終わり・3
アンカルヤたち三人は北の風景に目を凝らしたが、ここからではまだ遺跡街は黒っぽい何かとしか判別できない。
「ゲームとは少し雰囲気が違うように思えるが……」
「ロウギスの目には、この距離からでも街の様子が見えるのか? 私にはまだ遠すぎて、街並みはわからない」
「いや、なんとなくそう感じただけだ。俺だって、まさかこの距離では何もわからないさ。ゲームならLODでビルボードもまだ表示されないくらいの距離だぞ」
アマギリイナもアンカルヤたちの横に立ち、遠くの遺跡街を望む。
「確かに、遺跡街の様子はゲームとはかなり違います。はじめて遺跡街を訪れたプレイヤーは、みなさん驚きますから」
「まって、アマギリイナちゃん。それ以上は言っちゃダメ! 到着してからのお楽しみが台無しになっちゃうよ」
「そうですか? まあ、サリイユがそう思うのでしたら、私もこれ以上は黙っておきましょう」
「そのような話を聞かされては、余計に気になるのだが。だが、二人がそう言うのであれば、遺跡街の様子については聞かないでおくことにしよう」
ゲームで見慣れた遺跡がどの様に実体化しているのか、それを見るのが楽しみだという気持ちは確かにある。なので、事前に情報を制限しておいたほうが楽しめるというサリイユの意見に、アンカルヤは賛成しておくことにした。
昼食を終え、滝の飛沫に濡れていた衣服も既に乾いている。そもそも大して疲労はなかったので、休息は程々で十分だ。
食事の後片付けを手早く済ませると、荷物をまとめて出発の準備を整える。
そして一行はクレーン施設の管理人に出発することを伝え、北への移動を再開した。
いよいよ遺跡街への最後の行程である。この後は、遺跡街に到着するまで、他に立ち寄る場所はない。
幾重に連なる丘の稜線にそって、遺跡街への道が続いている。
森の中の道とは違い、草地の上の道は見た目にわかりにくい。だが、道に沿って五十メートルから百メートルほどの間隔で目印となる石柱が立てられているので、それを繋ぐように進めば道を見失うことはない。
アマギリイナが後ろに続く一行を振り返り、注意を促す。
「ここから先は周囲の見晴らしがきく開けた地形を進むので、森の中のようにゴブリンなどの奇襲を警戒する必要は、ほぼありません。ですが、安全だという保証もないので、油断はしないでくださいね」
「わかった。ところで、まだ遺跡街まで随分と距離があるが、このペースで今日中に着けるのか? この先、幾つも丘を越えなければならないのだろう?」
アンカルヤの心配に、サリイユとアマギリイナの二人は大丈夫だと頷いた。
「見た目はまだ遠くに感じるけど、人の歩くスピードは意外と早いから大丈夫だよ」
「人間の持久力と長距離移動能力は優秀ですからね」
この道を何度も歩いている二人がそう言うのであれば、その通りなのだろう。アンカルヤの心配は、杞憂に過ぎないということだ。
草と岩に覆われた無数の丘が、まるで波のように重なり合っている。その表面を、雲の影が北から南へとゆっくり流れていく。リフィリシアが丘の裾野に狐の親子を見かけたと言ってはしゃいでいる。
丘の合間にある湖と川は、空の青と雲の白を映して輝いている。水辺では、様々な動物たちがのんびりとくつろいでいた。
アンカルヤはリラックスした気分で高い空を見上げた。少し冷たい向かい風が、じんわりと汗の浮かんだ肌に気持ちよい。
気候も景色も平穏そのもので、ちょっとしたハイキング気分だ。これほどゆったりした心地でこの島を歩くのは、この世界に来てから初めてのことだった。
先頭を進むアマギリイナが、歩を緩めてアンカルヤたちを振り返った。そして躊躇いの表情を見せてから、視線を前方に戻す。
「――遺跡街に着く前に、あちらの勢力状況について簡単に説明しておきますので、気に留めておいてください」
「いいのか? お前たちはその話を避けていたから、こちらからも話題にしないように気を使っていたのだが」
ロウギスがアマギリイナの背に問いかけた。彼は戸惑った様子であったが、それはアンカルヤも同じだった。
遺跡街に到着する直前というギリギリのタイミングで、アマギリイナがこれまで避けてきた話題を今さら持ち出してきたのは何故だろう。
アマギリイナは暫しの沈黙の後、小さく息を吐いた。
「よいのかと問われれば、よくはありません。これは新人勧誘についてのルール違反です。ですが街に着いてから、また一昨日の夜のようなことがあったら、みなさんが何も知らなければ適切な対応も取れないでしょう? 常に私たちが側にいてフォローができるならともかく」
「一昨日の夜のようなこととは、同郷会がどうこうと言って男が絡んできたことか?」
「はい。なので、基本的な情報だけを到着前に伝えておきます。流石に詳細までとなると長くなりますし、私の主観が入ってしまうことを避けられませんから」
「いや、それだけでもとても助かる。詳細については、必要なら自分で確認するから構わない」
アマギリイナによると、現在、迷宮島には大まかに数えて六千人ほどのプレイヤーが存在していて、その大半が遺跡街で生活しているそうだ。
一つの土地に人が多く集まれば、そこに大小様々なグループが生まれ、やがて社会が形成される。
遺跡街はいくつものクランやパーティーの集まりによって構成されているが、それらは大まかに三つの勢力に分類される。
同郷会派。
