チュートリアルの終わり・1
アンカルヤたちは、遺跡街への帰還第一陣と共に北の広場を出発した。
野営地の設営されている高台を下り、川の西側の河原を北上する。
このルートは、昨日セドネトに案内されて歩いた場所のはずだが、霧に覆われていたときとは随分と印象が異なる。あの不安を掻き立てる不気味さはどこにも残っていない。
昼下がりの高い太陽に、疎らに浮かぶ白い雲。冷たい風にそよぐ木の葉。耳に心地よい川の水音。風景だけを見れば、理想的なハイキングコースだった。
この帰還部隊の目的は、取り逃がしたゴブリンから遺跡街を守るための防衛任務に就くことである。決して、戦いが終わったから街に帰ってハイ解散、といったものではない。これは帰還というよりも、移動といったほうが正確だろう。
つまりアンカルヤたちは、遺跡街の防衛任務に向かう部隊の移動に便乗する形で、遺跡街に向かうことになる。目的地は同じでも、目的は異なるのだ。
あまり目立ちたくないアンカルヤたちは、ひっそりと集団の最後尾についていた。
他のプレイヤーたちは、たまにチラチラと彼女たちの方を振り返っていたが、そこから一歩踏み出して話し掛けてくる者はいなかった。
双方の立場の違いが、見えない壁となっているようだった。
そんな微妙な空気と距離感に居たたまれない思いを感じながらも、アンカルヤは他のプレイヤーの様子を観察していた。それを意図していたわけではないのだが、一団の最後尾というのは全体を観察するのに最適のポジションだった。
今、最も気になっているのは、いつの間にかこの一団に随伴していた一匹の狼だ。
大きさは大型犬ほど。ふさふさした黒い毛並みに、がっしりとした体格。
おそらく誰かが魔術で召喚した『古代の狼』だろう。野生の狼に比べると随分と立派な姿をしている。
だが、流星丸に比べるとかなり見劣りしてしまう。これが標準的な『古代の狼』の姿だとすると、流星丸は間違いなく『古代の狼』ではない。明らかに存在感の次元が違った。
「前方にいるあの狼は、召喚獣の『古代の狼』かな?」
「うん、『古代の狼』だね」
「だが、討伐隊に『古代の狼』がいたのなら、霧の中でもゴブリンの攻撃を事前に察知できたのでは?」
「それは、昨日討伐隊が襲われた奇襲攻撃のこと? う~ん、そのはずだったんだけど、あの霧には『古代の狼』の感覚を鈍らせる効果があったみたいなのよね」
アンカルヤの疑問に対するサリイユの答えに、アマギリイナが補足を付け加える。
「それに気付かず、『古代の狼』の探知能力を過信して油断していたことも、ゴブリンの奇襲を受けてしまった原因の一つですね」
だが、それは妙な話だ。
流星丸は、あの霧の中でも周囲の様子を苦もなく察知していた。つまり外見だけではなく、能力面でも『古代の狼』とは異なるということだ。
だとすると、謎はさらに深まる。流星丸は何者なのだろう? そしてリフィリシアは、その答えを知っているのだろうか?
