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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
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終わり・4

 平らに磨き上げられた敷石が、整然と敷き詰められている。橋の床が目と鼻の先に見えたことで、アンカルヤは自分が倒れていることに気がついた。

 何がどうなっている?

 なぜ自分は倒れているのだろう。

 赤く染まった胸元に現実感がない。刃渡り二十センチほどのナイフが突き刺さっているが、その痛みも血の匂いもない。

 魔法や催眠術などで、幻を見せられているのだろうか。

 いや、胸に刺さるナイフをよく見ると、刃の部分に金属のものとは質の異なる艶と光沢がある。刃の表面に何かが塗られているようだ。おそらく神経に作用する毒物だろう。

 その効果で、全身の感覚が麻痺しているのだ。

 石畳の硬さも冷たさも感じない。

 心臓が異様に速く強く脈打ち、空気が重くて息苦しい。

 かなり危険な状態であることを、アンカルヤは自覚した。

 襲撃を受けているのは自分だけだろうか? 

 他の者の心配をしている場合ではないのだが、それでも仲間たちの安否が気がかりだった。

 辺りに皆の姿は見当たらない。無事ならよいのだが。


 石畳に固体音の足音が響く。

 リフィリシア?

 ロウギス?

 いや、違う。頑丈な靴底が敷石を蹴る硬質な音。これはアンカルヤが記憶している仲間たちの靴音のどれとも一致しない。

 見覚えのない栗皮色のブーツが近付いてくる。

 誰だ?

 アンカルヤはノロノロと視線を上げる。

 見知らぬ男が、そこに立っていた。

 唐突に登場してきたが、本当にこいつは誰だ?

 初めて見る顔だ。

 年齢は十代半ばくらいだろう。まだ少年といった顔立ちだ。

 肩にかかる金髪に緑色の瞳。顔立ちは整っているのだが、表情は軽薄で安っぽい。

 黒いマントに、黒い魔法使いの帽子。服装は魔術師か魔法使いに見えるが、リフィリシアのような可愛げは欠片もない。


「だ……だれ……?」


 喉が酷く乾いていて、声がかすれる。ひと言を発するだけで精一杯だ。


「おいおい、何故まだ息がある? 早く死にたまえ。ああ、なるほど。毒耐性だな。これだから無駄にレベルだけ高い者は煩わしいのだ」


 どうやらこの少年が、アンカルヤに毒のナイフを突き刺した犯人のようだ。


「なぜ……こんな……」

「何故? 何故と言ったか?」


 少年は呆れた様子でアンカルヤを見下ろし、そして不愉快そうに表情を歪める。


「よくいるのだ。お前のように、異世界転移という漫画や小説のようなシチュエーションに酔って、自分が物語の主人公になったと勘違いしている恥ずかしいモブが。現実を見たまえ。お前はただの脇役だ。脇役が自分の死に理由を要求するなど、厚かましいにもほどがある。身の程を弁えたまえ。お前のような雑魚キャラは、私が死ねと言えば黙って死ぬがいい」


 この少年が、ずっとアンカルヤたちに付き纏っていた黒幕なのだろうか?

 いや、彼は偽ロウギスとは明らかに違う。偽ロウギスもアンカルヤを殺しかけたが、しかし殺意は希薄だったように思える。力加減を間違えて、うっかり致命傷を与えてしまったというところであろう。

 だが、この少年はそうではない。明らかにアンカルヤに対する殺意がある。

 彼は懐からもう一本のナイフを手に取ると、その刃に小瓶からなにかの液体を塗布する。

 やはり、毒だ。

 アンカルヤはベルトポーチから解毒薬を取り出そうとしたが、腕が重くて動かない。指先にも感覚がない。


 少年はナイフを持った腕をアンカルヤに振り下ろそうとして、その姿勢のまま動きを止めた。

 目をハッと見開き、しかし視線はアンカルヤには向けられていない。酷く焦った表情で、橋の先の風景を見ている。


「な、何故あなたがここに? あ、いや、これはあなたを手伝っているのだ! 主人公から遠ざけるだけなど、あなたのやり方はまどろっこしいのだよ! 物語から排除するならば、こうするのが一番確実であろう?」


