第4話 処刑のステージ
週末の夜。都内の閑静なエリアにある、アンチフレアが手配した地下スタジオ。
分厚い防音扉で完全に外部の喧騒から遮断された白ホリゾントの空間には、三台の放送局用高画質カメラと、演者を照らし出す強烈なLEDライトがセットされていた。天井付近を這う無数のケーブルが、この部屋が本格的な配信業務のために設えられた場所であることを示している。
「それでは、配信スタートします。スリー、ツー、ワン」
撮影担当の男が声をかけ、メインカメラの赤いタリーランプが点灯する。
木下は、用意されたハイスツールに深々と座り、カメラのレンズを神妙な面持ちで見つめた。服装は普段の派手なスウェットではなく、黒の無地のシャツ。金髪もワックスで控えめに落ち着かせている。
「……えー、ヤバイタケルです。今日は、先日の洋食店での動画について、お話ししなければならないことがあって枠を取りました」
木下は声を落とし、深く頭を下げた。
防音ガラスで仕切られた副調整室。
佐藤は腕を組み、壁面に埋め込まれた大型モニターを見上げていた。画面の隅に表示されている同時接続者数のカウンターが、凄まじい勢いで跳ね上がっていく。配信開始からわずか一分で五万人。三分で八万人を超え、五分が経過する頃には十万人に達した。
「見事な集客力ですね」
佐藤の言葉に、千尋が手元のタブレットから視線を上げてうなずいた。
「SNSのトレンドワードは完全に彼が独占しているわ。野次馬たちの期待感が、そのまま数字に直結している」
千尋のタブレット画面には、主要なSNSのタイムラインが凄まじい速度で更新されていく様子が映し出されていた。誰もが、迷惑系配信者がついに謝罪に追い込まれた瞬間を見届けようと、デバイスの前に陣取っている。
十秒間ほど頭を下げ続けた木下が、ゆっくりと顔を上げる。その口元には、先ほどの神妙さとは打って変わって、下品で挑発的な笑みが張り付いていた。
「――なーんて、俺が言うとでも思ったかよ、バカ共が!」
木下がカメラに向かって中指を立てた瞬間、モニターの横を流れるコメント欄の速度が数倍に跳ね上がった。
『は?』
『反省してねえじゃん』
『即通報した』
『タケル最高! もっとやれ!』
『アンチ涙目www』
激怒する野次馬と、彼の過激さを支持する信者たちのコメントが入り乱れ、もはや個々の文字を追えないほどの滝のような速度で流れていく。画面の表示処理が追いつかず、時折ブラウザ全体がカクつくほどのトラフィックが集中していた。
木下はハイスツールから立ち上がり、カメラに向かって大げさな身振りを交えながら捲し立て始めた。
「だいたいさ、あの店は元から味が落ちてたんだよ! 衛生管理も最悪だし、俺がわざわざレビューして話題にしてやったんだから、むしろ感謝しろって話だろ! 文句あるなら俺の動画見るな、底辺共が!」
木下はカメラに向かって唾を飛ばす勢いで吠えた。マイクが彼の歪んだ笑い声を拾い、配信に乗せて全国にばら撒く。
木下はすっかり自分の発する言葉に酔いしれていた。自分が放つ一言で何万人もの人間が怒り狂い、そして何万人もの信者が自分を擁護する。自分が社会のルールから外れた特別な存在になったのだという絶対的な万能感が、彼の脳内を支配していた。
同接数が二十万人を突破した。
「……そろそろですね」
佐藤がインカムのマイクに指を添える。
「襟華。スーパーチャットを解禁してください」
『了解』
本社オフィスで待機している襟華からの短い返答と同時に、配信画面のインターフェースが切り替わった。
「おっ、スパチャ開いたな! おいお前ら、俺を応援してくれる本当のファンだけ残れ! アンチは黙って指くわえて見てろ!」
木下が叫んだ直後、画面の右側が色とりどりの帯で埋め尽くされた。
五百円、二千円、一万円。木下を擁護するフォロワーたちが、アンチの声を金で塗り潰そうと、雨あられと投げ銭を投下し始める。
『タケル負けるな!』『アンチなんて気にするな』『俺たちがついてるぞ』というメッセージと共に、金額のカウンターが秒単位で跳ね上がっていく。開始から数分で、収益は百万円を超えた。
木下はカメラの枠外で撮影担当の男と視線を交わし、歓喜に顔を歪めた。
佐藤はモニターに映る木下の姿を静かに見つめていた。
「ええ。すべてを失うには、最高のタイミングよ」
千尋が手元の書類をバインダーに挟み直す。
佐藤はインカムのボタンを押した。
「襟華。実行を」
『了解。コントロール、奪取する』
その瞬間、スタジオの木下を映していたメイン画面が強制的にブラックアウトした。
「あ? なんだこれ」
木下が戸惑う声が、マイクを通じて響く。
数秒後、画面に別の映像がオーバーレイされた。
それは、洋食店『キッチン・オガワ』での動画。ただし、公開されているものではない。襟華がクラウドのゴミ箱から復元した、未編集のマスターデータだ。
映像の中で、木下が周囲を気にするように見回し、ズボンのポケットから小さなプラスチックケースを取り出す。そして、ピンセットで虫の死骸をつまみ出し、ハンバーグのソースの影に素早く隠す決定的な瞬間。