女子会派。
そのどちらにも与さない中立派。
「簡単に説明しますと、同郷会は、特にこれといった目的はないものの、とりあえずなにかのクランには属していたいというプレイヤーの集まりです。つまり、集団であることを手段ではなく目的としている集団です。ちなみに、これが遺跡街で最大のクランでもあります」
「で、私とアマギリイナちゃんの所属している女子会だけど、これは女性キャラクター同士の互助組織ね。王冠物語のプレイヤーは大半が男性で、つまり女性キャラクターも大半は男性プレイヤーだから、不慣れな女性としての生活に戸惑うことや困ることも多いんだよね。だから互いに助け合おう、というのが女子会というクランね」
「とはいえ、女子会の入会条件は女性であることのみで、元男性であることは条件ではありません。女性のプレイヤーでも、入会は可能です。元男性だけに限定する理由はありませんからね」
「遺跡街の大まかな勢力図としては、同郷会派が三割、女子会派が二割、中立派が五割くらいかな? かなり大雑把だけど」
同郷会と女子会。二つのクランの概要については、アマギリイナたちの説明で大体わかった。
しかし、ここまでの話では最も肝心なことが説明されていない。
「説明を聞いても、俺には理解ができないのだが。単に集まりたいだけの集団と、女性同士の互助組織。何故、この両者が対立するのだ?」
「そうですよね。対立する理由がわかりません」
ロウギスとリフィリシアの疑問に、アマギリイナは説明を続けた。
「同郷会派は自警団派、女子会派は石塔警護隊派と言い換えたほうが、この対立はわかりやすいですね。自警団は同郷会内の有志による遺跡街の警備組織。そして石塔警護隊は、女子会の会員と拠点周辺の警備を目的としたクランです」
「注意しておいてほしいのは、自警団は独立したクランではなく同郷会の一部で、石塔警護隊は一応表向きは女子会とは別の独立したクランだということね。遺跡街に住んでいる人でも、この違いを知らない人が以外といるのよね」
そしてアマギリイナとサリイユは、この二つの組織の歴史を語る。
迷宮島へのプレイヤーの転移現象が始まったのは、今から二年ほど前のことだ。
先程、出発前にロウギスとアマギリイナの会話にあったように、この現象は一斉転移ではない。
「理由は不明ですが、私たちの転移には時間差があります。最初のころは、遺跡街にたどり着いたプレイヤーの数は百人にも満たなかった。しかし、時間とともに遺跡街の人口は徐々に増加します。そして住人が増えれば、住人同士のトラブルも増加します。やがて、遺跡街の住人の間で治安を守るための警察的なシステムを望む声が高まります。それに応えるべく組織されたのが、自警団です」
警察的な組織を作るにあたって、その役割を担うことになったのが同郷会だった。同郷会が政治的な主張を持たず、遺跡街において最大のクランであったことが、その理由だ。
こうして同郷会の有志により、遺跡街の治安維持を目的とした自警団が組織され、そして活動を開始した。
「話を聞く限りでは特に問題があるようには思えないが、何処に対立の理由があるのだ?」
「問題は、自警団の活動方針ですね」
自警団の設立時、その活動が同郷会による遺跡街の支配につながるのではないかという懸念の声があった。そのため、自警団の活動には多くの制限が設けられた。
基本的な方針として、遺跡街でのトラブルは当事者同士の話し合いで解決するものとし、自警団の介入は最小限に留めることとする。
皮肉なことに、この平和的で慎重な自警団の活動方針が、遺跡街を二分する対立の原因となった。
「厳しすぎる自制は、治安の維持という目的を達成する上で足枷でしかなかった。初めは期待されていた自警団の活動ですが、一向に思うような成果は得られず、その期待が失望に変わるまでに時間はかかりませんでした」
女子会は当初、自警団の活動にもっとも期待を寄せていた集団だった。
遺跡街における男女比は男性七割に対して女性が三割程度。数で劣勢の女性は遺跡街での立場が弱く、常に様々なトラブルに悩まされていた。
それだけに自警団への期待は大きく、設立にも協力的だった。
しかし、その期待は裏切られることになる。
自警団の慎重すぎる活動は、様々な問題を解決できずに長期化させるだけであった。役に立たないだけならまだしも、ときには自警団の活動が状況を悪化させることすらあった。
自警団への失望は、同郷会への失望でもあった。当時はまだ同郷会内の女性会員の集まりであった女子会は、同郷会から離れてクランとして独立することを決定。同時に女子会の会員と拠点の警護を目的としたクランを新設する。それが、石塔警護隊だ。
「その話も、聞く限りでは奇妙に感じられるわね。遺跡街の治安維持を目的とする自警団と、女子会を対象とした警備組織が、なぜ対立関係になるのだ?」
「自警団の活動に失望していたのは女子会だけではありません。そのような人たちの期待が石塔警護隊に向けられ、警護隊もそれに応えようとした。それが両組織の対立の起点です」
「女子会の安全を守るには、遺跡街の治安の安定が必須という考え方だね。拡大解釈もいいところだけど、間違いでもないんだよね」
女子会の拠点は遺跡街にあり、会員もそこで生活している。つまり、遺跡街の治安は女子会の安全と直結している。それは事実であり、間違ってはいない。
