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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
インクイジターの黎明
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始まり・1

 それは偶然だった。

 たまたま大きさと形がかみ合い、その小さな歯車は本来あるべきではない場所にはぴったりとはまり込んでしまった。そして本来は回るはずのなかった大きな歯車に動力を伝えた。

 物語の車輪が、ゆっくりと動き出す。

 だがそれは、もしかしたら必然だったのかもしれない。






 目も眩む強烈な陽光に、アンカルヤはまぶたを細めた。

 容赦のない真夏の陽光にあぶられて、彼女の肌にじっとりと汗がにじむ。ロングコートは脱いで脇に抱えているが、その程度で対処できる暑さではない。保温の付呪の効果で手足は涼しいのだが、日本の夏の前にはさほどの慰めにもならない。

 アンカルヤは郊外の住宅街を彷徨っていた。

 鮮やかな夏の青空、白く湧き立つ積乱雲。立ち並ぶ電柱に二階建ての民家。何の特徴もない典型的な日本の街並みだ。

 しかし、一つだけ異常な点があった。日中だというのに人の姿を全く見かけないのだ。人間も自動車も見当たらない無人の街中で、交差点の信号機が虚しく明滅していた。

 不気味なほどに静かで、日本の夏に欠かせないセミの声も聞こえない。人だけではなく、あらゆる生命の気配が感じられなかった。


 ひたすら暑い。

 帽子も大して役に立たない。太陽に蒸し上げられた頭がふらふらする。

 流石にこのままでは危険だ。アンカルヤは一時の涼を求め、たまたま見かけたコンビニに駆け込んだ。五階建てのマンションの一階にある、駐車場もない小さなコンビニだ。

 自動ドアが開き、軽快な入店チャイムがアンカルヤを出迎えた。だが、やはり店内にも人の気配はない。客はおろか店員の姿すら見当たらない。無人のコンビニに、有線の店内BGMと冷蔵ケースのコンプレッサーのノイズが空虚に響いている。

 汗を吸って肌に張り付く服に空調の冷気が染み入り、とても冷たい。その寒さにアンカルヤの背筋が震えた。

 脇に抱えていたコートをレジカウンターの上に置くと、彼女は店内の物色を始めた。

 まずは自動ドアの横にあるマガジンラックの新聞を手に取る。

 残念ながらアンカルヤは日本語を読めないので、なにが書かれているかはわからない。ここにリフィリシアがいれば、内容を確認してもらうこともできたのだが。

 読めない新聞から情報を得ることは難しいが、それでも何かわかることはないかと紙面に目を走らせる。

 今はとにかく情報がほしい。

 自分は何故ここにいるのか。見覚えのない街並み。ここが日本であることはおそらく間違いないが、日本のどの辺りなのかはわからない。今はいつなのか、何年の何月何日だろうか。そして、なぜ街が無人なのか、住人はどこに消えたのか。

 わからないことだらけである。

 とりあえず、新聞の日付を確認してみる。文字は理解できなくても、字の種類が零から九までしかない数字であれば、日付の表記から読み方を推測できるのではないかと思ったからだ。

 しかし奇妙なことに、新聞によって発行日の表記が全て異なっていた。日付がばらばらの新聞がラックに並んでいるのだ。コンビニが新聞のバックナンバーを扱うとも思えないし、これは明らかにおかしい。

 まさかと思い、アンカルヤは弁当類の並ぶ棚に向かった。そして、それらの製造日を確認する。製造日と賞味期限の見分けはつかないが、やはり全ての日付の表記はばらばらであった。

 製造日は異なっていても、商品に劣化の様子はない。どれも今日店頭に並べられた商品に見える。

 卵サンドを手に取り包装フィルムを剥がしてみたが、腐敗臭はない。普通に美味しそうだ。

 一口、かじってみる。

 なるほど。しっとりと柔らかくて美味しいが、これは洗練されすぎだ。パンにも具にも雑味がなく、人間が作った物とは思えない不気味さを感じる。量が少なくて食べごたえもない。

 次におにぎりに手を伸ばす。おにぎりはアンカルヤにとっては未知の食べ物であり、『彼』の記憶でその存在を知ってから興味を持っていたものの一つだ。まさかこのような形で実際に食べる機会に恵まれるとは、思いもしなかった。

