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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
39/71

霧の中へ・16

 北に進むにつれて、炎からは離れていく。

 炎の熱に火照った肌に、夜の森の冷たい空気が染みる。


 流星丸の案内に従い北西に向かったアンカルヤたちは、程なくして森の木々の合間を移動するゴブリンの一団を発見した。

 一行はそれぞれ木の陰や茂みの中に身を隠して、ゴブリンの様子を観察する。

 白い毛並みと大きな体で遠目にも目立つ流星丸は、大きな木の根本に身を低く伏せている。


「こんなに簡単に、ゴブリン共を見付けることが出来るとは。流星丸といったか、その召喚獣。大したものだな」


 デルトカンは感心の中に恐れの混じった複雑な視線を流星丸に向けていた。


「こいつが最初から味方にいれば……」


 しかし彼はハッとして、その先の言葉は飲み込んだ。

 確かに、流星丸が討伐隊に参加していれば、最初の奇襲にも対応できたかもしれない。

 だがそれは、今更口にしたところで何の意味もないことであった。


 アンカルヤは遠目にゴブリンの姿を見て、何とも言葉にし難い感情を覚えていた。

 彼女はゴブリンの巣や死体を目にしたことはあったが、『彼』が生きたゴブリンを見るのはこれが初めてだった。

 ゴブリンといえば、多くのファンタジー物語やゲームで定番のメジャーなモンスターである。

 そんな、馴染み深くはあるがあくまで想像上の存在に過ぎなかったものが、いま彼女たちの目の前に実在していて、その様子を目の当たりにしているのだ。


「あれがゴブリンか……」


 アンカルヤの口から白い息と共に零れた呟きに、リフィリシアが小声で応えた。


「こうして実際に生きて動いている姿を見ると、怖さとは別に、妙な感慨みたいなものもありますね」

「そうだね」


 ゴブリンの集団は南北に列をなし、北に向かって移動していた。

 かなりの数だ。アンカルヤの視界に入っているだけでも、五十匹は超えているだろう。

 剣に槍、斧など、全てのゴブリンが何かしらの武器を身に着けている。装備の潤沢さを見るに、この一団こそがゴブリンたちの主力集団とみて間違いないだろう。

 彼等には特にダメージを受けているような様子はなく、怪我やすす汚れなどは見られない。

 つまりこの集団は、討伐隊の魔法攻撃を受けていないということだ。

 一体何を攻撃していたのだろうか、討伐隊は。


 デルトカンが苦々しい顔でゴブリンの集団を睨んでいる。


「この規模に装備――こいつらは、討伐隊が『火炎球』で焼き払う予定だったゴブリン共の主力集団だ。ゴブリンシャーマンは、自分たちの拠点が襲撃を受けることを察していたようだな。主力を拠点から離れた場所に、予め避難させていたらしい」

「しかも、その事を討伐隊に悟られないために、拠点にもある程度の数のゴブリンを残していたようだね。討伐隊の攻撃を誘うための囮として」


 アマギリイナはゴブリンの油断を誘う作戦を語っていたが、彼等は油断などしていなかった。

 むしろ油断を誘われたのは討伐隊の方だ。

『火炎球』の派手な連発は、哀れな生贄のゴブリンをローストしただけだった。

 そんな殆ど意味のない見掛け倒しの攻撃に巻き込まれた森と動物は、本当にいい迷惑である。


「もっと詳細に状況を確認したい。もう少し接近できないだろうか?」


 焦った様子で身を乗り出したデルトカンを、アンカルヤは彼の肩に手を乗せて諌める。


「落ち着くのだ! これ以上の接近は、逆にこちらがゴブリンに見つかる危険がある」

「むっ! いや、そうだな。済まない」

「それにこの距離からの観察でも、いろいろとわかることはある」


 ゴブリンの一団は、北に向かって移動している。

 討伐隊のいる南に向かわないということは、彼等と戦う気はないということだ。

 つまり、逃げているのだ。


「おそらく、最初の奇襲で討伐隊を撤退に追い込むことが出来なかった時点で、ゴブリンシャーマンは勝利を諦めたのだろう。そして自分たちの生活拠点を捨て駒にしてまで時間を稼ぎ、こうして主力を逃がそうとしている。正面から討伐隊と戦っても勝ち目がないことを、ゴブリンシャーマンは理解しているのだ」