 随分と狼狽した有様で、言い訳めいた言葉を早口でまくし立てている。しかしその話の内容は、アンカルヤには全く意味不明であった。主人公とか、物語とか、いったい何の話をしているのだろうか。


「否、そうではない。それは誤解というものだよ、カチナ。あなたの邪魔をするつもりはない!」


 アンカルヤは少年の視線の先に目を向けるが、そこには誰もいない。

 橋の上には緻密な装飾が施された街路灯が並んでいる。欄干の下には所々に溶け残りの雪が積もっていて、その下には水溜りが広がっている。石畳の隙間から伸びる雑草と美しい魔女の黒髪が風に揺れている。夕刻を迎えて徐々に陰りだした青空に、灰色の雲がゆったりと流れている。東の地平線には星がまたたき始めていた。

 橋の上の景色に、特に目を引くものは見当たらない。

 この少年は何に向かって話し掛けているのだろうか。とても慌てふためいた様子で、橋の上の風景と会話をしている。まるでそこに誰かがいるかのように。

 その姿には、アンカルヤを見下ろしていたときの余裕は欠片も残っていない。


「リフィ……なんとかという娘を主人公にしてストーリーを進めるのであろう? そのためには、この女の存在が物語の構成上の邪魔になると言ったのはあなただ。故に、私はあなたのために善意で……を……なら……だ!」


 少年の言葉の大半は意味不明であったが、一つだけ認めなくてはならないところがあった。

 アンカルヤは自分のことを特別だとも主人公だとも思っていないつもりであった。だが、心の中のどこかに自分だけは違う、自分だけは大丈夫という油断――いや、驕りがあったのだ。その結果がこれだ。

 偽ロウギスやゴブリンシャーマンとの戦いを無事に乗り越えることができたという経験が、アンカルヤを錯覚させていた。自分は死の危険から離れたところにいると。現実の死には物語のような演出やフラグなどはなく、どうしようもなく唐突で理不尽なものだというのに。


「だ……、それ……、だか……」


 アンカルヤの視界はぼやけ、音は遠ざかる。

 自分は何を見ているのだろう?

 自分は何を聞いているのだろう?

 記憶と思考を留めておくことができない。次々と欠落していく。

 消えていく、崩れていく。

 自分は今まで何をしていたのだろう?

 何かするべきことが、あったはず。

 早く学校に行かなければ遅刻する?

 いや、それは違う気がする。

 だが、どこかに行かなければならないことは間違いないはずだ。

 ああ、そうだった。元の世界に帰らなくてはならないのだ。

 ところで、元の世界とは何だろう?

 しかし、名前を思い出せない誰かと、そう約束したのだ。皆で共に帰ると。

 その約束は果たさなければならない。

 記憶が消えて、思考が止まる。

 それでも、大切な約束があることは、まだ覚えている。

 そして――。


 それでもまだ、死を回避できる可能性は残されていた。

 それは、アンカルヤが『彼』と出会うよりも以前に服薬している魔法薬。

 バニラの王冠物語には存在しない、錬金Modの追加アイテム。

 蘇生の霊薬である。






 錬金術の到達点の一つに、不老不死の霊薬(エリクサー)がある。アンカルヤは、とても変則的な形ではあったが、その領域に到達していた。

 だが、この霊薬は実在しない。

 いや、存在できないといったほうが正確だ。

 生と死という命の基本ルールに違反する不老不死の霊薬は、世界を破壊しうる可能性として第四紀の制約により存在を許されないのだ。

 しかし、この制約も不老不死を夢見る人間の欲望を止めるほどのものではなかった。

 第四紀の錬金術師たちは、不老不死の霊薬に第四紀の制約を回避する調整を施したのだ。それが、アンカルヤが口にした蘇生の霊薬である。

 世界からの制約を受けずに不死を実現する万能薬。

 もちろん、現実にそのような都合のよい話はない。蘇生の霊薬は世界から存在を許容される代償として、不老不死の霊薬にはない、とても重い副作用があった。

 不老不死の霊薬がこの世界に存在できないのは、世界の基本的なルールを逸脱しているからだ。ならば、そのルールを守った上で不死を実現すればよい。それが、蘇生の霊薬の基本的な考え方だ。

