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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
インクイジターの黎明
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始まり・2

 そういえば、アンカルヤと『彼』が出会ったときも似たような状況だった。

 あのとき『彼』はアンカルヤとなって森の中に理由もわからず放置され、見知らぬ土地を当てもなく彷徨い歩いた。

 今のアンカルヤも、無人の街に理由もわからず放置され、見知らぬ土地を当てもなく彷徨い歩いている。

 直前の記憶は、遺跡街の橋の上で少年に殺されたことだ。その記憶と今の状況の繋がりがわからない。いったい、この身に何がおこっているのだろうか?






 アンカルヤは強烈な夏の陽射しに手をかざし、眩しい青空を瞳に映す。

 こうして蒸風呂のような気候の中を当てもなく彷徨っていても、無駄に体力を消耗するだけだ。

 彼女が自動車の運転方法を知っていれば、この炎天下でも空調の効いた状態で街の探索ができたのかもしれない。しかし残念ながらアンカルヤの日本に関する知識は『彼』から得たものだけだ。高校生である『彼』の記憶の中に、自動車の運転は含まれていなかった。

 相変わらず周囲に人の気配はない。先程立ち寄ったコンビニは無人であったが、おそらく辺りに立ち並ぶ住宅もこれと同様だろう。

 だが、これらの住宅についても外から気配を窺うだけではなく、実際に中の様子を確認しておいたほうがよいかもしれない。どうせ誰もいないと思われるが、もしかしたら街が無人化した理由を知ることのできる何かが見つかるかもしれないからだ。

 とりあえず、すぐ側にあった家の門扉のチャイムを鳴らしてみる。

 音のない街中に、チャイムの音が思いのほか大きく響いて聞こえた。

 しかし、やはり反応はない。

 繰り返し何度かチャイムを鳴らしてみるが、返ってくるのは沈黙のみであった。

 

 周囲の建物と比較しても特に特徴もない、平凡な二階建ての民家。

 こうして外から様子を窺う限り、家の中に人の気配は感じられない。

 ガレージにはミニバンタイプの赤いファミリーカーが駐まっている。家が無人であっても、車で出かけているということではないようだ。

 玄関のドアノブに手を触れると、鍵はかかっておらず、すんなりとドアが開いた。

 他人の家の匂いに、少し落ち着かない気分になる。

 さほど大きくもない玄関には、男性と女性と子供の靴が並んでいた。シューズラックの中も同様の組み合わせで、この家の住人は夫婦と子供の三人のようだ。

 だが、普段使いと思われる靴が玄関に揃っているのは、どういうことだろう。この家が無人なら、住人は靴も履かずにこの家を出ていったことになる。

 どうにも雰囲気が不穏だ。

 アンカルヤは少し躊躇った後、ブーツを履いたままで家に上がる。

 土足で家の中に入ることには抵抗を感じるが、この厚手の編み上げブーツも自分の身を守るための防具の一つである。まだ安全かどうかの判断もつかない不可解な状況下で、安易に防御力を下げるのは賢明とはいえない。もし裸足になったことで足に負傷でもしたら、その後の移動に大きな制限を負うことになってしまう。それは、場合によっては命取りにもなりうるだろう。

 自身の安全を優先するなら、今はブーツを脱ぐべきではない。


 この気候である。家の中も蒸し暑かったが、それでも直射日光に晒される屋外よりは幾分ましではあった。

 だが一階のリビングに入ったところで、アンカルヤは驚き動揺する。

 天井のシーリングライトが点灯していて、エアコンのルーバーがゆっくりと上下に動き、テレビには画像が映されていたのだ。ローテーブルの上には、冷たい麦茶の注がれたガラスのコップが一つ置かれている。表面は結露していて、氷はまだ溶け残っている。

 まるで、つい先程まで誰かがこの部屋でテレビを見ていたかのような状況だ。しかし室内に人の姿はない。

 エアコンの心地よい涼風が汗に濡れたアンカルヤの肌をそっと撫でる。

 アンカルヤはリビングのテレビに近付く。50インチ前後の液晶テレビだ。テレビもまた、『彼』の記憶で存在を知ってから、アンカルヤが興味を持っていた物の一つである。

 だが、表示されている映像が、どうにも奇妙だ。

 ニュース番組のようなのだが、映し出されているのは無人のスタジオである。もちろん、音もない。

 ローテーブルの上のリモコンを手に取ると、テレビに向けてチャンネルを変える。

 今度はグルメ番組のようだ。場所はどこかの蕎麦屋で、天ぷら蕎麦の丼が映されている。しかし、店内は無人だ。誰もいない店の中、テーブルの上に一杯の丼がぽつんと置かれている。あまりにも動きがないので蕎麦の写真が表示されているのかとも思ったが、よく見ると湯気が揺れているので、この映像は静止画ではなく動画である。これは、どのような状況で撮影されているものなのだろうか。

 更にチャンネルを変えると、次はバラエティ番組だ。カラフルなスタジオのセットに、軽快なBGM。

 やはり、こちらも無人だ。テレビのスピーカーから聞こえるのは音楽のみで、人の声は聞こえない。

 誰もいないスタジオに陽気な音楽が流れるだけの映像は、とても気味が悪かった。

 背筋にエアコンの冷気とは別の寒気を感じ、アンカルヤはテレビの電源を切ってリモコンをソファーの上に放り投げた。






 アンカルヤはリビングを離れ、とりあえず家の中を一階から二階へと、一通り確認して回る。

 やはり無人だ。この家の住人は――、いやこの街の住人は何故姿を消してしまったのだろう? そして、どこに行ってしまったのだろう?


