始まり・5
04月07日
・第68話の誤字報告ありがとうございます。修正しました。
04月16日
・次話は思いのほか長くなってしまい(いつものことですが)、まだ完成していません。来週の月曜日か火曜日に投稿予定です。
04月20日
・第69話は昨日投稿予定だったのですが、投稿は今週末に延期します。いつもなら、内容に納得できないところがあってもある程度形になった時点で投稿しているのですが、まだそのレベルにも到達していません。現在、全力で文章の見直し中です。さすがにこれ以上投稿が遅れることは、避けたいと思っています。
スリーピーホロウの騎士は、黒い馬に騎乗した首のない騎士の姿をした極めて強力な悪霊だ。
死の神殿の審問官であるアンカルヤにとっては、戦って倒せない相手ではない。ただしそれは、本来のアンカルヤであれば、という但し書きが付く。中身が普通の高校生に過ぎない今のアンカルヤが正面から挑んで敵う相手ではない。
この首なし騎士の危険性は、彼女が以前戦ったゴブリンなどとは次元が違う。不用意に遭遇すれば死は免れない、恐るべき脅威である。
首なし騎士が、炭のように黒いロングソードの切っ先をアンカルヤに向けた。
その刃は無数の刃こぼれによって、まるで鋸のようにギザギザである。刀身には青白い火が熾っている。火の色から、かなりの高温であることがわかる。その熱で周囲の空気が揺らいでいる。
来る!
攻撃の気配を感じたアンカルヤが身構えた瞬間、黒の馬の足元が吹き飛び、視界が黒に覆われる。
物理法則を無視した超加速。
対処を考える余裕があるはずもなく、反射的に身を躱す。
黒の馬の突撃はぎりぎりで回避できたが、騎乗する騎士が振るう剣の間合いはからは逃れられなかった。
振り下ろされる黒い刀身。
頭上より落ちてくる死を、咄嗟に片手斧で弾き返す。
重々しい金属の衝突音が響き渡り、大量の火花が飛び散る。強烈な閃光と衝撃に目がくらくらする。
攻撃に失敗した騎士は、そのままアンカルヤの傍らを駆け抜けて距離を取る。
黒の馬が走り去った後には黒い土煙が舞い上がり、そして地面が直線状に抉られていた。
突撃を躱された黒の馬が忌々し気に嘶く。それは、まるで凶暴な肉食獣の唸り声だった。どうやらあの黒の馬は、自分が草食動物であるということを、ついうっかり忘れてしまっているようだ。
仕切り直しだ。
アンカルヤは攻撃を躱した際に崩れた体勢を立て直し、首なし騎士に向けて斧を構えた。
空いている左手にショートソードを装備しようかとも考えたが、この敵に対して有効なイメージが思い浮かばなかったのでやめておいた。先程の騎士の剣は、頑丈な斧だからこそ弾き返すことができたのだ。ショートソードで同じことをしたら、こちらの刀身は粉々に砕かれていただろう。
片手斧を握る右腕がビリビリと痺れている。
心臓が激しく脈打ち、全身に嫌な感じの汗が滲む。
スリーピーホロウの騎士は、戦場で殺戮の限りを尽くした邪悪な騎士が死後に悪霊と化した存在だ。つまりは戦闘のプロである。
攻撃の威力だけならば、おそらく偽ロウギスと大差はない。だが、その鋭さは全く異なる。偽ロウギスの攻撃が子供の振り回す剣ならば、首なし騎士の攻撃は洗練された戦士の一撃だ。
先程の攻撃を凌げたのは幸運だった。黒の馬の突撃は、体が思いのほかスムーズに動いてくれたおかげで躱すことができた。そして振り下ろされた剣を斧で弾き返すことができたのは偶然だ。これは今の彼女に狙ってできる技ではない。
