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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
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チュートリアルの終わり・7

 アンカルヤの目蓋がゆっくりと開く。

 テントの中は薄暗く、とても静かだ。薪ストーブの火は消えかけていて、周囲の空気は少し冷たい。

 もう朝、だろうか?

 だが、スッキリ爽やかな目覚め、とはいかなかった。

 疲労は回復するどころか、全身が重くてダルい。ようやくゆっくり休める日ができたことで緊張が抜けてしまい、今までに蓄積していた疲労が一気に溢れ出てしまったようだ。

 緩慢な倦怠感に体を起こす気力もわかず、アンカルヤはソファーの上でもぞもぞしていた。

 遺跡街への出発を延期して、休養日を確保したのは正解だった。この体調での長距離移動は、かなり辛い。

 ゲームのキャラクターとしてのアンカルヤは、レベル70の審問官だ。

 70というレベルは、この世界の基準で見れば人間の限界を超えた領域である。その身体が、一度の戦闘と一日の徒歩移動程度をこれほど負担に感じるなどありえない。

 ならば、この疲労は精神面に由来するものだろう。いくら身体がレベル70の強靭さを備えていても、そこに宿る精神は平凡な高校生に過ぎないのだ。未知の森の中を一人でさまよい、ゴブリンとの大規模戦闘に参加し、そして昨日の強行軍。途切れることのない緊張の連続に、自覚している以上に精神の疲労が溜まっていたようだ。

 なので、アマギリイナの休息の提案はちょうどよいタイミングだった。

 レベル70の身体だ。一日も休息をとれば、少なくとも体力に関しては十分に回復できるだろう。

 後は、精神面の回復がどれだけできるかだ。

 今日は難しいことは考えず、ぼんやりとして過ごそう。それができるかどうかは、ロウギスの話の内容次第ではあるが。


 いつまでも毛布にくるまり、ソファーの上で芋虫のマネをしているわけにもいかない。

 思い切って立ち上がると肩から毛布が滑り落ち、冷たい空気にさらされた体がキュッと縮こまる。

 ロフトの方に視線を向けるが、リフィリシアはまだ眠っているようだ。

 アンカルヤは燻っているストーブに新しい薪を追加し、それからテントの外の様子を確認に向かう。テントの入口を少し開くと、冷たい外気が吹き込んできた。

 テントの入口の隙間から空を見上げる。既に東の空は明るく、しかし灰色の雲に覆われている。心配していた雪は、大したこともなかったようだ。白い綿雪がチラチラと舞っているが、積もる様子はない。だが、溶けた雪で地面がぬかるんでいた。

 雲の様子を見る限り、天候が回復に向かう気配はみられない。今日は雪のちらつく寒い一日になりそうだった。






 アンカルヤはバスルームに洗面器を持ち込んで顔を洗った。それからクローゼットの姿見の前に立ち、服装を整える。

 身嗜みの確認を終えると、アンカルヤはリフィリシアを起こさないように静かにテントを出た。

 寒さで首筋がキリキリと締め付けられるように感じる。マフラーが欲しい。

 ブーツとグローブの付呪の効果で手足の指先が悴むことはないが、それでも寒いものは寒い。

 すぐさまテントの中に引き返したくなったが、いくらなんでもそれは軟弱すぎる。アンカルヤは首を左右に振って、暖かなテントの誘惑を振り払った。

 周囲では、帰還部隊の隊員たちがテントを片付けて出発の準備を行っていた。

 帰還部隊の今日のスケジュールは確認していなかったが、どうやら午前中にはこの基地を発つようだ。

 出発準備に忙しい彼らの邪魔にならないよう、アンカルヤはそっと広場を離れた。

 背中を丸め、冷たい風にコートの裾をはためかせながら、朝の採集基地をうろつく。

 昨日、この採集基地に到着したのはちょうど日没直後だった。昨夜見た闇の中に沈む基地とは異なり、薄曇りの朝日に照らされた基地は長閑な田舎的な平穏さを見せていて、まるで別の場所のように雰囲気が違う。

