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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
44/71

状況確認・1

 微睡の波間にぼんやりとした意識が浮かび、ユラユラと揺れている。

 眠りと目覚めの境界で、アンカルヤは何かを思い出そうとしていた。

 とても大切な夢を見ていた気がする。

 しかし、その内容は思い出せない。おそらく、永遠に思い出すことはないだろう。そして目が覚めた後には夢を見ていたことすらもすっかり忘れてしまい、漠然とした喪失感だけが彼女の心の中に残されるのだ。






 頬に感じるひんやりとした空気に、アンカルヤはソファーの上で目を覚ました。

 ちらりと隣に目を向けると、そこにリフィリシアの姿はなかった。

 寝起きの気怠さに抗いながらソファーから立ち上がろうとして、自分の肩に毛布が掛かっていることに気が付いた。昨夜、リフィリシアの肩に掛けた毛布だ。

 先に目覚めた彼女が、アンカルヤにこの毛布を掛けてくれたのだろう。

 それはつまり、自分の寝顔を彼女に見られたということだ。

 少し恥ずかしい。

 だがアンカルヤも昨夜、彼女の寝顔を見ている。

 これでお相子だ。

 それにしても、毛布を掛けてくれるリフィリシアの気配に気が付かなかったとは、よほど深く寝入っていたのだろう。

 アンカルヤの座るソファーにリフィリシアの姿はなかったが、ロフトの上に彼女の気配を感じる。テント内に干していた洗濯物がなくなっているところを見ると、リフィリシアはロフトの上で洗濯物を片付けているのだろう。

