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目を開けて身支度を整えても、手前で物の動く音がしない。嫌な予感を胸の奥で押し込み、僕は剣を壁から外して腰に収める。いつもの朝ごはんも置いてない。
とりあえずお腹が空いたので王宮のキッチンへ向かった。
「おはようございます、シオン様」
白いエプロンの端を指で整え、いつもの落ち着いた微笑みを浮かべている彼女を見ると、
あの出来事はなかったんじゃないかと思ってしまいたくなる。僕は岩のように乾いた言葉を発した。
「おはようエイビス。ええと、その……」
言葉がオアシスを見つけられず彷徨っている。視線を逸らすと、彼女は花の咲いた顔をした。
「フフッ。その歯切れですと、シェトランテさんやボルディミアスに悟られてしまいますよ」
エイビスは子守りのような笑みを深くした。確かに彼女にちょっかいをかけられると厄介だ。
腹が膨らむほど空気を溜めると言葉が一直線に揃えた。
「ミカロを探しに来たんだ。見かけなかった?」
「一時間ほど前からいますが、見かけたことはありませんわ」
エイビスは棚から木皿を取り出した。
「ですが昨日はここで肉サンドを作っていましたね。失敗作が多すぎて、食べるのに困っていましたようですが」
頭の中に、ミカロが豪快に風を叩きこむようにパンを重ね、分厚い肉をはさんで頬張る絵が広がった。
水を飲む勢いで流し込む姿が現実味を持ってしまい、彼女の胃袋が本当に大丈夫なのか心配になる。
やっぱり龍が住んでいるのかもしれない。
「ところで、シオン様」
エイビスはわざとらしく視線を空に泳がせると、僕の傍に移動した。
「私のサンドイッチと、ミカロの肉サンド。どちらが、おいしかったですか?」
「難しい質問だね」
彼女なりの親切だろう。僕は、少しだけ間を置いて凪を作ってから、風を吹いた。
「ミカロの肉サンド、だよ」
「さすが、ですわね。彼女にも対面で伝えてあげてください。いつになく諦めが悪かったですから」
エイビスは目を伏せ、声にだけ光を宿した。せっかくの機会だから、確認しておきたいことが一つある。
僕はカウンターの角にもたれ、刃を進める彼女を見た。
「あんな囲まれた状況じゃ、素直なことも言えなかったと思う。無理に僕達と合わせる必要はないよ」
「・・・見抜かれてしまいましたね」
エイビスは肩をすくめた。
「確かに、あの人数を前にして控えていた部分はありますわ。けれど、これからもご一緒するのは本心です。シオン様と、そして皆さんと」
「そうか、ありがとう」
僕は彼女の横に手を差し出した。
「改めて頼みたい。僕たちのチームに、同行してほしい」
「もちろんですわ。恩人であるシオン様のためですもの」
彼女の手は温かく、握手は短くて、強かった。
「そういえば、私も一つ確認したいことがあるんです」
エイビスは手を離し、少し首を傾けた。
「お酒を嗜んでからの記憶が抜け落ちているのですが、シオン様は、何かご存じありません?」
「いや、実のところ僕もよく覚えていないんだ」
できるだけ歯切れよく答えると、彼女の目は跳ねるトマトのように笑った。
「そうでしたか。私もしばらく控えた方がよいですね」
エイビスは自分に言い聞かせるように頷いた。
「ミカロを探していたのでしょう。早く行ってあげてください」
礼を伝え、キッチンを後にして王宮の回廊へと進むと迷路みたいに幾重にも曲がり、庭園と廊下が幾層にも重なる。ミカロの姿は見えない。エイビスは知っているような話し方だった。この方向で合ってるはずだ。
焦りが考えにまとわりつき、頭の中でソースが粘る。ポケットに手を入れたとき、指先に冷たい感触が触れた。赤い瞳のような形のネックレス。彼女が置いてったのか。まさか……
