第7話 暴かれたピクセル
アンチフレアのオフィス。ブルーライトの青白い光が満ちる解析ブースで、紘子はマルチモニターを前にキーボードを叩き続けていた。
画面には、アニメ調のアバター『星宮ルナ』が視聴者と雑談を交えながらイラストを描き進めている、過去の配信アーカイブが映し出されている。
「進捗はどうですか」
佐藤がブラックコーヒーが入ったマグカップを片手に、静かに背後へ立った。
「ええ、証拠は完全に固まったわ」
紘子は画面から視線を外さず、手元のタブレットペンを滑らせながら答えた。作業に没頭する彼女の眼差しは、画面上のわずかなピクセルのズレすら見逃さないプロフェッショナルのそれだ。
「彼女の『お絵描き配信』のアーカイブを過去三年分、全フレーム解析したわ。基本的にはイラストソフトのキャンバス部分だけをトリミングして画面に映しているんだけど、昨年の十月十五日の配信の四十二分十八秒。ここで一瞬だけ、配信ソフトのキャプチャ設定がズレて、彼女のパソコンのデスクトップ全体がコンマ五秒だけ映り込んでいるの」
紘子がショートカットキーを叩くと、画面がその一瞬のフレームで一時停止し、限界まで拡大された。
そこには、イラスト制作ソフトの全体UIと、右端に配置された複雑に階層化されたレイヤーパレットが映っていた。
「見て。レイヤーの名前に『ナギ_参考_右腕』『フリー素材_星_合成用』といった文字列がはっきりと残っている。しかもこれ、彼女が配信で『今から色を塗りますね』と言って作業を始める前の段階よ。最初から完成されたパーツが、非表示設定でずらりと並んでいる」
紘子はマウスを操作し、映像を通常の速度で再生した。
「さらに、作業時間と書き込み量の物理的な矛盾。この複雑なフリルの装飾、彼女のペンのストロークからするとたった十五秒で完成している。物理的にあり得ないわ。あらかじめ用意しておいた別画像の不透明度を、ペンタブレットのショートカットキーで徐々に上げているだけよ」
隣のデスクでヘッドホンをつけていた弥生が、無言で佐藤に自身のノートパソコンの画面を見せた。そこには、音声データの複雑な波形が表示されている。
「音声からも裏付けが取れています。マイクが拾っているペンタブレットの摩擦音やキーボードの打鍵音と、画面上で線が引かれるタイミングが、平均してコンマ三秒からコンマ五秒ほどズレています」
弥生は波形の一部をハイライトした。
「極めつけはここです。画面上では細かな線の書き込みが行われているのに、マイクは彼女がペットボトルの蓋を開けて飲み物を飲んでいる音を拾っている。本人がリアルタイムで描いていないのは確実です」
「別人が描いている作業画面の映像を共有してもらい、自分の配信画面にミラーリングしながら、あたかも自分が描いているように雑談を被せている……ということですね」
佐藤の確認に、紘子と弥生が同時に頷いた。
「ええ。ゴーストライターの存在は確定よ。しかも、今回ナギさんから盗んだデザインだけでなく、過去のグッズや新衣装のイラストも、ほとんどが別人の手によるものか、無断トレスの継ぎ接ぎね」
紘子は解析ツールを閉じながら、淡々とした事実として言い切った。
「十分すぎる成果です。これらを警察や裁判所に持ち込めば、一瞬で決着がつくでしょう」
佐藤はマグカップをデスクに置いた。
「でも、それでは意味がないんでしょ?」
デスクの端でスナック菓子を齧っていた襟華が、にやりと笑う。
「彼女の嘘の重みは、五十万人のファンの前で直接払わせる。そのためのリアル個展『ルナ・ミュージアム』への潜入工作だよね」
「ええ。千尋から先ほど、交渉の場に入ったと連絡がありました。そろそろ結果が出る頃でしょう」
同時刻。都内の一等地にある、星宮ルナが所属する大手VTuber事務所『ギャラクシー・ライブ』の会議室。
広々としたガラス張りの部屋で、千尋は高級な革張りのソファに浅く腰掛けていた。対面には、ブランド物のスーツを着崩した恰幅の良い男が座っている。星宮ルナのプロデュースを担当している、統括マネージャーの黒田だ。
「渡辺先生。本日はわざわざお越しいただき、ありがとうございます。で、その……ステラ・プロモーション様からの協賛のお話というのは」
