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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
29/71

霧の中へ・6

「周囲を警戒して。何かあったら教えてね」


 リフィリシアは白い狼の首筋を優しく撫でながら指示を出すと、アンカルヤの顔を覗き込んだ。

 そして、ホッと息をつく。


「生きている。良かった。生きていて、薬が飲めれば。でしたよね?」


 彼女は懐から白い小瓶を取り出した。

 それは昨晩、アンカルヤがリフィリシアに預けた魔法の薬だった。

『伝説級の回復薬』。

 ゲーム王冠物語において、最も強力な治癒の魔法薬である。


「飲めますか?」


 アンカルヤは「その瓶を口に突っ込んでくれ」と言おうとしたが、声が出なかった。

 視線を小瓶の方に動かして、なんとか意思を伝えようとする。


「声は出ない、でも意識はあるんですね? わかりました」


 リフィリシアは小瓶の封を歯で強引に開けると、何故かその中身を彼女が口にした。

 なんで?

 その行動の意図がわからずポカンとしているアンカルヤの顔に、リフィリシアの顔が小さく震えながら近付いてくる。

 あっ。

 ここでようやく、彼女のしようとしていることを察する。

 いやいや、そこまでしてくれなくていいから!

 薬の瓶を口に突っ込むだけでいいから!

 そう言いたくても、言葉が出せない。


 二人が触れ合う直前、リフィリシアの唇が躊躇う様に止まったが、それも一瞬のことだった。

 柔らかくて温かい感触が、ペタッとアンカルヤの唇に触れた。


 自分の命がかかっている以上、拒むという選択肢はない。

 アンカルヤは自分の口内に口移しで流し込まれる魔法薬を、出来るだけ心を無にして、何も考えない様にしながら飲み込んでいく。


 一瞬の後、まるで真っ赤に焼けた鉄の瓶の中に放り込まれて、グルグルと振り回されるような激痛がアンカルヤの全身を襲った。


「ぐああああっ!」


 身体が仰け反り、喉が裂けるような絶叫が迸る。


 熱い! 熱い! 熱い!

 痛い! 痛い! 痛い!


