チュートリアルの終わり・3
第一採集基地の南門。
ようやく目的地に到着し、気の抜けたアンカルヤとアマギリイナは地面にへたり込んでしまった。足はジンジンと痺れ、足の裏はヒリヒリして痛い。
ロウギスとサリイユは自力で立っているが、それでも表情に疲労は隠し切れない。
ずっとロウギスに背負われていたリフィリシアは幾分体力を回復していたが、それでもまだ少しふらついている。
周囲を見回してみると、帰還部隊の一行は皆、アンカルヤたちと同じ様な状態だった。
地面に膝を付き、大きく白い息を吐いている者。かろうじて立ってはいるが、足に力が入らず膝がガクガクと笑っている者。革の水筒の水をがぶ飲みしている者。
誰の顔にも色濃い疲労が滲んでいる。
帰還部隊の移動速度に付いて行けなかったことで、自分の体力は他のプレイヤーと比べて劣っているのではないかとアンカルヤは不安に思っていたが、この様子を見るとそうでもないようだ。
「全員注目!」
疲れを感じさせないトエベンネのはきはきした声に、皆が弱々しく視線を上げる。
「全員、揃っているな? もし欠員がいるなら、班長は報告を」
誰も返事を返さない。つまり、脱落者はいないということだ。
「皆が疲れているのは承知しているが、もうひと頑張りだ。この基地の中央の広場に休憩用のスペースを借りている。各自、そこにテントを設置してから休むように」
確かに、いくら疲れているとはいっても、このままこの場所で翌朝まで過ごすわけにはいかない。夜はまだまだ冷え込むし、この基地の人たちの迷惑になってしまう。
「ただし、各班の班長はテントの用意の後で管理棟の集会室に集合すること。明日の打ち合わせを行う」
班長であるアマギリイナがガックリと肩を落とす。その肩に、サリイユが慰めるようにポンと手を置いた。
「では、最後に諸注意だ。この採集基地の中では、基地の管理者の指示に従うこと。基地内の各施設には許可なく立ち入らないこと。基地から外に出ない、出るときは僕に報告して許可を取ること。つまり、常識的な行動を心がけるように、ということだ。以上、解散!」
トエベンネの話が終わると、帰還部隊の一行は億劫そうにフラフラと立ち上がり、ゾロゾロと基地の中央へ進んでいく。まるでゾンビの群れのような有様だ。
アンカルヤたちも彼らの後に続いて、基地の奥にある広場に向かった。
採集基地の中心に、一際大きな篝火がたかれている広い空間があった。そこが中央広場だ。
広場の北側には木造二階建ての建物があり、その中にトエベンネたちが入っていくのが見えた。あれが先程彼が言っていた、この基地の管理棟のようだ。
他にも周辺には様々な建物が設置されていたが、日が沈み辺りが暗くなっていたため、それらが何の施設かまでは見て取れなかった。
「南の丘の上からこの基地を目にしたときにも思ったことだが、とても大規模な施設だね。よくこんな施設を作ったものだ」
興味深げにキョロキョロと周囲を観察するアンカルヤの隣で、ロウギスが眉をしかめてアマギリイナに尋ねた。
「それにしても、この臭いは何だ?」
基地の中には、何ともいえない異臭が漂っていた。
「この採集基地では、動物の解体や皮の加工も行っていますので、その臭いですね。私も初めてこの基地を訪れたときは、この臭いに辟易させられたものです。でも、大丈夫。そのうち鼻が麻痺してあまり気にならなくなりますよ」
それを大丈夫とは言わないだろうと、アンカルヤは思った。
「この臭いはともかくとして――、ゲームの迷宮島では、この森の中にこのような施設はなかったはず。そして拠点作成のシステムもなかった。つまり、この基地は遺跡街のプレイヤーたちがゲーム的な補助に頼らずに自力で建設したものなのだろう? 森の奥深くを切り拓いてこのような大規模な施設を作り上げるだなんて、大変だったのではないかね?」
「ええまぁ、遺跡街の人というか、作ったのは台所の人たちですけどね。台所は森の資源の収集のために、島の中に複数の活動拠点を設置しています。この第一採集基地は、その中でも最も大きな拠点です」
奇妙な言い回しに、アンカルヤは首をかしげる。
「台所の人が作ったというのは、どういう意味かな?」