 探索の途中で立ち寄った洗面所で、鏡に映る自分の姿を見てアンカルヤは足を止めた。

 セミロングの灰色髪に、吸い込まれるような薄紫の瞳。やはり自分は美人だと思う。多くの時間をかけてデザインしたのだから当然だ。

 アンカルヤがまだリエナテという名の少女であったころ、吸血鬼に家族全員が喰い殺されたにもかかわらず、彼女だけはその牙に貫かれることはなかった。そして彼女は、ただ一人の生き残りとなった。

 自分には、吸血鬼から見て餌としての魅力がないらしい。

 そう思っていたから、彼女が自分自身を吸血鬼をおびき寄せる疑似餌に利用することを思い付いた際に、容姿の改造を行ったのだ。自分に対して、吸血鬼が魅力を感じるようにと。

 だが、『彼』の視点を通して自分を見たことで、これが間違いであったことに今更ながら気が付いた。

 実際には、逆だ。

 あの吸血鬼は、おそらく好きな食べ物を最後にとっておくタイプだったのだ。だから結果として、リエナテは最後まで生き残ることとなった。

 今のアンカルヤの容姿は、吸血鬼に対する疑似餌としては明らかにやりすぎである。あまりにもあからさますぎて、吸血鬼から見れば逆に怪しさしか感じられないだろう。

 今になって思い返してみると、アンカルヤは美味しそうな餌ではなく、不自然に美しい容姿を持つ厄介な吸血鬼ハンターとして悪目立ちしていたのではないだろうか。

 これでは何のために心身の苦痛に耐えて自分の容姿を改造したのかわからない。

 つい最近までこのことに気が付かなったのだから、間抜けというほかない。

 彼女の錬金術の師は、このことに気が付いていたはずだ。気が付かないはずがない。それでも何も言わなかったということは、勘違いから見当違いの方向に突き進むアンカルヤを観察して、ニヤニヤと面白がっていたのだろう。

 なんとも腹立たしい限りである。

 しかしどれほど苛立ちを感じても、それをぶつける相手はここにはいない。

 アンカルヤは不愉快そうな表情で、洗面台の鏡から顔を逸らした。






 再びリビングに戻ってきたアンカルヤは、その光景を目にして思わず息を呑む。

 消したはずのテレビの電源が入っていて、ソファーの上に投げたリモコンはテーブルの上に置かれていた。

 この家の中に、自分以外の誰かが存在している?

 誰がテレビの電源を入れた? 誰がリモコンの位置を変えた?

 ――いや、おそらくこれは人の手によるものではない。

 テーブルの上のリモコンの位置、テレビのチャンネルなどが、最初にこの部屋に入ったときと寸分違わぬ状態に復元されている。つまり、この部屋でのアンカルヤの行動が、全てなかったことにされたのだ。

 もしこれがこの街全体で起こる現象であるなら、先ほど彼女が立ち寄ったコンビニの店内も、新聞やサンドイッチが元の状態にリセットされているのかもしれない。


 アンカルヤはローテーブルの上の麦茶を手に取ると、リビングの隣りにあるダイニングキッチンに向かった。そしてダイニングテーブルの上に麦茶のグラスを置く。

 とりあえず流し台の蛇口を上げてみる。問題なく水が流れる。濁りのない透明な水道水だ。変な臭いもない。

 電気も水も、この無人の街のどこから供給されているのだろうか。

 冷蔵庫を開けると、中には様々な食料品が収められていた。

 だが、なにかがおかしい。

 その違和感の理由には、すぐに気が付いた。

 冷蔵庫の中の食料品が、全て未使用、未開封の状態なのだ。使いかけの食材や、残り物の料理が入ったタッパーなどは見当たらない。まるでスーパーの食料品売場である。

 冷蔵庫の側面には小さなホワイトボードがあり、一組の夫婦と小さな子供の写った家族写真が貼り付けられていた。これがこの家で暮らしている家族の姿なのだろう。どこかのテーマパークで撮影されたもののようだ。一見楽しそうに見えるが、どこか笑顔がわざとらしく感じるのは気のせいだろうか。

 食器棚を見ると、三人分の茶碗やカップなどが並んでいる。だが、きれいに揃いすぎている。

 こういった食器類は使っているうちに、頻繁に使用するものが手前に来て、あまり使用しないものは奥の方へと追いやられていくものだ。そうして、他人の目には整理されていないように見えて、しかし使用者には使いやすい配置に最適化されるのだ。

 この食器棚には、それがない。

 食器類が実用性を拒否して見栄え良く並んでいる様子は、家庭の食器棚というよりも、店の食器売場のようだ。


 アンカルヤはダイニングチェアに腰掛けると、テーブルの上に頬杖をついた。

 一通り家の中の探索を終え、得られた情報を頭の中で整理する。

 家の内装を見ていて気が付いたことなのだが、オーディオやゲーム機、釣具やゴルフバッグなど、趣味のためのアイテムを何一つ見かけなかった。そのため、この家の住人が普段どのような生活を送っているのか、想像ができない。

 この家の全体にいえることとして、生活感が欠落しているのだ。

 まるで、三人家族の暮らす家という設定で作られたモデルハウスである。

 おそらく、他の家もこれと同様だろう。たまたま立ち寄ったこの家だけが、偶然にも他とは違う特殊な特徴を持っていた、などということはまずありえないだろう。

 謎だらけの街だが、これで一つだけわかった。

 この街の住人は何処かに行ってしまったのではない。

 最初からこの街に住人などいなかったのだ。

 全てが作り物なのである。


 目の前の麦茶のグラスと同じものが、隣のリビングのローテーブルに置かれていることに気が付き、アンカルヤはうんざりと表情を歪めた。


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