第17話 図書室の金平糖と、高貴な大和撫子の甘いご褒美
いつも『高嶺の花の防衛システム』をお読みいただき、本当にありがとうございます。前回の第十六話では、図書室での甘やかな金平糖のひとときをお届けいたしました。
今回(第十七話)は、その図書室からの帰り道、夕暮れの通学路を並んで歩く二人のお話です。少しずつ変化していく二人の距離感と、リナのウブな素顔をどうぞお楽しみください。
勉強を終えて静まり返った図書室を出ると、夕方の廊下の空気は少しだけひんやりと冷たかった。大きな窓から差し込む放課後の西光はすでに弱く、窓の外の景色は、薄い綺麗な青色の群青へと静かに沈み込んでいる。静寂に包まれた校舎の片隅で、彼女の歩調に合せるように漂う白檀の仄かなお香の香りが、どこか厳かで、それでいて酷く愛おしい情緒を湛えながら、二人の間の空間を静かに満たしていた。
「……ふぅ。今日、結構たくさんやったね」
隣を歩くリナが、小さく可愛らしく伸びをした。誰もが見上げる一八五センチそこらの細い肩がふわりと上がって、お淑やかに仕立てられた制服の袖が少しだけ揺れる。緩められたリボンタイの隙間から覗く彼女の白い首筋は、夕暮れの淡い西光を浴びてどこか神秘的なほどに美しく、動きに合わせて白檀の仄かなお香の香りが、ひんやりとした廊下の空気の中へどこまでも高貴に広がっていった。
「まあな. 英語の長文読解はお前がスラスラ教え進めてくれるから、まじで毎回助かるわ」俺がそう言うと、リナの美しい白い首筋がほんのりと朱に染まっていった。彼女が歩みを進めるたびに白檀の仄かなお香の香りが、夕方のひんやりとした廊下へ優しく、そしてどこまでも高貴に広がっていき、二人の間の境界線を曖昧に変えていくような、酷く甘やかな錯覚さえ俺の胸の奥に刻み込んでいく。
「それは……蓮の数学の説明が、早くて分かりやすいだけだよ。……中学の去年だって、ずっとそうだったし」そう言って微笑む彼女の横顔を、夕暮れの淡い西光が静かに照らし出していた。
去年──。その一言が静まり返った廊下に優しく溶けた瞬間、彼女の手元からは、お寺育ちの彼女らしい白檀の仄かなお香の香りが、二人の間の空気をどこまでも高貴に、そして甘く満たしていく。私たちが机を並べていた、あの懐かしくも愛おしい夜の静寂が、今この瞬間の廊下の空気と混ざり合い、俺たちの胸の奥を静かに焦がしていく。西光に照らされた彼女の白い首筋が、その熱に呼応するように、ほんのりと朱に染まっていた。
その愛おしい過去の記憶が、高校生になった今の、図書室帰りの静けさとごく自然に、美しく重なっていく。リナは長い指先を丁寧に動かし、藤色の巾着の紐をきゅっと小さく結び直しながら、あの頃と変わらない優しい眼差しをそっと俺へと向けた。彼女の白い首筋から漂う白檀の仄かなお香の香りが、夕暮れの廊下の空気と混ざり合い、二人の間の距離をどこまでも優しく、そして甘く狂わせていく。
中央階段をゆっくりと降りるとき、リナがほんの少しだけ、自分の長い脚の歩幅をトントンと落とした。それは、彼女のいつもの可愛い癖だった。俺が後ろを一歩下がって歩いていると、彼女は自然と、そうやって速度を合わせてくれる。
「ねえ、蓮……」
「ん? 何だよ」
「今日の数学の……あの、後半の公式の解説、すごく分かりやすかったの」リナは階段の正面を向いたまま、ぼそりと囁くように言う。耳の裏までほんのり赤くなっている、完全に照れているとき特有の声だった。
「そりゃ光栄だな。塾の講師にでも転職するか?」
「……ううん、そういうのじゃなくて。なんか……蓮の隣だと、すごく落ち着くの」階段の正面を見つめたままそう囁いたリナの白い首筋は、夕暮れの淡い西光を浴びて、息を呑むほどに美しく朱に染まっている。彼女が手元で藤色の巾着袋の紐をいじる丁寧な指先の所作からは白檀の仄かなお香の香りが立ち上り、放課後の静まり返った空気と同化するように、二人の空間をどこまでも高貴に満たしていた。
彼女の紡いだその“落ち着く”という言葉の意味が、ただの勉強の環境だけを指しているんじゃないことくらい、鈍感な俺にだって、さすがに分かっていた。