『よし、回せ』という木下の小声までが、ノイズキャンセリング処理を施された極めてクリアな音声で、二十万人以上の視聴者にブロードキャストされた。
スタジオの空気が完全に凍りついた。
「おい、止めろ! なんだよこれ! カメラ切れ!」
木下が叫ぶ。撮影担当の男が慌てて機材の電源を落とそうとするが、カメラのタリーランプは消えない。
『システムは完全にロックしたよ。物理的に電源ケーブル引っこ抜かない限り、配信は止まらない』
インカムから聞こえる襟華の声が響く。
コメント欄の流速が、一瞬ピタリと止まった。
直後、先ほどの数倍の速度で、画面が見えなくなるほどのテキストが雪崩れ込む。
『は?』
『自作自演?』
『自分で虫入れてんじゃん』
『嘘だろタケル』
『完全に犯罪やん』
『警察動くぞこれ』
映像が終わると同時に、今度は画面に大量のテキストのスクリーンショットが投下された。木下の非公開アカウントのタイムラインだ。
『炎上ウマウマ。これでまた登録者増えたわ』
『店潰れるとか知らんし。自己責任だろ』
それだけではない。
『信者マジでちょろい。適当にアンチ煽っとけばスパチャ投げてくれるATMwww』
『今日も馬鹿なキッズから金巻き上げるか』
木下のスマートフォンから直接抽出されたログデータ。彼が信者たちをどのように見下し、ただの金づるとしか思っていなかったかが、生々しい言葉の羅列として全世界に公開された。
ATM呼ばわりされた信者たちの怒りが爆発する。
擁護していたコメントが一瞬にして消え失せ、今度は殺意すら混じった罵倒の嵐へと変貌した。
『ATM? ふざけんな金返せ』
『詐欺師』
『騙された』
『お前マジで終わったな』
『警察に通報した』
スタジオの中で、木下が完全にパニックに陥っていた。
「違う、これは……コラージュだ! 誰かが俺をハメようとして、合成の画像を……!」
防音扉が開き、副調整室から千尋がゆっくりとスタジオ内へ歩み入った。
ピンヒールの硬質な音が、張り詰めた空間に響く。
「コラージュではありませんよ、木下さん」
千尋の透き通るような声が、ピンマイクを通じてそのまま配信に乗る。
「え……あんた……」
「今、画面に表示されているのは、あなたのスマートフォンから直接抽出されたログデータです。端末の個体識別番号も、位置情報の履歴も完全に一致しています。偽造を主張しても、警察が端末を押収してデジタル・フォレンジックを行えば、数時間で言い逃れできない真実が明らかになるでしょう」
千尋は、スタジオの強烈なライトを浴びても表情を崩さず、木下を見下ろした。
「な、なんであんたがそんなこと……。味方だろ!? 提携して、俺を守ってくれるって言ったじゃないか!」
「ええ、契約書を交わしましたね」
千尋は手元のバインダーを開き、一枚の書類を突きつけた。
「業務提携契約書、第十二条。配信内容に関する一切の法的・道義的責任は配信者である木下健太氏個人に帰属する。また、犯罪行為や公序良俗に反する事実が発覚した場合、弊社は一切の保護義務を免除され、即座に提携を破棄できる。さらに、弊社に損害を与えた場合の違約金についても、ここに明記されています」
千尋は書類の該当箇所を指先でトントンと叩いた。木下の顔から、急速に血の気が引いていく。
「加えて、あなたは先ほどの動画で、偽計業務妨害および器物損壊の決定的証拠を自ら全世界に公開しました。すでに弊社から警察へ、このノーカットの映像データとあなたの通信記録を情報提供しています」
「ちが……騙したのか! お前ら、最初から俺を潰すために……!」
木下はカメラに向かって叫ぼうとするが、もはやコメント欄に彼に耳を傾ける者は一人もいない。ただひたすらに、彼への罵倒と嘲笑の文字が画面を埋め尽くしている。
開け放たれた扉から、佐藤が静かな足取りでスタジオに姿を現した。
完璧に仕立てられたスリーピースのスーツ。佐藤の視線が、床に這いつくばるように震える木下を捉える。革靴の足音が、木下のすぐ目の前で止まった。
「我々はあなたに、最高のステージを用意すると約束したはずです。事実、現在の同時接続者数は三十万人を超えている。あなたの望み通り、過去に類を見ない大バズりですよ」
「あんた……悪魔か……」
「あなたには、少し高すぎる場所だったようですね」
木下は顔を引きつらせ、床に両手をついて息を荒くしている。これまで彼を支えていた見えない王座が粉々に砕け散り、ただの犯罪者としての現実が重くのしかかっていた。
佐藤の目には、木下の輪郭を覆っていたあのどす黒いノイズが、急速に萎縮し、霧散していくのが見えた。
佐藤は胸の内ポケットからスマートフォンを取り出し、配信の終了コマンドをタップした。
赤く点灯していたカメラのタリーランプが一斉に消え、スタジオに重苦しい静寂が落ちる。
木下は膝から崩れ落ち、うわ言のように「俺の、俺のチャンネルが……」と繰り返していた。
佐藤は踵を返し、スタジオの出口へ向かう。
「行きましょう、千尋。後のゴミ掃除は、警察の仕事です」