だからこそ石塔警護隊は女子会の警護に留まらず、遺跡街の治安維持にまで活動の範囲を拡大したのだ。
そうなると、自警団と石塔警護隊の活動は全面的に重複することになる。
「だが治安維持という同じ目的をもつ組織同士であれば、対立ではなく協力という関係を選べるのでは?」
「不可能ですね。そもそも石塔警護隊は自警団に対する失望から生まれたクランです。両者の活動方針は根本的に相容れません」
「どちらも遺跡街の治安維持という活動目的は同じだけど、対立の理由は目的ではなく手段にあるんだよね」
石塔警護隊についてアンカルヤが知っていることは、ゴブリン討伐隊に参加していたウッドエルフの少年との会話で聞いた名前くらいだ。活動の内容などについては何も知らない。
「石塔警護隊の活動方針とは、どのようなものなのだ?」
「端的に言ってしまえば、自警団の真逆ですね」
石塔警護隊は、自警団のように自縄自縛から機能不全に陥るこを避けるため、活動に対する制限がとても緩い。
自警団は問題の解決を当事者同士の話し合いで目指すのに対し、石塔警護隊はまず力ずくで問題を制圧してから、その原因について調査を行い解決を目指す。
例えば喧嘩であれば、双方の間に割って入り事情を確認して仲裁を行うのが自警団。双方をぶん殴って無理やり喧嘩を止めるのが石塔警護隊なのだ。
このような石塔警護隊の強引な活動に対しては、批判の声も少なくない。
だが、石塔警護隊の活動開始から間を置かず、遺跡街の治安は目に見えて改善した。
そのため、石塔警護隊の活動開始以前と以後の遺跡街を知る者の大半は、警護隊の活動を支持している。どれほどの批判を受けようが、遺跡街の住人の期待に応えて治安を維持しているという実績は大きいのだ。
自警団は石塔警護隊の強引な活動を事あるごとに非難しているが、期待されていた成果を出すことのできなかった彼らが実際に成果を出している警護隊に何を言ったところで、それは負け犬の遠吠えでしかなかった。
「なにかと役立たずと言われる自警団だけど、同情の余地もあるんだよね。もともと同郷会は、クランなんかに所属していない人たちがとりあえず集まっただけの無目的集団だから」
「つまり同郷会は、何らかの目標の達成を目指して行動できる組織構造ではないので、そもそも治安維持のような役割を担える組織ではないのです。ただ中立的で最大規模のクランであったがために、貧乏くじを引かされてしまったというのが実際のところです」
アマギリイナとサリイユは随分と言葉に気を使った言い方をしているが、要するに同郷会は図体がでかいだけの烏合の衆ということだ。
それ自体は何も悪いことではないし、当然だが他人に非難されるようなことでもない。
問題は、自身の能力を見誤り手に余る責務を負ってしまったことだ。
「これは結果を見た後の後知恵なので偉そうなことは言えませんが、同郷会は治安維持の役割を求められたとき、断るか、それ目的の別組織を新設するべきだったのです」
「あっ、治安組織を同郷会の外で新設するという案ならあったらしいよ。そのことで当時の同郷会はかなり揉めたとかなんとか」
「その話は私も聞いたことがありますが、当時の同郷会上層部でどのようなやり取りがあったかについては噂話の域を出ません」
「その案を主張していた人たちが、今の融和派らしいよ」
「それは初耳です。サリイユ。あなた時々、妙な情報を持っていますね」
これまでにアンカルヤはプレイヤー同士の意味不明な対立を度々目にしてきたが、その理由がようやくわかった。
実にくっだらない話だった。
平和を求めて対立を生むなど、本末転倒も甚だしい。
当事者たちは大真面目なのかもしれないが、他人事であるアンカルヤに言わせれば、バカバカしいの一言しかなかった。
それに見方を変えれば、これはそう悪い状況でもない。目的の対立と違い手段の対立であれば、目的を共有している限りは決定的な決別に至る可能性は低いからだ。
どれほどしょうもない対立であっても、シリアスな対立よりは遥かにましだ。
アンカルヤたち一行は遺跡街の各勢力についての話を続けながらも、足を止めることなく北に進んでいた。
いくつもの丘を登り、そして下る。
そうして島の中央に近づくにつれて次第に標高は高くなり、寒さも増す。周辺の窪みや岩陰には雪が溶けずに残っている。
言葉と共に口から出る息は白い。
アンカルヤはさり気なく振り返り、すぐ後ろを歩いているリフィリシアの顔色をうかがう。彼女は肩で息をしていたが、一昨日のように無理をしている様子はなかった。
「自警団の活動方針については、自警団の内部にも改善を求める声があり、彼らも一枚板ではない――」
「まって!」
サリイユが立ち止まり、緊張の滲む声色でアマギリイナの話を断ち切った。
「西の丘の尾根!」
彼女の短い言葉に反応し、四人も歩みを止めて西に視線を向けた。
百メートル以上離れた隣の丘の上に、なにか動くもの見える。
二つ、いや三つの影だ。
「……ゴブリン」
サリイユの一言に、緊張が走る。
弓の弦に矢筈をかけるサリイユの隣で、アマギリイナも腰のレイピアに手を添える。
「どう?」
「向こうもこちらを見ているけど、この遭遇に慌てる素振りもなく、冷静にこちらの様子を窺っている。人間を見慣れている感じだし、たぶん地元のゴブリンだ。南の森のじゃない。これなら戦闘にはならないと思うよ」