解放されている広い校門をすっと出ると、5月の放課後の風が、少しだけ強く優しく吹いた。5月の風はちっとも冷たくない。けれど、どこか心地よく乾いていて、口の中にほんのりと残っていた金平糖の甘さを、優しく、さらさらと薄めていく。風に揺れるリナの金髪から、白檀の仄かなお香の香りがふわりと立ち上り、彼女の美しい白い首筋を優しく撫でるように通り抜けていった。
「ねえ、蓮。明日も、放課後は図書室に行く?」
リナが歩く速度を落とさずに聞いてくる。その鈴を転がすような声は軽やかだけれど、俺の答えを最初からもう全て知っているような、そんな愛しい響きを含んでいた。歩調を緩めぬ彼女のその丁寧な指先が、抱えた藤色の巾着袋の端をきゅっと小さく握り直すたび、白檀の仄かなお香の香りが、夕暮れの通学路へどこまでも高貴に、そして甘く溶け出していく。
「行くだろ。高校最初の中間テスト前だしな」
「……そっか。じゃあ、また明日も、あの同じ席ね」
“同じ席”。高校に入学してからのこの一ヶ月半の間に、ごく自然と二人の定位置として決まった、あの図書室の窓際の一番奥にある静かな席のことだった。
赤信号で立ち止まったとき、リナは両手で持っていた淡い藤色の巾着袋を、きゅっと少しだけ愛おしそうに握り直した。
「あの金平糖……実は、まだカバンにたくさんあるの。……だから、明日もちゃんと持ってくるね」そう言って藤色の巾着袋の紐をなぞるリナの指先の所作は、お寺育ちの彼女らしくどこまでも丁寧で洗練されていた。夕暮れの光に包まれた彼女の手元からは白檀の仄かなお香の香りが立ち上り、二人の間の空気をどこまでも高貴に、そして甘く満たしていく。
「おう。でも、別に無理して毎日持ち歩かなくてもいいぞ?」
「無理なんかじゃないよ。私が持ってきたのを、蓮が美味しそうに食べてくれると……なんか、すごく嬉しいし」
(おいいいいいい! 『蓮が食べてくれると嬉しい』とか、その直球ストレートな乙文の破壊力はガチで心臓に悪いからやめて頂けませんか!?)
俺の脳内全細胞が限界絶叫パニックを起こす中、リナは青信号に変わると同時に、正面を向いたまま、ツンと少し早足で歩き出した。
夕方の光が完全に世界から消え去って、街路樹の横の街灯が、ぽつり、ぽつりと、ひとつずつ暖かく灯り始める。静かな夜の通学路を並んで歩く二人の影が、ゆっくりと重なったり、離れたりしながら、アスファルトの上に長く伸びていく。
「ねえ、蓮」
不意に名前を呼ばれて振り向くと、薄暗い街灯の光の下で、リナが少しだけ嬉しそうに目を細めて笑っていた。
「今日、本当にありがとう。……勉強に付き合ってくれたのも、金平糖を食べてくれたのも」
「何言ってんだよ。金平糖は元々、お前が持ってきたんだろ」
「うん。...でも……大好きな蓮が美味しそうに食べてくれたから、私にとっては、ちゃんと最高の“ご褒美”になったの」
(おいいいいいいいいいい! 『大好きな蓮』って今サラッと言ったか!? 本人は無自覚なのか!? 天然なのかおい!?)
自分の心臓の残りライフが完全にゼロになる中、彼女のそのお淑やかで甘い言い方が、いつまでも、俺の耳の奥に熱く残っていた。街灯の淡い光に照らされたリナの白い首筋が、その熱に呼応するように、ほんのりと朱に染まっていく様子は、息を呑むほどに美しい情景として夜の静寂の中に浮かび上がり、彼女から漂う白檀の仄かなお香の香りと共に、俺の理性をどこまでも優しく狂わせていく。
いつもの、お互いの家の方向へと別れる十字路の角。リナは手元の藤色の巾着袋を、カサカサと軽く揺らして見せた。
「じゃあ、また明日、いつもの特等席でね」
そう言って振り返った彼女の紡いだ声の響きは、さっき口の中で溶けたカラフルな金平糖よりも、ずっとずっと、甘くて愛らしかった。
第十七話をお読みいただき、本当にありがとうございました。大好きな蓮の前で、お寺育ちの品格を保ちつつも、つい無自覚に直球ストレートを投げ込んでしまうリナでした。
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