 アンカルヤの推測に、デルトカンは顔をしかめた。


「つまり、連中には反撃の意思がないと? 不味いぞ、それは困る!」

「――反撃されたほうがいいんですか?」


 よくわからないといった様子で、リフィリシアが疑問を口にした。


「そうだ。反撃に出てくれれば、返り討ちにすることが出来るからな。しかし、この数のゴブリンを取り逃がして、さらにゴブリンシャーマンも仕留めそこねたとなると、敗北と同じだ」

「これだけのゴブリンが無事ならば、集団を立て直すことも可能だろうからね」


 リフィリシアが小さく手を上げて、控え目に自分の意見を述べる。


「あの、最初の魔法攻撃でゴブリンシャーマンを倒せた可能性はないですか? それで、リーダーを失った彼等は北に逃げているのでは?」

「どうだろう? だがこの秩序立った退却を見るに、彼等を統率している者がいるのは間違いないだろう」

「それが、ゴブリンシャーマンですか?」

「恐らく、そうだろうね」

「つまり言い方を変えると、俺たちは今、ゴブリンシャーマンのすぐ近くまで迫っているということだな」


 今まで皆のやり取りを黙して聞いていたロウギスがポツリと放った一言に、一同を取り巻く空気が張り詰める。

 アンカルヤたちは、この戦いの趨勢を決定する分岐点に立っていた。


「だが、実際問題としてこれからどうする? この数のゴブリンを私たち四人でどうにかするのは無理だ」

「討伐隊の本隊に応援を求めるのはどうでしょうか?」


 リフィリシアの案を、アンカルヤは首を振って却下した。


「南にいる討伐隊がここまで来るには、あの火の海を大きく迂回する必要がある。それを待っている間に、ゴブリンたちは更に北に進んでしまうだろう。そうなると、もう追い付くことは不可能だ」


 デルトカンは、討伐隊の一員として苦渋の決断を下した。


「――この際、ゴブリンの主力を取り逃がすことは仕方がないと諦めよう。だが、ゴブリンシャーマンだけは仕留めておきたい」

「私もデルトカンの意見に賛成だ。私たちの戦力を考えれば、それが現状で望むことの出来る最も現実的な最大の戦果だろうね」


 だがその目標も、現実的ではあっても簡単なことではない。その点をロウギスが指摘する。


「だがそのためには、まずゴブリンシャーマンを見付ける必要がある。それもできるだけ早くだ。連中がこのまま北に進めば、いずれ『月明け』の効果範囲を出てしまうだろう。そうなると、俺達は夜の闇の中でゴブリンシャーマンを探さなければならなくなる」

「そこはデルトカンにはっきりと確認しておきたい所だ」


 アンカルヤが、デルトカンに鋭い視線を向ける。


「俺に? 何を確認しておきたいのだ?」

「『月明け』の範囲外での行動は全てなしだ。危険過ぎる」

「――まあ、それは当然だな。つまり標的が『月明け』の範囲内にいる間が、タイムリミットというわけだな」


 だが、肝心のゴブリンシャーマンは何処にいる?