「どうして戦闘にならないと言えるのだ?」
「断言はしてないよ。でも襲撃が目的なら、この距離で姿を晒したりはしない。この辺りで生活しているゴブリンは人間が強いことを知っているから、太陽の下の見晴らしのいい場所では襲ってこないわ」
「なるほどな」
サリイユの説明にロウギスが納得する。
「この状況で様子を見ているということは、あちらも戦闘は望んでいないはずだよ」
しばらくすると、サリイユの予想通りゴブリンは丘の向こうに姿を消した。
それを見て、彼女もつがえていた矢を下ろす。
「こちらに戦うつもりがないことを察して退いたわね。わたしたちも急いで移動しよう。あれは斥候。丘の向こうには群れの本隊がいるわ。群れの規模が不明なうちは、油断はできない」
アマギリイナがアンカルヤの右腕にそっと触れる。
「落ち着いてください。サリイユは普段はアレな娘ですが、こういう状況での判断は信用できます。おそらく戦闘にはなりません。まだ安全と言える状況ではありませんが、もう少し気を楽にしても大丈夫です。それに万一戦闘になっても、私たちの戦力なら十分に対応可能です」
相手を安心させようとする優しい声に、なぜ自分にだけそのようなことを言うのかとアンカルヤは不思議に思い、そして気が付く。彼女は無意識のうちに片手斧を手に取り、強く握りしめていた。その腕は小さく震えている。
アンカルヤは息を吐いて肩の力を抜くと、斧を腰のホルダーに戻した。だが意識はまだ西の丘に向いたままで、その瞳はゴブリンの残像を追っている。
ロウギスの大きな手がアンカルヤの肩に乗せられて、彼女の体がビクッと震えた。
「大丈夫か、アンカルヤ。様子が変だぞ?」
「あ、いや、うむ。すまない、少しぼんやりしてしまったようだ」
こわばった笑みを見せるアンカルヤに、ロウギスとリフィリシアが心配そうな表情を向ける。
アマギリイナは、すでに北に向かって移動を再開していた。アンカルヤは慌ててその後を追って歩き出す。二人の視線から逃げるように。
アンカルヤはゴブリンとの戦闘に恐怖を感じていたし、それを回避できたことに安堵もしていた。
だが、それだけではなかった。本当に少しだけだったが、落胆もしていたのだ。それは、戦いにならなかったことに対する落胆だった。
ゴブリンの群れと戦ったあの夜、あの戦闘の高揚感と興奮をまた楽しみたかった。敵を暴力で一方的に捻じ伏せる、あの快感に酔いしれたかった。
良いか悪いかは別として、この感情があれば自分はこれからも戦うことができるだろう。
彼女は自分の中で目覚めつつある凶暴な感情を自覚して、危惧と同時にわずかばかりの安堵も感じていた。
ゴブリンとの遭遇後、アンカルヤたちは歩度を早めて北に進んでいた。リフィリシアには少し辛いペースかもしれないが、それよりも今は先程のゴブリンたちから距離を取ることが優先だった。
そして三十分ほどが経過したところで、先頭のアマギリイナが再び足を止めた。
「どうした?」
そう尋ねながらアマギリイナの視線の先を追ったアンカルヤは、彼女が足を止めた理由を察する。
今度は正面、アンカルヤたちの進む道の先に人影が見えた。
「どうやらゴブリンではなく人間のようですが、野良? だとしたら面倒ですね」
「たぶん違うよ、アマギリイナちゃん。普通の野良は、あんなに堂々とこの道を使わない。傭兵団の人とかなら別だけど。多分、遺跡街から来た人たちだよ」
二人の会話に含まれていた聞き慣れない単語に、アンカルヤが眉をひそめる。野良の人間という表現は、あまり気分のよいものではない。
「野良とは?」
「遺跡街で犯罪行為を行い、自警団や石塔警護隊によって街から追放されたプレイヤーのことです」
アマギリイナの説明を、サリイユは鼻で笑った。
「それは違うよ、アマギリイナちゃん。野良っていうのは、遺跡街の住人が街の外に住んでいる人たちを見下す言葉だよ」
「遺跡街以外の住人とは、西の海岸を拠点にしているという兎のうろ傭兵団のような人たちのことかね?」
「それは――、傭兵団が野良かどうかは人によるとしか。私個人の意見としては、彼らまで野良とするのは違うと思いますが……」
アンカルヤの質問に対するアマギリイナの答えは、なんとも歯切れの悪いものだった。
野良。
犯罪行為を犯して街を追放された者と、自分の意志で街の外で生活している者を区別せず、まとめて同じく扱うのは気に入らない。アンカルヤは不愉快そうに眉根にしわを寄せた。
「――あっ」
正面からこちらに向かって来る人影が次第にはっきりと見えてくると、リフィリシアが興奮した様子で歓声に似た声を上げた。
その気持ちは、アンカルヤにも理解できた。実際、彼女も声にこそ出さなかったものの、心の中では歓声を上げていた。
近付いて来た人影は四人。
身に纏っている装備から見て、パーティーの編成は戦士、斥候、聖職者、魔術師だ。
最近では見かけることも少なくなったが、それでもこれは、多くのRPGでお馴染みの冒険者パーティーの定番であり王道の組み合わせだ。
いうなれば、ファンタジー冒険物語の正統派主人公である。
それが現実に存在して、いま目の前にいる。
ミーハーなRPGファンの魂に、これは回避不可能のクリティカルヒットだ。テレビの中でしか見たことのない人気アイドルの姿を、初めて生で見たファンのようなものである。
超やべえ! マジで本物の冒険者じゃん! サインもらわなきゃ!
