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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
インクイジターの黎明
67/71

始まり・4

03月20日

・第27話、第39話、第43話の誤字報告ありがとうございます。修正しました。

 気が付くと、アンカルヤは森の中に立ち尽くしていた。

 これだけならば彼女が迷宮島に転移したときと同じだが、周囲を取り囲む森の様子は全く異なる。

 枯れ果てて乾ききった木々。それらに生命の気配は全く感じられない。

 空気は淀み濁り、森の中にもかかわらず清涼さは微塵もない。

 この森は、死んでいた。


 夜の闇が暗く青白い微光に薄み、森の木々の枝が地面の上にまだら模様の影を描く。

 見上げると、ゆっくりと流れる黒い雲の合間から、血色の悪い満月がアンカルヤを見下ろしていた。

 薄気味悪い月明かりに照らされた夜の森に目を凝らすと、自分が立っているこの場所が道の上であることに気が付いた。

 しかし路面は枯れ草に沈み、轍はわずかに痕跡が残るのみ。

 この道は往来が途絶えて久しいようだ。

 アンカルヤは森の影の下を、道なりに歩を進めた。


 これはどういう状況なのだろうか。

 このところ前触れもなく唐突に不可解な状況に置かれることが多いが、この状況はこれまでになく意味不明だ。

 今、こうして不気味な夜の森を歩いている自分は、どういう状況なのだろうか。

 アンカルヤは遺跡街の橋の上で毒のナイフで刺されて死んだはずだ。

 胸にあるはずの刺創は消えてなくなっている。

 だが、彼女の心にはぽっかりと穴が開いていた。

 自分の内に、彼女の存在を感じられない。この体はアンカルヤのものだが、彼女の心は消えてしまっている。

 王冠物語の世界に来てから、いつも自分の内に感じていた彼女の存在を失い、『彼』の心は孤独に震えた。『彼』はいつの間にか、自分の内に彼女が存在することを当然のことと感じていたのだ。

 得体の知れない状況に一人きり。ひどく心細い。

 彼女のことも気になるが、リフィリシアとロウギスも心配だ。皆が無事ならよいのだが。


 そもそも、ここはどこなのだろう。

 霊薬による蘇生に成功したのであれば、アンカルヤは遺跡街の橋の上にいなければおかしい。

 この状況、何らかの異常事態が発生していることは間違いない。

 まさか蘇生には失敗していて、ここは死後の世界だったりするのだろうか。確かにこの森に漂う陰鬱な気配は地獄と言われれば納得できてしまいそうだ。

 何にせよ、この状況を解明しないことには、それに対処することもできない。

 現状で取れる行動の選択肢は少ないが、皆無でないことは救いだ。

 とりあえず、足元には道がある。ならば道を進むことはできる。長らく使用された痕跡がなくても、かつてこの土地に何者かの営みがあったことは確かだ。この道を進めば、いずれ何処かには辿り着くだろう。