黒田は揉み手をするように身を乗り出した。その指先には、不釣り合いに豪奢な金のリングが光っている。千尋はビジネスライクな微笑を浮かべ、手元のクリアファイルから数枚の書類を取り出してテーブルに並べた。
「単刀直入に申し上げます。来月開催される『ルナ・ミュージアム』におきまして、我が社がメインスポンサーとして三千万円の協賛金を出資させていただきます」
「さ、三千万……!」
黒田の目が見開かれた。個人VTuberのイベント協賛金としては破格の金額だ。黒田の喉がゴクリと鳴る音が、千尋の耳にも届いた。
「ただし、条件が一つあります」
千尋は静かに人差し指を立てた。
「今回の個展における、会場内の映像・音響・照明といったテクニカルな演出面を、すべて我が社が手配した制作チームに一任していただきたいのです」
「演出を、御社で?」
黒田がわずかに訝しげな表情を浮かべる。千尋はそれを予想していたかのように、淀みないトーンで言葉を継いだ。
「ええ。昨今の心ない著作権トラブルの噂により、ルナさんも、そして事務所の皆様も大変ご苦労されていることと存じます。我が社は、ルナさんの才能とクリーンなイメージを心から信じております。だからこそ、この個展を彼女の『復活と正当性を証明するステージ』として、我々の手で大々的にプロデュースしたいのです。業界最高峰の映像技術を用いて、彼女の魅力を五十万人のファンに再認識させる。そのための投資です」
「なるほど……。いや、お気持ちは大変ありがたいのですが、すでに会場の設営業者とは契約を済ませておりまして。今から変更するとなると、いろいろと角が立ちますし……」
黒田が難色を示すと、千尋は一番下から分厚い契約書を取り出し、黒田の前に押しやった。
「もちろん、既存の業者への違約金や調整費用も、すべて我が社が別途負担いたします。さらに、こちらの契約書をご覧ください」
千尋の真っ直ぐに切り揃えられた爪先が、契約書の特定の項目を指し示す。
「万が一、我々の演出上のトラブルによってイベントの進行に重大な支障が生じた場合、協賛金の倍額である六千万円を、我が社からギャラクシー・ライブ様へ違約金として即座にお支払いする条項を設けております。我が社としても、これは絶対に失敗できないプロジェクトなのです」
黒田の視線が、その数字に完全に釘付けになった。
失敗すれば六千万。成功すれば丸々三千万が転がり込み、さらに演出の手間とコストまで省ける。彼にとって、リスクはゼロに等しかった。目の前の金と自己の保身しか見えていない男の単純な思考回路を、千尋は内心で冷ややかに見透かしていた。
「……素晴らしい。ステラ・プロモーション様のルナに対する熱意、確かに受け取りました。そういうことでしたら、喜んで演出をお任せいたしましょう」
黒田は最早内容を精査することもなく、内ポケットから万年筆を取り出し、契約書の末尾にサインを書き入れた。
午後三時。アンチフレアのオフィス。
帰還した千尋が、佐藤のデスクにサイン済みの契約書を置いた。
「釣れたわ。統括マネージャーともあろう男が、目先の金に目が眩んで、私たちが持ち込む機材の仕様書も、ネットワークの管理権限の譲渡条項も、ろくに確認せずに判を押したわ」
「お疲れ様です。完璧な仕事ですね」
佐藤は契約書を一瞥し、引き出しにしまった。
「こっちも準備完了。千尋が仕込んでくれたバックドアから、会場のネットワーク図と機材リストは全部抜いた」
襟華がキャスター付きの椅子を滑らせて近づいてくる。
「当日、ルナのアバターを映すメインモニターの出力回線は、うちのサーバーを経由するようにルーティング済み。いつでも回線を乗っ取れるよ」
「これで、物理的な準備はすべて整いました」
佐藤が立ち上がった直後、彼のスマートフォンの通知音が鳴った。
黒田からのメッセージ。そこには、星宮ルナ本人とのオンライン打ち合わせのリンクが記載されていた。
「相手側も随分と前のめりですね。早速、メインスポンサー兼総合演出家としてのご挨拶といきましょうか」
「相手の承認欲求を、限界まで膨らませてくるのね」
千尋の言葉に、佐藤は頷いた。
「ええ。彼女が絶対に断れない、都合の良い救済策を提案してきますよ」
佐藤は応接室へと歩みを進め、オンライン会議の接続ボタンをタップした。




