チュートリアルの終わり・6
ロウギスが、夕食を終えてテントに帰ろうとするアンカルヤとリフィリシアを呼び止めた。
「後で三人で話をしようと言ったが、明日の予定変更で時間に余裕もできたことだし、この話は明日にしよう。今日はテントに戻って、ゆっくり休んでくれ」
やはりそれが目的で、出発を明後日に延期するというアマギリイナの提案に彼は賛成したのだ。
「わかった、そうさせてもらうよ。キミも今日は疲れただろうし、ゆっくり休むといい」
「ああ、そうしよう」
「それと明日の予定についてだが、話をする場所は私のテントで構わないかな? キミに貰った鳴子を私のテントの入口にセットしておいた。話の用意ができたら、それを鳴らして知らせてくれ」
「わかった。いや、まて。よくないのか? どうなんだろうな?」
なんとも歯切れの悪い反応が返ってきた。
「どうしたのだ? 私の提案になにか問題があるなら、はっきり言いたまえ」
「いや、お前のテントということは、女性の生活空間ということだろう? そこに俺が踏み入っていいのかと思ってな」
なるほど。たしかにアンカルヤもロウギスと同じ立場にあれば、同じことを気にしただろう。
「なら、キミのテントに私とリフィリシアを迎え入れるかね? その場合、男の生活空間に女性を連れ込むということになるが?」
「うむ、どちらも問題があるだろう? それで、どうしたものかと思ってな」
既に何度か、三人はロウギスのテントに集合している。なので、これは今更の指摘であった。
「気を使いすぎだ。私のテントで問題ない。少なくとも私は、キミをテントに迎え入れることに抵抗はない」
「……わかった。お前がそれで構わないなら、そうしよう」
アンカルヤとロウギスが明日の予定を話し合っている後ろでは、アマギリイナが先程の口論についてサリイユに指摘をしていた。
「――それと、私の言葉を引用するのは構いませんが、正確にお願いします」
「あれ? 間違ってた?」
「他人から賢い人間だと思われたい者ではなく、自分を賢い人間だと勘違いしている者です。あれは後者でしょう?」
「それって、同じじゃないの?」
「かなり違いますよ、ウザさと迷惑さと質の悪さが」
そしてアマギリイナは大きく息を吐き出した。
おそらく彼女の身近に、そういう人間がいるのだろう。そのため息には、苦労人の実感がこもっていた。
これから島ポトフに挑むロウギスと別れ、アンカルヤとリフィリシアは自分たちのテントに向かって夜の採集基地内を歩いていた。
各所に設置された篝火は地面を照らすには光量が足りず、足元が心もとない。小石や窪みに躓かないよう、ゆっくりと歩を進める。
とても暗くて、とても寒い。
時折、白い光の粒が夜の闇の中に踊る。いつの間にか降り始めた雪が、篝火の明かりを反射してきらめいていた。
「雪、か……」
夜の空気に舞う雪は、慎ましくも美しかった。
幻想的な景色の中を、可愛い女の子と二人で並んで歩く。異性との交際経験のない『彼』には初めての経験だ。それはどこか現実感に欠けた、まるで夢の中を歩いているような心地だった。
この雰囲気に相応しい言葉を考えてみたが、気の利いたセリフは思い浮かばなかった。だが、それで構わない。それよりも今は、この心地よい静寂に身を任せていたかった。
「いつの間にか、基地の臭いが気にならなくなっていますね。アマギリイナさんの言っていた通り、鼻が麻痺したみたいです」
空気の読めていないリフィリシアが、情緒に欠ける話題でせっかくの良い雰囲気を台無しにする。
だがまあ、アンカルヤも自分が詩的な光景に酔いしれるような種類の人間ではないという自覚はある。リフィリシアが自分の同類であることに、安堵はあっても不満はない。
「言われてみれば、私も鼻の感覚が鈍いな。島ポトフの印象が強烈過ぎて、基地の臭いのことなどすっかり忘れていたよ」
「確かに、あの料理に比べたら、こんな臭いなんて大したことはないですね」
二人の少女が楽しそうに笑う。
島ポトフは食べているときこそ苦痛でしかなかったが、終わってみれば笑い話だった。
「ところで――。キミは先程の話、どう思った?」
それは、とても曖昧な質問だった。
夕食の席では、いろいろな話題があった。島ポトフ、魔術の使用、プレイヤーや組織の軋轢。そしてロウギスの情報収集。
どれについて質問したというわけでもない。何の考えもなく、気軽に雑談を振ってみただけだ。
だが、返ってきたリフィリシアの言葉は、アンカルヤにとって予想外のものだった。
「えっと、変な感じがしました」
「変?」
アンカルヤも、他のプレイヤーたちとの会話に違和感を覚えることがあった。
この島で生き延びようと必死に努力して、成果を上げている。そのような話を聞いたとき、何故か認識のズレのようなものを感じたのだ。
だが、具体的にどこがおかしいと指摘することもできなかった。
だから、それは気のせいだろうと思っていた。
しかしリフィリシアも同じことを感じているのであれば、それを気のせいで済ませることはできない。
「興味深いね。キミはいったい、何を変だと感じたのかな?」
「そうですね。これまでに聞いた話は、どれもこの島でどう生きていくのかという話題ばかりで、元の世界にどうやって戻るのかという話は殆どありません。まるで、みんなこの世界に定住するつもりでいるみたいに思えてしまいます」
「――!」
輪郭のぼやけていた違和感がリフィリシアの言葉によって明確となり、アンカルヤは息を呑んだ。
これまでに、いろいろな話題を耳にしてきた。
ゴブリンとの戦い。遺跡街での生活。食料の自給自足。魔術の再修得。
どれもこの世界で生きていく上で重要な事柄であることは間違いない。
だが、あまりにもそういった話に比重が偏っていて、元の世界への帰還についての話題は殆ど聞かない。
もちろん、優先順位だけを考えるなら、まず生き延びなければならない。元の世界への帰還の手段を探すのは、その次だ。
それでも、生存と帰還の比重がアンバランスだ。この世界で生きることについての必死さは伝わってくるのだが、元の世界に帰ることには懸命さや積極性が感じられない。
リフィリシアの言う通り、食料の自給自足体制の構築などは、まるでこの島に定住するつもりでいるかのような話である。
他にも、理解に苦しむ話はある。同郷会とか、女子会とか、プレイヤーたちは幾つもの組織を作って互いに対立しているらしいが、そんなくだらないことをしている余裕のある状況か? それよりも、他にもっと優先するべきことが沢山あるのではないだろうか?