それが、アンカルヤとリフィリシアの今この瞬間の心境であった。
北からやって来た冒険者の一行は、アンカルヤたちと言葉を交わせる距離まで近づいたところで足を止めた。
彼らの先頭に立つ戦士は、顔立ちにまだ少年の面影を残す若い男だ。彼は片手を上げ、アマギリイナに親しげに声をかけてきた。
「昨日、街に帰還してきたゴブリン討伐隊が心配していた後続だな。何も問題がなければ、この道の途中で出会えると思っていたよ。無事な様子で何よりだ」
「みなさんは遺跡街から?」
「ああ、そうだ」
どうやら帰還部隊は、一日遅れで後に続くアンカルヤたちのことを随分と気にかけてくれているようだ。遺跡街から南に向かう者にも、彼女たちのことを知らせておいてくれたらしい。
「みなさんのお名前は知りませんが、見覚えはあります。リゴウズの台所の方ですよね?」
「そのとおり。俺はコルンド。そういう君も、見覚えがあるね。確か女子会の――」
「はい。女子会所属のアマギリイナです」
挨拶のついでに雑談を交わすような時間の余裕は、双方ともになかった。お互いの自己紹介は手早く済ませ、速やかに情報交換に移る。
コルンドたちは今朝、第一採集基地からのゴブリン北上の報告を受けて、その確認に向かうところだそうだ。第一採集基地に到着後は、数日かけて森の中に点在する各採集基地を巡回して状況を調査する予定らしい。
「アマギリイナさん、南方の最新情報があれば聞かせてもらいたい。今朝の報告の後に、なにか状況に変化などは?」
アマギリイナは彼らに、つい三十分ほど前にゴブリンの斥候を見かけたことを伝えた。
「おそらく元々この近辺に縄張りを持つ群れです。南から北上しているゴブリンは、まだ森を出ていないと思われます。昼前に崖際の起重施設に立ち寄りましたが、まだ南方のゴブリンの姿は確認していないそうです」
「まだ?」
「時間の問題だろう、と施設の管理者が言っていました」
「なるほど。貴重な情報、感謝です」
すでに目的地である遺跡街に近いアンカルヤたちとは違い、これから日没までに第一採集基地に到着したい冒険者たちには時間の余裕ない。彼らはアマギリイナの後ろにいたアンカルヤたちにも関心がある様子だったが、結局そのことは話題に出さなかった。お互いに時間を優先し、必要最低限のやり取りだけで会話を切り上げることにしたのだ。
「遺跡街までは後少しだ。無事な姿を帰還部隊の連中に見せてやってくれ」
「あなたたちこそ、採集基地まではまだ距離があります。十分に気をつけて」
「うん、ありがとう」
簡潔に別れの挨拶を済ませると、冒険者たちは南に向かって足早に去っていった。
手を振ってその後ろ姿を見送りながら、リフィリシアが心配そうに呟いた。
「あの人たち、大変な任務を任されていましたけど、四人だけで大丈夫でしょうか? さっき私達が見かけたゴブリンと遭遇したら……」
「リゴウズの台所は高レベルプレイヤーの集まるクランですから、その成員が四人もいれば大抵の状況に対応できるでしょう」
「うん、そうだね。あのパーティー構成ならほとんどの問題には対処できるから、心配はいらないわ」
確かに、彼らはベテランの冒険者といった雰囲気を漂わせていた。心配など、余計なお世話だろう。他人の心配をする余裕があるなら、自分たちの心配のほうが優先だ。
そしてアンカルヤたちは、南に向かう四人の冒険者に背を向けて北への移動を再開した。
コルンドたちと別れてから、二時間ほどの時間が経過した。その間にアンカルヤたちは、いくつもの丘を踏破していた。
そして彼女たちは、ついに遺跡街に向かう道の最後の丘の頂に立っていた。ここを下れば、いよいよ遺跡街である。
太陽はかなり西に傾いていたが、それでも日没までにはまだかなりの時間が残っている。
アマギリイナの言う通り、人間の歩行能力は意外と優秀だということをアンカルヤは実感していた。
崖際の小屋の裏からは、遺跡街は遠くにある黒い何かとしか見えなかった。
その街の姿が、この丘の上からならばはっきりと見渡すことができる。
この島の迷宮は、第三紀の初期に赤煙の国というドワーフ族の王国によって建設された。それは完成までに数十年を要した国家事業であった。
そして今は遺跡となって目の前にあるこの街は、迷宮の建設に携わる者とその家族が生活するために用意されたものであった。
山裾の斜面に沿って造られた高低差のある街は、その大半が水中に沈んでいた。
ゲーム内でも街の遺跡の一部は水没していたが、あくまで一部だ。アンカルヤの目に映る光景は、それとは規模が桁違いだった。見た限り、街全体の七割ほどが水に覆われている。
「ほとんどが水の底か……」
街の様子を目の当たりにして、ロウギスが呆然と呟いた。
はじめて遺跡街を訪れたプレイヤーは、みなさん驚きますから。
アマギリイナはそう言っていたが、確かにこの光景は驚きに値するものだった。
この水没は街の廃墟化に伴う自然現象などではなく、明らかに人為的なものであった。
遺跡の街は、巨大な堤防で囲まれていた。
まるで街の防壁のようにも見える石造りの堤防は高さ七十メートルを超え、その内に大量の水を湛えている。
街の大半は堤防内の水中に沈んでおり、最も高所に位置する北の区画だけが水の上に姿を見せている。
「これは……。ゲームで見た景色とは、全く違うわね」
目の前に広がる光景にアンカルヤたち三人は息を呑む。
「すでにご存知とは思いますが、この世界はゲームの内容を忠実に再現しているわけではありません。不足や不明な部分は補完され、矛盾は修正されています。この街の水没も、そのような修正の一例と思われます」
「だが、この水没で何が修正されるというのか。街が堤防で囲まれていることから、この水没が意図的なものであるということはわかる。だが、その目的がわからない」
