チュートリアルの終わり・4
アンカルヤとリフィリシアはソファーに並んで座り、互いに言葉を交わすこともなく、ストーブの薪がパチパチとはぜる音に耳を澄ませながら、静かな時間を過ごしていた。
そんな静寂が、カランコロンという聞き慣れない音に掻き乱された。
二人はビクリと体を震わせ、アンカルヤは素早くソファーから腰を上げた。そして、その音がテントの入口に設置した呼び鈴の鳴子のものであることに気が付く。
「ロウギスかな?」
アンカルヤはソファーの側面に立て掛けていた片手斧を手に取ると、警戒しながらテントの入口を少しだけ開いた。そしてテントの外にサリイユの姿を確認し、ホッと緊張を解いた。
「サリイユか。何かご用かな?」
「夕飯はもう食べた? この基地の人たちが食事の用意をしてくれているから、一緒にどうかなと思って」
「夕食はまだだが……。少し待ってくれ」
アンカルヤはテント内のリフィリシアを振り返った。
「サリイユが夕食のお誘いに来てくれたのだが、キミはどうする?」
「あ、はい。行きます!」
リフィリシアの返事に頷いて、アンカルヤはサリイユの方に向き直った。
「ありがたくご馳走になるよ、サリイユ」
「うん。だったら、自分のお椀と匙を用意してね。それと水筒も。食べ物だけじゃなくて、飲用水の提供もしてるから」
「わかった、食器は用意しよう。だが、飲水はテント内の井戸で確保できるから大丈夫だ」
「それじゃあ、水筒はいらないかな? あ、でも別の理由で水筒は持っていったほうがいいと思うよ」
「――? そうか、では水筒も持っていこう」
アンカルヤとリフィリシアは自分の食器と水の入った水筒を用意すると、テントの外に出た。
肌が冷たい夜風に触れ、二人の体がブルッと震える。
それから、辺りに漂う異臭に眉をしかめた。食事の場には歓迎できない臭いである。
それぞれ食器を手にした三人は、サリイユを先頭に夜の基地の中を進んでいく。
「夕食に誘ったのは私たちだけかい? アマギリイナとロウギスの姿が見えないが」
「アマギリイナちゃんは、まだ管理棟で打ち合わせ中みたい。ロウギスは、少し前に大倉庫の裏側で基地の人と何か話しているのを見かけたよ。何をしていたんだろう?」
「私もロウギスが何をしているのかは知らない。気になるなら、後で彼に聞いてみるといい」
基地の中を西に進むと、中央広場の端にある大きな倉庫の傍らに、篝火と幾つかの焚き火の明かりが見えた。
それぞれの焚き火には、大きな鉄鍋が掛けられている。そして何人ものプレイヤーたちが、白い湯気が立ち上る鍋を囲んでいた。椅子やテーブルはないので皆立ち食いだが、何人かは地面に直接腰を下ろして食事をとっている。
焚き火の明かりに照らされた彼らの姿をそれとなく確認すると、帰還部隊では見かけなかった顔も混じっていることに気が付く。彼らはこの基地の人間だろう。
採集基地に到着してから少し時間がたち、帰還部隊のメンバーも幾分体力を回復しているようだ。焚き火の周囲は随分とにぎやかで活気がある。
だがアンカルヤたちが焚き火に近付くにつれて彼らの会話は途切れがちになり、そしていくつもの視線が彼女たちに向けられる。
ここでもか。
そんなに新人のプレイヤーは珍しいのだろうかと、アンカルヤは不思議に思った。
確かに、集団の中に見慣れない人間が混じっていれば、注目を集めるのもわかる。しかし、この基地の者はともかく、帰還部隊のメンバーまで今更アンカルヤたちに注目する理由がわからない。血まみれでボロボロだった服も着替えたし、何が彼らの興味を引いているのだろうか。
平凡な男子高校生に過ぎなかった『彼』には、多くの人から注目を受けるという経験がないので、どうにも落ち着かない。この状況にどう対処すればよいのかわからないので、とりあえず視線には気付かないふりをする。
サリイユは周囲の視線を気にする様子もなく、焚き火の側へと進んでいく。そして五つの焚き火のうちの一つ、女性のプレイヤーが集まって囲んでいる鍋にアンカルヤたちを案内した。
女性ばかりのグループに迎えられたアンカルヤは、サリイユが案内先を間違えたのではないかと困惑する。だが、すぐにそうではなく、今の自分は女性に分類されるのだということを思い出し、先程とは別の意味で困惑した。
そして、恐ろしい事実に思い至る。
これは今この場に限った話ではない。これから先もアンカルヤと関わる人間は皆、彼女のことを女性とみなして接してくるのだ。アンカルヤを男子高校生として扱う者などいないだろう。
それはとても、対応に困る。
森の中を一人で彷徨ったり、ゴブリンとの戦いでは、自分の性別を意識することはあまりなかった。しかし、自然や戦いはアンカルヤの性別など気にしないが、人間はそうではない。遺跡街に到着し、多くの人々と関わる状況になれば、嫌でも自分が女性であることを意識させられる機会が増えるだろう。その様子を想像するだけで、気が重くなる。
