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第5話 平穏と虚飾

 生配信の夜から三日後。

 午後零時を回った直後のテレビのニュース番組で、一人の男が警察車両に乗せられる映像が全国に流れた。


「偽計業務妨害および器物損壊の疑いで逮捕されたのは、都内に住む自称・動画クリエイター、木下健太容疑者、二十二歳です。木下容疑者は自身の動画配信チャンネルにおいて……」


 女性キャスターが淡々とした口調で読み上げるニュース映像の隅には、「人気配信者、自作自演で逮捕」という大きなテロップが踊っている。駅前の大型ビジョンに映し出されたその報道を、行き交う何人かの通行人が足を止めて眺め、呆れたような声を漏らしながら歩き去っていった。

 取り調べに対し、当初木下は「動画は合成だ」と容疑を否認していたが、押収された彼のスマートフォンの解析結果を突きつけられると、一転して「再生数を稼ぎたかった」とすべての罪を認めたという。


 彼が依存していたプラットフォーム側も、逮捕報道の直後に迅速な対応を見せた。ガイドラインの重大な違反を理由に、「ヤバイタケル」のチャンネルは永久凍結、いわゆるBANの処分を下された。三十万人を超えていた登録者は一瞬にしてゼロになり、過去の動画もすべてネットの海から完全に消滅した。

 今やSNSや匿名掲示板では、かつて彼を神輿に担ぎ上げていた信者たちを含め、凄まじい勢いで彼へのバッシングが繰り広げられている。ネットの関心はすでに、炎上した「迷惑系クリエイターの末路」という新たなエンターテイメントへと移行していた。


 それからさらに一週間後。

 下町の商店街にある『洋食キッチン・オガワ』は、かつてないほどの活気に包まれていた。

 昼時の店内はカウンター席から奥のテーブル席まで満席となり、外の通りには順番を待つ客の列ができている。

 厨房では、退院したばかりの父親が真っ白なコックコートを着て、額に汗を浮かべながらリズミカルにフライパンを煽っていた。デミグラスソースが焦げる香ばしい匂いと、ハンバーグが分厚い鉄板の上で弾ける小気味良い音が店内に響き渡る。


「お待たせいたしました、デミグラスハンバーグのセットです」


 真奈美はホールを小走りで立ち回りながら、湯気を立てる鉄板を角のテーブル席へ運んだ。


「ありがとう。いやあ、ネットのニュースを見てさ。まさかあんな酷い目に遭ってたなんて知らなくて。ちょっとでも応援になればと思って、会社の同僚を連れてきたんだよ」

「本当にありがとうございます。父も、皆様の言葉に励まされて、すっかり元気になりました」


 真奈美が深く頭を下げると、スーツ姿の客たちはハンバーグを一口食べ、嬉しそうに目を細めた。


「うん、やっぱりここのハンバーグは美味い。あのバカな配信者の言うことなんて、最初から誰も信じてないさ」

「本当ですね。長年地元で愛されてるのには、ちゃんと理由があるってもんです」


 店への嫌がらせの無言電話や、いたずらの大量注文は、あの生配信の夜を境にピタリと止んだ。グルメサイトに書き込まれていた数百件の不当な低評価や誹謗中傷のレビューも、運営側への申請によって一掃されている。現在は、実際に店を訪れた客たちや、騒動を知って駆けつけた人々からの温かい応援コメントで埋め尽くされていた。


 真奈美は厨房に戻り、黙々と調理を続ける父親の背中を見た。その背中は、事件直後の絶望に沈んでいた時よりも、少しだけ大きく、そして力強く見えた。


「親父、無理しないでよ。少し休んだら?」

「馬鹿言え、これだけ待ってくれてるお客さんがいるんだ。休んでられるか」


 父親はぶっきらぼうに返しつつも、その横顔には確かな笑みが浮かんでいた。

 わずか二週間前、この店は悪意の標的にされ、すべてを失いかけていた。それがまるで悪い夢だったかのように、穏やかで活気のある日常がここにある。


 営業が落ち着いた午後四時。

 仕込みの合間に一息ついた真奈美は、店の奥の休憩スペースでスマートフォンを取り出し、一通のメールを送信した。


『株式会社アンチフレア 佐藤様。おかげさまで、店には以前以上の活気が戻りました。父もすっかり元気を取り戻し、毎日厨房に立っております。お約束していたコンサルティング費用のお振込みが完了いたしました。本当に、何とお礼を申し上げてよいか分かりません……』


 画面の送信完了の文字を見つめながら、真奈美は静かに息を吐いた。あの日、藁にもすがる思いで訪れた冷徹なコンサルタントの顔が脳裏に浮かぶ。彼らがどのような手段を使ったのか、詳しいことは分からない。ただ、彼らは約束通り、自分たちの平穏な日常を取り戻してくれたのだ。