「それは、ですね――」
これは状況からの推測であり確証があるわけではありませんが、という前置きからアマギリイナはこの街の現状に至る経緯を語った。
この街は、迷宮建設のために用意された街だ。なので建設作業が終われば、迷宮の維持と管理に必要な最小限の施設を除き、街の大半は不要になる。
とはいえ、かなり大規模な街だ。その殆どを解体するとなると大変な手間がかかる。それよりは、街をそのまま水に沈めてしまうほうが簡単だった。
そのために、迷宮建設中は防壁として機能し、完成後は街を水に沈めるための堤防で街全体を囲ったのだ。そして迷宮の完成後、警備やメンテナンス等に必要な施設だけを地上に残し、街は水底に封じられた。
「わざわざ水に沈めなくても、使わないだけなら街は放置しておけばよいのでは?」
リフィリシアの疑問に、アマギリイナは首を横に降った。
「いいえ。無人化した街をそのまま放置すると、迷宮周辺に安全性の問題が発生します。無人の建物が野生動物やゴブリンなどの妖魔の住処となることを予防するための対策が必要でした。そのために、街全体がこうして水に沈められたのだと思われます」
「確かに、廃棄されたドワーフの遺跡がゴブリンなどの住処になるというのは、よくある話しだ」
この水没案には、解体などの他の対策にはない長所があった。
それは、堤防内の水を抜くだけで街の再利用が可能になるということだ。もし迷宮の補修工事などで再び作業者を多数集めなくてはならなくなった場合に、街の再利用が容易だというメリットは大きい。
「実際、過去に二回、街を再利用するために堤防の水が抜かれています」
「二回?」
「もしかしたらもっと多いかもしれませんが、私たちが確認している回数は二回です。この迷宮は第三紀初期に第六層までが建設され、その後第三紀の終わりに第九層まで拡張されました。その拡張工事の際に、この街の水は一度排水されています」
この世界の迷宮の第七層以下も、ゲームと同じく後から追加されたものらしい。
王冠物語の発売当初は、冒険の舞台となる迷宮は地下六層までしか存在しなかった。
その後、ゲームのボリューム不足を補うための無料DLCが配信され、エンドコンテンツとして迷宮の第七層から第九層が追加されたのだ。
「そして、二回目の排水はつい最近です。私たちプレイヤーが、この街を利用するために水門を開放しました。とはいえ、私たちの生活空間だけを確保できればそれでよかったので、排水を行ったのは街の上層部のみですが」
「この街が造られたのは、第三紀の初期なのだろう? それほど昔に造られた設備が、未だに稼働するのか?」
「ドワーフ建築の驚異ですね」
「――ちょっとまってくれ。話が横道にそれてしまうが、今の話に気になるところがある」
ロウギスが片手を軽く上げて会話に割り込んできた。
「なんでしょうか?」
アマギリイナが小さく首を傾げた。
「迷宮の拡張についてだ。王冠物語では、ゲーム内容の不足をユーザーから指摘されたことが迷宮拡張の理由だった。まさか現実化したこの世界でも、同じ理由で迷宮の拡張が行われたのか? しかし、迷宮の拡張が行われたのは第三紀の末期だと言っていたが、それは巨人戦争で世界が滅亡の危機に瀕していた時期だ。迷宮の拡張など行える状況ではなかったはずだが?」
この島の迷宮は、赤煙の国の王位継承権を持つ者に対し、その資質を問う試練の場だ。
迷宮の複雑で高度な構造は、赤煙の国の文化と歴史と技術に精通していなければ攻略はおろか生還すら不可能だ。そして無数の試練を乗り越えて最奥に到達し、『一つの石の王冠』を手にした者だけが次代の王と認められるのだ。
その迷宮がゲームと同じ理由で拡張されたとすれば、王位継承の試練のボリューム不足を誰かが指摘して、それに対応したということになる。
これはどう考えても、世界滅亡の危機のさなかに行うことではない。
だとすれば、迷宮の拡張は新王の選定とは別の目的によるものである可能性が高い。
「その疑問は当然です。当時の資料が残っていないので詳細は不明ですが、おそらくはそれだけ重要な何かが、この迷宮にはあるのでしょう」
「うん? 資料がないのなら、どうして迷宮の建設と増築の時期がわかるのだ? いや、建設時期に関してはゲーム内でも第三紀初頭と明言されていたが、第七層以下の増築時期についての情報はなかったはず」
「増築の時期は、迷宮の七層以下に用いられている建設技術や様式から推察できるのだそうです」
「なるほど」
だが、そこからわかるのは建築と増築の行われた時期だけで、増築の目的まではわからない。
「第七層以下を増築した理由については様々な説が語られていますが、おそらくその答えは迷宮の最奥にあるものと予想されます」
「つまり、それを知りたければ最奥を護る青銅のドラゴン像を倒さなくてはならないということか」
世界の滅亡が目前という状況であっても、それでも迷宮の増築を行う必要がある何かが、迷宮の奥深くに隠されている。
そうまでして迷宮に隠された秘密とはなにか。もしかしたら、それはアンカルヤたちの異世界転移と関係するものかもしれない。
これがゲームであればワクワクするような話であるが、現実となると気が重くなるだけで何も面白くなかった。
最後の丘を下り終えると、遺跡の街並みは巨大な堤防の向こうに隠れて見えなくなる。
堤防の上段と中段あたりには小さめの水門があり、そこから少し離れたところには高さが五十メートルほどある巨大な水門がある。
上段の水門は開かれていて、そこら大量の水が白い飛沫となって堤防の斜面を流れ落ちている。数十メートルの落差を大量の水が一気に下る衝撃で、地面が振動している。小さい水門からの放水であっても、昼前に見た滝が可愛く見えるくらいの迫力があった。
