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幻想世界の紀行録  作者: TaYa
迷宮島の放浪者たち
20/71

夜明け

 朝の気配に、アンカルヤのまぶたがゆっくりと開く。

 奇妙な心地だった。奇妙といっても、不快感はない。むしろ、今まで乾いていた何かが今は満たされているような、不思議な充足感があった。


 アンカルヤがまだ意識のはっきりしない視線を隣のベッドに向けると、こちらにあどけない寝顔を向けるリフィリシアが見えた。

 ひょっとして、ずっと自分の方を見ていたのだろうか?

 そう思うと、アンカルヤはムズムズするような気恥ずかしさを覚えた。

 隣に誰かがいる、一人ではない。それがどれほど心強く、勇気づけられることか。

 アンカルヤはリフィリシアとロウギスに出会えた幸運を想うと、胸の奥が暖かくなるのを感じた。


 リフィリシアの寝顔は落ち着いており、悪い夢を見ているということはなさそうだった。

 ならば、もう少し寝かせておいてあげよう。

 アンカルヤは、リフィリシアの寝顔に優しい笑みを向けた。

 可愛い寝顔だった。

 女の子が、自分に寝顔を見せるほどに気を許してくれている。

 そう思うと、顔が熱を帯び、胸がドキドキした。

 体が熱くなってきたアンカルヤは、寝袋からのそのそと這い出した。

 朝のテントの冷たい空気が、彼女の熱を冷やしていく。

 アンカルヤの体が小さく震えた。

 テントの中なので心地よい朝の冷気程度で済んでいるが、おそらくテントの外は氷点下だろう。

 エンチャントテントがあって本当に良かったと、アンカルヤはあらためてそう思った。


 アンカルヤはリフィリシアを起こさないように静かにロフトを下りると、薪ストーブの灰をバケツに掻き出して、新しい薪をセットする。

 ストーブに自動で火が点るのを確認して、次にバスルームの確認に向かう。

 シャワーに繋がる給湯器は、もちろん付呪を利用したものだ。何でも付呪である。

 湯量は元の世界のガス給湯器に及ばないが、水道やガスの料金を気にせずに、好きなだけ湯を使うことができる。

 外観は高さ一メートル、幅七十センチほどの金属の箱で、表面にはレバー、ダイヤル、メーター、メンテナンス用の扉、作成工房のロゴプレートが取り付けられている。その上部にパイプがあり、固定式のシャワーヘッドに繋がっている。隣には、給湯器用の小さな井戸が設置されていて、これもパイプで繋がっている。

 給湯器のレバーをオンにして、温度設定のダイヤルを中程よりも少し上にセットする。次に給湯器に繋がる井戸のポンプを漕いで、給湯器に水を供給する。

 するとシャワーから冷たい水が出始め、すぐに暖かな湯に変化する。

 シャワーから湯が出始めると、給湯器が自動的に井戸の水を組み上げるので、これ以降はポンプを動かす必要はない。


「よし、問題ないな。リフィリシアが使っている最中に故障して止まってしまったら、可愛そうだからな」


 昨夜リフィリシアが顔を拭いたタオルをシャワーで軽く手洗いすると、テント内の中空に張ってある物干しロープに掛けておく。


「さて、リフィリシアが目を覚ますのを待つ間に、自分の身支度を終えておくか」


 そして例の魔法薬の小瓶をあおる。

 アンカルヤの体と衣服が、一瞬で浄化される。

 だが昨日までとは違い、彼女は険しい顔で飲み干した薬の空き瓶を見つめていた。

 かなり高級な魔法薬だけあって、この薬のストックは多くはない。入浴代わりなどというふざけた用途で常用していては、すぐに尽きてしまうだろう。


「観念して、明日からは私もバスルームを使用するか」


 当面はアンカルヤとして生活していかなくてはならない以上、入浴や洗濯は避けて通ること叶わぬ道だった。






 命を失う危険がある過酷な環境に、人が恐怖ではなく美を感じることがあるのは、何故だろうか?

