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久しぶりの一人部屋は、静けさの輪郭が濃すぎて居心地が悪い。
ベッドのスプリングは柔らかく、窓は古い宿らしく木枠がきしむ。
ミカロの賑やかな話も、シャルルローゼスの丁寧な段取りの声も、エイビスの控えめなノックもない。
僕は剣だけ枕元に置き、仮眠で体を落とすつもりだった。
呼吸を三つ重ねたところで、チャイムが鳴る。
正直、面倒だ。けれど、仕事柄この手の面倒から逃げるほうが後々こじれる。
覗き窓の向こうに、青を基調にした制服——郵便配達員。
扉を開けると、差し出された封筒の角が、やけに整っている。
差出人の名前を見て僕の胸が少し軋んだ。
セイン・カルトレットと綴られている。
僕は封筒を受け取り、封蝋の印とサインを確かめる。何度も見た癖のある筆致。
彼女のものだ。
ドルフェリア側の罠という仮説は、ここで消える。
これは間違いなく僕へ宛てたものだ。
封を切ると、最初の一行で喉が詰まった。
——この手紙が届いたということは、ボクはシオン君に負けて死んだってことだね。
シオン君と演習をしたときはいつも負けてた。
属性攻撃を吸収できるなんて卑怯だと毎回思ってたけど、今は特に気にしてないよ。
笑いながら残酷に真実を置いていく文体は、どこまでも彼女らしい。
読み進めれば、僕の癖まで見透かすように書かれている。
——シオン君はエッチだから、どうせボクのことを納得するまで全部調べようとするだろうから、
先に白状するよ。
記憶操作の影響は当然、ボクにも影響が出る。
ただボクは記憶の粉を摂取したから、ボク自身は聖域作戦について忘れずに済んだの。
君やミカロちゃん、御姉様、シャルちゃんのために粉を残しておきたかったけれど、
他人に悪用される可能性もあったから焼いちゃった。
怒ってもいいけど、これはボクの判断として許してほしいな。
——あと、シオン君に一つだけお願いがあるの。
ボクはシオン君達の邪魔をする中でバンガードはどうして失敗すると分かっていた聖域作戦を実行しようとしたのか気になって調べていた情報があるの。
短くまとめると、バンガードの生物研究室に秘密が隠されているようなんだけど、
ボク一人だけの力じゃ中の部屋までは調べられなかった。
もし、シオン君達が聖域作戦を実行した理由について知りたかったら、生物研究室を調べて。
念のためにカードキーを同封しておきます。
可能性を含めて書いたけど、シオン君ならきっと調べてくれるよね。
——あと、補足しておくとペンダントには仕掛けがあるの。
五つ揃えると作動するようになっているから、これまでの四つと私の一つを合わせてみて。
添えられたカードキーが、薄い銀色で光り転び落ちた。最後の段落に至って、視界がぶれた。
——最後にボクはシオン君が大好き。できることならずっと一緒にいたかった。
でも一緒にはいられそうにないみたい。
だから、君が見つける素敵な人を、いつか私のお墓に連れてきて、ボクに紹介して。
連れてこなかったら天国で呪っちゃうよ。
私の親友でいてくれてありがとう。
セイン・カルトレット
・・・
情報量と彼女の思いを受け止めきれなかった。椅子に腰を落とし、顔を片手で覆う。
泣くつもりなんてなかったのに、涙は理屈を聞かない。
悔しさと、安堵と、どうしようもない喪失が同時に走って、胸の奥が崩れる。
彼女はいつでも先回りで道を作り、最後まで僕の背中を押して去っていく。
ずるくて、頼りになって、優しい。
今からあの時間に戻れるのなら、どんな犠牲でも払いたい。
どれくらい時間が流れたか、呼吸が落ち着くまでの間じゅう、僕はただ紙に指を当てていた。
便箋の手触りを確かめ、角を揃えて封筒へ戻す。
封を閉じて、枕元の箱にしまう。
ここにあるうちは、まだ手が届く。
ベッドに半身を倒したところで、またチャイム。
