第15話 図書室の境界線と、受験期のつづき
いつもお読みいただきありがとうございます。
高校最初の中間テストまで、いよいよあと一週間となりました。
今回は、放課後の静かな図書室で、あの中学の受験期の延長線のような時間を過ごす二人のお話です。
少しずつ変わり始めていく二人の特別な距離感を、どうぞ見守っていただければ幸いです。
5月下旬に控えた高校最初の中間テストまで、泣いても笑ってもあと一週間。
昼休みの教室の空気は、いつもより少しだけピリピリとざわついていた。
黒板の端っこにピンで留められた無機質な試験日程表を、クラスの誰かが大きなため息をつきながら恨めしそうに見つめているが、その背中からは新学期早々の憂鬱が完全に漏れ出ていた。
賑やかな昼休み。すぐ左隣 of の席で、リナは綺麗なお弁当箱を開きながら、数学のプリントを机の横へとそっと置いたが、その仕草はどこか上の空で、チラリとこちらを伺うような視線を感じた。
誰もが見上げる185センチの圧倒的な金髪美貌。
お母さん仕立ての上品な巾着袋が机の横で静かに揺れる中、彼女は青い瞳をこちらに向けて、ぽつりと言ったが、その表情は一軍女子のポーカーフェイスで綺麗に隠されつつも、お寺の娘らしいお淑やかさの中に少しだけ困惑の色が混ざっていた。
「ねえ沢木くん。数学のテスト範囲、去年より広くない?」
去年──。
中学3年生の3学期、この教室と同じように隣り合って、お互いに絶対に負けたくないと死に物狂いで同じ受験問題集を解いていたあの濃密な日々の記憶が、俺の脳裏に自然と鮮烈に蘇る。
「広いけど、出てくる数式の内容は中学の延長だしそんなに変わらないだろ」
俺がいつもの調子でそう返すと、リナは上品に箸を持つ手をピタッと止めて、ふっと嬉しそうに、少しだけ目を細めて笑ったが、その一瞬の柔らかな微笑みはクラスの誰にも気づかれることのない、まるでお寺の静寂に守られたかのような俺たちだけの密かでトクベツな時間そのものだった。
楽しそうに破顔した、というわけじゃない。けれど、お寺育ちの彼女らしい、息を呑むほどお淑やかで美しい微笑みだったが、そのあまりの神聖さに俺の心臓はドクリと跳ね上がり、ただ一瞬だけ視線を奪われて言葉を失うことしかできなかった。
「ふふ、沢木くんは絶対にそう言うと思った。……でも、私はちょっと不安」
口では「不安」なんて言いながらも、彼女の鈴を転がすような声はどこまでも穏やかで落ち着いているが、それは俺がすぐ隣にいるからこその、彼女の密かな心の安らぎの表れなのかもしれない
高校に入って一ヶ月、同じクラスの境界線の上でこうして毎日を一緒に過ごしてきたからこそ、彼女は俺の前でだけ、こういう可愛い“弱音の出し方”がすっかり自然にできるようになっていた。
「ねえ。放課後、どうせ図書室行くんでしょ? どうせ同じ場所で勉強するなら……一緒にやろ」
(おい!『どうせ』って言いながら、一緒に行きたいオーラが120%丸わかりなんですけど!?)