「ああ、まだ台所をご存知なかったのですね。リゴウズの台所。皆さんは、ゴブリン討伐隊の総指揮官であるリゴウズさんと面識がありますよね? 彼が立ち上げたクランです。元々彼らは、自力での食料確保が困難なレベルの低いプレイヤーのために炊き出しを行っていたのですが、次第に活動内容を拡大し、今では遺跡街の住人の生活の全般的な支援を行っています」
「なるほど。炊き出しから始まった組織だから、台所と呼ばれているのか。この基地は、そのクランが作った施設なのだね」
「はい、そうです。台所は遺跡街の土台を支えている、とても重要なクランの一つです」
昨夜アンカルヤたちが知り合ったオーク族の男は、討伐隊の指揮官を任されている程なのだから只者ではないだろうと思っていたが、想像以上の大物だったらしい。そんな人物とのコネを得られたのだから、危険を冒してゴブリン討伐の戦いに協力した甲斐があったというものだ。
「特に台所の最大の成果は、半年ほど前に迷宮島における食料の安定した自給体制の構築を達成したことです。この島での生存にはまだ問題も多いのですが、彼らのおかげで、少なくとも飢えの心配はなくなりました」
アンカルヤは思わず感嘆の声を上げた。
「それは素晴らしい!」
「もっとも、気候の変化や災害への対策、備蓄の確保と維持など、まだ課題は多く残っていますが」
「いやいや。さすがに、それは多くを望み過ぎというものだろう」
突然この無人島に放置されたプレイヤーたちは、過酷な環境の中でも生き延びるために努力し、そして成果を上げている。
それはとても好ましいことである。
そのはずなのだが、何故かアンカルヤの心には小さな違和感が引っかかった。具体的にこうであるとはっきりとは言えないが、何かが違う、何かが微妙にずれている。自分は何にそのようなことを感じているのだろうかと、彼女は戸惑いを覚えた。
中央の広場には大きな篝火が焚かれている。
火の近くにテントを張るのは危険なので、皆は篝火から少し離れた位置にテントの設置場所を確保していた。そのため、中央の広場には篝火を中心にしてドーナツ状にテントが並んでいる。篝火には広場全体を照らすほどの光量はないので、テントの外周は夜の闇に囲まれている。
「この辺りにスペースが空いているので、ここに私たちもテントを設置しましょう」
アマギリイナの指示で、アンカルヤたちもテントの設営を始めた。
篝火の頼りない明かりの下でもロウギスは手際よくテント設置し、アンカルヤも自分のテントをリフィリシアに手伝ってもらいながら組み立てた。
アマギリイナとサリイユも、一つのテントを二人で組み立てている。
「キミたちも、二人で一つのテントを共有しているのかい?」
「はい。付呪の効果で内部空間に余裕があるのに、個別にテントを設置するのはスペースの無駄使いですから」
彼女たちが設置しているテントはサリイユのもので、サイズはアンカルヤのテントよりも大きく、ロウギスのテントよりは小さい。エンチャントテントなので、内部の広さについては外見からの比較はできないが。
疲労で重い体を気力で動かし、アンカルヤたち五人はそれぞれのテントの設置を終える。
帰還部隊の皆も、設置した自分たちのテントの中で休んでいるようだ。つい先程までは賑やかだった中央の広場も、今は人影もまばらだ。
「では、私はこれから班長会議に向かいます。みなさんは休憩していてください。ですが後で会議の結果をお伝えしますので、まだ寝ないでくださいね」
「世話になる。疲れているところを申し訳ないが、かといって私が代わるわけにもいかないからね。よろしく頼む」
「お気持ちだけで、十分です。では行ってきます」
少しおぼつかない足取りで管理棟に向かうアマギリイナの背を見送るアンカルヤに、横からロウギスが話し掛けてきた。
「俺も、休む前に少しこの基地の様子を見てくる」
「今から? もう日も落ちているし、キミも疲れているだろう? 休まなくても大丈夫なのかい? それにトエベンネも、あまり基地の中をうろつくなと言っていたが?」
「確かに疲労はあるが、余力もある。それに、休む前にいくつか確認しておきたいことがあってな」
「――確認?」
「それについては、また後で話そう。なぁに、その辺の誰かに少し話を聞いてみるだけだ。ちょっとした情報収集さ。それよりもな、アンカルヤ――」
ロウギスはアンカルヤの耳元に顔を寄せて、小声で囁いた。