 いくつもの倉庫に様々な作業場、家畜の厩舎に炭焼小屋。そして基地を取り囲む木製の壁と物見櫓。

 第一採集基地の広さと設備の数に、アンカルヤは改めて感心させられた。この深い森の中で、よくこれだけの土地を切り開いたものだ。

 まだ朝も早い時刻だと思われるが、すでに採集基地は本格的に活動を開始していた。どちらの方向を見ても、人間や妖精たちが白い息を吐きながら忙しそうに行き交っている。

 忙しなく首を前後に降りながら歩く数匹の鶏とすれ違う。家畜類が基地内で放し飼いにされているようで、鶏や羊が辺りをうろついていた。

 ぬかるんだ地面には家畜の排泄物も落ちていて、うっかり踏んでしまわないように気をつけて歩く必要があった。


 だるい体と意識をしゃっきりさせるため、眠気覚ましの朝の散歩に出たアンカルヤだったが、基地内の臭いと寒さのせいで、清々しい朝の散歩といった気分にはなれなかった。

 それにこの散歩が、基地の人々の迷惑になっているような気もした。

 これまでに、足を止めてアンカルヤに視線を向けてくる者の姿を度々目にしている。彼女に話しかけてくる者はいなかったが、彼らの気を散らしてしまっているのは間違いないだろう。

 基地の人々の仕事の邪魔をするのは本意ではない。アンカルヤは散歩を切り上げ、自分のテントに戻ることにした。


「リフィリシアも、そろそろ目を覚ましているかな?」


 どうせならと、テントに戻るルートはまだ通っていない道を選ぶ。広場を中心に基地の南側外周付近を大きく回り込む道筋だ。

 そこで、周囲の建物とは距離をおいて設置された大型の施設を見つける。基地内の建物の多くが木造であるのに対し、この建物は石を積み上げた基礎の上にレンガで組まれていた。屋根の上に並ぶ煙突から、この建物が火を扱う施設であることは明らかだ。他の建物から距離をおいているのは火災対策だろう。

 その傍らを通りかかると、少し高い位置にある小さな窓から暖かい空気が流れてきた。建物の内部は、かなりの高温のようだ。

 興味をひかれたアンカルヤが足を止めて建物の様子を眺めていると、すぐ近くにあったドアが内側から開かれた。

 そして建物から出てきた一人の男が、外気に触れた途端に寒そうに肩を擦った。


「うわっ、やっぱり外は寒いな」


 それは見覚えのある顔だった。


「キミは確か……」


 だが、名前が思い出せない。いや、そもそも名前は聞いていなかったはずだ。


「おっ? お前はアマギリイナの班の……アンカルヤ、だったか?」


 短い黒髪に、日に焼けた赤い肌。どことなくカカシを思わせる細身の長身。

 帰還部隊のトエベンネ班の一人で、昨日の移動中にアンカルヤたちの様子を確認しに来て、リフィリシアに氷砂糖を譲ってくれた男だ。


「キミは、えっと……」

「そういえば、お前にはまだ名乗っていなかったか。オレはギュズマ。兎のうろ傭兵団の一員だ」

「私の名は既に知っているようだが、こちらも名乗っておこう。私はアンカルヤ、審問官だ。昨日は世話になったね」

「何か世話をしたか? 覚えはないが」


 その表情を見るに、本当に思い当たることがないようだ。


「私の仲間が疲労していたのを気遣って、氷砂糖をわけてくれただろう? ありがとう。あれはこの島では貴重なものだそうだね」

「なんだ、そんなことか。名乗りといい、氷砂糖の礼といい、細かいことを気にする奴だな。それが悪いとは言わんが」


 いや、自己紹介や受けた親切に対するお礼は細かいことではないだろうとアンカルヤは思った。この男は、かなり大雑把な性格をしているようだ。さすが、ラストエリクサーは使ってしまうタイプの人だ。


