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「シオン、待て」
エルジードは額に手を当て、酒気を押し返すように短く息を吐いた。
「荷馬車にはダミーの野菜箱を四つ積むから、ロクサリエン出身のお前達はここに隠れてもらう。ただ一つだけ、潰れやすいトマトを入れる予定の箱がある。中で暴れたら大惨事なんだが、誰がそこに入るか決めといてもらえるか」
「トマトの箱は、絶対に嫌」
ミカロが眉間を寄せた。だが、他の皆の視線はほぼ一緒だ。
「服が台無しになるのは避けたいわね」
「我も、その箱は遠慮しよう」
ボルディミアスが小さい翼を畳み、低い声で言った。
「人の果実は柔で、我の鱗に馴染まぬ」
「なら、これで公平に決めようぜ」
エルジードが木札を四つ見せた。第三者を挟んでいるから不正は見えない。
「一斉に取るよ。せーのっ」
箱の内側は乾いた木綿の匂いがして、呼吸を浅く整えると心が落ち着いた。体を最小限に折り畳み、剣の鞘を膝横に固定すると上から小さな振動が伝わってくる。
コタツさんとエルジードが野菜を詰めている声を聞きながら。蓋の隙間に差し込む微光が一度だけ揺れる。僕の箱に入ったのは鮮やかな橙色の槍だった。ニンジンだと分かり、肩の力が抜けた。
「四つの箱、全部に違う野菜が入ってる。間違えるなよ」
「もちろんッス!」
エルジードの声が、箱の薄板越しに低く落ちた。
直後、デバイスが三度震えた。短文の連続が流れ込んでいる。送り主は案の定、彼女だ。
『最悪。トマトだった』
『代わって。お願い。今なら入れ替えできるでしょ』
『本当に無理。服が血まみれになる』
槍に手が触れるのを感じつつ返事を打った。
『音を立てると怪しまれる。大人しく受け入れてくれ』
『終わったら、拭いてあげるから』
『絶対、エルジードが仕組んでる。それからシェトランテに賄賂もらってる』
続く文面に不満が濃い。一緒に協力しようと策を練っていたのに、こうも簡単に敵意を向けられるのか。僕が服を汚したら、ドラゴニクスで済むかな。
『とにかく、眠ってれば一瞬で終わるよ。早起きしたから疲れているだろう?』
『やだ、このまま話してもらうから』
短く返すと、蓋の向こうで鈍い衝突音が一度だけ響いた。誰かが違和感に気づいたのか、声が近づいてきた。
「なんだ、中に動物でもいるのか?」
ドルフェリア兵の声が警戒を帯びる。僕の中にオレンジの巡りが流れ込んでいく。
「俺が見てくる」
「隊長にそこまでしてもらうのは」
「いいだろう! 最近は一緒に行動できていないんだから、これぐらいさせろ!」
「隊長ぉ!」
エルジードの返答はぎこちなかったが、足取りは迷いなく離れていく。ほどなく周囲が落ち着き、僕らは露見を免れた。デバイスに新しい通知が届いた。今度はエイビスからだ。
『移動を開始します。予定通りなら、搬入口に着くはずです』
車輪が転がり始め、箱が規則的に上下する。呼吸の数を数えながら時間をやり過ごそうと思っていたが、彼女は僕から手を離してくれなかった。トマトに対する不満を言い終え次に何処へ行くのか話をしていると、荷馬車が停止した。鎖の金属が外れ、天幕の開く音がする。箱は順次降ろされ、石床の感触が近づく。エイビスの言っていたバンガードの搬入口だろう。
「サンプルを見た限り、うちよりも新鮮だな。特にトマトの香りが濃い」
バンガード兵が言う。
「あまり触らないでくださいッス。これは貴族用ですよ?」
コタツの静止は穏やかだった。
「そうだな。だが、見た目の確認はさせてもらう」
頭に海のような青さが揺らいだ。ミカロはトマトをなんとか寄せてたはず。バンガード兵が隣で蓋を開ける音がすると、数秒の沈黙に空気が止まったように思えた。
「上等だ。積荷に問題はないな」
足音が遠ざかり、器具を取りに行ったらしい。
僕達はその隙に蓋を押し上げ、箱の影に身を滑らせる。澄んだ空気が一気に体へと広がっていく。隣の箱からミカロが出てきて、深く息を吐く。髪から両手両足まで所々に赤い汚れが広がっていた。
「見てないで早く拭いてよ」
「はいはい。変われなくてごめんね」
「別に、気にしてないよ」
ミカロが顔をそむけたので、ひとまず背中からべたつきを取ると、彼女は髪を流し始めた。