「リフィリシアの嬢ちゃんが今日のことを随分と気に病んでいる様子だ。フォローしてやってくれ」
「それは私も気にしていた。なんとかすると約束はできないが、とりあえず話しはしてみよう」
「ああ、よろしく頼む」
アンカルヤの返答にロウギスは表情を緩めると、懐から紐で括られた木片を取り出した。
「話は変わるが、これをお前のテントの入口に設置しておいてくれ」
「――何だね、これは?」
「こいつは鳴子を改造した呼び鈴のようなものだ。今朝は嫌な夢のせいで少し早くに目が覚めたから、時間つぶしに作ってみたのだ」
差し出された木片を、アンカルヤは怪訝な表情で受け取った。
「これが呼び鈴?」
「鳴子部分をテント内に設置して、結んである紐をテントの入り口の隙間から外に出しておくんだ」
「なるほど、外からその紐を引けばテント内の鳴子が鳴る仕組みか」
作りは雑だが頑丈そうだ。数個の木片を麻の紐でしっかりと結び付けてある。簡単には解けないだろう。
単純な仕掛けではあるが、朝のちょっとした時間でこんなものを作るとは、見かけによらず器用な男である。
「わかった。私のテントに設置しておくよ」
「そうしてくれ。俺のテントにも同じものを設置してあるから、俺に用があるときは使ってくれ。では、また後でな」
ロウギスは軽く手を振って、テントの前を離れていく。アンカルヤは彼の姿が篝火の向こうの闇に消えるのを見送り、それからリフィリシアを振り返った。彼女は思いつめた表情で地面を見つめていた。
「さあ、私たちはテントの中で一休みしようか」
「……あ、はい。あれ? ロウギスさんは?」
リフィリシアは、ロウギスがこの場を離れていったことに気が付かなかったようだ。周囲の様子に注意を払えないほど、落ち込んでいるらしい。
また難題を任されてしまったものだ。
落ち込んでいる女の子を慰めるなど、人生経験も浅い男子高校生にはなかなか難易度の高いミッションだ。
アンカルヤはリフィリシアにテントに入るように促した後、何気なく空を見上げた。
夜空は真っ暗で、星も月も見えない。どうやら日が落ちた後に雲が出てきたようだ。
明日の天候を心配しながら、アンカルヤもリフィリシアの後に続いてテントの中に入っていった。
テントの中の様子は、当然ではあるが今朝と変化はない。
ひんやりとした空気の中、魔法のランプの淡い明かりにテント内のインテリアが薄っすらと照らされている。
ここ数日をこのテントで過ごし、そろそろ見慣れてきた内装に、いつの間にか我が家のような安心感を覚えていることにアンカルヤは気がついた。実際、これからの長い旅の間はこのテントこそが我が家となるのだ。
だがアンカルヤたちが安堵を覚えた理由はそれだけではなかった。テントの中には、基地内に漂っていた臭いがない。ようやく悪臭から開放されて、二人は揃って大きく息を吐いた。
アンカルヤはテントの奥に進み、いつもの流れでストーブに薪を投入した。
「――今日はみんなの足を引っ張ってしまって、ごめんなさい」
リフィリシアが消え入りそうな声で謝罪して頭を下げた。
だがそんな彼女に、アンカルヤはゆっくりと首を横に振った。
「気にすることはない。むしろ謝らなければならないのは、私の方だ」
「えっ?」
ぽつんと立ち尽くしているリフィリシアに、アンカルヤはソファーに座るよう促した。
「キミには無理や不可能を求めたりしないと言っていたのに、今日はそれを求めてしまった。すまない」
「で……でも、私の体力が及ばないせいで、みなさんに迷惑をかけてしまったことは事実です」
アンカルヤは薪ストーブに火がともり暖かな空気が周囲に広がるのを確認すると、井戸の水を注いだケトルをその上に置いた。
「体力の不足など、そう簡単に解決できるものでもなかろう。それに、キミの体力が私やロウギスに及ばないことは事実だが、それは謝罪するようなことではないよ」
そう言葉を続けながら、アンカルヤはロウギスから受け取った鳴子の呼び鈴をテントの入口にセットする。シンプルな仕組みなので、設置には手間もなく時間もかからなかった。
「そもそも私たちの能力が均等である必要はない――というか、そんな前提がまずありえない。三人の人間が集まれば、それぞれに得手不得手があるのは当然だ。長所で貢献し、不足は補い合う。それが仲間というものだろう?」