首にかけると、赤い光が脈を打つ。宝石はゆっくりと特定の方角を指し示し、力の抜けた運動を繰り返す。さすが姉妹だな、どこかの誰かさんと一緒だ。思考を切り替え、光が向かう先へ足を向けた。
導かれたのは仕切りの柵を登り越え、僕をランチタイムに楽しもうとしているほど倍以上の高さを持つ植物に覆われた屋内庭園だった。植物の葉が朝の光を受け、静かに揺れている。
固いベンチの端でミカロが足を組み替えながら僕を見つけると、眉だけで不満を示した。
「見つけるの、遅すぎ。ネックレス、ちゃんと付けてくれたんだね」
ミカロは胸の前で両手を重ね、ほっと一息ついた顔を作った。彼女の首にも同じネックレスが揺れている。
「今回は、休んでばかりだから、気を付けるよ」
僕は隣に腰を下ろすと、彼女は僕の足まで一を変えた。
「ミカロが用意したの?」
「うん。これがあれば、シオンの場所にすぐ行けるでしょ?」
ミカロは包みを差し出した。
「いつもの肉サンド。今日は半分だけど」
パンを割って渡し合い、二人でゆっくり噛む。味は昨日より落ち着いていて、塩と肉汁の輪郭が素直に混ざっていく。
「お姉ちゃんの遺してくれたこのカード、ワタシも閃いてはいないけど」
ミカロはベンチの背に片肘を掛けた。
「バンガードに不利な何かが眠ってるんだよね。お姉ちゃんのためにも、頑張らないと」
「心配いらないさ」
僕は彼女の手を取ると、彼女の指は気まずいのか伸びをした。
「頼れる仲間がいる。どんな敵が来ても、怖くないよ」
「じゃあご飯も食べたし、集合場所まで行こ。早くしないとまた、遅れちゃう」
ミカロは小さく息を整え、素直に立ち上がった。手は離れなかった。
王宮の正門前には、エルメインとエルジード、そして四人が揃っていた。馬車の車輪の準備が進み、荷馬車も一台控えている。僕たちが並ぶと、ドルフェリア王が短く別れの挨拶をくれた。
「アークライン、我の命令を聞いてくれるか」
「陛下、それは本当に必要な時まで取っておいてください」
「今がその時だ! 次の冒険へと向かう姉妹を前におめおめと背を向けて——」
「時間切れです陛下。時間を守るのも王家の務めですから」
「ぬがぁー! レチカ! シャルルローゼスぅううう!」
失礼かもしれないので頭にしかしないが、熊の雄たけびみたいな声だけで、二人にはよっぽど印象に残るだろう。
「王宮の優雅な暮らし、今思うと少しだけ名残惜しいかも」
ミカロがしみじみ言った。確かにあんなに清楚な服を着るのは今後考え付かないな。
「同感ね。何でも動いてくれる人がいないから、間違えて誰か呼びつけそう」
シェトランテが頷いた。
「その持っているワイン、作戦が終わるまで飲まないで下さいね、シェトランテさん」
シャルルローゼスが小さく毒を含ませる。と彼女は逸らすように視線から瓶を隠した。
「では、これからの作戦についてご説明します」
エイビスが一歩前に出て、全員を見渡した。声は澄んでいた。
「作戦の目的は、セイン様から託されたキーカード対応の扉へ侵入すること。侵入した後は内部で調査を行い聖域作戦に関する文書を入手することです」
エルメインが続ける。
「停戦協定の透明性を担保するため、今はロクサリエンとドルフェリアは交換学習が行われている。趣としては、戦力の一部を互いの組織へ預け、実戦と実地訓練を積む。という取り決めだ。私や姫様達はロクサリエン側に同行する。そこを利用して、シオンとミカロ、それにシェトランテ、ボルディミアス、エルジードが扉まで移動してもらう」
「最後に」
エイビスは指を一本立てた。
「扉内の調査を終えたら、行きと同じ荷馬車へ乗り換え、バンガードから離脱してください。正直どんな内容かは分かりませんが、自分達の考えを変えることだけは間違いないでしょう」
「了解」
「オッケー!」
僕たちは頷き合う。荷馬車の荷室に向かおうとしたところで、エルジードが手を伸ばして僕を止めた。