 アンカルヤたちには、闇雲に標的を探している余裕はない。人手も足りなければ、時間もないのだ。

 先頭で集団を率いているか、後方で集団を追い立てているか。もしくは中心で先頭と後方に指示を出しているか。

 ゴブリンシャーマンは、集団の何処にいてもおかしくなかった。


「流星丸に、ゴブリンシャーマンの気配は捉えられないだろうか?」

「流石にこの数の中から匂いのわからない一匹のゴブリンを見つけるのは無理です。ごめんなさい」

「いや、謝らないでくれたまえ。私も無理は承知の上で、聞いてみただけだ」


 いっその事、何か騒ぎを起こしてみようか。

 そうすれば、ゴブリンシャーマンが様子を見に姿を表すかもしれない。

 アンカルヤはそんなことも考えたが、その案はすぐに頭の中のゴミ箱に捨てる。

 騒ぎを察知したゴブリンシャーマンが、どう反応するかわからないからだ。こちらの思惑通りに姿を見せてくれればいいが、逆に逃げ出されてしまったら元も子もない。


「あっ、アンカルヤさん。流星丸が、ゴブリンたちの騒いでいる声が聞こえると。列の後方、南側です」

「後方だって? するとこのゴブリンの列に討伐隊が追いついたのか?」

「いえ、感じる気配はゴブリンのものだけです」


 どうやらアンカルヤがゴミ箱に捨てた作戦を、ゴブリンたちが自主的に実行してくれているらしい。

 チャンスだった。

 アンカルヤたちが騒ぎを起こした場合とは異なり、ゴブリンが起こした騒ぎであればゴブリンシャーマンが逃げ出す理由がない。騒ぎといっても、これは敵の襲撃ではなく、内輪揉めに過ぎないのだから。


「そこに行ってみよう。騒ぎを収めるために、ゴブリンシャーマンが姿を見せるかもしれない」


 アンカルヤの判断は、賭けであった。

 もしゴブリンシャーマンが集団の先頭にいて、この騒ぎに対応しなければ。

 南に向かうアンカルヤたちと北に向かうゴブリンシャーマンの間には、取り返すことの出来ない距離が開いてしまうだろう。

 しかし、ゴブリンの一団を先頭から最後尾まで全て確認することが不可能な状況で、アンカルヤたちが目標を達成するためには、どうしても運に頼る必要があった。

 そのことは全員が理解していた。

 だからこそ、アンカルヤの意見に異を唱える者はいなかった。






 ゴブリンたちの騒動は、アンカルヤの想像よりもずっと苛烈なものだった。

 流星丸とリフィリシアの案内で南に向かった彼女たちが見たものは、ゴブリンたちの内輪揉めであった。

 互いに武器を向け合い、感情的に激しく言い争っている。

 ゴブリン語の理解できない一行には、彼等が何を理由に争っているのかわからない。

 しかし、血まみれになって地面に倒れている数匹のゴブリンの姿を見れば、これが相当に深刻な事態であることは間違いなかった。


 その様子を見て、デルトカンが眉根を寄せる。


「奴ら、何を争っているんだ?」

「見た所、連中は二つの勢力に分かれて対立している様子だ。両者は元々、別の群れだったのではないだろうか?」

「なるほど、こいつらはゴブリンシャーマンが複数の群れを寄せ集めた集団だ。その統率が、綻びを見せているのか」


 アンカルヤはニヤリと不敵に笑った。


「おそらく、『火炎球』の効果だろう。敵の圧倒的な力を見せつけられ、どう見ても敗走しているとしか捉え様のない状況に、リーダーに対する信用が揺らいでいるのではないだろうか」

「あの派手な魔法に、まさか内輪揉めを誘う効果もあったとはな」


 皮肉交じりの笑みを浮かべて、ロウギスは炎に染まる南の空を見上げた。


「まず始めにデカいのをぶちかまして、相手の戦意を挫く――、だったか? 討伐隊の作戦は、ここに来て意外な形で実を結んだわけだ。この調子で内輪揉めが広がって、勝手に自滅してくれれば手間がなくて助かるが――待て、様子が変だ」


 騒ぎの中心にいた数匹のゴブリンが、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。そのままピクリとも動かない。