 パッケージの表示は読めないが、ほぐしたツナの写真が印刷されているので、おそらくツナマヨだ。おにぎりを食べるのも初めてだが、アンカルヤが海に由来する魚を口にするのもこれが初めてだった。全ての海は魔王ルシュケンタイドの呪いに汚染されているため、海産物が食料とされることはない。だが異世界の海の魚であれば、呪いの心配はないだろう。

 米は細かく切ったパスタのようで奇妙ではあったが、味は悪くない。海苔は食べ慣れない食感と匂いが気持ちが悪かった。具のツナは食感こそ川魚と似ていたが、味は未知のものでとても美味しかった。ただ、この味が魚のものなのか味付けによるものなのかは、アンカルヤにはわからなかった。


 コンビニフードを味わいながら店内を眺めていて、ふとあることを思い付いた。アナログ表示の時計があれば、一から十二までの数字の並び順がわかる。そうすれば、新聞の日付も読めるはずだ。

 アンカルヤは周囲を見回した。しかし、残念なことに時計は見当たらない。

 時計を探してレジ裏からバックヤードに向かうと、ダンボール箱の積まれたスチールラックの合間に事務所のドアがあった。

 狭い事務所の中に入ると、書類棚の影に隠れるように設置された壁掛け時計を見付ける。だが、デジタル表示である。アンカルヤは思わず思わず舌打ちした。

 事務机の上にPCがあったので、ネットに繋がるかを確認する。しかし、このPCはPOSシステムの管理用端末で、専用回線を使用しているらしくインターネットには繋がっていなかった。

 だが、思わぬところから新たな情報を得ることができた。端末に接続されているキーボードの配列から、数字の並び順が判明したのだ。多機能電話機の横にあったメモ用紙とボールペンを手に取ると、数字キーの配列をメモに書き写した。

 そして傍らの電話機を見て気が付く。数字の並び順を調べるなら、この電話機でも可能だ。その他にも、事務所内にはカレンダーや電卓、バイトのシフト表など数字の順番がわかるものが幾つもあった。それどころか、店内のレジやタバコの陳列棚を確認していれば、こうしてバックヤードを調べる必要すらなかったのだ。

 自分の間抜けさに苦笑いを浮かべながら店内に戻ると、先程のメモを片手に新聞の日付を再確認する。やはり発行日が新聞によってばらばらだった。新しい日付と古い日付は数十年単位でずれていた。弁当類の製造日も確認してみたところ、こちらもばらばらの日付が印刷されていた。

 つまり、今日の日付を特定するのは不可能ということだ。事務所にあったカレンダーを見れば、年と月は確認できるはず――なのだが、あらゆる日付の表記が入り乱れているこの状況で、あのカレンダーが信用できるかは怪しいところだ。

 だが今日の日付がわからずとも、これでこの世界の数字は読めるようになったのだから、コンビニ内の探索は決して無駄ではなかった。

 そう、無駄ではなかった……はずなのだが、ちょっと待てよ。

 アンカルヤは恐る恐る、新聞のラテ欄を開いた。そして新聞をそっと閉じ、見なかったことにした。


 一通りコンビニの探索を終えたアンカルヤは、ペットボトルの紅茶と新聞を一部手に取り、コートを脇に抱えて店を出た。

 太陽に焼かれたアスファルトから揺らめき立つ陽炎に、街の風景はラスタースクロールしていた。

 空調の効いた店内から外に出て、まるで蒸し器の中に飛び込んだ冷凍食品のような気分だった。手加減のない熱気に、引いていた汗が再び滲み出す。

 コンビニ前のゴミ箱にサンドイッチとおにぎりの包装を捨てると、街中の放浪を再開する。

 アンカルヤの姿は、ゆらゆらと揺れる景色の中に溶け去っていった。


いよいよ今回から第二章の開始です。

今話からしばらくは、一話あたりの文章量を減らして投稿間隔を縮めてみる予定です。

流石に投稿間隔が一ヶ月以上という現状は、間を空け過ぎと思いますので。

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