状況確認・4
接近する足音に気がついたアンカルヤが、座っていた岩の上から腰を浮かせる。そしてその足音がアマギリイナのものであることに気付き、警戒を解いた。
「ただいま戻りました。遺跡街への帰還は予定通りとのことです。間もなく出発の合図があるので、いつでも行動できる状態で待機していてください」
「予定通り? その予定では、遺跡街にはいつ頃到着することになっているのだ?」
「最短ルートを進む予定なので、何事もなければ明日の昼過ぎには遺跡街に到着します」
つまり何事かがあれば、到着は遅れるということだ。
ロウギスとアマギリイナの会話を側で聞いていて、アンカルヤはこれから先に何事もないことを願わずにはいられなかった。なにしろここ数日は、常に何事かの出来事の連続だったのだから。
「明日の昼に到着予定ということは、夜を挟んで丸一日かかるということか」
なるほど、街から最短距離で一日の圏内にゴブリンの大集団が現れたとなると、それは見過ごすことのできない脅威である。このような大規模な討伐隊が編成されたのも当然だろう。
「ところで、この野営地の様子はどんな感じだ? 昨夜の戦いでは、野営地の警備に向かうという連中と出会ったのだが、こちらは襲われなかったのか?」
そう言って、ロウギスは岩陰から野営地内の様子を窺う。
アンカルヤも野営地の警備に向かった一団のことを思い出した。彼らはあの後、無事にこの野営地に到着できたのだろうか?
「そうですね。昨夜は野営地周辺でも散発的に小規模な戦闘があったそうですが、全て撃退しています。こちらに損害はありません」
「野営地に問題はなしか。それは幸いだな」
しかしアマギリイナは首を振って、ロウギスの言葉を否定した。
「いえ、何も問題がないというわけでもありません。討伐隊の中に、厄介なデマが広まってしまっているようなのです」
アマギリイナの言葉に、リフィリシアと楽しそうに談笑していたサリイユが表情を変えて振り返る。
「厄介なデマって、なに?」
「そうですね――サリイユはともかく、まだこの世界に来たばかりのみなさんは遺跡街の現状や各勢力、抱えている諸問題を知らないでしょうから、そこから説明していたら長くなってしまいますね」
なので大まかな概要だけを説明しますね、と前置きしてアマギリイナは討伐隊内で広まっているデマについて語った。
昨夜の戦いでは、討伐隊はゴブリンの集団に対して奇襲攻撃を仕掛ける予定でいた。
まずゴブリンの集落に接近し、リーダーであるゴブリンシャーマンを発見次第、『火炎球』の魔法で集落ごと標的を焼き払うという作戦だ。
しかし、集落にゴブリンシャーマンの姿は見当たらなかった。討伐隊には知る由もないことだったが、このとき既にゴブリンシャーマンは集落内の洞窟から北の森に逃走していたのだ。
濃い霧と夜の闇が、討伐隊の目を塞いでいた。
そこで総指揮官であるリゴウズは作戦の変更を決定する。
当初の予定では、まず『火炎球』の魔法の不意打ちで敵を混乱させ、その後に『月明け』の魔法で戦闘を行うための明りを確保するという手筈となっていた。
だがリゴウズは、奇襲攻撃よりもゴブリンシャーマンの発見を優先することにした。そして、攻撃よりも先に『月明け』の魔法でゴブリンの集落を照らすように指示を出す。
ところが奇襲攻撃にこだわる一部の者が先走り、作戦の変更を無視して『火炎球』の魔法を使用して攻撃を開始してしまう。
なし崩し的に戦闘が始まってしまい、討伐隊は組織的な行動が困難な混乱状況に陥ってしまった。
「その話なら、私たちも聞いたよ。たしか自警団とかいう連中が、勝手に攻撃を始めてしまったという話だったかな?」
「俺たちにはよくわからなかったが、デルトカンが随分と憤慨していたな。だが、デマということは、その話は事実とは違うということか?」
アマギリイナは眉間に皺を寄せた。
「はい。みなさんの耳にも届いているとなると、このデマはかなり浸透してしまっているようですね。実際には、命令の伝達ミスです。『火炎球』と『月明け』の使用順が入れ替えになったことが伝わらず、『月明け』の使用指示だけが前線の魔術師に届いてしまったのです」
