そして旅が始まる
寝袋に潜り込んだアンカルヤがベッドの方を見ると、随分と端の方でリフィリシアが横になっていた。
「ん? そんなに端で寝ていると、ベッドの下に落ちてしまうよ?」
「でも、その……」
何やらリフィリシアがモジモジとしている。
「ここでないと、その、アンカルヤさんが、見えないから――」
ああ、人の姿が見えないと寂しいのか。
アンカルヤは一度寝袋を出ると、ベッドの死角にならない位置まで寝袋を離した。
「これならば、お互いの姿が見えるだろう」
「わざわざ、ごめんなさい。ありがとう」
「この程度のことで、遠慮は不要だよ」
あらためて寝袋に潜り込んだアンカルヤは、眠る前に一つ気になっていたことをリフィリシアに尋ねてみた。
「ところでリフィリシアは、私が元は日本の男子高校生だということは覚えているよね? その割には、随分と無防備に見えるのだが」
「それは……私は、今のアンカルヤさんしか知りませんから。アンカルヤさんはどこから見てもきれいな女の人で、男の人だと言われても、実感がわかないんです」
お前からは男らしさが感じられないと言われたみたいでアンカルヤは少し落ち込んだが、それも仕方ないかと諦めることにした。今の自分の容姿に男らしさなど欠片も見当たらないことは、彼女自身も自覚はしていた。
「そういうものかもしれないね。私も、その主張はこれからは少し控え目にしようと思う」
「えっ?」
「私の中身が男だという事実は、今の所キミとの距離を開いてしまう原因になってしまっているからね。だから、これからはできるだけ、同性の友人としてキミと接していきたい。構わないだろうか?」
「どうして――」
リフィリシアは今にも泣き出しそうな瞳で、アンカルヤを見つめていた。
「ん?」
「どうして、そこまで私に良くしてくれるんですか? 今日知り合ったばかりの、ほとんど他人の私に……」
まるで必死に両親の姿を探す迷子の子供のようなリフィリシアの表情に、アンカルヤは既視感を覚えていた。
ああ、彼女も私と同じなのだ。おそらく私も、リフィリシアとロウギスに出会うまでは、今の彼女と同じ表情をしていたはずだ、と。
だから、アンカルヤは誰にも語るつもりのなかった心の内を、少しだけリフィリシアに明かすことにした。
「皆、同じだかからだよ。リフィリシアも、私も、そしておそらくロウギスも。私だって家族に会いたいし、日本に帰りたいさ。家族で食卓を囲み、母の手料理を食べながら皆で談笑する。そんな当たり前の幸せな日常が、もう二度と帰ってこないかも知れない。そう思うと、辛くて、寂しくて、泣きたくなる」
「アンカルヤさん……」
「でも、私は男で、ロウギスは大人で、だから我慢してる。キミの前では見栄を張っているだけだよ」
アンカルヤは、ベッドの上のリフィリシアに微笑みかけた。
「私も、リフィリシアも、ロウギスも、同じ境遇で、同じ思いを共有している。仲間だ。キミは、私は、もう一人ぼっちではないのだ」
リフィリシアは枕に顔を埋め、肩を小さく震わせた。
そんな彼女の様子を見て、アンカルヤは意を決した。
本当は、自分にはこんな事を言う資格はない。
達成できる保証もない、自信もない、そんな無責任な口約束をしようとしている。
自分はまだ子供で、無力な人間だ。
不死者狩りの審問官としてはトップクラスの実力を持っているのかもしれないが、世界だとか運命だとかを相手にするには全くの力不足だ。
所詮は理不尽極まりない現実に抗う術も持たない、取るに足らない小さな存在に過ぎない。
でも、そんなことは泣いている女の子を見捨てていい理由にはならない。
だからアンカルヤは、その思いを言葉にした。
「リフィリシア。私と一緒に、星去り峰に行こう」
「っ!」
飛び上がるように、リフィリシアが枕から顔を上げた。
「そして、共に日本に帰るのだ。明日、ロウギスにも声をかけよう。彼も賛成したら、三人だ。三人で行こう。約束する、絶対にキミを一人になんてしない」
「で、でも本当にたどり着けるかなんて、わかりません。それに、星去り峰に着いても、日本に帰れる保証なんてないし、元の姿に戻れるかもわからないですし――」
「その時は、三人で旅を続けよう。この世界を隅から隅まで。そして日本に帰る方法を見つけるのだ」
アンカルヤは寝袋の中から身を乗り出し、さらに言葉を続ける。
「いや、三人だけではない。この世界には、きっと他にもまだ私たちと同じ思いを抱いている人たちがいるはずだ。彼らにも声をかけよう。きっと、寂しいなんて言っていられない、賑やかな旅になる」
この時、アンカルヤは気が付いていなかった。
自分が今、まるで未来の夢を語る少年のように、瞳をキラキラと輝かせていることを。
その輝きはリフィリシアの黒い瞳に反射して、彼女の心に小さな――しかし確かな明かりを灯した。
「おそらく、長くて険しい旅になる。辛い思いや悲しい思いをすることもあるかも知れない。でも、きっと――」
アンカルヤは明るく輝く瞳でリフィリシアを真っ直ぐに見つめながら、自分の想いを言葉に乗せる。
「きっと、とても楽しいよ」
「――はい」
ようやく、ようやくリフィリシアが心からの笑顔を見せてくれた。
だから、もう大丈夫。
「随分と話し込んでしまったね。夜も、もう遅い。話しはここまでにしておこう」
「そうですね。たくさんお話ししました」
「おやすみ、リフィリシア」
「はい。おやすみなさい、アンカルヤさん」
リフィリシアの声に元気が戻っているのを感じて、アンカルヤは安心して両目を閉じた。
アンカルヤはある重要な事柄について、あえて触れることを避けていた。
それはプレイヤーとキャラクターの関係だ。
プレイヤーとキャラクターが元の二人の人間に戻ることができるのであれば、何の問題もない。
しかし、元の世界に戻る方法が見つかっても、元の二人に戻る方法が見つからなかった場合、彼女たちは難しい決断を迫られることとなる。
リフィリシアの場合、キャラクターにとっても、プレイヤーにとっても、日本は故郷だ。
だがアンカルヤは違う。
星去り峰に向かうということは、『彼』にとっては日本への帰還であっても、彼女からすれば異世界への旅立ちである。
アンカルヤにとって、日本への帰還とキャラクターとプレイヤーの関係に決着を付けることは、切り離すことのできない一括りの問題であった。