希望への道のり
リフィリシアを伴ってロウギスのテントの前に立ったアンカルヤは、外の声が中に聞こえるように少しだけ開かれた入り口の隙間に声をかけた。
「アンカルヤだ。リフィリシアを連れてきた。入るが、構わないか?」
そう言いながらも、彼女はロウギスの返事も待たずにテントに踏み入った。
ロウギスは毛皮のラグの上に座り、錆止めの油を引いた剣をボロ布で拭いていた。
「おう、来たか。早かったな」
「よしよし、服は着ているな。原始人が文明に一歩近付いたようで、大いに結構」
「えっ? ロウギスさん、アンカルヤさんの前で裸だったんですか?」
リフィリシアがロウギスに白い目を向ける。
「あー、それで話というのは、何だ? 今後のことで、何かあるのだろう?」
ロウギスはわざとらしい咳払いの後、横道にズレかけた話の軌道をぞんざいに修正した。
「そうだね。昨夜、私のテントでリフィリシアと話したのだが――」
アンカルヤはスツールに腰を下ろすと、昨夜リフィリシアから聞いた彼女の物語をロウギスに語った。
彼女がモリサキサナエという名前の日本人であること。
何らかの理由でハイエルフの『跳ね橋』に召喚されて、この世界にやって来たこと。
そして、ハイエルフたちがこの世界と日本を繋ぐ方法を模索していること。
ロウギスは額にシワを寄せ、難しい表情で話を聞いていた。
「ごめんなさい、隠し事をするつもりはなかったんです。ただ、言い出すタイミングがなくて……」
リフィリシアはスツールから立ち上がり、ロウギスに頭を下げた。彼は気にしていないと手を振った。
「しかし、星去り峰とはな。御伽話に出てくる妖精の国が、まさか実在していたとは驚きだ」
「私は、実在していることは知っていたがね。そして、私とリフィリシアは星去り峰を目指すことにしたのだが、キミはどうする? 元の世界に戻る方法を探すなら、一緒に星去り峰に行かないかい?」
「なるほど、ハイエルフたちがこの世界とあちらの世界を繋げる術を調査しているというのは、無視できない情報だ。しかし、彼らの国に向かうというのなら、その前に確認しておかねばならないことが幾つかある」
「もちろん、何でも聞いてくれたまえ」
難しい表情を崩さないロウギスと、気軽な口調で答えるアンカルヤ。
そんな二人のやり取りを、リフィリシアがハラハラした様子で見守っている。
「まず、星去り峰への道程は明らかなのか?」
「そういえば、それはまだ聞いていなかった。リフィリシアは知っているかい?」
「いえ。私も星去り峰の外に出るのはこれが初めてで――でも、ロデルギイアの真っ暗街道と繋がっているという話を聞いたことがあります」
リフィリシアの答えに、ロウギスの表情の険しさが増す。
アンカルヤも真剣な視線をリフィリシアに向けた。
「私の記憶が確かであれば、ロデルギイア街道というと、第三紀の初期に建造された東方山脈の地下を東西に横断する長大なトンネルだったと思うが?」
「あ、はい。多分それのことです」
「俺も聞いたことがある。最短経路を通り抜けるだけでも百日近くかかり、出口に到達する頃には季節が変わっていたとか」
ロデルギイアの地底街道が星去り峰に通じているという話には、説得力があった。言い伝えによれば、この地下道の建設と管理にはハイエルフが深く関わっていたからだ。
「だが現在は魔物共の巣窟と化していて、巨人戦争以降に踏破に成功したという話は聞かないね。今でもロデルギイアは山脈の向こうに通じているのだろうか?」
「ゲームの地下迷宮もかなりの規模だったが、ロデルギイアは確実にそれ以上だ。比較にもならんぞ?」
「それでも、星去り峰を探して東方山脈を南北に縦断することを考えたら、随分と探索範囲は絞られたといえるね」
「そいつは、空の広さに比べれば海は狭いと言っているようなものだ」
「事実、海は空よりは狭いだろう? ねえ、ロウギス。私はね、星去り峰に行けるか行けないかを問うているのではない。目指すか目指さないか、という話をしているのだよ」
ロウギスは深々とため息をついた。
「無謀だ! 無謀だが、しかしそれを理解した上で、それでも妖精の国を目指すというなら、俺も覚悟を決めよう。これが元の世界に戻るための、現状では唯一の可能性であることは俺も認める」
その言葉を聞いたリフィリシアが、嬉しそうに笑う。
「それじゃあ――」
「いや待て! 話はまだ終わっていない。もう一つ確認しておくことがある」
「何かな?」
首を傾げるアンカルヤに、ローギズは厳しい視線を向ける。
「とぼけているのか? もう一つの解決すべき問題に、お前が気付いていないとは思えんが?」
ああ、そこに触れるのか。
アンカルヤは両目を閉じて、息を吐いた。
できればあまり触れたくない問題であっても、彼は目を背けたりはしないらしい。
「元の世界に帰還するとして、俺達のこの姿はどうする? この体で元の世界に戻っても、元の生活には戻れないぞ?」
リフィリシアがハッと息を呑んだ。
「そ、それは……」
「――それについては、まだ私も結論を出せていない」