サリイユがポンと手を叩いた。
「あっ、なるほど。予定では『月明け』の前に『火炎球』で攻撃することになっていたのに、先に『月明け』の使用指示が来て焦ってしまったんだね。その前に、早く『火炎球』で攻撃を始めないとって」
「そういうことです。そのミスが、なぜか自警団が勝手に攻撃を始めてしまったという話になって、混乱の中で広まってしまったようです」
その結果、討伐隊はゴブリン集落の北側を手薄にしてしまい、アンカルヤたちはそのフォローのために北上し、そこでゴブリンの主力集団と遭遇した。
つまりこのミスがなければ、アンカルヤたちはゴブリンの主力集団を捕捉できなかった可能性が高い。
運がいいのか悪いのか、とアンカルヤは嘆息した。このところ、溜息をつく機会が多いなと思いながら。
「おいおい。それでは自警団とやらは、他人のミスの濡れ衣を被らされたということか?」
呆れた様子のロウギスに、アマギリイナが頷く。
「そういうことになりますね。他人のミス、という表現には少し語弊がありますが」
「話を聞いていて少し気になったのだが、そのデマは単に誤解が広まっただけのものなの? それとも、何者かが悪意を持って広めたものなのか?」
アンカルヤの質問に、アマギリイナは苦々しげな表情で顔を伏せた。
「不明ですが、残念ながら後者の可能性も否定できません。何れにせよ、このデマの根本に自警団に対する周囲の不信感があるのは間違いありません」
不信感と言われても、遺跡街での自警団の立場を知らないアンカルヤたちにはピンとこない話であった。
「その、指示の伝達ミスの方がデマである可能性は?」
「それはありません。前線にいた魔術師への聞き取りで、確認済みだそうです」
この話をアンカルヤはかなり深刻に受け止めていた。
疑問を感じることもなく受け入れていた情報が実はデマだったという事実は、今後の教訓として胸の内に留めておかねばならないだろう。
デマに踊らされて見当違いの方向に突き進み、その結果取り返しのつかない状況に陥ってしまっては目も当てられない。
これから元の世界に戻るための情報を集めるにあたって、その内容の真偽については慎重に判断する必要がある。その事に、自分には無害なデマで気付くことができたのは幸運だった。
サリイユが大げさな仕草で頭を左右に振り、皮肉っぽくフッと息を吐いた。
「あ~あ。せっかくの敵のボスを倒したのに、変なデマのせいでケチが付いちゃったね」
「全くです。これだけの規模の戦いにも関わらず、怪我人こそ多数出たものの死者も行方不明者もなし。敵の大半を取り逃がすも、ゴブリンシャーマンの討伐には成功。序盤の躓きを含めても、上々の戦果と言えます。それだけに、残念です。このデマが今後に影を落とさなければよいのですが……」
討伐隊の勝利を手放しで喜べない状況に、アマギリイナはがっかりと肩を落とした。
野営地に、少し調子はずれなラッパの音が鳴り響いた。
「あっ! これは集合の合図です。集合場所は野営地の北の広場です。案内しますので、私に付いて来てください」
いつでも出発できる状態で待機していたアンカルヤたちは、アマギリイナの先導で野営地の中を北に向かった。
アンカルヤは周囲の様子を観察ながら、野営地の中を進んでいく。
前に訪れたときと違い、野営地内はプレイヤーたちでごった返していた。
昨夜の戦闘に参加していたのであろう、全身が血や煤に塗れている者の姿も目に付いた。
野営地の雰囲気は勝利の活気に沸いていたが、同時にどこか喜びきれない空気も伴っていた。おそらくそれは、例のデマの影響だろう。
ここでも、やはりアンカルヤたちは注目を浴びた。
しかし、アンカルヤには注目の種類がこれまでとは少し異なるように思えた。
彼女が感じた雰囲気の差異を、リフィリシアが言葉にした。
「私たち――というよりも、アンカルヤさんが注目されていませんか?」