そう、できるはずがないのだ。なぜ、できたのだろうか。
漠然とした違和感。
だが、それについて考える余裕を首なし騎士は与えてくれなかった。
再びの爆音に夜の墓地が震える。
黒の馬がアンカルヤに向かって加速した。
敵の攻撃は、黒の馬の体当たりと首なし騎士が振り下ろす剣の二段構成となっている。その両方に同時に対応することは、今のアンカルヤには荷が重い。せめて、どちらか一方の攻撃だけでも封じたい。
進路上の墓石を粉々に踏み砕きながら、黒の馬が突撃してくる。まるでスポーツカーの加速力を持つ耕運機だ。
この突撃は純粋に質量と運動エネルギーの暴力である。黒の馬の質量をアンカルヤの質量で受け止めることなど、物理的に不可能だ。避ける以外の対処法はない。
馬の進路修正が間に合わないぎりぎりのタイミングを見極めて、騎士の左側に身を躱す。
アンカルヤの直ぐ傍を黒の馬が駆け抜ける瞬間、首なし騎士がロングソードを振り下ろした。
馬上から右手に持った剣で左側にいるアンカルヤを狙った一撃。かなり無理のある体勢からの攻撃だ。それでも、アンカルヤの細い首を刎ね飛ばすには、威力は十分である。
一回目の攻撃のときは弾き返すだけで精一杯だったが、今回は刀身の破壊を狙って斧を全力で振り上げた。
重々しい衝撃と共に、夜の闇の中に鮮やかな火花が咲いた。
飛び散った金属の破片で目を傷付けないように、彼女は瞼を細める。
アンカルヤの斧は黒い剣を穿ち、その刀身を中頃で叩き折った。
地響きと共に駆け抜けた黒の馬が、アンカルヤから距離を開けて立ち止まる。
随分と彼女を警戒している様子で、すぐに三度目の攻撃に移る気配は見られない。
攻撃を二回も凌がれ、しかも武器を破壊されたのだ。首なし騎士がアンカルヤを簡単に倒せる獲物ではないと判断するには十分だ。
騎士には頭がないので表情はわからなが、騎士は折れた剣を見て困惑しているようだ。
そして、困惑しているのはアンカルヤも同じだった。
さすがにこれは異常だ。
一度目の攻撃を凌げたことだけならば、まだ偶然ということで納得できなくもない。
だが、二回続けてとなると、さすがに偶然という説明は苦しくなる。
アンカルヤのアクションは明らかにおかしかった。命のやり取りを行う緊張の下にもかかわらず、しかし身体は恐怖や不安に萎縮することなく普段以上にスムーズに動いていた。
黒の馬の突撃をギリギリのタイミングを見計らって躱し、同時に騎士の振るう剣を狙って破壊する。このようなアニメじみた非現実的な戦闘など、たとえ運や偶然が味方したとしても、戦いの素人である『彼』には不可能だ。出来る筈がない。
そもそも、異常は最初からだった。戦いが始まる直前、アンカルヤは首なし騎士の攻撃の気配を感じて身構えたのだ。唯の高校生に過ぎない『彼』が敵の攻撃の気配を察知するなど、常識的に考えてありえない。
死を目の前にした極限状態に、都合よく実力以上の力を発揮することができた?
ばかげている。そんなことは、幸運や偶然以上にありえない。
漫画や映画などではよくある話だが、現実はフィクションとは違うのだ。
――フィクションとは違う?
いや、ちょっと待て。
この状況は『彼』の創作した小説を再現したものである可能性が高い。
つまり、フィクションそのものなのでは?
