霧の中へ・2
アンカルヤが自分のテントの片付けを終えると、いよいよ出発だ。
南の空には、まだ薄っすらと立ち上る煙が見えている。
その煙を目指し、三人は河原を南に向かった。
一行を先導するのはロウギスだ。
体格と体力の差から一歩の長さと速さが違うため、自然と彼が先頭になるのだ。その次がアンカルヤで、後にリフィリシアが続く。
アンカルヤとリフィリシアの歩幅にはそれほどの差はないが、ロウギスの一歩は二人の一歩に比べるとかなり大きい。
その事に気が付いたロウギスが立ち止まり、後に続く二人を振り返った。
「少し考えたのだが、俺が先行しようと思う。二人は自分のペースで後を付いてきてくれ。この先の様子を偵察してくる」
「別行動を取るのかい? 合流に失敗したら、面倒なことになるわ。私達は携帯電話など持ち合わせていないのだよ?」
「私も、三人一緒のほうがいいと思います」
リフィリシアは不安そうな顔でロウギスを見上げている。
「なぁに、お互い川に沿って移動していれば、行き違うことはないだろう。太陽を見る限り、そろそろ正午を過ぎる時刻だ。日没までに状況に区切りを付けようと思うなら、時間の猶予はあまりない」
「確かに、ロウギスの方針は間違っていないとは思う。だが、状況がまだ不明瞭なのに別行動を取るのは、かなりの不安がある。せめて、合流に失敗したときの対応は確認しておきたい」
「そうだな――よし、今日の日没までに合流できなかった場合は、お互いこの川に沿って北に向かい、迷宮の入口付近で合流することにしよう」
ロウギスの提案に、しかしアンカルヤの表情は険しいままだった。
「状況のわからない場所で待ち合わせというのは、賛同できないね。出発前にキミも言っていたが、迷宮の周辺が安全だとは限らないのだよ?」
「そうだな。この島の中で安全が約束されている場所などない」
「ああ、そういえばそうだった。ここではどんな行動にもリスクがついて回るか。わかった、ロウギスは先行してくれたまえ。日没までに再会できなければ、お互い迷宮に向かうことにしよう」
「任せてくれ。リフィリシアもそれでいいな?」
「私は――別行動は嫌ですけど、そうした方がいいのはわかります」
リフィリシアも不安げな顔のままで、心配そうにロウギスに頷いた。
「よし。では、俺が先に行くから、お前たちは自分のペースで付いて来てくれ。この先がヤバそうなら急いで戻るから、そのときは二人もすぐに引き返せるだけの余力を確保しておくように」
「了解だ、よろしく頼むよ」
「ロウギスさん、お気をつけて」
「おう!」
力強い笑顔とサムズアップを残して、ロウギスは二人に背を向けた。
そしてその巨体からは想像もつかないスピードで、先へと進んでいった。
彼の背中が見えなくなるまで、ほんの数分もかからなかった。
二人と一人がそれぞれ別行動に移って、三十分ほどが経過していた。
河原は基本的になだらかで歩きにくくはなかったが、所々に岩がちな場所や一メートルを超える高い段差があって、二人は苦労させられた。
森の奥からは、時折動物の鳴き声が聞こえてくる。その度に、リフィリシアが小さな肩をビクリと震わせていた。
「ん? リフィリシア、これを見てごらん」
アンカルヤは河原の石を指差して、リフィリシアに声をかけた。
「何ですか?」
「この石の表面、苔が今しがた剥がれ落ちた跡があるだろう? これはおそらくロウギスの足跡だ。どうやら我々は、彼の後を正しく追いかけているようだね」
先に進んだロウギスの痕跡を目にして、リフィリシアはホッと安堵の息を吐いた。
ロウギスほどではないが、アンカルヤとリフィリシアにも歩行速度の差があった。
アンカルヤの方が身長も高く、体力もあるからだ。
後ろを付いてくるリフィリシアの様子を見て、アンカルヤは立ち止まった。
「アンカルヤさん?」
「無理はいけないな。ロウギスも言っていただろう? とっさのときに対応できるだけの余力は残しておくのだ」
頬を赤くして肩で息をするリフィリシアの様子を見るに、そんな余力があるとは思えなかった。
「でも、私のせいで遅れてしまっては……アンカルヤさんも先に行ってください。私もその後を追いかけます」
「その意見は賛成できない。我々まで別行動を取るのは危険だわ。無用のリスクを負う訳にはいかない。ペースを落とそう。キミが前に立って、無理のない歩幅で進んでくれたまえ。私はそれに合わせて、すぐ後ろを付いていこう」
「――ごめんなさい」
「これは謝るようなことではないよ、リフィリシア。さあ、少し休憩をしてから、先に進もう」
そしてロウギスの進んでいった先、川の下流方向に視線を向けたところで、アンカルヤは奇妙なことに気が付いた。
景色が掠れて見えるような気が――?
いや、これは気のせいではない。
確かに、辺りは薄っすらと白く霞んでいる。
「アンカルヤさん、これって……」
「ああ。霧が出てきたようだ。だが、妙な感じだな」
川沿いの水辺に霧が発生するのは不思議なことではないが、あまりに唐突だ。
周囲を取り巻く霧は瞬く間に濃度を増し、周囲を白く染め上げた。
視界は白で閉ざされ、ほんの数メートル先も見通すことができない。
わずか一分前までは、空に太陽が明るく輝き、遠くまで見渡すことができたというのに。
明らかに不自然な状況に、アンカルヤの表情が険しくなる。
「リフィリシア、気を付けて。この霧、何かがおかしい」
――。
「リフィリシア?」
傍らのリフィリシアに声を掛けるが、返事がない。
慌てて周囲を見回すが、白、白、白――。
何も見えない、何も聞こえない。
全てが霧に覆われている。
生ぬるい湿った空気が、ただひたすらに不快だった。
「リフィリシア! リフィリシア! 私の声が聞こえているなら、せめて返事だけでもしてくれ!」
アンカルヤは必死に呼びかけるが、その声は霧に飲み込まれて消えていく。
リフィリシアからの返事はなかった。




