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第6話 被害者と加害者

 翌日の午前十時。

 窓から明るい陽光が差し込むアンチフレアのミーティングスペースに、五人のメンバーが集まっていた。佐藤、千尋、襟華の三人に加え、映像ディレクターの紘子と、心理プロファイラーの弥生だ。

 壁面の大型モニターには、可愛らしい星をモチーフにした衣装に身を包むアニメ調のアバターが表示されている。昨夜、佐藤が依頼を引き受けた大物VTuber、『星宮ルナ』の配信アーカイブの停止画面だった。

 オフィスの空気は、どこか張り詰めている。それもそのはずだ。今回のターゲットは五十万人という途方もない数の信者を抱え、大手事務所の庇護下にある「巨大な虚像」なのだから。


「さっそくですが、佐々木、小林。昨夜共有した星宮ルナの配信アーカイブと関連データの解析結果は、どうなっていますか」


 佐藤の静かな問いかけに、ゆったりとしたカーディガンを羽織った紘子が手元のタブレットを操作した。

 モニターの画面が切り替わり、二つの画像が並べて表示される。一つは星宮ルナが発表した「新衣装」のデザイン画。もう一つは、被害者である新人イラストレーター、ナギが一ヶ月前にSNSへ投稿したオリジナルキャラクターのラフデザインだ。


「結論から言うと、完全に真っ黒よ」


 紘子はモニターの前に歩み寄り、星宮ルナ側の画像を大きく拡大した。


「彼女は自身の無実を証明するために、『これは自分が半年前に描いたラフ画だ』とタイムスタンプ付きのファイル画面を配信で提示したけれど、そんなものはフリーソフトを使えば五分で偽造できるわ。問題は、この画像のピクセルそのもの」


 紘子の細い指が、新衣装の右腕のフリル部分と、胸元の星型装飾を順番に指し示す。


「通常、一人の人間が一から描いたイラストなら、どれだけラフであっても光源の設定は統一されるはずよ。でもこの画像は、フリルの影は右上からの光を想定して落ちているのに、胸元の装飾は左上からの光を受けてハイライトが入っている。別々の絵から切り抜いてきた証拠ね」


 紘子はさらに画面の境界線を限界まで拡大した。


「見て。この輪郭部分。アンチエイリアスの処理の粗さや、解像度の違う画像を無理やり統合した痕跡がくっきりと残っているわ。それに、背景を透過させる際の消し残しのような不自然なノイズもある」

「複数の参考画像から使えそうなパーツを切り抜いて、適当に貼り合わせたってこと?」


 デスクでコーラを飲んでいた襟華が尋ねると、紘子は重々しく頷いた。


「ええ。ナギさんのオリジナルデザインのシルエットをベースにして、ネット上で拾った別々のイラストレーターのパーツをパッチワークのように継ぎ接ぎして、一枚のラフ画に見せかけているだけ。素人の目は誤魔化せても、プロが本気で解析すれば一目でわかる。非常に悪質で、それでいて稚拙な合成よ」


 紘子の声には、他者の作品を弄んだ星宮ルナへの、クリエイターとしての静かな怒りが滲んでいた。


「ナギさんの線の引き方や色彩感覚は、とても繊細で素晴らしいものよ。それをこんな雑な合成でパクられた上に、逆にパクリ魔扱いされるなんて……イラストを描く人間として、どれほど悔しかったか想像もつかないわ」


「……映像だけでなく、音声にも明確な不自然さが表れています」


 続いて、手元のノートパソコンで複雑な波形データを追っていた弥生が、静かに口を開いた。

 彼女はキーボードを叩き、星宮ルナが泣きながらナギを非難した「緊急生配信」の音声をスピーカーから流す。


『あの新衣装は、私がずっと前から、みんなに喜んでもらうために一生懸命考えていたデザインなんです。それなのに……どうして……』


 涙声に鼻をすする音が混じる、悲痛な叫び。無実の少女が理不尽な暴力に晒されているかのような、胸を打つ響きがあった。しかし弥生は、その音声の波形の一部を冷ややかに見つめていた。


「人間が極度の悲しみやストレスで泣きながら話す時、声帯の震えや息の吸い方に不規則な乱れが生じます。感情の昂ぶりによって呼吸が浅くなり、発声のコントロールが効かなくなるからです。しかし彼女の音声データには、その不規則性が一切ありません。あらかじめ用意した『泣いている演技』のテンプレートを、極めて冷静に、正確になぞっているだけです。マイクへの息の当て方、鼻をすするタイミングまで、ミリ単位で計算されています」


 弥生は波形の終端部分をズームアップした。


「それに、語尾の周波数がわずかに上擦っています。これは焦りや悲しみではなく、『自分の言葉がファンをどう動かしているか』を確認し、状況を完全にコントロールできていると確信した時に出る優越感のノイズです」