 例えば、石をハンマーで砕いたとしよう。それで石を殺したとはいわない。なぜなら、そもそも石は生きていないからだ。

 つまり死は、生を前提とした現象なのだ。

 ならば死の前に生も否定すれば、世界の定める命のルールに違反することもない。

 生きていないから、死なない。

 至ってシンプルな理屈であり、そして世界のルールにも反していない。

 だが、この生の拒絶こそが、蘇生の霊薬の致命的な副作用でもあった。


 そもそも生とはなにかといえば、死を先延ばしにするための行為であり、こちらもまた死を前提とした現象だ。生と死は表裏一体なのだ。

 生を手放す。それは、食事も睡眠も家族も友人も恋人も仕事も遊びも趣味も夢も希望も愛も、凡そ生きるという行為の全てを無意味で無価値とすることだ。

 この、生の意味の消失こそが、蘇生の霊薬の副作用である。

 アンカルヤの錬金術の師は、この副作用を不生不死毒と呼んでいた。何かと意見の合わない師弟であったが、これについては彼女も同意するところであった。

 蘇生の霊薬は生と死を殺す毒なのだ。


 この副作用にも、対策がないわけではない。蘇生の霊薬の研究と開発の大半は、副作用の対策で占められていた。

 蘇生の霊薬の副作用対策、その理屈はとても単純だ。

 死の否定と生の否定がセットであるなら、死の否定を最小限に止めればよい。そうすれば、生の否定も最小限ですむ。ただそれだけである。

 この霊薬は服薬した時点では死を否定することもなく、いかなる効果も現れない。その効果は、服用者の死に反応して発動する。

 蘇生の霊薬の服用者が死亡したとき、一時的に不死の効果を発動させて死を否定することで蘇生を行う。薬の発動時点で服用者は既に死亡しているのだから、生の否定については今さらのことである。そして蘇生後に不死と不生の効果を停止する。

 こうして不死の効果時間を最短に止めることで、不生という副作用を最小限に抑えるのだ。

 そう、あくまで最小限だ。

 たとえ短時間であっても生を否定する以上、この副作用から逃れることはできない。蘇生の霊薬の副作用は、減らすことはできても、なくすことは不可能なのだ。

 いや、正確にいえば可能ではある。この副作用をなくしたものこそが、不老不死の霊薬である。

 つまり、蘇生の霊薬は完成度を高めて副作用をなくすなどの改善を行うと、世界から存在を否定されて効果を失ってしまうのである。なので、問題点や欠点が明確であっても、それを根本的に改善することはできない。この薬は、劣化によって存在することを許されているのだから。

 蘇生の霊薬は、どれほど研究を重ねても決して完成に至ることのできない魔法薬なのだ。


 このように意図的に不完全な薬であるが故に、蘇生の霊薬の効果は著しく不安定だ。

 そもそも副作用の心配をする以前に、肝心の蘇生効果の発動に保証がない。魔法薬が効果を発動せず、服用者が死に至ることも珍しくはない。

 そして蘇生に成功したとしても、次に副作用の問題が待っている。短時間であっても生を否定したという事実は必ず影響を残す。そしてその影響がどのようなものであるか、どの程度のものであるかを事前に予測することはできない。

 蘇生の霊薬の効果は、その副作用も含めて実際に発動するまでわからないのだ。

 そしてアンカルヤは今までに一度も死亡したことがなかった。したがって彼女が服用している蘇生の霊薬も発動したことがない。そのため、その効果についても全くの不明であった。

 だが、こうして蘇生の霊薬の問題点を再確認したところで、今の状況でアンカルヤに対処できることなど何もない。蘇生の霊薬の効果については、もはや全てを運命に任せるのみだ。

 もしアンカルヤにまだできることが残されているとすれば、それは天に祈ることだけであった。

 しかし、彼女の神は死を司る女神リカノアである。死を拒む祈りが届くことはないだろう。


なんとも中途半端なところになりますが、今回で第一章は終了です。

お話の内容ではなく、主人公の死で章を区切りました。

投稿開始時点では、第一章は半年から十ヶ月程度で終わる予定でした。まさか二年以上もかかるとは想定外もいいところです。


今回、明らかにおかしな描写が一箇所ありますが、これはミスではありません。

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