これはもしかすると、この状況だけではなく、自分の行動も小説を再現しているのではないだろうか。
それは荒唐無稽な思い付きだったが、しかし妙な説得力があった。
かなり無茶な説だが、これなら戦いの素人である『彼』が首なし騎士の攻撃を二回も凌ぐことができた理由に説明がつく。
自分の行動にも、小説を再現する補正がかかっている。
だとすれば、これは光明だ。
なぜなら、小説ではアンカルヤはこの危機を乗り越えて無事に朝を迎えているからだ。
この状況が小説の再現で、彼女の行動も再現の対象であるならば、小説と同じ行動をとることで、小説と同じ結末に至ることができるはず。
そうなるように、この世界はできている。
アンカルヤは不敵な笑みを浮かべた。
そもそも、スリーピーホロウの騎士は何故アンカルヤに襲い掛かってきたのだろうか。
その答えは、『彼』の小説で明確に描写されている。
スリーピーホロウの騎士は北の森に住む魔女に頭を盗まれ、この町の住人と町に近付く者を襲うように命じられていたのだ。つまりこの戦いの真の敵は、首なし騎士ではなく北の森の魔女であった。
その魔女も、町の住人の手によって既に殺されている。
魔女は死に、住人も町を捨てて去ってしまった。そしてこの地に残された首なし騎士は、奪われたままの自分の頭を探し求めて今も夜の闇の中を彷徨っている。撤回されることのない命令に縛られたままに。
実は小説でのアンカルヤは、戦いでスリーピーホロウの騎士を倒してはいない。
魔女に盗まれた騎士の頭骨を彼に返すことで、この呪いに終止符を打ったのだ。
頭骨は、魔女の家の暖炉の裏に隠されている。
つまり、北の森にある魔女の家がこの戦いのゴールだ。
町と魔女の家の位置関係が小説に準じているなら、ゴールはさほど遠くはない。だが、黒の馬の追跡を躱しながら向かうとなると、かなり厳しい距離である。
それでも小説の物語を再現する補正が存在するのであれば、ゴールは不可能なことではない。
月夜の墓地に生ぬるい風が吹く。その空気の中に、かすかに灰の匂いが混じっていた。
ちらっと足元を確認すると、砕けた剣の破片が地面に落ちていた。その周囲の枯れ草が焼け焦げている。
アンカルヤの意識が首なし騎士から地面に逸れた一瞬の隙を、敵は見逃さなかった。
「なっ?」
目を疑った。
首なし騎士が、折れた剣を彼女に向けて投げ付けたのだ。
予想外の攻撃に、わずかに反応が遅れた。
折れた剣がこちらに飛んでくる。
咄嗟に躱そうとして、その瞬間に死の気配を感じた。
これは避けてはいけない。
補正の効果でそう直感したアンカルヤは、斧で飛んでくる剣を弾き落とすことにした。
しかし彼女の振るう斧が折れた剣に触れる直前。
黒の馬が三度目の超加速で剣の後を追ってきた。
「くっ!」
明らかに、投擲された剣よりも黒の馬の突撃のほうが速い。
剣と馬の距離が一瞬で縮まる。
慌てて剣を打ち返すと同時に横に飛び、黒の馬の突撃を躱す。
タイミング的には間に合っていない。アンカルヤが黒の馬に足を踏み潰されなかったのは、補正の効果か、あるいは単に運が良かっただけだ。
だが攻撃は、これで終わりではなかった。
すれ違いざまに、馬上の騎士がアンカルヤに向かって大きな黒い手を伸ばしてきた。
首なし騎士が剣を投げ付けてきた時点で、他にも武器を隠し持っている可能性は懸念していた。だが、素手で攻撃してきたのは予想外だ。
体勢を維持することは諦めて、上体を無理やりに仰け反らせる。首なし騎士の太い指先が、アンカルヤの前髪を掠めた。
大きくバランスを崩して転倒した彼女は地面を転がりながら、駆け抜けていく黒の馬の後姿を見送った。
今の攻撃は、かなりやばかった。
全身から冷汗が吹き出し、心臓の鼓動が加速する。呼吸が詰まって、頭がくらくらする。
剣の投擲はこちらの姿勢を崩すための牽制で、本命はその後の突撃だった。
もし剣を打ち返さずに避けていたら、その後に続く突撃は避け切れず黒の馬に踏み潰されていただろう。
だが、飛んでくる剣を斧で打ち返すというのも、かなりの無茶であった。