 ノロノロとソファーから立ち上がると、アンカルヤの足元が少しふらついた。まだ少し、昨日の疲労が残っているようだ。

 燃え尽きる寸前で燻っている薪ストーブに、新しい薪を追加する。

 それからストーブの上に、水の入ったケトルを置く。

 するとアンカルヤの起床に気が付いたリフィリシアが、ロフトの上からちょこんと顔を出した。


「おはようございます、アンカルヤさん」

「おはよう、リフィリシア。昨日はよく休めたかい?」

「はい。昨日はいつの間にか眠ってしまっていました。毛布、ありがとうございます」


 リフィリシアは恥ずかしそうに微笑んだ。

 少女の可愛らしい恥じらいの表情に、アンカルヤの心臓がドキドキする。

 そんな胸の高鳴りをごまかすように、彼女は言葉を続ける。


「ああ、ええっと、私の方こそ、今朝は寝過ごしてしまったかな? 今は何時くらいだろうか?」

「さっき外の様子を見ました。日は昇っていましたけど、まだ朝です。そうそう、ロウギスさんももう起きていましたよ」

「そうか。では、着替えてから彼に借りた短剣を返しに行くとしよう」






 浄化の魔法薬の効果で全身の汚れは消えているが、衣服はボロボロのままである。この格好で人前に出るわけにはいかない。

 ロウギスに会いに行く前に、身だしなみを整えなくてはならない。

 アンカルヤはロフトの下のクローゼットに向かう。

 そう遠くない将来、その時がやって来ると覚悟していた、逃げること叶わぬ重大イベント。

 お着替えである。

 クローゼットの扉を開くと、そこに設置されている姿見に彼女の姿が映っていた。

 ズタズタに裂かれた黒いコート。これは到底、人前に立てる姿ではない。


「はぁ。やはり、着替えないわけにはいかないか」


 彼女が身につけている服装は、破損が前提となる戦闘服である。つまり消耗品なので、予備の装備のストックはそれなりに確保してある。替えの服に困るということはない。


「……その前に、顔を洗って髪を整えておくか」


 覚悟していた割に、往生際は悪かった。






 冷たい井戸水で顔を洗い気合を入れたアンカルヤは、改めてクローゼットの前に立った。

 これまでは浄化の魔法薬の使用でごまかしてきたが、いよいよこの姿になってから初めての着替えである。

 まずは、ぼろぼろになったコートを脱ぐ。

 浄化薬の効果で汚れはないが、破損がひどい。修復は不可能だろう。

 だが生地の品質は良いので、服とは別の形でのリサイクルは可能だ。

 補給のあてのない現状では、どのような物資も貴重だ。

 もう着ることができないからといって、このコートを安易に破棄することはできない。


 事前のアンカルヤの覚悟に反して、着替え自体は彼女の予想よりも簡単に終わった。

 着替えの手順については、彼女の記憶を参考にしてそれを真似るだけだったので、迷うことはなかった。

 なにより、下着類には損傷がなく、浄化の魔法薬の効果で清潔が保たれていたために、着替える必要がなかったのが大きい。

 しかし、全裸になる必要こそなかったものの、それでもアンカルヤのような美女の下着姿は男子高校生である『彼』には刺激が強かった。

『彼』は鏡から視線を逸し、瞼を細くして薄目で視界をぼかし、思考を止めて、無心に着替えを進めた。

 それでも心臓はうるさいくらいにドキドキと脈打ち、全身が熱を帯びる。手が震えて、ボタンがうまくとめられない。荒くなる呼吸を強引に飲み込み、息が苦しい。

 最後に替えのコートを身にまとい、なんとかアンカルヤは着替えを終えることができた。

 ホッと息を吐く。

 そして姿見に自分の姿を映し、おかしなところがないかを確認する。

 前に着ていたものとは細部こそ異なるが、ほとんど同じデザインの審問官の黒いコート。

 今まで身につけていた頑丈なブーツとグローブ。

 首には、銀製の死の女神のアミュレット。

 鏡から目を逸して着替えたため、よく見ると少々不格好なところもある。

 だが、この姿になってから初めての着替えとしては上出来だろう。

 少なくとも人前に出て問題がない程度には、身だしなみは整っている。


 アンカルヤは両腕を広げて、ロフトの上のリフィリシアに問いかけた。


「どうだろう? 着替えてみたのだが、キミから見ておかしなところはないだろうか?」

「はい、とても格好いいですよ。素敵です」


 着こなしに不自然なところはないだろうかという質問だったのだが、リフィリシアからは少し意味のずれた答えが返ってきた。


「あ、ありがとう……」


 女の子に格好いいと褒められ、これが本来の自分の姿ではないとわかっていても、気恥ずかしさに頬が火照る。


「で、では、ロウギスの剣を返してくるとしよう」


 アンカルヤは鞘に収まったロウギスの短剣を手に取ると、逃げ出すようにテントを後にした。






 火照った頬が朝の冷気に触れてピリピリする。

 太陽はすでに昇っていて、森の木々の上辺りまで達している。おそらく、時刻としては九時過ぎくらいだろう。

 森の中の前線拠点はすでに目覚めていて、多くのプレイヤーたちが忙しそうに行き交っている。

 西の空を見上げると、白い煙がたなびいている。『火炎球』の魔法による火災は、火勢こそ衰えたものの、まだ鎮火はしていない様子だった。


 ロウギスはテント脇の岩に腰掛けて、小さな焚き火で暖を取っていた。

 白い煙が立ち上っている。この焚き火にはエンチャントの薪を使用していないようだ。


「おはよう、ロウギス」

「ああ。おはよう、アンカルヤ。よく休めたか?」

「そうだね。精神面ではまだ整理のつかないところもあるが、体力的には問題ないだろう」


 そしてアンカルヤは、ロウギスに借りていた短剣を彼に差し出した。


「ありがとう。これは返しておくよ」

「いや、それはこの先にも必要になるだろう。持っておけ」

「気持ちはありがたいが、自分のテントが使えるなら短剣は使い慣れた自前のものを用意できる」

「そうか」


 短剣といっても、それは金属の塊だ。小振りだがずっしりと重いそれを、アンカルヤはロウギスの大きな手の上に置いた。

 その際、彼女はロウギスの顔色が良くないことに気が付いた。


「キミは、あまり休めなかったのかい?」

「いや。休めはしたが、少し夢見が悪くてな」


 声の調子は元気そうだったが、目の下に薄っすらと隈が見えた。






 夢の中で、ロウギスはゴブリンを殺していた。

 ひたすら単調に、機械的に。

 そこには戦う理由も無ければ、戦わない理由もなかった。

 命を奪う罪悪感もなければ、敵を倒す喜びも達成感もない。

 積み上がっていくゴブリンの死体。

 それはなんの意味もない、単なる作業だった。

 ただ淡々と殺すのも退屈なので、とりあえず殺したゴブリンの数を数えてみる。

 そして、後数匹殺せば百匹でキリが良い、そんなどうでもいい理由でゴブリンを殺し続ける。


「――その無感情な自分が、とても怖かった」

「それは、なんとも嫌な夢だね」

「全くだ」


 そしてロウギスが見たという夢の内容を聞いて、アンカルヤはふとあることに気が付いた。


「その夢、まるでゲームみたいだな」

「ゲームだと?」

「私もね、ゲームではキミの見た夢と似たようなことをしたことがある。資金稼ぎのために敵Mobを殺し続け、目標金額を達成した後も、まだ余裕があるからと大した意味もなく敵を倒し続けたのだ」