 周囲のゴブリンたちは恐怖に震え、先程までの喧騒が嘘のように、重々しい沈黙がその場を支配した。


 森の中から、他とは明らかに雰囲気の異なるゴブリンの一団が現れた。

 体格は一般的なゴブリンよりも二回りは大きく、手にしている武器も金属製の立派なものだ。

 数は五匹。

 そして彼等に守られる様に、その中心に一匹の特異なゴブリンがいた。

 小柄な体格に、大きな頭。

 動物の骨や鳥の羽、色石などで作られた装飾品をジャラジャラと身に付けている。

 そして同様に飾り付けられた、節くれ立った老木の杖を手にしている。

 その杖には、一匹のカラスがとまっていた。

 間違いない。

 ゴブリンシャーマンだ。






 アンカルヤたちは緊張に身を震わせた。

 探し求めていた標的が、そこにいる。

 距離は、ほんの五十メートルほど。目と鼻の先である。


「見付けたぞ、ゴブリンシャーマンだ」


 彼女たちは森の影に身を潜め、ゴブリンたちの様子をうかがう。

 ゴブリンシャーマンは、周囲のゴブリンに何か指示を出している様子だった。


「ここから奴を仕留められる攻撃手段は? 弓か魔法を使える者は?」


 デルトカンに問われ、皆は首を左右に振った。


「私のクロスボウは壊れてしまい、今は手元にない」

「私も、この距離で戦える魔法は使えません」

「済まないが、俺は弓については専門外でね」


 一行は、遠距離攻撃の手段を有していなかった。


「うむぅ。サリイユがいれば――いや、それは違うな。忘れてくれ」


 こうしてゴブリンシャーマンを発見できたのは、流星丸がいたからだ。

 もしデルトカンがアンカルヤたちを頼らずにサリイユたちを連れて来ていたら、ゴブリンシャーマンに辿り着くことは難しかっただろう。


「よし、作戦会議だ。時間はあまりない。急ごう。何か案のある者は?」


 デルトカンが押さえた声でアンカルヤたちに意見を求める。


「この状況でゴブリンシャーマンを仕留めるとなると、白兵戦は避けられないね。そうなると、最大の障害は五匹の大柄なゴブリンだ。おそらくゴブリンシャーマンの護衛だろう」

「俺もアンカルヤと同意見だ。まず、あの護衛を倒して――いや、引き付けるだけでも構わないか。標的は、あくまでゴブリンシャーマンだ」

「そうだね。だから――」


 ゴブリンシャーマンの杖にとまっていたカラスが飛び立ち、夜空に消える。

 その様子を見上げていたゴブリンシャーマンが、視線を下に戻す。

 次の瞬間、アンカルヤは口から心臓が飛び出すという言葉の意味を、実感として理解した。

 ゴブリンシャーマンと目が合ったような気がしたのだ。

 ――違う、気のせいではない。

 間違いなく、ゴブリンシャーマンはアンカルヤたちを見ている。


 見付かった?

 でも何故?

 いや、見付かった後でその理由を考えても遅い。


 ゴブリンシャーマンがアンカルヤを指差すと、周囲のゴブリンも一斉に彼女たちの方に視線を向けた。


「くそっ! 作戦を練る余裕はねえっ! 俺とロウギスで他のゴブリンは引き受ける! アンカルヤとリフィリシア、それと流星丸は脇目も振らずにシャーマンを仕留めろ! その後は、全力でこの場から離脱だ!」


 この場の全員が、本能的に理解していた。

 数で大きく劣るこの状況で、敵の戦闘態勢が整うのを待つのは自殺と同じだと。

 だからこそ、最初の一撃はこちらが放たなければならない。

 敵が、動き出す前に。


「突撃っ!」


 デルトカンの雄叫びが、夜の森を震わせる。

 初めての戦闘を前に、躊躇いや不安を味わう贅沢は許されなかった。

 焦りに突き動かされて、アンカルヤたちは駆け出した。

 そして、戦いが始まった。




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