「アンカルヤは美人だからね。そりゃあ、注目されるよ」
「こちらは前線と違い、新人が活躍したという話はまだ広まっていないようです。なので見慣れない新人よりも、見慣れない美人の方が注目されるのでしょう」
サリイユとアマギリイナは周囲の視線の変化を、そう説明した。
アンカルヤは自分が美人であることをちゃんと自覚している。
だが、この美しさは作り物だ。
彼女の身体は、錬金術によって様々な調整を受けている。それは運動能力や耐久力の強化にとどまらず、獲物の興味を引くために容姿にも手を加えていた。審問官になる前の彼女を知る者が今のアンカルヤを見ても、同一人物であるとは気付かないだろう。
もちろんアンカルヤも、自分の容姿を褒められて悪い気はしない。
だがそれは、自分が褒められているというよりも、自分の作品が褒められているという感覚であった。
「だが、基になっているのはゲームのキャラクターだ。美人など、珍しくもないのでは?」
王冠物語は、かなり自由なキャラクターメイクが可能なゲームだ。さらにModを使用すれば、容姿の設定に制限はない。
そして女性キャラクターは男性キャラクターと違い、容姿にこだわるプレイヤーが多い。
現にアマギリイナもサリイユも、そして当然リフィリシアもかなりの美少女だ。
「だとしても、アンカルヤさんはその中でも間違いなくトップクラスの美人ですよ」
アンカルヤはアマギリイナに容姿を絶賛され、面映ゆさに頬を火照らせた。
その横で、リフィリシアが何故か得意げな顔でウンウンと頷いていた。
アンカルヤたち一行は野営地の中心付近、多数のテントが立ち並ぶ区画に差し掛かった。
テントの中で横になっている負傷者の数は、昨日に比べてかなり増えていた。
それは、昨夜リゴウズが話していた治癒薬の希少性を実感させられる光景だった。
自分が多量の治癒薬を所持していることを意識すると、周囲から寄せられる視線にアンカルヤはいたたまれない居心地の悪さを感じた。
彼女は気まずそうに、テント内の負傷者たちから目を逸した。
テントが集まる区画を抜けて、一行は集合地点である野営地の北側の広場に到着した。
すでにそこには三十人ほどの集団が集まっていた。
彼らからの視線を浴びながら、アンカルヤたちは集団の中心へと進んだ。
そして皆を先導するアマギリイナは、一人の男の前に立ち止まった。
「アマギリイナ班、計五名、到着しました。全員、準備よし。いつでも出発できます」
「ん。君たちで最後だ。これで全員揃ったな」
アマギリイナの報告を受け、その男は名簿を片手に頷いた。それから彼女の背後に立つアンカルヤたちに視線を向ける。
「君等のことは、リゴウズから聞いている。昨夜は大活躍だったそうだな。僕はトエベンネ。遺跡街への帰還第一陣の指揮を任されている。よろしく」
トエベンネは中肉中背の冴えない中年男性だった。
ボサボサの赤毛に生気の薄い緑色の瞳。だらしのない無精髭。顔つきにも締まりがない。とても一団の指揮を任されるような人物には見えない。
ロウギス、リフィリシア、そしてアンカルヤ。それぞれの顔を一瞥したトエベンネは一歩前に進み、アンカルヤの前に立った。
「そして君がアンカルヤ君だね。まさかこんなところで君と出会えるとは思っていなかった。グラウイドウが皆の気を引くために大げさに語っているのだと思っていたが、本当に彼の言葉通りの美人だな」
「グラウイドウか。私の与り知らぬところで、随分と私のことを喧伝してくれているらしいね。奴を見つけたら、文句を言ってやらねば」
「なんだ、まだ彼には会っていないのか? まあ、褒めるばかりで悪くは言っていないから、安心するといい」
褒めるとか褒めないとか、そこはどうでもいい。自分の知らない人間が自分のことを知っているという状況が、アンカルヤにはとても気持ちが悪いのだ。
「奴もこの討伐隊に?」
「僕も全ての参加者を把握しているわけではないけど、少なくともこの作戦中に彼の姿は見ていないな」