 ハッとして、ロウギスは両眼を大きく見開いた。


「そうか。俺は夢の中で、ゲームと同じことをしていたのか。ゲーム内では何でもない行為でも、現実で同じことをすると、こんなに気味の悪い光景になるのだな」

「そうだね」

「現実はゲームとは違う。こうして言葉にしてしまうと陳腐だが、その意味を実感すると重い言葉だな」


 アンカルヤはロウギスの顔色を見て、心配そうにたずねた。


「それで、今日はどうする? 体調が思わしくないなら、遺跡街への出発は延期するかね?」

「精神的な疲労はともかく、体力には問題はない。それに、こちらの都合で急に予定を変更しては、いろいろと気を使ってくれているデルトカンに迷惑をかけてしまう」

「そうだね」

「デルトカンは今朝もわざわざここまで様子を見に来てくれた。この薪も、そのときに彼が持ってきてくれたものだ」


 ロウギスが目の前の小さな焚き火を指差した。


「なるほど、それで煙が出ているのだな」

「燃やしているのは普通の薪だからな」

「デルトカンには世話になりっぱなしだね。それで彼は今日の予定について、なにか言っていたかい?」

「ああ。遺跡街への案内人の手配はしておいたから、昼までに出発の準備を済ませて、ここで待っていてほしいとのことだ。随分と忙しいみたいで、その言葉とこの薪を置いて、すぐに拠点の外に出ていった」


 忙しい中でも、いろいろと便宜を図ってくれるデルトカンには感謝しかない。

 今度彼に会ったら、改めてお礼を言わねばならないなとアンカルヤは思った。


「お前たちの出発の準備は、まだ掛かりそうか?」

「私は着替えも終わっているし、後は手荷物をまとめてテントを片付けるだけだ。リフィリシアは洗濯物を片付けているようだから、もう少しかかるかな?」

「そうか。お前に時間があるのなら、聞いておきたいことがある。昨日は色々とあって後回しにしていたが、状況をきちんと確認しておきたい。俺とお前たちが別れた後に、お前たちの身に何があったのだ? お前は血まみれになっているし、リフィリシアは魔法が使えるようになっているし、俺の偽者が現れたとかいうし、訳が分からない」


 それはそうだ。

 実際に体験したアンカルヤでも訳が分からないのだから、話を聞いただけのロウギスにしたら意味不明もいいところだろう。


「そうは言ってもね、昨日、再会したときに説明したとおり、霧に囲まれてリフィリシアを見失い、偽ロウギスに襲われて重傷を負ったところをリフィリシアと流星丸に助けられた。私が把握しているのは、それだけなのだ」


 ロウギスが顔をしかめる。


「やはり意味がわからん。偽の俺ってなんだ? なぜお前が襲われる? なぜリフィリシアは魔法が使えるようになった?」


 それが知りたいのは、アンカルヤも同じだ。


「私と離れて孤立していたリフィリシアに何があったのかは、私も気になっているところだ。少なくもとも、魔術の使用に成功しただけではあるまい。他にも何かがあったはずだ」

「はっきりしない言い方だな。嬢ちゃんから詳しく話を聞いていないのか?」

「うむ、この件について何故かリフィリシアの口が重いのだ。彼女からはこの話題を切り出すことはなく、こちらから質問したときは言葉が少なかった」

「言いたくない、もしくは言えないといった雰囲気か?」


 アンカルヤは両腕を組んで、昨日のリフィリシアの様子を思い返してみる。


「どうかな……ただ単に詳細について話しそびれてしまっただけという可能性もあるが、彼女がこの話題に消極的に見えるのは気になる。今まで使えなかった魔術が使えるようになったのだから、喜んでいろいろと話してくれてもいいと思うのだが、魔術が使えるようになりました、としか説明がないのだ」