だが、それは仕方のないことだ。この体が女性である以上、諦めて適応していくしかない。
アンカルヤは、これまでにもリフィリシアやロウギスから女性として扱われて戸惑ったり困ったりしたことが度々あった。これから先、知り合う人の数が増えるほどに、そのような状況も頻繁になるだろう。
それならば、せめて他の人もロウギスくらい気安く接してくれればいいのだが――。
そこまで考えたところで、アンカルヤはあることにふと気がついた。
ロウギスは基本的にアンカルヤを女性扱いしているが、時折かなり雑にあしらわれることがある。例えばロウギスのテントに招かれたとき、彼はいきなり服を脱いでシャワーを浴びはじめたことがあった。そして彼は、リフィリシアが相手ならこんな態度は取らないとも言っていた。あのときアンカルヤは、何故自分には気を使わないのかと憤慨したが、そうではないのだ。むしろ逆で、気を使ってくれたからこその行動だったのだ。ロウギスはアンカルヤを単に女性としてみているのではなく、女性キャラクターになってしまった男性プレイヤーとして接してくれているのだ。彼のわかりにくい心遣いに気付き、アンカルヤは心の中に温かいものが広がっていくのを感じた。
「遅かったわね、サリイユ。後ろの二人が話題の新人かしら?」
焚き火を囲んでいた女性プレイヤーの一人が陽気に声をかけてきた。
「うん。ロングコートの子がアンカルヤ、ローブの子がリフィリシアだよ」
「アンカルヤ? 聞き覚えがある名前ね。確かナントカっていう男が探していた子でしょう?」
またか、とアンカルヤが彼にうんざりさせられるのは、これで何度目だろうか。
ナントカという男には心当たりがあった。彼の噂は、これまでに度々耳にしている。アンカルヤと同じ不死者狩人の審問官、グラウイドウだ。
「また、あの男か。あいつは私のことをどれだけ宣伝しているのだ」
グラウイドウがアンカルヤに対して行っていることは、プレイヤーである『彼』の感覚では気持ちが悪い迷惑行為という程度のことだ。
だがキャラクターである彼女の感覚では、敵側に寝返ったと判断するべき深刻な利敵行為である。
基本的に審問官は、自分の身分や立場をむやみに喧伝したりしない。むしろ、できるだけ明かそうとしないものだ。なぜなら、どこに敵の目と耳があるかもわからないからだ。
死の神殿に属する審問官は、不死者の狩人だ。しかし不死者との戦いでは、狩る者と狩られる者の立場は容易に逆転する。だから自身の存在を広く知らせることには、害はあっても利は何一つない。
現在のアンカルヤは、プレイヤーである『彼』の人格がメインとなっている。そのような状態であってもグラウイドウに対する彼女の苛立ちが感じられるのだから、その憤りは相当なものだ。もしこれが『彼』と融合する以前の本来のアンカルヤであれば、彼女はグラウイドウを敵とみなしていただろう。
グラウイドウの行動はとても軽率で無責任なものだ。彼は何を考えてこんなことをしているのか、アンカルヤには全く理解できなかった。
「まさか、この島の人間全てが私を知っているなどということはないだろうな?」
アンカルヤの懸念を、小柄な赤毛の少女が笑い飛ばした。
「ないない。流石にそれはないわよ。遺跡街では、この手の人探しの話は山ほどあるからね。その全てを覚えているような人はいないわよ。まぁ、あなたは印象的な特徴が多いから、記憶に留めている人は多いかもしれないけどね」
「まあまあ、そういう話は夕食の後にしようよ。みんながアンカルヤたちに興味あるのはわかるけど、彼女たちは食事に来たのだから」
サリイユは雑に会話を遮ると、アンカルヤの持参した椀を受け取り、鍋の中の料理をよそって返した。
鍋から漂う湯気の匂いに嫌な予感はしていたが、椀に注がれた料理を見てアンカルヤは軽い目眩を覚えた。
見た目は傭兵鍋に似ていなくもないが、明らかにそれとは別物だ。
緑色に濁った半透明のスープに、ぶつ切りの肉と野菜が浮かんでいる。そして熱々のスープからは、鼻の奥がスースーする刺激の強い匂いが白い湯気とともに立ち上っている。
ちらりと隣に立つリフィリシアの様子を見ると、彼女もこの料理に口をつけることを躊躇している様子だ。
二人は暫し視線を交わした後、椀の中身を匙で掬い、意を決して口に運んだ。
――不味い。
まずはスープだが、これは生ゴミの臭いがする塩味のお湯だ。しかも数種類のハーブを組み合わせや量を考えず大量にブチ込んでいるらしく、香りもきつい。一口すするだけで、頭がクラクラした。
肉は筋張っていて固く、噛みしめる度に生臭い肉汁が口の中いっぱいに広がる。人参や芋などの野菜もゴリゴリとした芯が残っていて、エグみもきつい。
これ、全部食べないといけないのだろうか?
