境界線
アンカルヤがテントを出ると、ちょうどロウギスが焚き火の始末をしているところだった。
周囲に並べてあった武器類も見当たらない。
武器は腰に吊るしたブロードソードだけだ。
「今朝の練習は終わりかい?」
「ああ。しかし、奇妙なものだな」
ロウギスが、腰の鞘から剣を抜き放つ。
朝の澄んだ空気の中に冷たい金属音が響き、そして静かに消えていく。
「何がだい?」
「アメリカの小さなパン屋の店主が、何故か異世界の森の中で剣を振るっている」
「それを日本の高校生が眺めている。そして互いに言葉が通じないはずの二人が、異世界の言語で会話している。確かに奇妙な話だね」
「ああ。とびきりに奇妙だ!」
ズンと一歩踏み込み、ブロードソードを上段から垂直に振り下ろす。
アンカルヤから見ても、その身のこなしはなかなか様になっている。少なくとも、素人の動きではない。
「大したものなのでは?」
「最初は怖かったものだ。今まで、こんなに重くて大きな刃物を持ったことはないからな。うっかり手を滑らせて自分を傷付けてしまわないかと」
ロウギスは剣で地面をつついた。
「それが今では腕の延長だ。こうして切っ先で小石を突くと、刀身を通して、指先で石の硬さを感じ取ることができる。数日前に、初めて武器を手にした人間がだぞ?」
指先で剣をクルリと一回転させると、淀みない手捌きで鞘に収める。そんな曲芸じみた動作にも、しかし危なげは全く感じられない。
「時々、剣が体の一部の様に感じられるのだ。そして武器を振るえば振るうほど、感覚に馴染んでくる。同時に、どんどん本来の自分からかけ離れていくようで、怖い」
その恐怖は、アンカルヤにも身に覚えがある。今現在も漠然と感じているものだ。
この過酷な世界を、日本の男子高校生の感覚で生き延びることは難しい。生存を最優先とするなら、この世界の住人であり強者に部類されるアンカルヤに積極的に近付くべきなのだ。彼女に近付くほど、比例して自身の生存確率も上昇する。
しかし、それは『彼』とアンカルヤの境界線を曖昧にぼかして、同化してしまうということだ。
この境界線を完全に失ってしまえば、おそらくアンカルヤが『彼』と彼女に戻ることは不可能になってしまうだろう。
この世界で生きていくなら、『彼』はアンカルヤに近付かざるを得ない。
問題は、何処まで近付くことが許されているのか。何処までであれば引き返すことが可能なのか、ということだ。
アンカルヤには、その見極めがつけられなかった。
「仕方あるまい。キミも私も、この世界に適応することを強要されているのだよ。拒めば、その代償に生命を支払うことになる」
「選択肢の一方が、いつも『死』だ。嫌になる」
「同感だ。そして、その選択肢について、キミに話したいことがある。今後のことだ」
「待て」
ロウギスが、アンカルヤの発言を片手で遮った。そして自分のテントを指差す。
「流石にこの寒さにこの格好で立ち話は辛い。話は俺のテントで聞こう。生憎と、レディをお招きするような場所ではないがな」
彼のご招待に、アンカルヤは苦笑いで答えた。
「むしろ淑女扱いされるほうが、対応に困るわ」
ロウギスのテントは、昨夜のリフィリシアの言葉通り様々な武器が所狭しと棚に並び、彼女が鉄の匂いと表現した武器の匂いが漂っていた。
そして、アンカルヤのテントよりも二回りは狭い。これで外見はロウギスのテントの方が大きいのだから、エンチャントテントは不思議だ。
「このテント、暖房はないのかい?」
「風雨が完全に凌げるだけでも、十分に上等だろう?」
ロウギスはさっさとズボンを脱ぐと、シャワーを浴び始めた。
視線を遮る衝立もないので、彼の尻が丸見えだ。
アンカルヤは男の裸などに興味はないので、ロウギスに背を向けて抗議した。
「おい! 淑女扱いは困ると確かに言ったが、もう少し来客には気を使いたまえ!」
「どうせお前に、男の体を見て悲鳴を上げるような可愛げはなかろう? 気にするな」
たしかに、アンカルヤはそのような可愛げなど持ち合わせていない。これがリフィリシアなら、ロウギスの言うように悲鳴を上げていただろうが――。
「――まさかリフィリシア相手にも、こんな様子だったとか言わないだろうな?」
「バカを言え。嬢ちゃんが相手なら、俺だって気を使うさ」
何故、私には気を使わない。
シャワーの水音の向こうから聞こえてくるロウギスの言葉に、アンカルヤは少しムッとした。
「ああ、もういい。話を続けるぞ。この先の話だ」
「おう」
アンカルヤは手近なストゥールに勝手に腰掛けると、背後のロウギスに問い掛けた。
「キミは迷宮に着いた後はどうするつもりだい? まさか、迷宮に着いたら万事解決などと思っているわけではあるまい?」
「まあ、なぁ。はじめは迷宮に挑むつもりでいた。これがゲームなら、迷宮をクリアすればエンドクレジットが流れて、元の世界に戻れるかもしれない。そう考えていた」
「エンドコンテンツに突入しそうだが?」
「現実は終わらないエンドゲームさ。昨日、お前と話して、これはゲームではないと俺は判断した。おそらく迷宮の攻略は帰還に繋がらないだろう。八方塞がりだ」
昨夜リフィリシアの話を聞いていなければ、アンカルヤもロウギスと同じ壁に突き当たっていただろう。
「で、答えは?」
「迷宮に着いてから、考える」
「そうなるか、やはり。その件で話がある。ただ、これはリフィリシアの情報に基づく選択肢なので、彼女も交えて話したい」
「嬢ちゃんの?」
シャワーを終えたロウギスが、タオルで体を拭きながら近付いてきた。
「その格好で、私の側に寄るな! リフィリシアはキミのような無神経なおっさんには話さなかったことまで、この私には話してくれたのだよ」
アンカルヤは得意げに、フフンと鼻で笑った。
「仲良くやっているようで、結構なことだ」
「そうだな。そろそろリフィリシアの入浴も終わっているだろう。彼女を呼んでくるので、その間にキミは、最低限女性の前に立てる程度に身嗜みを整えておきたまえ」
「入浴ねぇ。お前が戻ると、嬢ちゃんがちょうど風呂を出たところで鉢合わせしたりしてな」
ロウギスがニヤニヤと笑う。
「あいにくと、私はラブコメ漫画の主人公ではなくてね。そんな間抜けな真似はしないさ」
そして、アンカルヤはニヤリと笑い返した。