一通りの作業を終えたアンカルヤはリフィリシアの隣に腰を下ろし、足を締め付けているブーツの紐を緩めて深々と息を吐いた。これでようやく、痺れと痛みを訴える両足を休めることができる。
「補い合うといっても、私はみなさんに何も貢献できていません……」
リフィリシアの言葉が一瞬理解できず、アンカルヤはポカンと間の抜けた表情を晒した。
「んっ? 何を言っているのだ? 私もロウギスも、キミにはとても助けられているよ。それどころか、私たち三人の中で最も活躍しているのは、間違いなくキミだ」
「まさか!」
アンカルヤの指摘は、リフィリシアにはあまりに予想外だったようだ。彼女は目と口を丸くしている。
「いやいや、何を驚くことがあるのだ? あの濃霧の中でロウギスと再会できたのも、ゴブリンの主力集団とゴブリンシャーマンを発見できたのも、どれもリフィリシアのおかげだ。それに加えて、私はキミに命を救われている。ロウギスがキミを百日背負ってもお釣りが出る大活躍だ」
リフィリシアは両手と頭をブンブンと左右に振った。
「それは私ではなく流星丸の力です!」
「流星丸の力は、キミの力だ。あの狼はキミの魔術なのだから。リフィリシア。キミはもっと自分の成したことに自覚と自信を持つべきだ。私もロウギスも、キミにはとても助けられている。それは間違いのない、確かなことだ」
「そう……でしょうか?」
アンカルヤの言いたいことは理解できても納得はできないようで、リフィリシアは困惑している。
「――まあ、こればかりは私がどうこう言ったところで、キミ自身が自覚できなければ認めることもできないか。だが、これだけは覚えておいてほしい。以前にも言ったことだが、私はキミの能力や貢献を目当てに仲間になったのではない。そこだけは思い違いをしないでくれたまえ」
そしてテントの天井に吊るされたランプを見上げ、アンカルヤは自嘲気味にポツリと言葉を加えた。
「むしろ、皆に貢献できていないのは私の方だろう」
「そ、そんなことは――!」
その呟きを即座に否定しようとするリフィリシアの言葉を、アンカルヤは片手で遮った。
「いや、事実だよ。ああ、それでも今の私がキミのためにしてあげられることが、一つあったね。貢献というにはあまりにも小さくて取るに足らない、ほんの些細なことに過ぎないかも知れないが」
「えっ?」
そしてアンカルヤは、リフィリシアの黒い瞳を覗き込む。
「キミの心配事を、一つだけ減らそう」
「――心配事、ですか?」
心当たりが無いのか、リフィリシアは戸惑った様子を見せる。
「どうもキミは先日の霧の中での出来事について、私に追求されたくないようだね?」
「あっ。あの、それは……」
「だから、キミの方から話してくれるまで、それらの事柄について私からは話題にしないと約束しよう。ただその前に、どうしても気になることがあるので、最後に一つだけ質問させてほしい。もちろん、答えられないというなら、それでも構わないが」
「それは……いえ、はい。それで、質問というのは?」
少しややこしい話になるので、アンカルヤは暫し頭の中の思考を整理して、一呼吸置いてから疑問を口にした。
「私もあまりはっきりとは憶えていないが、キミがまだ魔術を使えなかったときに、本当なら『古代の狼』が召喚できるはず、と言っていたと記憶している。だが、その後のキミの話では、流星丸とは昨日初めて出会ったようにも聞こえる。キミは、どの時点で流星丸と出会ったのかな?」
リフィリシアはいつ流星丸と出会ったのか?
どうでもいい事のように思える質問だったが、これは流星丸を信用できるか否かを判断するうえでキーとなる重要なポイントであった。
流星丸が以前からのリフィリシアの召喚獣であり、魔術が使えるようになったことで再び召喚できるようになったのであれば、何も問題はない。
だが、流星丸とリフィリシアの出会いが昨日の霧の中であったなら、事情が変わってくる。
あの霧の中で孤立していたリフィリシアは、今回の一連の出来事の背後にいる何者かと接触を持ったと思われる。もしこのときに流星丸とリフィリシアが出会ったのだとしたら、この巡り合わせにも何者かの仲介があったと考えるのが自然だろう。
もしこの推測が事実であれば、流星丸は何者か側に属する存在である可能性が高くなる。
だとすれば、果たして流星丸は信用してもよい存在なのだろうか?