 同時刻、虎ノ門のオフィスビル最上階。

 佐藤は自身の広大なデスクで、真奈美からのメールに無言で目を通していた。


「無事に店が回っているようね」


 社長室のソファに腰掛け、ブラックコーヒーの入ったカップを片手に持つ千尋が、手元のタブレットから視線を上げて言った。


「ええ。コンサルティングの本来の目的は達成されました」


 佐藤は手元のグラスの水を一口飲み、軽く喉を潤した。


「木下の担当弁護士から連絡があったわ。本人は完全に戦意を喪失していて、早期の示談交渉に入りたいそうよ。民事での損害賠償についても、私が店側に紹介した弁護士がきっちりと搾り取る手はずになっているわ。店舗の休業損害、慰謝料、それに弁護士費用まで含めればかなりの額になる。彼が生配信のスーパーチャットで荒稼ぎした百万近い金も、もちろん全額、賠償金の一部として差し押さえる計算よ。今後彼が社会復帰できたとしても、その背中には重い負債がつきまとうことになるわね」


 千尋の事務的な報告に、佐藤は短く頷いた。


「妥当な落とし所です」


「自業自得って言葉すら生温いよね」


 オフィスの奥、マルチモニターの前でキーボードを叩いていた襟華が、新しいエナジードリンクの缶をプシュッと開けながら声を挟んだ。


「あいつの元信者たち、今度はあいつの実家とか、同居してた撮影スタッフの親の職場まで特定してネットに晒そうとしてるよ。自分たちが騙されてATM扱いされてた腹いせを、『正義の制裁』って名目で別のターゲットに向けてるだけ。ほんと、ネットって学習能力がないっていうか」


 襟華は呆れたように首を振る。


「我々の管轄外の事象です。無秩序な熱狂に身を投じた結果は、彼ら自身が負うべきでしょう」


 佐藤はドライに返し、ノートパソコンの画面を閉じた。


「で、次の仕事なんだけど」


 襟華が手元のキーボードを操作し、社長室の壁面に設置された大型モニターの画面を切り替える。


「ホームページの相談フォームに、かなり長文の依頼が来てる。今度はVTuberの炎上騒動」


 画面には、可愛らしいアニメ調のアバターを使った配信者の姿と、それにまつわるSNSの炎上の経緯をまとめた画像が表示された。


「大手の事務所に所属してる『星宮ルナ』っていうVTuber。チャンネル登録者数は五十万人。彼女が最近発表した新衣装のデザインが、無名の新人イラストレーターの作品のパクリじゃないかって疑惑が出たんだ」


 千尋が細い眉を寄せる。


「よくある著作権トラブルね。でも、それなら弁護士が内容証明を送って法的に処理すれば済む話であって、うちの出番ではないのだけれど」

「問題はその後だよ。星宮ルナは自身の配信で泣きながら、『私がパクったんじゃなくて、あの無名のイラストレーターが私のデザインを盗んで、売名のために被害者ぶってる』って主張したんだ。デザインの制作過程を示すラフ画と、タイムスタンプ付きのファイル画面まで証拠として提示してね」

「タイムスタンプなど、知識があれば容易に偽造できます」


 佐藤の言葉に、襟華が強く頷く。


「そう。画像のEXIFデータを少し弄れば、素人を騙すタイムスタンプなんて五分で作れる。でも、五十万人のファンは星宮ルナの言葉と涙を信じた。結果、その新人イラストレーターのSNSアカウントは凄まじいネットリンチに遭って、昨日、精神的に追い詰められて引退とアカウントの削除を宣言した」


 千尋がコーヒーカップをソーサーに置く音が、小さく響いた。


「依頼人は、その引退したイラストレーター本人?」

「ううん、彼女の友人。このまま泣き寝入りさせたくないって。星宮ルナのアカウント周辺を少し洗ってみたけど、表向きは清楚でファン思いなキャラクターを演じてる反面、裏では複数のクリエイターからアイデアやデザインを搾取してる形跡がある」


 佐藤はモニターを見上げた。

 星宮ルナのアバターが、画面の中で愛らしく微笑んでいる。フォロワー五十万人という巨大な数字を盾に、弱者の声を揉み消し、自分は安全圏から涙を流す悲劇のヒロインを演じている。


「……引き受けましょう」


 佐藤は告げた。


「襟華。対象の過去の配信アーカイブと、SNSの画像データをすべて収集し、不自然な点がないか洗い出してください。それから、佐々木と小林にも連絡を」

「映像解析の紘子と、音声プロファイリングの弥生の出番ってわけね。了解」


 襟華はキーボードに指を這わせた。


「相手は五十万人のフォロワーを持つ大物よ。バックには大手事務所もついている。法的な守りも、個人配信者とは比較にならないくらい強固なはず。一筋縄ではいかないわよ」


 千尋がタブレットを手に取りながら、冷静にリスクを提示する。


「ええ。だからこそ、我々が動く意義がある」


 佐藤はデスクから立ち上がった。


「他者の才能を食い物にする輩には、自らの嘘で首を絞めてもらいましょう」

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