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ファイルを開いた瞬間、胸の奥が少しだけ冷たくなった。
画面のタイトルには、飾り気のない文字でこう書かれている。
【インフィニタ・プロジェクト】
「無限の可能性、か」
思わず声に出してしまう。スクロールしていくと、文章は淡々としていた。
これを見ているということは、君も罪を背負う覚悟ができたということだね。
話は百年ほど前まで遡る。ロクサリエンは山と田畑と鉱山に恵まれているけれど、兵力はほとんどなかった。
武器を作る技術はあっても、ドルフェリアの持つ特殊能力とは比べることすらできなかった。
僕は誰かが話をする原稿のような文章に誰かを重ねつつ、画面から目を離さずに指先だけで次のページを送る。
四代目のロクサリエン王が鉱山の訪問途中に落とし穴へ落ち、虹色のクリスタルに覆われた女性を見つけた。
王が彼女に触れると、剣士としての特殊能力を得て、側近たちも同じように力を得た。
この出来事を通して王は彼女を女神と呼び、王城に連れて帰り、そこからロクサリエンは兵力を得ることになるんだ。
その一文の後に、小さく注釈がついている。
この鉱山以降、ドラゴンの噂が広がり始めたとされており、その場所は聖域とも呼ばれているね。
「・・・ここから、全部始まったのか」
僕は息を吐く。続きの内容は、さらに重かった。
王の命により、兵士たちにも女神の恩寵を与え、ドルフェリアと対立するために反撃を計画していた。でも、適合できなかった兵士たちは代償として命を落としていることは看過できないと思う。
それでも王は『ロクサリエンを守るためには仕方がない』と判断し、側近たちも納得して実験を続けた。
実験に失敗した兵は戦死したことにして、記録では生物実験に回されている。
スクリーンの文章を読み上げると、研究室の空気が一段階、重くなった。
さらに、その後の世代交代で兵力が減ったとき、戦力の乏しい兵士に対して本人または保護者が納得した状況で女神の寵愛による実験を行っていた。
その対象者には、フレームの付いた鐘の紋章と共に力が恩恵として与えられている。
そこまで読み進めたところで、僕は思わず自分の体を見下ろした。
胸元。腕。手の甲。どこにも、鐘の紋章はない。どういうことだ。
ミカロの姿が浮かんだ。右肩に、確かに不思議なタトゥーのようなものがあった。そして、セインの背中にも、あった。
喉の奥が少しだけ詰まる。
エルジードとボルディミアスを見ると、二人とも表情を引き締めてモニターを見ていた。
「ボルディミアス」
僕は画面から目を離さずに尋ねる。
「これまで言っていた女神の寵愛は、これのことなのか」
「その通りだ」
ボルディミアスの声は、いつになく低かった。
「そして女神を取り戻すことが、我に課せられた使命だ」
横顔は鱗を尖らせたような目だった。いつもは人間社会への疑問を並べる彼が、ここまで迷いなく言い切るのを見るのは初めてだ。
「シオン」
エルジードが僕を見る。
「お前、紋章がないのに、属性をいくつも扱ってるよな。お前はロクサリエン出身じゃないのか?」
「僕は、当初から適正があったんだ。三歳から戦い方を叩き込まれていたからね」
「ああ、そういうことか」
ただ、ミカロとセインにはあって、そして彼女たちの一部の力は、インフィニタ・プロジェクトに組み込まれている。
研究室全体が、ゆっくりと揺れた。
足場が移動している。さっきの戦闘でフロア構造が変わった影響だろう。
画面を見つめたまま、胸の奥に刺さってくる感情を整理する。
セインはコレを知っていながら、僕と戦っていたのか。
「あの時言ってくれたら、良かったのに」
思わず、言葉が漏れた。怒りとも、悲しみともつかない感情が混ざっている。
信頼されていなかったのではないかという情けなさも、同じ場所に絡みついて離れない。