「えっと、それは……流星丸と出会ったのは、昨日で間違いありません。それ以前に私が召喚できたはずの『古代の狼』は、流星丸とは別の狼です」
「なるほど、別の個体か。そちらも流星丸のような姿をしているのかな?」
「いえ。記憶にある限りでは大型犬くらいの大きさでした」
アンカルヤは、おやっと思った。
「だとすると、流星丸とは随分と違うね。両者を比較できるのなら、変だと思わなかったのかい? 流星丸を目にしたプレイヤーたちは皆、『古代の狼』ではなく『伝説の狼』だと判断したようだが」
「私も流星丸は『古代の狼』にしては大きすぎると思いました。でも、私のレベルで召喚できる狼系の召喚獣は『古代の狼』だけですから……」
リフィリシアはゲームの先入観からくる思い込みで、流星丸のことを『古代の狼』であると判断していたようだ。
「流星丸の分類はともかくとして、今のキミは二種類の狼を召喚できるのかい?」
リフィリシアは少し考えてから、首を左右に振った。
「う~ん。まだ試してはいませんが、それは難しいと思います」
「それは、どういうことかな?」
「その……とても感覚的なことなので、言葉では説明がしにくいのですが、私の中に流星丸以外の召喚獣との繋がりが感じられないのです」
「繋がり?」
「召喚の魔術の使用は、その繋がりを手繰って引き寄せるような感覚なんです」
魔術師ではないアンカルヤには理解の難しい説明だったが、彼女の言いたいことは漠然とだか把握できた。
「つまり、魔術が使えるようになったといっても、今のキミが魔術で召喚できるのは流星丸だけということかな?」
「はい。多分、私の中身がプレイヤーに変わったときに、他の召喚獣との繋がりが途切れてしまったのだと思います」
なるほど、とアンカルヤは頷いた。キャラクターの意識がプレイヤーのものに切り替わったときに、他の召喚獣との精神的な繋がりがリセットされてしまったのだろう。
「魔術は精神との関わりの深いスキルだ。だから、キャラクターとプレイヤーの精神が融合した影響が、他のクラスよりも大きいのかもしれないね」
「確証はないですが、多分そういうことだと思います」
しかし、唯でさえややこしい状況に陥っているというのに、更に厄介な要素が増えてしまった。
「そうか。話が途中から少し脱線してしまったが、キミが流星丸と出会ったのは、昨日か……」
流星丸の存在、特にその能力はアンカルヤたちにとって、とても都合が良いものだった。だが、都合が良すぎるのだ。現状において何よりも必要で、しかし不足していた能力が、それが最も必要となったタイミングで手元に転がり込んできた。これが偶然だとしたら、お金がなくて困っているときに道で拾った宝くじが高額の当たりくじだったというレベルの幸運だ。
にわかに信じがたい幸運も、フィクションならばご都合主義の一言で解決する。だが現実となると、幸運などではなく何者かの意図の介在を疑うのが常識的な思考だろう。
物事があまりに都合よく進行するとき、その幸運を都合がよいと喜ぶ人間と、その幸運を都合がよすぎて何か可怪しいと疑う人間がいる。アンカルヤは後者であった。
もちろん、そういう幸運が現実に存在しうるものであることはアンカルヤも理解している。しかし、そういった幸運が自分に縁のないものであるということも理解していた。だから、これが単なる幸運であるという可能性は、アンカルヤにとって到底納得できるものではなかった。
流星丸とリフィリシアの出会いに何者かの仲介があったとするなら、その何者かの目的は極めて重要だ。今後も流星丸と行動を共にするならば、絶対に把握しておかなければならない。
アンカルヤが流星丸と共に行動したのは、せいぜい半日程度。しかし、その短時間の間でもアンカルヤは流星丸のあまりに便利すぎる能力に何度も助けられ、知らず知らずの間に依存していた。正体不明の存在に、依存してしまっていたのだ。
流星丸はアンカルヤが偽ロウギスに襲われたときに助けてくれた命の恩人だ。
それだけではない。もし流星丸がいなければ、霧に覆われた森の中で遭難して命を落としていたかも知れない。ロウギスと再会できなかったかも知れない。ゴブリンシャーマンとの戦闘でも戦力の不足で返り討ちにあっていたかも知れない。