善意で提供された料理を残すのはマナー違反だ。だがそれを言うなら、この料理の味も相当なマナー違反だ。もともと味に期待はしていなかったが、しかしこの味は予想の下限を更に下回っていた。
基地内に漂う異臭の中では、どのような料理も美味しく食べることはできないのではないかと心配していたが、まさか異臭以下の料理が提供されるとは全くの予想外だった。
「どうかな、島ポトフの感想は?」
サリイユが、アンカルヤとリフィリシアの引きつった顔を覗き込んで尋ねた。
どうやらこの料理は島ポトフという名前らしい。
「酷い味でしょう?」
「――いや、なんというか」
どう答えるべきか返答に詰まるアンカルヤに、サリイユが楽しそうな笑顔を向ける。いや、彼女だけではなく、焚き火の周囲にいた皆がアンカルヤとリフィリシアの料理に対する反応をニヤニヤしながらうかがっていた。
「いいの、いいの。これを美味しいと思っている人なんて、ここには一人もいないから」
そう言いながら、サリイユも嫌そうに自分の椀のポトフに口を付けた。
「でもね、これは私たちにとって、とても特別な味でもあるの。この料理は傭兵鍋のアレンジなんだけど、この島で生産した食材だけで作られているのよね。つまり島ポトフはね、私たちがこの島で生きていく権利を得たという証なの」
なるほど、それは確かに特別な意味のある料理だ。
アンカルヤは錬金術師の焼き菓子という携帯保存食を大量に所持している。優に数年は食料に困らない量ではある。しかし、この島で焼き菓子を追加生産することは、材料の入手が困難であるため不可能だ。つまりどんなに量があろうとも、この島にいる限りは消費する一方であり、いずれ尽きる日が来る。
リフィリシアも所持していた生鮮食料品は全て先日の傭兵鍋で使い切っていて、再入手の見込みはない。
つまりこの島にやってきたときに所持していた食料を消費してしまうと、後にプレイヤーたちを待っているのは飢えと死なのだ。
だからこそ、そうなる前にこの島で生存に必要な種類と量の食料を確保する必要があった。
このクソ不味い鍋料理はそれを達成した証であり、まさしく命を繋ぐ料理なのだ。
その価値を思えば、ますますこの料理を残すわけにはいかなくなった。
アンカルヤとリフィリシアはお互いに頷き合い、椀の中の島ポトフを完食する覚悟を決めた。
食事に誘いに来たサリイユが、飲水も用意しておいたほうがいいと言った理由が今ならよく分かる。ある程度は我慢できても、最終的には水で流し込みでもしない限り、完食は難しかっただろう。島ポトフという料理の味は、それほど酷いものであった。
唯一、この料理に歓迎できる点があるとすれば、それは温かいことだ。この冷たい夜の空気の中では、食べ物は温かいだけでありがたい。だから、せめて冷めてしまう前に食べきろうと、アンカルヤとリフィリシアは必死に匙を進めた。
そして、二人の完食と同時に、周囲に歓声と拍手が巻き起こった。
「すごい、すごい。島ポトフは今日が初めてでしょ?」
「いきなり完食なんて、なかなかできないわよ」
「これを食べきることができたら一人前みたいな風潮、あるよね」
「そうそう。遺跡街に来た新人の洗礼よね」
まるでネタ料理のような扱いである。島ポトフは特別な意味のある料理のはずだが、味の評価は散々なものらしい。ならば、少しでも改善しようとは誰も思わなかったのだろうか。
なんとか椀を空にしたアンカルヤは口の中を洗い流そうとスキットルの水を呷ったが、舌に絡みつく島ポトフの風味は簡単には消えなかった。息が生ゴミ臭くて、吐き気がする。リフィリシアも口を手で抑えて黙り込んでいる。
まさか、この島では毎食がこれなのだろうか?
流石にそれはないだろうが、もしそうだとすれば、この島を出ていく理由が一つ増えることになるなとアンカルヤは思った。




