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特別扱いは性に合わない。できれば黙って胸の内側だけにしまっておきたい種類の話だ。
それでも——いま隣で枕を抱え、目が燃えているミカロのためなら、僕は蓋を外す。
「実は実技試験の時間が、あと三分しか残ってなかったんだ」
「三分?」
「そう。入場の手続きで揉めて、会場の動線が塞がって、セインに助けてもらった時点で本当にギリギリだったんだ。試験官は採点不能を理由に試験実施を当然、断ってきた。正しい判断だよ。あの枠で公平性を担保するのは難しいだろうし」
あの時の空気は硬かった。
扉の前で腕を広げた試験官は規定書を指差し、僕は剣帯を一度締め直しただけで引いた。
諦めがついていた——その直後に、場の端を長身が割った。
今も二番隊長を務めている、ダリウス。鋼の皮膚を持った男が僕を見ていた。
「試験で何か問題が起きたのか?」
「この受験者、残り三分でここにやってきたんです。既定の試験には時間が足りないですし、この時間配分では本人にも厳しいと判断して試験を断ったところです」
ダリウスは短く頷き、僕へ視線を投げた。
「時間管理すら出来んのか。入団する気があるなら、それくらいはこなしてもらわんと困る」
声音は冷え切っていて、容赦がなかった。けれど次の一言は、妙にこちらの足元を見ている。
「・・・だが、機会がないというのも味気ない。俺と戦え。納得できる実力があれば、試験として採点してやる」
「ダリウスさん、何を」
「誘い文句が上手ですね」
「気に入らんのなら帰れ」
「いえ、ありがとうございます。そのチャンス、受けます」
試験官は止めた。
「彼はまだ学生です、隊長。あなたの実力には——」
僕は首を振った。
「野暮ですよ。僕とダリウスさんは覚悟を決めたんです。静かに見てもらえませんか」
ミカロが僕の話の合間に首を傾ける。
「つまり、シオンがダリウスに勝って、無事バンガードに入団したってこと?」
「ところがどっこい、負けたよ」
「ええっ!」
「正確には、一本をもらえなかった。上段からの一撃を見せたけど、剣が落ちきる前に肩で軌道を殺された。あの人は、相手の最短に割り込むのがうまいんだ。反撃は喉元ぎりぎりで止められて、そこで終了。僕は深々と頭を下げて、試験は終わったんだ」
負け惜しみの余地はなかった。悔しさは澄んでいて、その質が、妙に僕を落ち着かせた。
「負けて、その後はどうしたの」
「悔しさよりも嬉しさが勝って気がつけば風と一緒に走ってた。
あの一拍の差を埋めれば、どこにでも届くと思えたから。
あの一敗が、僕の剣の次の段を決めてくれたんだ。だから、感謝してる。
試験結果で合格通知が入っていたときは驚きを隠せなかったけどね。
きっとダリウスさんが便宜を図ってくれたんだと思う」
ミカロは枕をぎゅっと抱き込み、目尻を指で拭った。
「そうだったんだ。私も同じようなもんだよ。内々の実技試験で中隊長を吹き飛ばしたら認められたの」
「道理で見なかったわけだ」
「私はロクサリエンの出身じゃなかったから、試験日取りも合わせられなかったしね」
彼女はふいに立ち上がると、小走りで冷蔵庫を開けると。薄い琥珀色のボトルが僕を覗き込んだ。
「レモネード、冷やしてたの。お姉ちゃんと悩み事を話すときは、いつも飲んでたなぁ。甘いけど、頭が前向く味が今でも忘れられない」
「彼女が好きだったのは僕も覚えてる。そういえばしばらく飲んでないな。どんな味だっけ」
「こういう味」
ミカロはボトルの栓をひねり、ひと口含むと、渡すふりをして距離を詰めた。肩が触れ、唇が重なる。柑橘の酸と、舌の奥で丸くなる甘さ。喉の手前に残る微かな苦味。
セインが「前を向かせる」と言った意味が、味覚でわかる。
「もう一口、いる?」
「・・・今日は、休んでおきたい」
「分かった」
手を差し出すと、彼女は子どものように素直に握った。ひんやりした掌が少しずつ体温を帯びる。
ベッド脇まで歩く間、ボトルが左右に踊りを見せ、テーブルで回り出した。
横になってから、静かな時間が落ちる。疲れと、どこかで拾ってしまった昂ぶりが、ぎこちない同居を試みている。ミカロは枕を挟んでこちらを見つめ、僕の目を掴むように上着をずらした。僕は迷いをごまかさず、正面から彼女を抱き寄せた。彼女の背中に腕を回し、呼吸を合わせる。
「・・・ワタシ、今は夜が好き」
「僕も好きな気分だ」
彼女の髪に指を通し、額を寄せる。触れて、離れて、また近づく。言葉は少なくていい。
夜は僕らを心地よいビンテージの明りと共に檻へと包んだ。二人で過ごすために十分な長さがある。
僕は彼女を押し倒すのではなく、押し流されないように抱きしめることを選んだ。
熱は高すぎず、低すぎず、彼女の魔法に惑わされていた。