「リフィリシアは魔術が使えないことを随分と気に病んでいた様子だからな。魔術が使えることを素直に喜んでいないのなら、それは妙だな」

「一応、喜んではいる様子だが――今まで使えなかった魔術が、必要になったタイミングで突然使えるようになるというのも、都合が良すぎる話だ」


 ピンチに陥ったとき、秘めた力に目覚める。

 フィクションではよくある展開だが、現実にはまずありえないことだ。

 普段できないことは、いざというときにもできないものだ。


「おそらく、魔術が使えるようになる理由というか、きっかけがあったはずだ。だが、それについては当人に話してもらうしかあるまい。ここで私たちがあれこれ推測したところで、答えには辿り着けないだろう」

「そうだな。ではこの件は一先ず置いておくとして、次にお前を襲ったという偽の俺について、遭遇した当人に話を聞くとしよう」


 今度はアンカルヤが顔をしかめた。


「偽ロウギスか? あいつについては全く不明だ。いったい奴は、何がしたかったのだろうな?」

「お前はその偽者に攻撃されたのだろう? 目的はお前の命ではないのか?」


 アンカルヤは少し考えてから、その可能性を否定した。


「いや、それはないな。偽ロウギスに不審を抱くまでの私は、すっかり油断しきっていた。殺そうと思えば、いつでも殺せたはずだ。私の命が目的なら、剣を抜くタイミングが明らかにズレている」


 命を狙われる心当たりは、ないわけではない。

 アンカルヤは不死者狩りの審問官であり、吸血鬼などの不死の怪物に目を付けられている。

 だが今回の件に吸血鬼が関わっている可能性は低かった。もし黒幕が吸血鬼であったなら、事態はもっと凄惨で血なまぐさいものになっていただろう。

 何者かはわからないが、この件の黒幕は吸血鬼に比べれば随分と理性的だ。


「なら、なにが目的だ?」

「――わからない。偽ロウギスの目的も不明なら、その背後にいる存在も不明だからね」

「背後の存在が、不明? ゴブリンシャーマンではないのか?」

「ゴブリンシャーマンが討伐隊ではなく私の方に偽者を寄越す理由がない。おそらく別の誰かだと思う。だが、状況的にゴブリンと全く無関係ということもないはずだ」

「つまり、お前はこう言いたいのか? ゴブリンの集団と討伐隊の戦いに便乗して、その裏で俺達に何かを仕掛けてきた誰かがいると。その推測は無理がないか? 誰がわざわざそんな回りくどいことをする? だが、そんな推測をするということは、なにか心当たりでもあるのか?」


 ロウギスの疑問に、アンカルヤは小さく頷いた。


「うむ。リゴウズが気になることを言っていただろう? 確か、黒葉会だったかな?」


 ゴブリンシャーマンに杖を提供したと思われる、謎の存在。


「黒葉……? あ~、そういえば魔女がどうこうと言っていたな」

「だが、その黒葉会とやらが黒幕だったとしても、やはりその目的が不明だ。私は黒葉会など聞いたこともないし、目を付けられる心当たりもない」

「それは俺にもないな。と、なると――」

「リフィリシアか……」


 なるほど、黒幕の目的がリフィリシアにあると考えると、偽ロウギスが突然アンカルヤに襲いかかってきた理由に説明がつく。

 邪魔なアンカルヤをリフィリシアから遠ざけることが、偽ロウギスの目的だったのだろう。

 だから、アンカルヤがリフィリシアのところまで戻ろうとした途端、力ずくでそれを阻止しようとしたのだ。


「孤立したリフィリシアに何があったのか。そして偽の俺の背後にいる何者かの思惑。どちらの謎も、鍵となるのは嬢ちゃんか」

「そのようだね。今からテントに戻って、彼女に確認してみるよ」


 そう言うと、アンカルヤはロウギスに背を向けた。


「それとなく探りを入れてみるのか?」


 自分のテントに向かうアンカルヤが、足を止めてロウギスを振り返る。


「まさか。仲間を相手にそんなことはしないさ。普通に質問するよ」

「それもそうだな、それがいい。ところで最後に一つ、確認しておきたいことがあるのだが――」

「なにかね?」

「――お前は本物のアンカルヤだよな?」


 おどけるようなロウギスの態度から、それが本気の質問でないことは察することができた。冗談めかして茶化したくなる気分なのは、アンカルヤも同じだった。

 しかし、到底笑う気にはなれなかった。


「冗談でも、やめてくれ」


 だが、あの偽ロウギスの出現により、仲間に疑いの目を向けなければならない状況であることも事実だった。

 アンカルヤは憂鬱そうに眉をしかめた。


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