状況確認・2
アンカルヤがテントに戻ると、薪ストーブの上に置いておいたケトルが白い湯気を吹き出しながらチンチンと音を立てていた。
彼女はソファー横のサイドテーブルの棚から、ティーポットとハーブの入った瓶を取り出した。
そしてティーポットに乾燥させたハーブを放り込むと、ケトルの湯をドボドボと注ぐ。
お茶にこだわりのないアンカルヤらしい、なんとも雑な淹れ方であった。
しかし、以前の彼女ならこれほど適当な淹れ方であっても、なぜか標準以上のお茶が仕上がっていた。なんとも不可解な現象であったが、これは彼女の錬金術師としての経験と勘がお茶の淹れ方にも反映された結果だった。
だから、今の彼女には同じ手順でもそれなりのお茶を淹れることしかできなかった。いや、このような淹れ方でも、まだそれなりのお茶を淹れることができると言うべきか。
以前の彼女と今の彼女の違いが、お茶の味に表れていた。
アンカルヤはティーカップを二つ用意すると淹れたてのお茶を注ぎ、それからロフトの上に声をかけた。
「リフィリシア。朝食はまだだろう? 一緒にどうかな?」
「あ、はい! 今そちらに行きます」
返事のすぐ後に、リフィリシアが階段はしごを降りてきた。
「せっかくテントの中にキッチンがあるんですから、少しお借りしてもいいですか? 簡単なもので良ければ、私に朝ごはんの用意をさせてください」
アンカルヤのテントの中には簡易的なものではあったが小さなキッチンも備え付けられていた。
しかし、野外での食事を錬金術師の焼き菓子で済ませるようになってからは、ほとんど使用していない。たまに錬金術の調合に利用するくらいだ。
「それはとても魅力的な提案だが、またの機会にお願いするよ。今日はこの後の予定があって、その準備のための時間も必要だからね」
「そうですね。遺跡街への案内人さんが迎えに来るまでに、出発の準備をしないといけないですし……ということは、朝ごはんはやっぱりアレですか?」
「うむ、アレだ」
リフィリシアはアンカルヤが懐から取り出した小さな紙包みを見て、なんとも表現しづらい微妙な表情を浮かべた。
アンカルヤは紙包みから焼き菓子を二枚取り出すと、一枚をティーカップと共にリフィリシアに手渡した。
彼女は香草茶のカップと焼き菓子を受け取ると、ソファーに腰掛けてそれらを口に運んだ。無表情で焼き菓子をチマチマとかじっている。
一方でアンカルヤは、そのまま立ち食いである。焼き菓子を一口で噛み砕き、さっさと飲み込んでしまう。
そんな食事風景に、二人の性格の違いが見て取れた。
「出発の準備には、まだ時間がかかりそうかな?」
「いいえ。洗濯物の片付けは終わりましたので、後は着替えて持っていく荷物をまとめるだけです」
さて、どう話を切り出すかと少し考えてから、アンカルヤはリフィリシアに問いかけた。
「ところで、昨日から気になっていたことがあるのだが、聞いてもいいだろうか?」
「えっと、何でしょうか?」
「流星丸だよ。昨日はとても世話になったが、私は流星丸について何も知らない。あの狼は、一体何者なのかね?」
アンカルヤがこの世界で魔術による召喚獣を目にしたのは、流星丸が初めてだ。だから、リフィリシアが流星丸のことを『古代の狼』であると紹介したら、それを疑うことなく受け入れていた。ゲームとは違い、この世界での『古代の狼』はこういった姿をしているのだ、と。
しかし、流星丸を見た他のプレイヤーたちは、皆あの白狼のことを『古代の狼』ではなく、その上位種である『伝説の狼』だと判断していた。
つまりこの世界の基準で見ても、流星丸は普通の『古代の狼』とは異なっているのだ。
しかしそうなると、流星丸が『伝説の狼』であるという説にも疑問が生まれる。ゲームに登場する『伝説の狼』は、確かに『古代の狼』よりも立派な姿をしていたが、それでも流星丸には及ばないからだ。
もちろん、どちらが流星丸の姿に近いかを問われれば、答えは『伝説の狼』となる。他のプレイヤーたちが流星丸のことを『伝説の狼』だと判断したのも、それが理由だろう。
だが、それも違うように思える。
これはアンカルヤの勘に過ぎないが、流星丸は『古代の狼』でもなければ、おそらく『伝説の狼』でもない。ゲームには登場していない、未知の召喚獣なのではないだろうか?