「その、奇襲についてなんですが、気になることがあるので聞いてもいいですか?」
右手を小さく上げ、リフィリシアが控えめな態度で疑問を口にした。
「討伐隊がゴブリンの奇襲を受けたのは、野営地の北の河原。時間は昨日の昼過ぎ、霧の発生した直後くらい。つまり野営地の手前で、野営地のある場所に到着する前ですよね?」
「うん、そうだよ」
「でも、私たちが野営地の煙を見付け、そちらに向かうことにしたのは昨日の朝です。その時点では、まだ討伐隊は野営地を設置していないはずだから、時間の前後関係がおかしくありませんか?」
「――ん?」
リフィリシアが何を疑問に思っているのかわからず、サリイユは首を傾げた。
しかしアマギリイナはリフィリシアの疑問点に気がついたようだ。
「ああ、そういうことですか。野営地を開設したのは討伐隊の本隊ではなく、先行部隊です。彼らが本隊の到着前に野営地を設置し、本隊の受け入れ準備を整えていたのです。ですので昨日の朝の時点で野営地が設営済みで、討伐隊本隊がまだ野営地に到着していないというのは矛盾ではありません」
リフィリシアの発した疑問は、アンカルヤとロウギスが見落としていた事柄だった。
いわれてみれば、確かに野営地と討伐隊の関係は時系列が前後に入れ替わっているように見える。この疑問に気が付かなかった二人は、迂闊だったといえるだろう。
野営地が設置されたタイミングなど、アンカルヤたちには全く関係のない、どうでもよいことだ。その疑問に至らなかったからといって、それで何か不都合があるわけでもない。
だが、そういった取るに足らない見落としの積み重ねが、結果として致命的な失敗につながるというのは、十分にあり得ることだ。だから、どんなに些細な事柄であったとしても、見落としても構わない疑問などというものは存在しないのだ。
しかし昨日は様々な出来事が連続し、考えることや判断すべきことが沢山あった。あの状況では、このような小さな見落としの発生を避けることは難しかった。
これは見落としたアンカルヤとロウギスを責めるのではなく、疑問に気がついたリフィリシアを褒めるところだ。
そして、こういった至らない点をお互いにフォローし合うのが、仲間というものだろう。
奇襲の話をしながら河原を北に進んでいくと、まさにその地点に差し掛かった。昨日、討伐隊が霧の中でゴブリンの襲撃を受けた場所だ。
そこでは十人ほどのプレイヤーたちが、現場の後片付けを行っていた。
昨日はそこかしこに転がっていたゴブリンの死体は、一箇所に積み上げられて燃やされている。
ゴブリンが使用していた剣や槍といった装備類も、拾い集めて一纏めにしてある。
だが、まだ地面には大量の血痕や魔法による焼け跡など、生々しい戦いの痕跡が残っていた。
遺跡街への帰還部隊も、ここを通り抜ける間は口数も少なく、終始無言だった。
襲撃現場を通り抜けた後も、一行は重い空気を引きずったままだった。
そんな雰囲気を紛らわせようと、ロウギスが軽い口調で気楽な話題を持ち出した。
「しかし、このアマギリイナ班だが、女子ばかりでどうにも落ち着かない」
「全くだ。周りが女の子ばかりだと、緊張してしまうね」
しかしロウギスは、アンカルヤに同意ではなく当惑の表情を向ける。
「いや、お前も女子の一員だろう?」
「ん? ああ、そうか。今は私も女子の側だったか。となると、この班で男はキミだけか。可愛い女の子に囲まれて、嬉しいのでは?」
「いやいや、勘弁してくれ。十代の頃ならともかく、この歳で若い娘さん方に囲まれても、どう接すればいいのか全くわからん」
「ああ、うん。接し方がわからないというのは、私も同じだよ」
アンカルヤとロウギスは互いに視線を合わせ、揃って情けない表情で小さく笑った。
だが、王冠物語はマイナーなPCゲームだ。プレイヤーの男女比は大きく男性側に傾いている。だからアマギリイナとサリイユも、アンカルヤと同様に元は男性だという可能性は低くない。つまり見た目とは逆に、実はこの班の女子はリフィリシアだけということもあり得るのだ。
果たしてこの状況を女子ばかりといってよいのか、アンカルヤは疑問に思った。
かなりのハイペースで北に向かって進んでいた遺跡街への帰還部隊が、おもむろに足を止めた。
そこは、昨日流星丸が集団の渡河の痕跡を発見した場所だ。
一団の先頭にいるトエベンネがラッパを鳴らして皆の注目を集めた。
「全員、揃っているな? 我々はここで川を東に渡る。対岸に到着後は三十分ほど休息を取る。各自、濡れた装備はしっかりと乾かし、冷えた体は温めておくこと」
トエベンネの指示に従い、皆が渡河の準備を始める。
アンカルヤのブーツには、『保温』の他に『防水』の付呪も重ねがけされている。なので浅い川であれば、このまま水に入っても問題ない。