 弥生は顔を上げ、モニターの中のアバターを見据えた。


「彼女は泣いてなどいません。画面の向こうで思い通りに怒り狂い、見ず知らずの他者を攻撃してくれる五十万人の群衆を見て、優越感に浸りながら笑っていますよ」


 映像と音声のスペシャリストによる分析が、星宮ルナの隠された本性を完璧に浮き彫りにした。


「その計算され尽くした演技に、五十万人のファンが乗せられたというわけね」


 千尋が手元の資料に目を落としながら、静かに言う。


「この配信の直後から、暴徒と化したフォロワーたちが一斉にナギさんのSNSに突撃した。人格否定、容姿に対する想像の誹謗中傷、さらには殺害予告まで、わずか数時間で数千件のダイレクトメッセージが送りつけられたわ。たった一人の個人が、何の心の準備もなく耐えられる暴力じゃない。ナギさんがパニック状態に陥って事実とは異なる謝罪文を出し、アカウントを削除して完全に逃げ出すまで、彼女のファンは執拗に追い詰めた」


 襟華が忌々しそうに舌打ちをする。空になったペットボトルを乱暴にゴミ箱へ投げ入れた。


「巨大なコミュニティの力を使って、真の被害者を社会的に抹殺したんだ。自分のパクリを隠蔽するためにね。しかも自分は一切手を下さず、安全な場所から信者をけしかけてるだけ。本当に胸糞悪いやり方だよ」


 佐藤はモニターに映る星宮ルナのアバターを見つめた。


「他人の才能を盗み、自分のものとして発表する。発覚しそうになれば自分が被害者であるかのように装い、ファンの同情を引いて相手を潰す。他者を蹴落としてでも自分を美しく飾り立てようとする、虚飾の化け物ですね」


 千尋が腕を組む。


「大手事務所に所属しているだけあって、危機管理の悪知恵は働いているわ。法的に争うことは可能よ。ナギさんのラフ画の作成日時を証明し、星宮ルナの偽造を指摘して名誉毀損で訴える。でも、相手の事務所は豊富な資金力と顧問弁護士を使って、時間をかけて徹底抗戦してくるでしょう。裁判が長引けば長引くほど、ネット上でのナギさんへの『パクリ魔』というレッテルは定着し、彼女の心は完全に壊れてしまう。それに、裁判で勝てたとしても、失われたクリエイターとしての時間は戻ってこない」

「ええ。真っ向から正論をぶつけても、五十万人の狂信的なファンは彼女の涙を信じ続けるでしょう。ならば、彼女自身が築き上げたその嘘の城ごと、崩落させるしかありません」


 佐藤が手元のキーボードを操作すると、モニターに星宮ルナの来月のスケジュールが表示された。


『星宮ルナ 初のリアル個展:ルナ・ミュージアム開催決定!』


「VTuberがリアル個展? 中身の人間が出るわけじゃないのに?」


 襟華が不思議そうに眉をひそめる。


「ええ。会場に設置された等身大のモニター越しにファンと直接交流し、高額な限定グッズや複製原画を販売するビジネスモデルです。チケットは即日完売し、協賛企業も複数ついている。彼女のこれまでの活動の軌跡と、今回ナギさんからデザインを盗んだ新衣装のお披露目を兼ねた一大イベントです。すでに多くのメディアが注目し、ネット上でも連日話題になっています」


 佐藤は立ち上がり、モニターの前に立った。


「ネットの向こう側にいる限り、彼女は安全圏にいます。どれだけ炎上しようと、最悪の場合はアカウントを消して逃げればいい。しかし、物理的な会場にファンを集め、スポンサー企業を巻き込んだリアルイベントとなれば、炎上した際のリスクはネット上の比ではありません。多額の違約金、協賛企業への賠償、そして熱狂のピークから一気に絶望へと叩き落とされるファンたちの暴動。すべてが実体を持った損害として、彼女自身に跳ね返ります」


 佐藤の瞳の奥に、鋭い光が宿る。


「彼女の嘘をネット上で立証するだけでは不十分です。他人の人生を狂わせた代償は、彼女が最も執着しているその名声と信者たちの目の前で、直接払ってもらわなければならない」


「……つまり、その個展のプロデュースに、スポンサーとして一枚噛むってことね?」


 千尋の問いに、佐藤は小さく頷いた。


「彼女は今、自分の人気と影響力が絶頂にあると確信しています。そこへ、さらに巨大な利益と箔付けを約束する企業が現れれば、疑うことなく手を伸ばすはずです。彼女のような人間は、自分の価値を高めてくれる権威には弱いですから」


 佐藤はチームのメンバーたちを見渡した。


「その個展を、彼女の虚飾の集大成にしてあげましょう」


 佐藤の言葉に、メンバーそれぞれの表情が引き締まる。


「佐々木と小林は、引き続き配信データと画像の精査をお願いします。法的な証拠として完璧な状態にまで組み上げてください。一分の隙も残してはなりません」

「わかったわ。画素の一個一個まで丸裸にしてあげる」

「承知しました。音声の矛盾点も完全にリストアップしておきます」

「千尋は、スポンサーとして潜り込むためのペーパーカンパニーの用意と、相手の事務所に突きつける契約書の作成を。いかなる逃げ道も許さない、鉄壁のものをお願いします」

「任せてちょうだい。弁護士団が束になっても破れないものを作ってあげるわ。違約金の項目は特に分厚くしておく」

「襟華は、個展会場のネットワーク図の入手と、相手事務所のサーバーへのバックドアの構築を進めてください。当日の通信を完全に支配する必要があります」

「了解。五分で風穴を開けとくよ」


 短いやり取りで役割を確認し、メンバーたちがそれぞれの持ち場へと散っていく。

 佐藤はただ一人モニターの前に残り、画面の中で愛らしく微笑む星宮ルナのアバターを見据えていた。

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