の判断はできない。

『彼』は表情に緊張をにじませながら、リエナテに話を進めるように促した。


投稿間隔を今までになく大きく開けてしまい、ごめんなさい。

しばらく小説の作業を行わない期間があったため、小説を書く感覚をなかなか思い出せず、何度も書いては書き直すという不毛な作業を繰り返していました。

最近になってようやくペースが取り戻せてきたので、次話はさほど間を空けずに投稿できると思います。

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