リフィリシアは靴を脱ごうとして、それをアマギリイナとサリイユに止められる。
「待ってください。靴は履いたままで。裸足で川を渡って、足を怪我したら大変です。まだ先は長いですから」
「そうだね。濡れた靴や靴下は、向こうの河原で乾かしたらいいわ。予備の靴があるなら、川を渡ってから履き替えたらいいよ」
徒歩での長距離の移動では、靴と靴下の予備は必須だ。アンカルヤも、今履いているブーツに万一のトラブルがあった場合に備えて、バックパックの中に予備の靴を用意してある。
「ところでアマギリイナ。他の場所ではなく、ここで川を渡るのには、なにか理由でも?」
「ここは他に比べ、川幅こそ広いですが浅くて流れも緩いのです。両方の河原も広くて見通しがよいので周辺の安全確認がしやすく、多人数が休息を取ることのできるスペースも十分に確保できます。それらが、ここで川を渡る理由ですね」
「なるほど。川など、どこで渡っても同じだと思っていたが、色々と考えているのだね」
バシャバシャと水音を立てて、三十四人の集団が川を渡る。
川の幅は十メートル弱といったところか。浅くて流れが穏やかとはいえ、川底は石がゴツゴツしていて歩きにくい。加えて、ヌルヌルした水草にも足を取られる。アンカルヤたちは何度も転びそうになったし、実際に派手に転んで水浸しになってしまった者もいた。
そんなちょっとしたトラブルもあったものの、ほんの十分ほどで全員が無事に川を渡り終えた。
対岸では班ごとに焚き火を用意し、皆がそれらを囲んで暖を取りつつ短い休息を過ごしていた。
焚き火に使う枯れ枝や枯れ葉を拾い集めている者、地面に腰を下ろして荷物を整理している者、仲間との雑談で盛り上がっている者、干し肉を焚き火で炙っている者など、様々だ。
アンカルヤたちも、サリイユが用意してくれた焚き火を囲んで一息ついていた。
『防水』の付呪の効果でアンカルヤの足が濡れることはなかったが、『保温』の付呪は川の水の冷たさに抵抗できず、彼女の足は冷え切っていた。感覚のなくなった冷たいつま先に、焚き火の熱がジンジンと染み入る。
リフィリシアは濡れた靴と靴下を脱いで裸足になると、足をタオルで拭き、そして予備の靴に履き替えた。濡れた靴と靴下は、焚き火の側に置いて乾かしている。
「リフィリシア。キミの靴には付呪はないのかい?」
「低レベルですが『耐久上昇』の付呪を施しています。『防水』や『保温』があればよかったのですが――」
「いや。補給に不安のある状況では、それらの付呪よりも『耐久上昇』の方が優先度が高い」
『耐久上昇』は装備品の劣化を低減する付呪だ。修復の効果こそないものの、それでも十分に有用な付呪魔術である。
「そうですね。ここから先は森の奥へと進み、険しい山道を歩くことになります。靴への負担を考えると、『耐久上昇』の付呪の効果はとても大きいでしょう」
「――待て、アマギリイナ。ここから先は森に入るのか? このまま河原を進んでいくのだと思っていたのだが」
森の中を進むというのは予想外だった。アンカルヤは、この河原を北に進めば遺跡街に到着できるのだと勘違いしていた。
「そのルートはかなりの大回りになるので、到着までに倍以上の時間がかかってしまいます」
「しかし、森の中を進むのは危険ではないか?」
「この河原を北上しても、最終的には森に入ることになります。どちらのルートも危険性に大差はありません。この先は、かなり厳しい道程となります。ここで十分に休息をとって、次の移動に備えておいてください。この先の森では、これまでに何人ものプレイヤーが命を落としています。森の中に取り残されないよう、頑張って付いてきてくださいね」
リフィリシアが不安そうに表情を曇らせた。アンカルヤも顔には出さなかったが、内心はリフィリシアと同様であった。
遺跡街までは、徒歩で一日。
そう聞いて、油断していた。一日で到着する程度の距離ならば、大したことはないと。
だが実際は、そんなに甘くはないらしい。これは遠足でもなければ、ハイキングでもないのだ。
そんな当たり前のことを、アンカルヤは改めて自覚した。
思えば、数日前に西の森で気が付いたときから、ずっとそうだったではないか。この島では、どのような行動も常に死と隣り合わせだった。
しかし、ロウギスとリフィリシアと出会い、そして多くのプレイヤーたちと合流し、大きな戦いを無事に乗り越えたことで、無自覚のうちに気が緩んでしまっていたようだ。心の中のどこかで、死の危険が遠のいたと勘違いしていた。昨日、命を落としかけたばかりだというのに。
手遅れになる前に、自分の迂闊さを自覚することができてよかった。
もうすぐゲームの舞台となっていた地下迷宮の本物を見ることができるのだ、と観光気分でワクワクしていた脳天気な自分に、アンカルヤは苦笑いするしかなかった。