もしそうだとすれば、流星丸の謎は深まるばかりであった。
「リフィリシア。キミは私とはぐれているときに、流星丸を召喚した。あの狼のことも気になるが、キミが今まで使えなかった魔術を突然使えるようになった経緯も気になる。あの霧の中で、キミの身にどのようなことがあったのかを詳しく教えて欲しい」
アンカルヤの質問に、リフィリシアの小さな体がびくんと震えた。
「――ええっと、その。召喚魔術を試してみたら、あの子が現れたのです。それ以上のことは私にもわかりません。ああ、そうだ。洗濯物を片付けないと。急がないと、昼までに出発の準備が終わりません。ごちそうさまです」
リフィリシアは露骨にアンカルヤから視線を逸し、オドオドした様子で落ち着きなく早口でまくしたてる。
そして焼き菓子を口の中に押し込み、飲みかけの香草茶をサイドテーブルの上に残したまま、逃げ出すようにロフトへと駆け上がっていった。
挙動不審なリフィリシアを、アンカルヤはポカンとした顔で見送った。
おかしい。
彼女の不自然な言動に違和感を覚え、アンカルヤは首を傾げた。
あからさまに芝居がかった、わざとらしい態度だった。
まさか彼女も、あんな三文芝居でアンカルヤを誤魔化せるとは思っていないだろう。
しかし、あの様子は、まるで自分のことを疑ってくれと言っているようなものではないか。
――いや、違う。
言っているような、ではない。
実際に彼女はそう言っているのだ。自分が孤立している間に、何かがあった。しかし、そのことについては口にすることはできない、と。
「まいったな、これは……」
これは蛇が潜んでいることが確定した藪の前に立っているようなものだ。
さて、この藪を突くか否か。
暫し思巡し、突くべきではないと結論する。
初めてリフィリシアと過ごした夜、彼女はアンカルヤに知ってもらったほうが良いと判断して、自分の素性を明かした。そんな彼女が、この件については秘するべきだと判断したのだ。彼女を仲間として信頼するなら、その判断も尊重するべきだ。
おそらく強引に追求すれば、彼女の口から何があったのかを聞き出すことは可能だろう。
だがそれをすると、相当な不都合か不利益が発生する恐れがあった。
先程のリフィリシアの態度は、その警告だったのかもしれない。
「しかし、これはどう考えるべきか……」
リフィリシアが霧の中で一人でいたときに、何かがあったことは確実だ。彼女は言葉にしないまでも、態度でそれを認めた。
何を隠しているかは言えないが、隠し事をしているのは認める。では、その隠し事とはどの様な事柄なのだろうか?
現状でアンカルヤが推測できた可能性は、一つだけだった。
その後のアンカルヤとの再会の状況から考えて、直前に彼女がこの事態の黒幕と接触を持っていた可能性だ。
他にも、実はリフィリシアが黒幕だったという説が思い浮かんだが、流石にそれは意味不明すぎるので、即座に除外した。
アンカルヤは偽ロウギスに襲われて重症を負ったときのことを振り返る。
リフィリシアはまるで物語の主人公のように、アンカルヤが絶体絶命のピンチに陥った丁度そのときに救援に駆けつけてくれた。
漫画やアニメならともかく、現実であのタイミングは出来すぎだ。むしろ偽ロウギスを操る黒幕とリフィリシアの間に連携のようなものがあったと考えたほうが納得がいく。あれを偶然の一言で片付けるのはご都合主義がすぎる。
リフィリシアが黒幕の仲間だとまでは思わないが、なんらかの交渉はあったのかもしれない。
つまりは、そういうことなのだろう。
アンカルヤはあの霧の中で、ずっと何者かの手のひらの上で踊らされていたのだ。
おそらく、最初から最後まで黒幕の思惑通りに行動していたのだろう。
自分で道を選んだつもりでいたが、しかしその道は誰かに用意されたものだったのだ。
それは、とても不愉快なことだった。
アンカルヤは不機嫌そうにフンっと鼻を鳴らし、カップに残る冷めた香草茶を一気に飲み干した。
「焼き菓子をロウギスにも渡してくるよ」
ロフトの上にそう声をかけて、アンカルヤはテントを出た。
ロウギスはすでに自分のテントを片付け、焚き火の側で遺跡街への案内人を待っていた。
「ロウギス、朝食はもう終えたのかい?」
「ん? ああ、パンとチーズて軽く済ませたが?」
「そうか。なら今朝は不要かもしれないが、一応これを受け取っておいてくれ」
アンカルヤはロウギスに、包装紙に包まれた七枚入り一週間分の錬金術師の焼き菓子を手渡した。
「これは、例の焼き菓子だな?」
「これから先、これの世話になる機会も多いだろう。だから、これの味に慣れておいてくれたまえ」
ロウギスが面白そうに笑う。
「味に慣れが必要だと? 興味深いな。一体、どんな味なんだ?」
彼は太い指で器用に小さな紙包みを開くと、焼き菓子の端をかじった。
「なるほどな。うまくはないが、口に入れるのを躊躇うほどにまずくもない。絶妙に微妙な味だな。他にこれに似た味の食べ物もないから、味のイメージを言葉で説明することも難しい。実際に食べて慣れろというのも、わかるな。だが、問題ない。この味、茶菓子には失格だが、携行食としては上出来の部類だろう」