大きな石を積み上げた巨大な堤防を見上げ、リフィリシアが感嘆の息を吐く。
「――これは、すごいですね」
「こうして間近で見ると、この堤防の大きさには圧倒されるね」
「インカのピラミッドみたいだな」
ロウギスの感想に、アンカルヤは以前になにかの写真で見たインカのピラミッドを思い出す。
「そうかな? 形はあまり似ていないと思うが……」
道の先にある堤防の上へと続く階段を見ると、確かにインカのピラミッドに似た雰囲気があるかもしれない。
だが、横に広く長い堤防に、上部の水門から開放される水の流れ。これはどう見てもピラミッドではない。
「では、進みましょう。この階段を登れば、いよいよ遺跡街です」
一行はアマギリイナに促され、堤防を登る階段に向かった。
階段の登り口の両脇には高さ五メートルはある二体のドワーフ小人の石像が立ち、階段へと進むアンカルヤたちを睥睨している。像は長い年月を経て随分と古びているが、それでも堂々たる威容は今なお損なわれていない。
二体のドワーフ像の間を抜けて、石の階段を登る。長年の風雨に晒されてそこかしこに劣化が見られるが、それでもまだこの階段が崩れ落ちるような気配は全くない。さすが、建築にも巧みなドワーフ族の建造物だ。
階段は幅も広く頑丈で足元に不安はないが、ドワーフの足の長さに合わせて一段ごとの高さが小さく、その分だけ歩数が増えてしまい、とても疲れる。ロウギスは、階段を一段飛ばしで登っている。
高さが七十メートルはある堤防の上へと続く階段はとにかく長く、その半ばに差し掛かる頃にはアンカルヤの呼吸も荒くなる。
階段から左を見ると、堤防上部の水門から流れ落ちる大量の水飛沫が見える。その流れを見ていると、足元が動いているように錯覚して体がふらつく。危うく階段から足を踏み外しそうになり、アンカルヤは落ちていく白い水飛沫から慌てて目を逸らした。
白い息を吐きながら階段を登りきったアンカルヤたちを、大きな城門が出迎えた。
堤防の上に建てられた石造りの城門には、典型的なドワーフ建築の特徴が見て取れる。直線的に切り出された立方体の石材が複雑なパズルのように隙間なく組み上げられ、その表面には幾何学的な装飾が施されている。
太い門塔と、鉄板で補強された木製の分厚い扉。城門の上部を見上げると、いくつもの石落としと矢狭間が並んでいる。
随分と堅牢な護りだが、それがアンカルヤには不思議に思えた。なぜ、これほどの防備が必要なのだろうか。
だが考えてみれば、この迷宮は赤煙の国の王位継承の儀式の場である。つまり王国の未来を決定する重要施設なのだ。ならば、これほど厳重な防備も当然のことなのだろう。
城門の前には、見える範囲だけで七人の守衛が控えていた。全員軽装ではあったが、腰には剣を帯びている。
その物々しい雰囲気にアンカルヤは緊張を覚えたが、アマギリイナとサリイユは慣れた様子で彼らに近付いていく。
「女子会のアマギリイナです。南の森のゴブリンの討伐から帰還しました」
「知っている。通ってよし」
「――えっ? あっ、はい」
守衛があっさりと通行を許可すると、何故かアマギリイナは一瞬戸惑った様子を見せた。サリイユも、怪訝そうな表情を浮かべている。
「えっと……では、街に入りましょう」
アマギリイナの先導で一行は城門を通り抜け、ついに遺跡街に足を踏み入れた。
城門の門扉を通り抜けると、一気に視界が開けた。
堤防の内側には、街の大半をまるまる飲み込む巨大な人造湖が広がっている。なみなみと水を湛えた湖面が、西寄りの陽光を反射してキラキラと光っている。水の匂いを含んだ冷たい風が、長い階段を登り終えて火照った肌を冷やす。
目の前には水中の街に続く下りの階段と、湖上を南北に縦断する石造の橋がある。真っ直ぐに伸びる長い橋の果てには、遺跡の街の上層区画が湖の上に浮かんでいる。さらにその先には、高さ三千メートルを超える円錐形の火山がそびえている。その頂は雲に隠れていて、今は見えない。
「これは……言葉も出ないな」
ロウギスの口から溢れた呟きに、アンカルヤも頷いて同意した。
「これが何千年も昔に妖精によって造られた光景だとは、とても信じられないわ」
「元の世界に同じものがあれば、間違いなく世界遺産に登録されていますね」
「少なくもと、確実に世界的な観光名所になっていただろう」
サリイユがアンカルヤたちの前に出てきて、得意げに笑う。
「ねっ、すごいでしょう? この街は、見た目だけはとっても素敵なの」
これこそが、到着してからのお楽しみだと彼女が語っていた光景であった。
しかし彼女はこの街について、カビだとか汚れだとか言って嘲笑ってバカにしていた。
にもかかわらず、今は街の景色を楽しそうに紹介している。
彼女の言動に矛盾を感じたアンカルヤは、ふと気が付く。
さきほど彼女は、見た目だけは素敵と言った。つまり、見た目以外は素敵ではないということだ。
この街で見た目以外の要素というと、思い当たるものは一つしかない。この街の住人、プレイヤーたちだ。
以前アマギリイナは、サリイユの他人に対する刺々しい態度を人見知りと表現していたが、たぶんそれは違う。おそらく彼女の他人に対する態度は、もっと別のなにかだ。
「本当に、すごい光景ですね」
「ああ、そうだね」
目の前の景色に圧倒されているリフィリシアに、アンカルヤも全く同感であった。
街の住人に対するサリイユの評価はともかく、街の見た目の評価に異論はなかった。
これは間違いなく素敵な景色だ。
街の北端にある上層区画と南の堤防の上部を直通で繋ぐこの橋は、とても大きくて豪華な造りだ。足元には平坦に磨き上げられた敷石が敷き詰められ、所々にはめ込まれている彫刻が施された飾りの敷石が単調になりがちな床面に表情をもたせている。橋の中心には、金と銀に輝く金属製の街路灯が等間隔に並んでいる。