「そうか、それは残念だ。見付けたら、口を縫い合わせてやる」
「その時は手加減してやってくれ。君のことを随分と心配していたからな」
トエベンネは「それではまた」と会話を切り上げ、一行の前を去っていった。
その背を見送るアンカルヤに、ロウギスがそっと近付いて小声で囁きかける。
「アンカルヤ。あの男……」
「ああ。キミの言いたいことはわかるよ」
トエベンネは気さくで温厚そうな雰囲気を漂わせる中年男性だ。
だが、アンカルヤの中の彼女の部分が彼を警戒している。
彼はあまりにも印象が薄い。薄すぎるのだ。
例えばロウギスとリフィリシアは、見た目からそれぞれ戦士であり魔術師であるとわかる。
アンカルヤも、審問官の装備を知っている者が見れば、一目で彼女が死の神殿に属する審問官であるとわかる。
アマギリイナは白を基調とした軽騎兵の装備を身に着けている。そこに刻まれた秩序の神の表象を見れば、彼女が神殿騎士であると推測することができる。
サリイユは森林で迷彩となる配色の服装に、狩猟弓と矢筒を背負っている。誰の目にも明らかに狩人である。
しかしトエベンネは、外見から得られる情報量が極端に少ない。
少なくとも見た目から彼のクラスを推測することは困難だ。剣を振るうのか、それとも杖を振るうのか。どの程度の実力を持っていて、どのような戦い方をするのかも想像できない。
この印象の薄さは、間違いなく意図的なものだ。
彼は一見、人の良さそうな人物に見えて、実際には油断のならない男である。
野営地の北の広場に、再び調子外れのラッパが鳴り響いた。
その場に集合していた三十四人のプレイヤーは、一斉に音の方を注目した。
そこには古びたラッパを手にしたトエベンネが小さな岩の上に立ち、皆を見下ろしていた。
「我々はこれより、遺跡街に向けて出発する。今日は夕刻までに第一採集基地に到着し、そこで一泊の後、明日の昼過ぎには遺跡街に到着する予定だ。道中は様々なトラブルが予想される。全員、注意を怠らないこと。各自、単独行動は避けて、常に班単位で行動すること。各班の班長はメンバーを常に把握し、何かあれば速やかに僕に報告――」
「ちょっと待て!」
トエベンネの近くにいた大柄な男が、彼の言葉を遮った。
「あんたは、兎のうろ傭兵団だろ? なんで俺たちの指揮をとっている。あんたが向かうのは遺跡街じゃなく、海の家だろう!」
不機嫌さを隠そうともしない大男の剣幕に全く動じることもなく、トエベンネは薄い笑みを浮かべる。
「決定したのは僕ではなく、この討伐隊の指揮官だよ。不満があるなら、そちらにどうぞ」
「――くっ!」
抗議の声を上げた大男は、トエベンネの返答に悔しそうに口を噤んだ。
兎のうろ傭兵団というのは初めて聞く名前だ。
そして、海の家というのも気になる。まさかこの島で海水浴を楽しむような者がいるとも思えないが。
なんにせよ、よくわからないいざこざは他所でやってくれというのが、アンカルヤの感想だった。
「――遺跡街ってのは、いろいろと面倒くさい状況にあるようだな」
呆れを含んだロウギスの言葉に、アンカルヤは無言で同意した。
初っ端から前途多難を思わせる出だしとなったが、いよいよ遺跡街に向けて出発である。
ゲームの王冠物語は、プレイヤーがいきなり迷宮島の森の中に放置された状態でスタートする。
そして、そこから迷宮の入り口を目指す。その過程で、プレイヤーはこのゲームの基本的な操作方法や楽しみ方のコツなどを学ぶのだ。つまり、迷宮島の森から迷宮の入口に向かう道程は、このゲームのチュートリアルなのだ。
それは現実化したこの世界でも同様だった。アンカルヤがこの森の中で立ち尽くしていたのは、ほんの数日前のことだ。それから様々な出会いと困難を経験してきた。だがそれらは、この世界で生きていくためのチュートリアルでしかない。
これまでの経験は、旅の始まりですらない。星去り峰への旅路。そのスタートラインがようやく見えてきたに過ぎないのだ。
星去り峰はまだ遠く、西の水平線の遙か彼方であった。