「だが、元の世界に戻る方法が見つかれば、否応なしに答えを求められることになるぞ? アンカルヤ、お前はその時、どうするつもりだ?」
この問い掛けに対する回答を間違うことはできない。
もしここでアンカルヤがロウギスを納得させる答えを返せなければ、彼はこのプランに反対の立場に立つだろう。
それは、なんとしても避けたかった。
アンカルヤは短い時間ではあったが慎重に考えを巡らし、自分なりの答えを口にした。
「この二つの問題はセットではなく、分けて考えるべきではと私は思っている」
「おいおい。この二つの現象は同時に起こっている。無関係とは思えない。何故、分けるべきなのだ?」
確かに、異世界への転移と体の変化は同時に発生した現象だ。どちらも無関係とは考えにくい。
「元の世界に戻るための手がかりについては、リフィリシアのおかげで見つけることができた。しかし、元の姿に戻るための手がかりについては、まだ何もつかめていない。残念だが、プレイヤーとキャラクターの分離については、現状では答えが出せない――出しようがない」
そこでアンカルヤは一旦言葉を区切り、ロウギスとリフィリシアの表情を確認する。
二人とも厳しい顔をしているが、そこに否定的な雰囲気は感じられない。
そのことにホッとしながら、アンカルヤは現時点での結論を語った。
「元の世界に戻る方法と元の姿に戻る方法を、同時に探さなければならないという決まりがあるわけでもない。何なら元の世界に戻る方法が見つかってから、元の姿に戻る方法を探したっていいのだ。ならば手がかりのある方を優先するべきだと、私は思う」
ロウギスは天を仰いで大きく息を吐いた。
「まあ、そうだな。何も考えていないようなら反対したが、考えた上で問題を棚上げするのであれば、それはしかたがない。実際、現状では正しい答えを出すことなど不可能だということは、俺にもわかっている」
「それに元の世界に戻る方法を探しているうちに、元の姿に戻る方法が見つかるかもしれないですし」
リフィリシアの楽観的な意見に、ロウギスが頷き返す。
「そうだな。世界の転移と容姿の変化は同時に起こっている。双方が無関係というのはありえないだろう。ならば片方を調べているうちに、もう片方についても判明する可能性は、思っているほど低くないかもしれない」
「それにもう一言付け加えさせてもらうと、手掛かりの有無に関係なく、やはり元の姿に戻ることよりも元の世界に戻る方法を探すことを優先するべきだと思う」
「なぜだ?」
「ロウギスだってわかっているだろう? それともキミは、パン屋の店主に戻ってもこの世界で生きていく自信があると?」
アンカルヤの問いに、ロウギスは苦笑いで答えた。
「生きるだけなら、なんとかなるかもしれない。だが旅や冒険となると、厳しいだろうな」
「そういうことだよ。我々が元の世界に戻る方法を探すには、プレイヤーキャラクターの能力が必要だ。つまり先に元の姿に戻る方法が見つかっても、元の世界に戻る方法が見つかるまでは、元の姿に戻ることはできないのだよ」
「なるほど、その通りだな」
ローギズは腕を組み、目を固く閉じて大きく息を吐いた。
「わかった。アンカルヤは俺の問いに答えた。次は俺がお前たちに答える番だな」
「では?」
「ああ。俺も星去り峰に行こう」
アンカルヤとリフィリシアの二人に向かって、ロウギスは力強く頷いた。
話がまとまり安堵するアンカルヤとリフィリシアに、ロウギスが問いかけた。
「それと、これは俺の単なる好奇心からの質問だ。だから答えなくてもいいし、答えなくても俺の返答は翻したりしない」
「ああ。聞きたいことがあるなら、なんでも聞いてくれたまえ。我々の今後を決める重要な話し合いだ。お互い、言葉は出し尽くしておこう」
「では、質問させてもらおう。動機についてだ。つまり、なぜ元の世界に戻りたいのかという、根本的な部分だな。俺たちには、元の世界への帰還を諦めて、この世界で生きていくという選択肢もあるはずだ。それでもなお困難な旅に挑んでまで元の世界に戻りたいと思う、その理由はなんだ?」
ロウギスの問いに、まずリフィリシアが答えた。
「それは、家族や友達に会いたいからです。私がこちらの世界に来て、もう何日も経っています。きっとみんな私のことをすごく心配していると思います。だから、一日でも早く日本に帰りたい……帰らないといけないんです!」
リフィリシアの言葉に、アンカルヤも頷いた。
「うん、私も同じだ。家に帰りたい。そして家族に会いたい。それだけだが、困難な旅に挑む理由としては十分すぎるだろう?」
「なるほどな。俺が元の世界に戻りたい理由も家族だ。といっても、お前たちとは少し違う理由だがな」
そしてロウギスは、アンカルヤとリフィリシアに向けて大きな握り拳を差し出した。
「今から俺たちは、同じ理由で同じ目的に向かって同じ道を行く。俺たち三人は旅の仲間だ!」
「ああ!」
「はいっ!」
三人はそれぞれの拳を前に差し出し、力強く重ね合った。