 外の様子を確認しようとテントから顔だけを出したアンカルヤは、ふとそんなことを思った。

 地面もロウギスのテントも、純白の霜に覆われている。

 ゆったりと流れる朝靄の向こうに、森の木々が静かに佇んでいる。

 まるで一枚の風景画のような、純白に染まる静寂の世界が、そこにあった。

 空は白んでいるが、日はまだ昇っていない。夜の余韻を残す空気は、酷く冷たい。

 人間が適切な装備もなく身を晒せば命に関わる酷寒の世界は、なぜかとても美しかった。


 そんな幻想的な光景の中に、上半身裸で張り切っている空気の読めない男が居た。

 一切の無駄がない見事な筋肉から、白い湯気が立ち上っている。その肌に刻まれた大小無数の傷が、彼の人生の履歴書であった。


「ロウギス……キミは一体、何をしているのだ?」

「おお、アンカルヤか。今日は早いな。おはよう」

「おはよう。そして何をしている」


 呆れを含むアンカルヤの問いに、ロウギスは「見てわからないのか」と首を傾げる。


「朝の訓練だ。こんな状況だ。武器を扱う感覚を、少しでも身に付けておく必要があるだろう?」


 確かに、彼の逞しい腕には立派なグレートソードが握られていた。名のある業物なのだろう。単なる一振りの剣とは思えぬ、ただならぬ風格が漂っている。

 それだけではない。剣、槍、斧。彼の周囲には、様々な武器が並べられていた。


「なるほど。焦りに近いその感覚は、私にも覚えがある。だが、このクソ寒い屋外でそれをする意味はあるのか? マゾか、キミは」

「俺のテントは手狭でな。武器を振るうゆとりがない」

「そうだとしても、この冷気の中での訓練など、逆に体に悪いだろう?」

「もちろん、暖は取っているさ」


 ロウギスが指差す先には、小さな焚き火があった。

 例のエンチャント薪を使用した、煙の薄い焚き火だ。

 確かに、焚き火には周囲の霜を溶かす程度の熱量はあるようだが、森を包む朝の冷気に抗えるようには、とても見えない。


「まあ、キミがそれで大丈夫と判断したのなら、そうなのだろうが……」

「うむ。ところでリフィリシアの様子はどうだ?」


 どうやらロウギスもリフィリシアのことを心配していたようだ。

 アンカルヤはふと気が付いた。

 ひょっとしたら、彼も夜に一人で泣いているリフィリシアの姿を目にしているのかもしれない。

 そして、どうにかしてやりたいと思いつつも、どうすることも出来ずにいたのではないだろうか。

 ロウギスがリフィリシアを持て余してしまうのも、わからないではない。

 知り合ったばかりの大人の男と中学生の少女だ。

 接し方が臆病なくらいに慎重になってしまうのは、仕方のないことだろう。

 そこに都合よく同郷で同性で年齢も近いアンカルヤが現れた。

 これ幸いと丸投げしたくなる気持ちもわかる。

 だがそれは、どう考えても、一介の高校生には重責もいいところだ。

 アンカルヤは「むうっ!」と口をへの字にした。


「まだ寝ている。そうだな、そろそろ起こしてこよう。今から準備となると、出発までもうしばらく時間をもらうことになりそうだが、構わないかな?」

「構わんさ。あと、これはどうでもいいことかもしれないがな、アンカルヤ――」


 重厚な剣をまるで自身の肉体の延長のように自然に振るっていたロウギスが、その手を止めてアンカルヤの方を振り返った。


「小さなテントから美女の首が生えている光景は、かなりシュールだぞ?」

「――本当に、どうでもいいことだな」






 アンカルヤはテント内に首を引っ込めると、リフィリシアの様子を見にロフトに向かった。

 天蓋付きのベッドで眠るお姫様の穏やかな寝顔に、やはりもう少し寝かせておいてあげたいという気持ちになるが、残念なことにそうもいかない。今後の予定があるのだ。

 リフィリシアの肩を優しくゆすり、目覚めを促す。

 ゆったりとまぶたを開いた彼女は、ベッドの上からアンカルヤを見上げ、少し恥ずかしそうに「おはよう」と微笑んだ。

 そのあまりに可愛らしい一連の仕草に、アンカルヤの心臓がドクンと高鳴った。


 アンカルヤは目覚めたばかりのリフィリシアに入浴を勧めると、給湯器の使い方を説明した。


「ガスや水道代は気にする必要がないから、シャワーはずっと出しっぱなしで問題ない。バスルームに置いてある石鹸類も、遠慮せずに使ってくれたまえ。あと、洗濯物があるなら、ついでに洗っておくといいだろう。物干しロープも自由に使ってくれて構わない」

「ありがとうございます。何から何まで」


 リフィリシアが、アンカルヤに頭を下げた。


「礼を言われるほどのことでもないが、まあ感謝の気持ちは受け取っておくよ。それと、このロフトをキミのプライベート空間にしたい。私はキミの許可無くここには立ち入らない」

「えっ! でも――」


 やはりそういう反応になるか、とアンカルヤは小さく肩を竦めた。


「まあ、聞くのだ。これからこのテントで共同生活をしていく上で、キミにプライベートな領域を持ってもらった方が、私としても暮らしやすいのだ。これは家主の要望として、受け入れてもらえると助かる」

「えっと……そういうことなら、わかりました」

「そういうわけで、私に見られたくない洗濯物は、ロフトの上に干すといい」


 リフィリシアは恥ずかしそうに頬を赤くして、コクコクと頷いた。

 言ってから気が付いたが、この発言はセクハラになるのだろうか? だとしたら、面倒くさいな。そんな事を考えながら、アンカルヤは言葉を続けた。


「では、昨晩も言ったように、キミが入浴している間、私はテントを出ていることにするよ」


 するとリフィリシアはますます顔を赤くした。


「はい。ごめんなさい。急いで終わらせますので、よろしくおねがいします」


 アンカルヤは、「おやっ?」と思った。

 また昨日のように、「私は気にしません」などと言い出すのではないかと予想していたのだ。

 だが今日のリフィリシアは、入浴中にアンカルヤにテント内に居てほしくないようだ。


「では、私は外でロウギスと今後の打ち合わせをしてくるよ」


 リフィリシアの変化に安堵しつつも、なぜか少し寂しいという思いもあった。

 そんな自分の心境を不思議に思いながら、アンカルヤは自分のテントを後にした。


 はじめまして。この小説の作者のTaYaです。

 今回で二十話。流石にここまで来ると、そこそこの文章量になりますね。

 ここまで読んでいただき、また幾人の方からは評価やブックマークまでいただき、ありがとうございます。とても嬉しく、励みになります。

 今まで淡々と小説を投稿してきましたが、流石にそれだけでは無愛想だと思い、あとがきの場を利用してご挨拶させていただきました。

 これからも、よろしくおねがいします。


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