この橋は長いだけではなく、横幅も広い。おそらく十五メートルはあるだろう。アンカルヤたち五人が横一列に並んで歩いても、まだ十分に余裕がある。
アンカルヤとリフィリシアは橋の欄干から身を乗り出して、眼下の湖面を一望する。橋の上から水面までの高さは十メートルほどである。
街の建物の大半は水中に沈んでいるが、いくつかの背の高い建物の上部は湖面から上に姿を見せていた。広々とした水面に、疎らに建物の一部だけが浮かんでいる。それは、少し不思議に感じられる奇妙な景色だった。
それから、水中にも目を向ける。
山からの雪解け水が注ぐ湖は透明度が高く、橋の上からでも水の底に沈む街並みが確認できた。立体的に複雑に入り組む街の構造は、人間の街とは随分と趣が異なる。確かにこれは、ドワーフの街だ。
青くて暗い水底で陽炎のようにゆらゆら揺れる妖精の街に、白く輝く陽光がキラキラと舞い踊る。まるで御伽の国を覗き込んでいるような、幻想的な光景だ。
街の通りを無数の魚の影が行き交っている。この魚たちこそ、水底の街の今の住人であった。
「――それで、何が気になるのだ?」
そのロウギスの言葉に、欄干から湖を眺めていたアンカルヤとリフィリシアは橋の上を振り返った。
「気になるとは?」
ロウギスからの問い掛けを受けたアマギリイナが首を傾げる。
「先程、城門の守衛と言葉を交わした際の態度が不自然だった。なにか腑に落ちないことがあったのだろう?」
門番とのやり取りの際にアマギリイナとサリイユが戸惑いの表情を見せたことは、アンカルヤも気がついていた。
「ああ、それは……大したことではありません。ただ、いつもと少し様子が違うと感じただけです」
いつもの様子と言われても、この街を初めて訪れるアンカルヤたちに、その違いがわかるはずもない。
「あの城門の守衛は自警団が担当しているの。で、わたしとアマギリイナちゃんは女子会の会員だからね、挨拶ついでにちょっとした嫌味や皮肉の応酬があるのが普通なの」
嫌な普通である。
「特に今日の門番。あいつは嫌な奴でさ、いつもなら必ず余計な一言が付いてくるはずなんだけどね」
「それが普通というのは少々言い過ぎですが、今回に限ってあの守衛の対応が普段と異なり淡白だったのは確かです。なぜか通行者名簿にサインも求められませんでしたし」
「なんか言動が無感情というか機械的というか……。わたしとアマギリイナちゃんが違和感を覚える程度には不自然だったね」
違和感を覚える。そして、不自然。つい最近、アンカルヤも何かに対して同じことを感じた気がする。だが、思い出せない。何かを見落としている感覚に、眉根を寄せて記憶を探る。
アマギリイナとサリイユの困惑がリフィリシアにも感染したのか、彼女も不安そうな顔をしている。
「よくわからないですけど、なんとなく変な雰囲気は私も感じます」
漠然とした不安と違和感はアンカルヤも感じている。具体的にどこがおかしいと指摘することはできないが。
「違和感というなら、この橋の様子も今日は奇妙ですね」
「そうだよね。この橋の上に誰もいないなんて、こんなのは初めてだよ」
そう言われてアンカルヤも気が付いた。確かに、数千人のプレイヤーが生活している街を目の前にしているというのに、周囲に人の気配が希薄すぎる。
とても静かだ。
大きな湖の上だというのに、水音の一つも聞こえない。
そして不思議なことに、アンカルヤはこれと似た雰囲気を以前にも経験したことがあるように感じた。記憶は曖昧だが、それほど昔のことではないはずだ。それどころか、つい最近のことではないだろうか。
嫌な予感がする。
既視感の正体を見つけようと、アンカルヤは周囲を見回した。
ここは長い橋の半ば。前には遺跡の街。後ろには堅牢な城門。周囲は大きな人造湖。
そして空を見上げたとき、決定的な異常を発見する。
青い空に白い雲。だが空の景色を構成する重要な要素が欠落していた。
湖面には陽光が反射しているにもかかわらず、西の空にあるはずの太陽がどこにも見あたらない。
アンカルヤの心臓が震え、一瞬呼吸が止まる。
「――みな、気をつけろ!」
視線を空から橋の上に戻したアンカルヤは、声にならない悲鳴を上げた。
誰もいない。
リフィリシアも、ロウギスも、アマギリイナも、サリイユも。
アンカルヤ、一人だけ。
「あ――」
薄紫色の瞳に映る景色が大きく揺れて傾いた。
落ちていく空を見ながら、彼女はようやく既視感の正体に気が付いた。
――これは、あの魔法の霧と同じだ。
今更だった。
アンカルヤには、この最悪の事態を事前に予測するチャンスが与えられていた。そのために必要な情報は、過不足なく揃っていた。
思い出してみよう。
ゴブリンの大集団の発生。その背後には、人間の黒幕が存在した可能性が高い。その黒幕は、ゴブリンと討伐隊の戦いに便乗してアンカルヤたち三人にも干渉してきた。
その目的はまだ不明だが、だからこそ警戒を緩めてはならなかった。
ゴブリン討伐隊は遺跡街を出発して長い道のりを踏破し、ようやく目的地である野営地を目前にしたタイミングで奇襲攻撃を受けた。長距離移動による疲労と、あと僅かで目的地に到着するという気の緩み。その隙を狙いすました襲撃によって、討伐隊は甚大な損害を被った。
そのような攻撃を行う相手に、アンカルヤたちは付き纏われているのだ。
ならばこそ、討伐隊の野営地から遺跡街への長い道のりをようやく終えて、目的地を目前にしたこの瞬間に黒幕が何かを仕掛けてくることは予想ができたはずだ。
だがそのことに、橋の上に横たわり赤く濡れた胸に深々と突き刺さったナイフを見ながら気が付いても手後れだ。
そう、今更なのだ。