自分の心臓のライフがゴリゴリと削られる中、俺はポーカーフェイスを必死に維持して声を絞り出す。
「……いいけど。その代わり、苦手な英語はそっちが徹底的に教えろよ」
「もちろん。蓮が長文読解のときにやらかす変な癖、私はまだちゃんと覚えてるし」
あの過酷な受験期を一緒に戦い抜いた名残りが、こういう何気ない日常の会話の中でごく自然に顔を出すが、それは俺たちだけが共有している特別な時間の記憶であり、今の愛おしい二人の距離感を支える確かな土台になっているのは間違い間違いなし。
その特別すぎる距離感が、俺の胸の奥をじはじはと熱くさせた。
その後の、午後の授業中。
リナは真っ直ぐ前を向いて板書を写しながら、時々、ノートの端に小さく自分にしか分からないメモを書き入れていたが、そのペン先の僅かな迷いには、隣に座る俺への甘酸っぱい意識が完全に漏れ出しているように思えてならなかった。
背筋をピシッと伸ばしたその美しい横顔は、高校に入学したばかりの、あの何かと慌ただしかった4月の上旬の頃に比べると、5月中旬の今はすっかり学校にも馴染んで、ずっと自然で、落ち着いて見える。
パサリ、とすぐ真横から教科書のページをめくる静かな音がした。
彼女が立てるそのお淑やかな生活のリズムが、退屈な授業の中で、なぜだか妙に心地よかった。
そして──待ちに待った放課後。
終礼が終わり、教室のガヤガヤとした喧騒がゆっくりと薄れていく中。
リナはスクールカバンのファスナーを閉めながら、真横の俺を見て言った。
「ねえ沢木くん。今日、最初は英語の長文から始めていい?あれ、ちょっとだけ気になってるところがあるんだけど、教えてもらえるかな」
「いいけど。その代わり、後回しにして数学から逃げるなよ」
「逃げないよ。……去年だって、私、蓮の前から逃げなかったでしょ?」
(おいいいいい!何その『私はずっと蓮の隣にいたよ』的な反則級に破壊力の高い照れ隠しは!?)
俺たちは二人並んで教室を出た。
放課後の図書室へと続く渡り廊下は、驚くほどひっそりと静まり返っていた。
大きな窓から差し込む夕方のオレンジ色の光が優しく二人の体を照らして、床の上に長い影を薄く伸ばしているが、その静寂に包まれた空間には、お互いの鼓動さえも聞こえてしまいそうなほど甘酸っぱい空気と、二人だけの特別な時間が確かにそこには存在していた。
「蓮、あのさ……」
並んで歩きながら、リナがふっと、周囲に聞こえないくらいの小さな声で音量を落とした。
「最近、授業中……ちょっとだけ、気が散るの」
「あ? なんでだよ。リナが授業に集中できないなんて珍しいな」
俺が不思議に思って問い返すと、リナは正面を向いて歩いたまま、しばらく小さな唇をきゅっと結び。
「……知らない。でも、たぶん……全部、蓮のせい」
そう掠れるような声で呟くと同時、彼女は前を向いたまま、長い金髪を優しくそっと右耳にかけた。
夕日の光を浴びて、彼女のすらりとした白い首筋が一瞬だけ露わになる。
お寺の娘らしいその一つひとつの所作が、妙に自然で、それでいて心臓が止まるくらいに、やけに近く感じられたが、そのお淑やかな美しさにこれ以上目を奪われてしまえば、彼女への独占欲が120%爆発してしまいそうになるのを必死で耐えるしかなかった。
すっと図書室の扉を開けると、古い紙とインクの静かな匂いがふわりと空間全体に広がった。
リナはいつものお気に入りの窓際の席に座り、使い込んだノートを開きながら、眩しい青い瞳で俺を見上げて言ったが、その少し上目遣いな視線と、お淑やかな微笑みに含まれた純粋な乙女心は、俺の理性を完全に狂わせるには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。
「ねえ蓮。高校最初の中間テスト、……また一緒に、頑張ろうね」
彼女が紡いだその“頑張ろうね”という優しい言葉は、あの中学の受験期の延長線みたいで。
でも、あの頃のただのライバルだった関係とは、確実に何かが少しだけ違っている。
「……おう。当たり前だろ」
俺が照れ隠しに短くそう返すと、リナは「ふふ」と、満足そうに小さく笑った。
窓の外から差し込む、夕方の穏やかな美しい光が、優しく微笑む彼女の完璧な横顔に、いつまでも静かに、暖かく落ちていたが、そのオレンジ色の柔らかな光は彼女の長い睫毛や綺麗な髪を、より一層お淑やかに美しく引き立てているようだった。
第15話を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
あの中学の過酷な受験期を一緒に戦い抜いた二人だからこその、特別な図書室の時間をお届けいたしました。
「全部、蓮のせい」と声を潜めるリナのウブな弱音と、夕日の光に照らされたお淑やかな横顔が、個人的にも非常に気に入っているエピソードです。
テスト一週間前の勉強会を経て、次回からはいよいよ中間テストの第1日目(数I・英語)の本番へと物語が大きく動き出します。
平日は【18:01】に最新話を毎日手動で投下しておりますので、明日の更新もどうぞお楽しみに。
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