「確かに変だね。元の世界への帰還方法の調査が行き詰まっているという事情もあるのかも知れないが、それにしても帰還についての話題が少なすぎる」
他のプレイヤーたちは、元の世界への帰還についてどの様に考えているのだろうか?
そんな話をしているうちに、アンカルヤとリフィリシアはテントを設置している広場まで戻ってきていた。
広場の中心にある篝火の周りでは、他のプレイヤーたちが酒盛りを楽しんでいた。雪もちらついているというのに、元気なことだ。
夜風に乗って流れてくる彼らの会話に耳を傾けると、今回のゴブリン討伐戦の武勇伝が少々大げさではと思える調子で語られているのが聞こえてきた。彼らの明るい笑い声につられて、アンカルヤの口元にも小さな笑みが浮かぶ。
とてもにぎやかで楽しそうだ。参加したいとは思わないが。
「寒いですし、早くテントに入りましょう」
「うむ、そうしよう」
白い息を吐くリフィリシアに急かされって、アンカルヤはテントの入口を潜った。
薪ストーブの火は消さずに夕食に向かったので、テントの中はとても暖かかった。その熱が冷え切った体に染み入って、二人の体がブルッと震えた。
「こんなに寒い夜なのに、広くて温かいテントで寛ぐことができるって、とんでもない贅沢ですよね」
確かに、この世界の一般的な野営装備と比較すれば、エンチャントテントはありえないほど贅沢なアイテムだ。これほど快適な環境を携帯できるなど、普通では考えられない。
「そうだね。このテントが偽ロウギスの攻撃で失われることがなくて、本当によかった」
エンチャントテント無しで星去り峰を目指すとなると、それは相当に厳しい旅となっただろう。
「さて、リフィリシア。入浴はどうしたい? 今夜はもう遅いし、明日の朝でも構わないかな?」
「えっと……、やめておきます」
「疲れていて入浴する気力もないのであれば、浄化薬を使うかい?」
アンカルヤの提案に、リフィリシアは少し考えてから首を横に振った。
「いいえ。毎日お風呂に入ったり、魔法のお薬を使うのって、今の私たちの状況を考えると贅沢すぎると思うんです。そういう贅沢に体が慣れてしまうと、この先の生活がかなりしんどくなってしまうのではないかと心配です」
確かに、快適な生活で鈍った体では、長く険しい旅は厳しいだろう。
星去り峰への旅路は、とても過酷なものになるはずだ。長期間入浴できないような状況も、十分に予想できる。この先のことを考えるなら、身嗜みに気を使うことができない生活に今から慣れておいた方がよいかもしれない。
「そうだね。そういった心構えはとても大切だ」
星去り峰への旅に出る前に、エンチャントテントに頼らない野営の訓練もしておくべきだろう。
「まあ、この話も明日で構わないだろう。今日は、もう休むことにしよう」
「そうですね」
リフィリシアはバスルームで顔を洗い、それからロフトの階段はしごを上がっていった。
アンカルヤはロングコートをクローゼットのハンガーに掛けると、テント内のランタンの光量を落とし、それからソファーに腰を下ろした。そしてブーツとグローブを脱ぎ捨てる。
何気なくロフトの方に視線を向けると、ちょうどそのタイミングでリフィリシアがロフトの上から顔をのぞかせた。
「それでは、おやすみなさい。アンカルヤさん」
「ああ。おやすみ、リフィリシア」
お互いに就寝の挨拶を交わすと、アンカルヤは毛布をかぶってソファーの上に横たわった。
このテントでリフィリシアと夜を共にするのは、これで三度目だ。まだ三度。女の子と二人で過ごす夜は、なかなか慣れるものではない。お互いに姿は見えないとはいえ、すぐ近くにリフィリシアの存在を意識してしまい、アンカルヤはどうにも気が落ち着かずソワソワしてしまう。
なかなか寝付けなかったが、それでも薄暗いテントの中で暖かな毛布に包まれて薪ストーブの中で燃える薪の音に耳を傾ける静かな夜は、それはそれで心地よいものであった。
明日もその先もずっと、こんな穏やかな夜を過ごすことができればいいなと思いながら、いつしか彼女は微睡みの底に沈んでいった。