それは言い方を変えれば、それだけ多くの裏切りの機会があったということだ。いずれの場面であっても、流星丸の裏切りがあればアンカルヤたちは危機的な状況に陥っていただろう。それこそ、命を失っていても何もおかしくない状況に。
もしアンカルヤたちと流星丸との巡り合わせの背後に何者かの思惑が隠されているのであれば、それが判明しない限りは流星丸を信頼することはできない。
流星丸はとても頼りになるが、それ故に依存してしまうのは危険だった。
「いろいろと話してくれて、ありがとう。この件について、私からの質問はこれで終わりだ。――済まなかったね。最後に一つだけと言っておいて、話の流れで色々と質問を重ねてしまった」
「いいえ、構いませんよ。気にしないでください」
リフィリシアはアンカルヤとの会話で多少は気が紛れたのか、先程までの思いつめた表情は和らいでいた。そのことに安堵を覚えつつ、アンカルヤは肩の力の抜いてソファーの背もたれに体重を預けた。
あの魔法の霧の中で、孤立していたリフィリシアが何者かと接触していた可能性は高い。そしてその何者かは、ゴブリンシャーマンの背後で暗躍し、アンカルヤに偽ロウギスを差し向けてきた者と同一か、そうでなくても関係者であることは間違いないだろう。状況的に見て、無関係だと考えるほうが無理がある。
アンカルヤたちは、自分たちの与り知らぬところで、何者かの思惑に巻き込まれてしまっている。リフィリシアと流星丸の出会いもそれと無関係ではなく、そんな得体の知れない思惑の一端であると思われる。だが、この出会いも何者かの思惑であるなら、その目的は?
問題なのは、アンカルヤたちが手にしている情報からでは、何者かの思惑と目的が全く推測できないことだ。何がしたいのか、あるいは何をさせたいのか。それが明らかにならなければ、対策も取れない。
アンカルヤは偽ロウギスの襲撃で危うく命を落としかけた。しかし、何者かの目的が彼女の命であった可能性は低い。偽ロウギスはアンカルヤに対して剣を抜いたとき、唐突に動きが悪くなった。あれは明らかに手加減だ。でなければ、アンカルヤは間違いなく死んでいた。おそらく彼女の負った重症も、リフィリシアの救援が間に合うことを前提としたものであり、命を奪う気はなかったのだろう。
そして流星丸とリフィリシアの出会いも、その何者かの仲介によるものだとしたら、何者かは敵対的な妨害者どころか、アンカルヤたちの支援者と言っても過言ではない。流星丸は、それほどの恩恵を彼女たちにもたらしている。だが、理由のわからない親切というのは、とても気味の悪いものだ。
何者かの行動によって、アンカルヤたちは損害と利益の両方を受け取っている。そして双方を差し引きすると、今の所は利益の方が大きい。だからといって、単純に何者かがアンカルヤたちの味方であるとは考えられない。もしそうであれば裏に隠れてコソコソと行動する理由もないし、そもそもアンカルヤを傷付けたりはしないはずだ。
何者かのアンカルヤたちに対する干渉は不可解なものばかりで、支援者であるとも敵対者であるとも判断がつかない。その得体の知れなさが、とても不気味だった。
答えに繋がる道筋の見えない謎に、アンカルヤは険しい表情で思案に暮れた。
「あっ」
唐突に一つの疑問がアンカルヤの脳裏に浮かんだ。
流星丸という名前は、誰が名付けたのだろうか?
普通に考えれば、召喚主であるリフィリシアだろう。
あるいは、あの狼は高い知性を持っている様子があった。もしかしたら、自らそう名乗ったのかも知れない。
だが、もしどちらでもないとすれば――、名付けたのは誰だ?
リフィリシアに聞けば答えはわかるかもしれないが、彼女には質問はこれで終わりと言ってしまっている。今更、もう一つ質問したいとは言い出しにくい。
「――どうかしましたか?」
アンカルヤのなにか言いたげな様子に、リフィリシアが小首をかしげる。
「いや、その……流星丸という名前は格好良いなと思っていただけだよ。あの狼にこれほど相応しい名前を付けるなんて、リフィリシアはセンスがいいね」
「そ、そうですか? えへへ。あの子を一目見た瞬間に、この名前が頭の中にパッと浮かんできたんです」
――そうか、名付けたのはリフィリシアか。
約束を破って質問を付け加えられたことにも気付かず、リフィリシアは素直にネーミングセンスを褒められたと照れくさそうに喜んでいる。
その様子にアンカルヤは少なくない罪悪感を感じて、気まずそうに彼女から目を逸らした。




