霧の中へ・8
流星丸がリフィリシアの持つ短剣に顔を近付けて、鼻をヒクヒクさせている。
そして周囲をキョロキョロと見回してから、青い瞳をリフィリシアに向けた。
仕草こそ可愛らしいが、大きさが大きさだけに迫力もすごい。
これほど大きな動物を間近に見たのは、いつぶりになるだろうか?
おそらく『彼』が小学生の頃、家族旅行で立ち寄った観光牧場で馬や牛に触れて以来だ。
だが同じ大型の動物といっても、草食動物と肉食動物。間近で感じる威圧感は比較にならない。
「ロウギスさんの匂いは、この辺りでは捉えられないみたいです」
リフィリシアは申し訳無さそうに肩を落とした。
「そう都合よく思い通りにはいかないか。ところで、これまでの様子を見るに、リフィリシアと流星丸は意思の疎通ができるのかい?」
「はい、少しだけですが。普通は召喚獣との意思疎通はもっと限定的なものなのですが、この子の頭がいいので、ある程度はイメージの共有ができるんです」
「動物と心を通わせるなんて、夢があっていいね」
「そうですね」
しかし、ロウギスの匂いを追えないとなると、どうしたものだろうか。
アンカルヤは少し考えて、次善の案を思い付いた。
「そうだ! では、川の匂いは? 河原に向かえば、そこを通ったロウギスの痕跡を捉えることができるかもしれない」
「そうですね。流星丸に聞いてみます」
流星丸が空に鼻を向けて、川の匂いを探る。
「少し離れたところから水の匂いがするそうです。こっちの方向です」
リフィリシアが霧の向こうを指差す。
これで何とかロウギスの後を追えそうだと、アンカルヤはホッと息を吐いた。
流星丸の先導で、アンカルヤたちは霧の中を進む。
かなりの距離を歩いているが、まだ河原には出ない。
偽物の川に騙されて、本物の川からはかなり離れてしまっていたようだ。
「ところで召喚の制限時間は大丈夫なのかい?」
「はい。召喚を維持するための条件は幾つかありますが、ゲームと違って時間の制限というのは特にありません」
ゲームの召喚魔術には、レベルとスキルに応じた召喚の制限時間があった。
だがそれはあくまでゲーム側の都合であり、現実の召喚魔術にはその様な制限はなかった。
「あっ、もうすぐ河原に出るみたいです」
「ああ。その様だね」
アンカルヤの耳にも、水の流れる音が聞こえていた。
周囲は相変わらず濃い霧に覆われていて、ほとんど何も見えない。
木や岩や茂みなどの障害物を避けながら、霧に沈むこの森を一方向に向かって進むことなど、流星丸の先導がなければ不可能だっただろう。
こうして、河原に到達することも。
アンカルヤはグローブを外すと、素手で川の水に触れた。
一度偽物に騙されているだけに、彼女はとても慎重になっていた。
「うむ。本物の水、本物の川だな」
「――?」
リフィリシアはアンカルヤの行動の意味がわからず、不思議そうにしている。
「さて、河原に出ることは出来た。ここでロウギスの匂いを捉えることが出来るといいのだが……」
流星丸が、地面に鼻を近付けて匂いを探る。
そして頭を上げ、耳をピンと伸ばし、周囲の様子を探り、再び地面の匂いを確認する。
そんな仕草を、何度も繰り返す。
どうも様子がおかしいことに、アンカルヤも気が付いた。
周囲の空気に、ピリピリとした緊張感が漂っている。
「ロウギスさんの匂いを見付けました。でも、それだけではないみたいです」
リフィリシアの表情が硬い。
どうやら、あまり良い状況ではない様子だった。
「何か、あるのかい?」
「複数の人間と、多数のゴブリン。それと血の匂いです」
リフィリシアの報告に、アンカルヤは困惑する。
「人間が複数? それにゴブリン? 何故、唐突にゴブリンが出てくるのだ?」
ゴブリン。
予想もしていなかった存在の登場に、アンカルヤは面食らった。
「ごめんなさい。この子から伝わってくるのは大まかなイメージなので、具体的なことまでは……」
「いや。多数の人間とゴブリン、そして血。つまり、この近辺で人間とゴブリンの集団戦闘が行われているらしいとわかっただけでも、意味は大きい。だがそれとこの霧、そして偽のロウギス。何か関係があるのだろうか?」
「私にもわかりません」
まあ、わからないことをこれ以上考えても仕方がないと、アンカルヤは思考を切り替える。
「それで、ロウギスの後は追えそうかな?」
「はい。それは大丈夫です」
リフィリシアが任せてくださいと頷いた。
「では急ごう。ロウギスがその戦闘に巻き込まれているかもしれない。でも、その前にリフィリシアに一つ確認しておくことがある」
「どうしました?」
「多分、ロウギスを追うとその先でゴブリンとの戦闘になる可能性が高い。いや、最悪の場合、人間とも戦いになるかもしれない」
リフィリシアが一瞬怯えた表情を見せたが、それはすぐに決意の表情で上書きされる。
「行きましょう!」
「いいのかい? 戦闘に遭遇したら、キミは流星丸を連れて逃げてもいいのだよ?」
「私だって、戦います。私たちは仲間でしょう?」
リフィリシアの力強い視線にアンカルヤは気圧されてしまい、思わず頷いていた。
魔術の使えなかった頃の彼女ならともかく、今のリフィリシアには戦う力があるのだ。
「ああ、そうだった。つまらないことを聞いてしまった。すまない」
「いいえ。さあ、急ぎましょう!」
そして二人と一匹は、川下に向かって河原を進んでいった。