「これだけあれば、足りるだろう」
「なんで、あんなの入ってるのよ」
「バンガードの誰かさんが好きらしいぜ。他の文句はそいつに風叩き込んでやれ」
ミカロはある程度タオルで拭き終えたが、渦巻いたような顔をしたままだ。
「シャワーに行きたい。今すぐ」
「気持ちは分かるけど、ひと段落ついてからだね」
僕は低く言うと、彼女は水魔法を使って髪だけを流した。
エルジードは沸き立つ炎を当てると、水が弾け飛び髪が一瞬で乾いた。
これなら入浴施設はいらなそうだが、言ったら真っ二つに裂かれそうだから心にしまっておこう。
◇◇◇
「ま、これならなんとか」
ミカロは頷き落ち着くと、正面にある読み取り機にキーカードをかざした。機械は彼女を嫌ったように何の反応も音もない。
「こんな倉庫に入るのに、特殊なカードはいらないでしょ」
シェトランテは白衣からカードを出すと、倉庫の扉が開いた。
「生物研究の区画には心当たりがあるわ。私に続いて」
「コタツさん、馬車をお願いします」
「承ったッス!」
僕は小声で指示する。コタツは掌で了解の合図を作り、搬入口の陰に残ってもらった。
バンガード本部へ続く扉の前に立つと、ここにも読み取り機が備え付けられている。シェトランテのカードを掲げると、簡単に飛び荒は僕達を通した。
「まだ使えるなんて、思っていなかったけどね」
「いや、奪取する必要がなくて良かったよ」
僕は礼を言うと廊下に出る直前、ミカロが手を乗せてきた。
「錯乱の魔法を使うから、ちょっと待ってて」
僕の肩を通して空気が吹き抜けると、風の幻影が僕らの輪郭に重なっていく。装備が兵士のものに見える。
これなら接触がなければ戦う心配もないだろう。
「エルジードはいいのかい?」
「俺は正々堂々と戦う。そんな卑怯な手は使わねぇ」
エルジードの眉間に流儀が寄っている。手を伸ばすだけで、火災のスイッチが入りそうだ。
「アンタを見つけた瞬間、バンガードと戦争が始まっちゃう。協力して」
ミカロは淡々としていたが、言っていることは正しい。エルジードにも悪い条件じゃないはずだ。
「ワタシたちは最悪を想定して動いているの。受け入れなくても知らないけど、別行動にさせてもらうから」
「・・・しょうがねえ。この前の借りを返すためだからな」
エルジードは短く言い、幻影を受け入れた。
シェトランテが端末を走らせ、エレベーターを呼び出す。表示は地下四階。
扉が開くと、遠くから悲鳴が一つだけ届いた。金属に反響する細い音だった。
胸の奥の筋肉がわずかに強張る。剣の柄に触れると右手は喜んだように見えた。
フロアに降りると、通路は清潔で、壁面にホログラムの案内が流れている。目的の扉には二段階の読み取り機。
セインのキーカードを差し込むと、淡い光がカード面で脈打った。彼女が目指した場所がこの先にある。しかし、装置は肯定音を返すだけで、扉は動かない。
「どうやら鍵が足りないようね」
エルジードが腕を組む。
「さっきのカードもあれば、開くんじゃねえか?」
ミカロがシェトランテからカードを受け取り、重ねてかざす。
扉は中央から分解を始め、粒子が編み直される。目の前に広がったのは広大な立体施設。ガラスに覆われた各部屋へ橋上リフトがゆっくり往復している。
低く冷たい風が吹き抜け、鼻をつくような桃色の匂いと金属の溶けた匂いが混ざる。
後ろを確認すると、天井面が波打ち、影が落ちた。
牛の面に角、豚のようなピンクの体と足、アンバランスに小さい人の拳。皮膚は灰色で液状の青い血が管の中を這うように見える。
モンスターが天井から身体を解き、床に降り立った。視線はまっすぐ僕を射抜いている。
相変わらず動物によく絡まれるみたいだ。
「先に進むわよ」
「え、ちょっと……」
シェトランテがカードを取り、言葉を落としたミカロの腕を掴む。
二人は研究室列の先へ滑るように去り、扉の枠は無機質な壁へと変形して道を塞いだ。
「僕達も進むと、部屋を壊されかねない。ここで牛を止める」
「正直、牛かどうかも怪しいけどなっ」
僕は剣を抜き、相棒の重さを掌に馴染ませる。エルジードが空へ箒を構え、ボルディミアスが黒い拳を握りしめた。
床が組み替えられ、八メートル四方の正方形の場が形を取る。逃げ場のない設計だ。ただ、彼が操作しているとは考えにくい。