球技大会のソフトボールで一度もボールにバットを当てることができなかった『彼』には、あまりにも無謀な行為であった。
しかし、だからこそ確信が持てた。
やはり、アンカルヤのアクションには何らかの補正がかかっていとみて間違いないだろう。でなければ、このような危険な曲芸が成功するはずがなかった。
アンカルヤは転倒した際に口に入った土をペッと吐き出しながら、急いで立ち上がる。
そして首なし騎士に背を向けて、北の森に向かって駆け出した。
背後に蹄の音が近付いてくる。
振り返りたいが、しかしそのような余裕はない。
追ってくる。
怖い。
人間の脚で馬の脚から逃れることは不可能だ。
だが、障害物の多い森の中に入ってしまえば、あの馬も速度は出せなくなるはず。
多分、おそらく。そうであってほしい。
だが墓石を軽々と踏み砕くような馬を相手に、やせ細った森の枯れ木がどれほどの障害になるだろうか。あまり期待はできそうにない。
だからといって、他に代案もない。
目指すは北の森にある魔女の隠れ家。その暖炉の裏に隠された首なし騎士の頭だ。
墓地の北端は森と接している。
その先は暗闇だ。
月光は無数の木々に遮られ、夜の森は不気味な闇と静寂を湛えている。
完全にホラー映画の世界だ。
進んで立ち入りたいと思えるようなビジュアルではないが、しかし贅沢は言っていられない。
あの闇の奥にこそ、グッドエンドが待っているのだ。
倒れた墓石や茨に足を取られて転倒しそうになりながらも、墓地の外を目指して走る。
夜の森の暗闇がすぐ目の前まで近付いたところで、背後に響いていたはずの蹄音が聞こえないことに気が付いた。
さすがにこれは、背後の様子を確認する必要があった。
状況に何らかの変化があったのなら、それを無視するのはあまりにも危険すぎる。
そして振り返ったアンカルヤは困惑する。
首なし騎士は、アンカルヤから少し離れた位置で立ち止まっていた。
随分と距離を詰められていた。この間隔なら、アンカルヤが森に入るのと騎士に追いつかれるのは、ほぼ同時だっただろう。
騎士が足を止めたこの隙が、森の中に駆け込むチャンスだ。
だがそれ以上に、騎士が追撃を中断した理由が気になった。
アンカルヤは北の森に背を向けて足を止めた。
首なし騎士が、彼女を見ている。頭がないので、本当に見ているかは不明だが。
――いや、違う。
確かに騎士と馬はアンカルヤの方を見ているが、その意識は彼女を向いていない。
なら、いったい何を見て……、後ろ?
どうやら首なし騎士は、アンカルヤの背後に気を取られているようだ。
敵から視線を離すことに不安はあったが、それでもアンカルヤは最大限の警戒を維持しながら北の森を振り返った。
「えっ?」
自分の目に映ったものが理解できず、彼女の口から思わず声が漏れた。
墓地と北の森の境界、捻じ曲がった枯れ木の根元に、月明かりを反射して白く光る何かがあった。
――何か、ではない。
あれは人だ。
シンプルだが仕立ての良い白いドレスを身にまとった小柄な少女。
手入れの行き届いた艶やかな黒髪が、とても印象的だ。
おそらくは良家のお嬢様なのだろう。ただそこに立っているだけにもかかわらず、その佇まいには育ちの良さが滲み出ている。
時は深夜。悪霊の彷徨う墓地、廃墟の田舎町、枯れ果てた森。このシチュエーションに、少女の姿はあまりにも異質で場違いだった。
幽霊――いや、妖精だろうか。
白いドレスの少女は北の森から姿を現したが、しかし彼女はこの森の魔女ではない。見た目が全く異なってる。『彼』の書いた小説に登場する魔女は、全身が黒ずくめの老婆なのだ。
そもそも、ここが小説の中ならば、魔女は既に亡くなっているはずである。
だが魔女でないならば、北の森から現れたこの少女は何者だ?
少なくとも、彼女は『彼』の小説の登場人物ではない。
アンカルヤはこの状況を、自分が書いた小説の再現だと推測していた。
どうやらそうではないらしい。
状況は小説の物語を逸脱しようとしていた。