「お前はこんなところで何をしているんだ?」

「朝の散歩だよ。眠気覚ましにね」

「随分のんびりしている様子だが、出発の準備はいいのか? あ、いや。そういえば、お前たちはここに残るんだったな」

「うむ。キミこそ、ここで何を? この建物は?」


 ギュズマは建物の煙突を見上げた。


「あの煙突を見て、わからないか? ここは陶器工房の窯だ」

「なるほど、陶器工房か。では、キミもここで何か作っているのかい?」


 その問いに、ギュズマは思わず吹き出した。


「まさか! リゴウズのお使いで、小瓶の追加発注が可能かの確認に来ただけだ」

「小瓶?」

「今回のゴブリン討伐戦で大量に割りまくったからな」


 そう言って、ギュズマは懐から小さな小瓶を取り出してアンカルヤに見せた。それはデルトカンが信号の発信に使用していた使い捨ての小瓶と同じものだった。

 

「デルトカンがそれを地面に叩きつけて砕いているのを見た。あの瓶は、ここで作っているのか」

「瓶はな。中身は遺跡街製だ」

「どうして全てここか遺跡街で作らないのだ? 遺跡街に窯はないのか?」


 入れ物と中身を別の場所で作る理由がわからない。輸送の手間が増えるだけではないだろうか。


「遺跡街にも陶器工房はあるが、この瓶を作れるのはここともう一箇所しかないそうだ」

「なぜ他では作れないのだ?」


 デルトカンが使用していたものもギュズマが手に持っているものも、雑な作りの量産品にしか見えない。この程度のものなら、土と窯さえあればどこででも作れそうに思える。


「携帯時には割れにくく、しかし使用時には割れやすいというのが難しいらしい」


 なるほど。確かに、その条件を満たすとなると難しいだろう。明らかに矛盾した特性を要求している。


「話は変わるが、昨日の夕食では面倒くさいのに絡まれたと聞いている。災難だったな。まあ、気にするな。そういう困ったやつは、どこにでもいるものだ」


 ギュズマは小瓶を懐に戻すと、昨夜の夕食後の出来事について話題を持ち出してきた。


「その場にいなかった者にまで、その話は広まっているのか。キミは、あの男を知っているのかい?」

「いいや、知らん。だが、一部では迷惑なやつとして有名らしいな」


 誰に対してもあの調子なのだとしたら、確かに迷惑なやつとして有名になるだろう。もっとも、アンカルヤは彼の名前など憶えておく気もなかったので、既に忘れてしまっていたが。


「さて。オレは出発の準備もあるし、立ち話はここまでにしておこう。またな」

「ああ、そうだったね。呼び止めてしまい悪かった。出発は、もうすぐなのか?」

「午前中には出発の予定だ」

「見送りに行きたいのだが、構わないか? トエベンネには世話になったし、迷惑でなければ直接礼を言いたい」


 アンカルヤの申し出に、ギュズマは面倒くさそうに手を降った。


「見送りは不要だ。お前が礼を言ってたことは伝えておいてやる。お前たちとは後日、元の世界への帰還方法の調査について話し合うことになっているんだ。直接礼を言いたいのなら、そのときでもかまわんだろう」


 ……ん?

 何の話だ?

 身に覚えのない話に反応できず固まってしまったアンカルヤに背を向け、ギュズマは足早に去っていた。

 元の世界への帰還方法についての話し合い? アンカルヤは、そんなものに全く心当たりが無かった。


「……いや、もしかしてロウギスか?」


 だとすれば、これは情報収集どころの話ではない。彼は勝手に一人でどこまで話を進めているのだろうか。

 ロウギスには今すぐにでも確認したいことができたし、リフィリシアも既に目を覚ましているだろう。アンカルヤはぬかるみと家畜の糞に足を取られないように気をつけながらも、小走りで自分のテントのある中央広場に向かった。


誤字報告ありがとうございます。修正しておきました。

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