 月明かりを頼りに夜道を歩くアンカルヤに、生臭い夜風が纏わりつく。

 周囲の空気の中に漂う不吉な気配に、彼女の気が滅入る。

 不安を振り払うように、暗い道を黙々と進む。

 しばらくすると、道の両脇に古い石塀が見えた。長らく手入れをされた様子がなく、あちこちが崩れ落ちている。もはや塀としての役割は果たしていない。

 道は、石塀の向こうへと続いている。

 その先には小さな町があった。

 月光の下に浮かぶ、木と土と石レンガの町並み。近世の雰囲気が漂う田舎町。

 だが、人の気配は皆無だった。

 すでに無人となって長いのであろう。

 周囲の家屋はどれも歪み傾き、今にも倒壊してしまいそうだ。蝶番の壊れた窓がパタパタと風に揺れている。

 通りの街路樹に緑はなく、軒下の花壇やプランターは全て枯れ果てていた。

 ゴーストタウンという言葉は、まさにこの光景を言い表すためにあるのだろう。

 路地裏から流れてくる不気味な風の音は、人のうめき声のようにも聞こえた。


 ここは初めて訪れる町だ。にもかかわらず、この町並みには心当たりがあった。

 まさか、もしかして。ありえない。

 嫌な予感がする。

 だが、嫌だからといってこれを無視はできない。確認する必要がある。

 予感が当たっていれば、この町の西には墓地があるはずだ。

 知らない町のはずなのに、『彼』はこの町の地理を把握していた。

 この道を直進すると、町の中央にある十字路に出る。アンカルヤは南側から町に入ったので、十字路を左に曲がれば西である。






 町の中を西に向かう道を進むと、ほどなく町の外に出る。

 そこには、アンカルヤの予想していた通りの光景が待っていた。

 枯れた茨に抱かれた朽ち果てた墓地に、青白い月明かりが降り注いでいる。

 無数の墓石は長年の風雨に曝され放置されて傾きぼろぼろで、表面に刻まれた文字はもう読むことはできない。

 墓地の中央には、ひと際大きな墓石が鎮座していた。ちょっとした小屋ほどの大きさだ。

 さぞや身分の高い者が埋葬されているのだろう。

 大抵の者であれば、そう思うであろう。

 だが、そうではないことをアンカルヤは知っている。

 この大きな墓石は、そこに埋葬された者が地の底から這い戻らないための重しなのだ。

 嫌な予感は的中していた。

 間違いない。

 ここは『彼』がかつて小説に書いた町だ。


『彼』は高校の入学祝に父親からもらったパソコンで、いくつかの小説を書いていた。

 ワープゲートのトラブルから未知の宙域に転送された輸送宇宙船が、地球への帰還を目指す物語。

 世界を滅亡の危機から救うため、世界の瑕疵(忌まわしきものども)とよばれる脅威と戦う少年少女の物語。

 自分以外の全ての人間が忽然と姿を消した真夏の日本で、国道の交差点に赤いペンキで書かれた「東京に行けば仲間がいる」というメッセージを見付け、東京を目指して旅をする男の物語。

 そして、打ち捨てられた田舎町でアンカルヤが悪霊を退治する、王冠物語の二次創作小説。

 彼女は、自分を主人公とした短編小説の物語の中にいた。

 この状況が『彼』の小説をなぞっているのだとしたら、この先の展開はかなりまずい。

 これが小説の再現なら、この後は戦いになるのだ。

 はたして今のこの状態で、敵を迎え撃つことなどできるだろうか。

 アンカルヤは震える手を腰の方手斧に添えた。

 彼女の精神の存在は失われていても、この体の身体能力は彼女のままだ。だが、彼女の記憶や経験の補助なしで、この体をうまく扱える自信は『彼』にはない。

 いや、そもそも小説で戦ったからといって現実でも戦う必要はない。この後に危険が待ち構えていることがわかっているのなら、逃げればよいのだ。

 しかし、どうやらその判断は手遅れのようだ。

 地面が微かに震えている。

 気のせいか?

 いや、足の裏に感じる振動は、次第に大きくなっている。

 ドコドコと重々しい振動が近付いてくる。これは、こちらに向かってくる蹄の音だ。

 その音は、墓地の中央の大きな墓石の下から聞こえてくる。

 やがて蹄音の響きは墓地全体を揺らし、そして爆発した。

 中央の大きな墓石が地の底から打ち砕かれる。

 火山の噴火のごとく吹き上げられた黒い墓土が、アンカルヤの周囲に大量に降り注ぐ。

 土砂に遮られた視界の向こうに、墓の下から大きな黒い影が飛び出してくるのが見えた。

 アンカルヤの直ぐ傍を黒くて重い何かが一瞬で通り過ぎ、強烈な突風がその後を追った。

 その風圧に吹き飛ばされそうになるのを、両足で地面を踏みしめて何とか耐える。

 そして先ほど彼女の傍らを駆け抜けた黒い影を視線で追う。


「あ……」


 アンカルヤがそれを見たとき、それもまたアンカルヤを見ていた。

 赤く光る眼をもつ大きな黒の馬。その背には、朽ちた黒い鎧を身にまとう騎士が騎乗していた。濁った血の色のマントが墓場の夜風にはためいている。

 その騎士には、(ヘッドレス・)首から上がなかった(ホースマン)

 本来は頭があるべきところからは、青白い火が血のように滴っている。


「……スリーピーホロウの騎士」


 戦斧を握るアンカルヤの手に冷たい汗が滲んだ。


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