僕は一度、目を閉じた。
それから、エルジードとボルディミアスに向き直る。
「一つだけ、お願いがある」
「なんだ」
「インフィニタ・プロジェクトのことは、僕から伝える。それで良いかい?」
二人は短く目を見交わした。
「ま、お前の判断なら構わねぇよ」
「我も同意する」
ボルディミアスが頷く。
「だが、永遠には隠せぬことも理解しておけ」
「もちろんだ。時間を用意してから話すよ」
僕は深く息を吸って、剣の柄を握った。この部屋に留まっていても、これ以上得られるものは少ない。
それよりも先に、会いに行くべき人たちがいる。
斬撃と蹴りで扉のロックを壊し、研究室を飛び出した。
「おい、ちょっと待てよ!」
背後でエルジードの制止する声が上がるけれど、振り返らない。
風の斬撃で足場と足場の間に簡易の橋を作り、その上を駆け抜ける。
ときどき剣を壁に引っかけて体を引き上げながら、ミカロたちがいるフロアを探した。
ようやくそれらしい足場に出たとき、赤と青がこびりついた空気の中に、見慣れた背中が二つ見えた。
「ミカロ」
声をかけると、振り返った顔に、疲労と少しの達成感が混ざっていた。
「シオン」
ミカロは短く名前を呼ぶ。
「あっちの合成獣は片付けたよ。ね、シェトランテ」
「そっちも終わったようね。新しい服に着替えたいわ」
シェトランテが、血のついた円盤を下げながら応じる。
「セインの残したものが見つかった。共有しておくよ」
僕はそう告げる。
「とりあえず、ニャルテシアに聞かれない場所で話しましょ」
彼女が顎で示した先には、座り込んでいるが猫耳の女性が耳を押さえたまま、こちらに視線を向けている。
「そうだね。場所、変えよっか」
僕たちは少し離れた通路へ移動した。シェトランテは距離を取り、見張りの位置に立つとミカロと通話を始めていた。ここなら、少なくともニャルテシアの耳には届きにくいだろう。
僕はミカロにインフィニタ・プロジェクトについて、簡潔に説明した。
女神と呼ばれている存在のこと。
その恩寵を兵士たちに与えようとした実験のこと。
適合できなかった人たちの末路のこと。
ミカロは最後まで口を挟まずに聞いていた。
話しながら、胸の中にはもう一つ、言うべきか迷っていることがあった。
フレーム付きの鐘の紋章。実験対象者の印。
それが、自分ではなく、彼女とセインに刻まれていること。僕が悩んでいると手を強く握る勢いがした。
「まだ、何かあるよね?」
ミカロが静かに尋ねた。
「・・・ある」
僕は視線を落とした。ミカロが一歩近づいて、僕の手を包む。魔法を扱うときのきびきびした指先とは違って、今は少しだけ力が抜けている。
「聞かない方がいい?」
ミカロの声は、いつになく穏やかだった。彼女を守りたい。それでも、これは言うべきだ。
「いや、話すよ。聞いてほしい」
僕は首を振る。息を整え、流れを戻す。
「実験を受けた兵には、フレーム付きの鐘の紋章が付いているんだ。僕の体にはなかった。ただ、ミカロとセインにはあるんだ」
一瞬だけ、空気が止まった。
ミカロは手を離さなかった。ただ、瞼をゆっくり閉じて、短く息を吐いた。
「・・・大丈夫」
小さな声だった。
「最初は風すら掴めなかったのに、ある日を境にいきなり風魔法が使えるようになったの。他の人が聞いたら、普通は使えないよね」
ミカロは自分に言い聞かせるように続けた。
「教えてくれてありがとう。一個、不思議な話を理解できた」
胸の奥のひっかかりが、ほんの少しだけ軽くなる。
「インフィニタ・プロジェクトを知った上で、シオンはどうするか決めてる?」
「エイビスたちと一度合流して、ロクサリエンの上層部と話をする予定だよ。女神と呼ばれている彼女をどう扱ってきたのか、直接聞く必要があるからね」
そのときだった。足元から、砲撃を放つ前のように長く続く揺れが伝わってきた。
大きくはないが、一定のリズムで続く、嫌な揺れだ。