「ア、アンカルヤさん!」


 リフィリシアの悲鳴混じりの声が聞こえたが、それに応える余裕はない。


「ああっ! あああああっ!」


 これは治癒の痛みだ。

 治癒薬の効果で痛みを感じる神経が回復した結果だ。

 この痛みは治癒の証明であり、精々数秒。そう長く続くものではない。

 知識としては知っているから耐えられた。知らなければ、とっくに意識を失っていただろう。

 これは、人間が耐えることのできる痛みの限界を超えている。


「はあっ! はあっ! ひいっ。ふう……」


 ようやく痛みが引いていく。

 時間にしては数秒だが、それでも充分に長いといえる苦痛だった。

 痛みが引いた後も、痛みの余韻は消えていない。

 手足がブルブルと震えて、思うように動かせない。

 全身に汗が滲み、呼吸が落ち着かない。


「アンカルヤさん! アンカルヤさん!」


 つぶらな瞳に涙を浮かべて、必死に声を掛けるリフィリシア。


「だ、大丈夫。もう怪我は回復した」

「アンカルヤさん! 大丈夫なんですか? 本当に大丈夫なんですか?」


 アンカルヤは何度か深く呼吸を繰り返し、なんとか息を整えた。


「ああ。心配をかけてしまった。すまない。それと、私はもうしばらくは動けそうにない」

「動けない? それは大丈夫といえないのでは?」

「いや。こういうものなのだ、この薬は。すぐに動けるようになるよ」

「そうなんだ、よかった。――それと、ごめんなさい」


 突然の意味不明の謝罪に面食らうアンカルヤ。

 彼女に謝罪をされるような心当たりはない。


「何を謝ることが?」

「勝手に、その、唇を……」

「あ、ああ……」


 二人はお互いに頬を赤く染めて、気まずそうに目を逸らした。


「――いや、そこはお互い気にしないことにしよう。私も意識すると、キミと顔を合わせづらい」

「そ、そうですね……」


 何ともいえない甘さを含んだ空気に、アンカルヤの心臓がドキドキしていた。


「次はこれを」


 リフィリシアが懐から浄化薬を取り出す。


「いや、それは使わずにおこう」

「でも、アンカルヤさん。血や土でドロドロですよ?」


 確かに血に涙に鼻水に泥で、今のアンカルヤはひどい有様だ。

 しかし、ただそれだけのことだ。

 傷は既に完治している。


「まだ、この先何が起こるかわからない。その薬が必要になるかもしれない。汚れを落とす程度の目的で、その薬を使うのは止めておいたほうがいい」

「そんな大事なお薬を、お風呂代わりに私に勧めてくれた人がいるのですが?」

「あー、それを言われると返す言葉もない」


 偽ロウギスは倒したが、依然として周囲は濃霧に包まれている。

 つまり事態はまだ終わっていないのだ。

 まだまだ気を緩めるわけにはいかない。


「わかりました、このお薬は使いません。そのかわりに……失礼しますね」

「えっ?」


 リフィリシアは地面に横たわるアンカルヤの頭を優しく持ち上げると、自分の膝に乗せる。

 いわゆる、膝枕だ。

 アンカルヤの顔の赤みが、さらに増す。


「あの、その……。リフィリシア?」


 リフィリシアは鞄からタオルを取り出して水筒の水で濡らすと、血と泥で汚れたアンカルヤの顔を丁寧に拭う。

 そこまでして貰う必要はないと思ったが、体が動かないアンカルヤはリフィリシアに身を任せるしかなかった。


「わ、私を綺麗にしてくれるのは嬉しいのだが、その……」

「えっと、迷惑でしたか?」

「いや、そうではなく、その、私の口からは言いにくいことなのだが、キ……キミの唇も……」

「私ですか?」

「その、私の血で、汚れてしまっているから……」

「――っ!」


 アンカルヤの指摘に、リフィリシアも顔を真赤にして指で唇を拭った。






 状況が一段落ついたことで、アンカルヤにようやく疑問に意識を向ける余裕ができた。

 何故、ここにリフィリシアが?

 この大きな白い狼は?

 二人の間に漂う少し気まずい雰囲気を誤魔化す様に、アンカルヤは早口でリフィリシアに質問を並べた。


「ええっと……ああ、そうだ。リフィリシアに聞きたいことがあるのだ。この霧が発生して、私と離れ離れになったとき、何があった? この霧の中で、どうして私を見付けることが出来た? そして、この大きな狼は?」


 おそらくこの狼こそが、召喚獣の『古代の狼』だ。

 彼女は召喚魔術に成功したのだろう。

 だが、彼女の口から直接確認したかった。

 リフィリシアはアンカルヤの顔を拭きながら、小さく頷いた。


「アンカルヤさんとはぐれた後に、魔術に成功しました。この子は、私が召喚魔術で呼び出した『古代の狼』です」

「そうか。魔術が使えたのだな。おめでとう、リフィリシア」


 アンカルヤの祝福の言葉に、リフィリシアは嬉しそうに微笑んだ。

 しかし、何故かその笑みの中に僅かな苦味が混じっているようにも見えた。


「ここには、アンカルヤさんにお借りした薬瓶の匂いを、この子に追ってもらって来ました」

「なるほどね」


 常にベルトポーチに入れて身に付けていた薬瓶には、確かにアンカルヤの匂いが染み付いていただろう。


「あっ、紹介しますね。この子の名前は流星丸です」


 リフィリシアの紹介に合わせて、流星丸はアンカルヤに青い瞳を向けた。


「匂いを追うことで、この霧の中でも私と合流できたのか。流星丸には、私からも礼を言わなくてはならないね」

「そうですね。私もこの子にお礼を言わないと」


 ここでふと、アンカルヤはもう一つの重要な事柄を思い出した。


「そうだ、ロウギスは? 彼のことは何か知らなかい?」

「いえ、まずアンカルヤさんを先に探したので。そうですよ、私もアンカルヤさんに聞きたいことがありました。あの偽者のロウギスさんは何だったんですか?」


 それはアンカルヤも誰かに答えを教えてほしい疑問だった。


「あの偽ロウギスがどういうものなのかは、私にもわからない。キミとはぐれた後、あれと合流して、しばらく行動を共にしていた。それが突然襲ってきて、このザマだよ。まったく、情けないことだ」

「目的のわからない偽者ですか。すごく不気味で、気持ちが悪いですね」


 アンカルヤも全く同感だった。

 だが今は偽ロウギスの正体よりも、本人の安否の方が優先だ。


「それよりも、流星丸はロウギスの匂いも追えないかな?」

「多分、できます」

「よし! 私の体が動くようになったら、すぐに出発しよう」


 アンカルヤが助かったのは、リフィリシアが彼女を優先して探してくれたおかげだ。もしロウギスを先に探していたら、アンカルヤは取り返しのつかないことになっていただろう。

 だがその結果、ロウギスの方で何かが手遅れになっていたりしたら、たまったものではない。

 アンカルヤはいち早くロウギスと合流して、彼の無事を確認したかった。


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