アンカルヤも思わず唸る、無駄に的確な食レポであった。さすがはパン屋の店主である。
「それはそれとして、先程の件だがリフィリシアに確認してみた」
「どうだった?」
「具体的に言葉にはしなかったが、彼女の態度によると、一人になった際に何かがあったことは認めるが、何があったのかについては明かせない、ということのようだ」
ロウギスは「ふむ」と頷いて思案する。
「お前の推理通りだったようだな。しかし、なんとも判断し難いな。何かがあったことは認めるが、何があったのかは教えられない――というのは、どうにも中途半端だ。一体、どういう状況だ?」
「――私にもわからないな」
思い当たるふしがないわけではなかったが、今はまだ確証の持てない可能性に過ぎなかったので、アンカルヤはロウギスに自分の考えを明かさなかった。
「ロウギスはどう思う?」
「どう思うも何も、リフィリシアに情報を堰き止められたら、下流の俺たちにはどうすることもできまい?」
「そうだね。だが、彼女が話すべきではないと判断したのなら、私はその判断を正しいと信じるよ」
「そこは俺も同意するが、リフィリシアを追及するという選択肢を選ばないなら、他にできることが思い浮かばないぞ? こちらから起こせるアクションがないとなると、状況に変化が見られるまで暫し様子見か?」
しかしアンカルヤは、ニヤリと不敵に笑う。
「いや、一つだけ手掛かりが残っているだろう?」
「……? あっ、黒葉会か!」
「そうだ。遺跡街に着いたら、そこから探りを入れてみたいと考えている」
「おっと、遺跡街といえば、お前たちの準備はどうなのだ? そろそろ案内人が迎えに来るぞ?」
太陽の位置は、随分と高くなっている。昼も近い。
「そうだね。出発の準備を急ぐことにするよ」
少々ゆっくりしすぎたという自覚はアンカルヤにもあった。
そろそろ慌てたほうがいいだろう。
遺跡街に向かう準備のために、アンカルヤは自分のテントに急いで戻った。
テントの中では、すでに出発の準備を終えたリフィリシアがアンカルヤを出迎えた。
彼女は黒いローブを身にまとい、頭の上には印象的なとんがり帽子がのっている。足元には、彼女の肩掛けカバンが置いてあった。
「アンカルヤさん、案内の人はもう来てましたか?」
「いや、まだだ。だが、そろそろ時間だ。間もなく来てくれると思うよ」
「そ、そうですか……」
そしてリフィリシアは、気まずそうに視線を逸した。居心地悪そうにもじもじしていて、アンカルヤと視線を合わそうとしない。
おそらく、先程の話の続きを追及されるのではないかと不安に思っているのだろう。
アンカルヤは、そんな彼女の様子には気が付かないふりをした。
「キミはもう出発の準備を終えているようだね。私が最後か。すぐに用意を済ませるので、少しだけ待ってほしい」
出発の準備のため、アンカルヤは急ぎ足でロフト下のクローゼットに向かった。
準備といっても、後は装備と持ち物の確認だけだ。
武器を身に着け、予備のバックパックに必要な荷物を詰め込むと準備は完了だ。
最後に姿見の前に立って身だしなみのチェックを行う。
やはりアンカルヤには、吸血鬼狩人の黒いロングコートがよく似合っていた。
とてもかっこいい。
彼女は満足そうに、鏡の前でウンウンと頷いた。
昨日はずっとボロボロの服を着ていたので、汚れや傷のない綺麗な服はとても気持ちがよかった。
アンカルヤはスッキリとした気分で、テントの入口で待つリフィリシアのもとに向かった。
「待たせてしまったね、リフィリシア。私の準備も終わった。それでは、行こうか」
「はい、アンカルヤさん」
すでに太陽は空の頂点に近く、空気の冷たさも幾分和らいでいた。
だが空は火災の煙に薄く曇っていて、どんよりとしている。
幸いなことに風は北から南に向かって吹いており、おかげで東にある前線基地には煙が流れてこない。それでも、周囲の空気には煙の匂いが混じっていた。
アンカルヤがテントを片付けていると、背後から聞き覚えのある声に呼びかけられた。
「おはようございます、みなさん」
「おはよう、みんな!」
振り返ると、そこには見覚えのある少女たちの姿があった。
とび色髪のボブにグリーンの瞳の少女、サリイユ。
桑色髪のポニーテールの小柄な少女、アマギリイナ。
昨夜アンカルヤたちを案内してくれた二人だ。
「ああ、二人ともおはよう。昨夜はお世話になったね。ひょっとして、遺跡街への案内人というのは……」
「はい。デルトカンさんの依頼で、私達二人がみなさんを遺跡街までご案内します。今日はよろしくおねがいしますね」
アマギリイナがペコリと頭を下げる。
その隣で、サリイユがニッコリと屈託ない笑みを浮かべる。
「というわけで、今日はみんな、よろしくね!」
誤字を修正しました。
誤字報告ありがとうございます。