セインの仕掛けか、と一瞬だけ苦笑したが、扉の向こうに立っていたのは長身痩躯、無機質な瞳。
理を淡々語る冷徹な鱗に覆われた男。小さいボルディミアスだった。
背丈は僕より少し高く、視線はまっすぐ。殺気は薄いが、油断が似合わない顔だ。
「武器は下ろせ。我は話をしに来ただけだ」
「・・・分かった。暴れ出したら、今度は容赦しない」
僕が剣を手元に残したまま腰を下ろすと、ボルディミアスもソファの端に腰を落とす。
指先は落ち着きなく動かず、呼吸も規則的。戦闘の前振りではない。
「もしかすると助けたと思っているかもしれんが、移送したのは質問のためだ」
「それでも、結果として助かった。ありがとう」
「礼を言うとは奇妙だ。理解に苦しむな。人間は礼を言うと、借りが減るのか」
「減らない。ただの礼儀だよ。それで、君の質問は?」
彼はわずかに首を傾げ、興味を点検するみたいに言葉を置く。
「なぜ、あの女が女神の寵愛を受けている」
「あの女?」
「銀髪の、風を使う女のことだ」
ミカロ。僕は心の中で名前を置きながら、女神の寵愛という語の重さを測る。
信仰の話か、機構の話か、どちらにも足がかりがない。
「その寵愛が何を示しているんだ」
「知らぬのか。貴様は全てを知っていると思っていたが、見込み違いだな。仕方あるまい。なればあの女が共にいる時に今度は訪れるとしよう」
ボルディミアスは立ち上がり、ドアの取っ手に手をかけてから、こちらを振り返った。
彼なりの礼儀は気になるが、今は不要な戦いだ。
ボルディミアスがポータルではなく、なぜか歩いてロビーに歩いて行った。
あれだけ自在に綴じ目をいじれた相手が、意図的に封印しているのか、単に回復中なのか。
答えは出ないまま、僕は別件を先に動かすことにした。
シェトランテを正式にチームへ迎え入れておきたい。
研究者気質の彼女に、今の僕らにはない嗅覚がある。
彼女への連絡はすぐにつながり、返ってきた場所はレストラン。
行ってみると、六人掛けのテーブルに皿が山になっていた。
ひと皿ずつの量が大ぶりなのにも関わらず、総量は軽く十人分だ。
シェトランテは淡々とフォークとナイフで食事を運び、視線だけで僕を迎える。
「どうせ何も食べていないんでしょう。何か腹に入れておきなさい」
「・・・わかったよ。じゃあ、少しだけ」
僕は前菜の小鉢と温い麺を選び、最低限の補給を済ませる。
隣でシェトランテは肉の皿を片づけ、さらに蒸篭を開けて焼売を摘んだ。
「そんなに食べると動けなくなる」
「今まで補給していなかった分を補っているだけよ。さて、本題に移りましょ。
私はボルディミアスの異空間に迷い込んで、最初は困っていたの。
進めるべき研究文書に必要な素材もなかったしね。
でも異空間を研究対象として見直した瞬間、考えが変わったの。
空間構造が多層、物理則の局所改変、観測による相転移――どれもフレーズだけで考えれば魅力だしね。
けど、あんたらに解放されて研究対象がなくなったわ。何か面白いニュース、持ってない?」
「ありますよ。セインの手紙に、バンガードの生物研究室が聖域作戦の鍵だと書いてあった。
内部情報を洗えば、何か出てくるかもしれません」
シェトランテの瞳が、わかりやすく光った。姿勢が前のめりになる。
「場所は。アクセス権は。対人か対生体か。倫理審査はどうなの?」
「質問は山ほどあるだろうけど、交換条件だ。その場所に連れていく代わりに僕らのチームへ加入してほしい」
彼女は面倒そうな顔をして、焼売をひとつ口に運んだ。もぐもぐの最中に肩をすくめる。
「ま、君と一緒にいると退屈しないし、今は了承してあげるわ。ただ、研究成果の優先公開は私に譲ってもらうから」
「ありがとう。成果の公開はまた相談しよう」
「いいわ。早速、情報を共有しましょう」
僕はセインの手紙に同封されていたカードキーを見せる。
彼女は受け取る代わりに、小さな包みをテーブル下から取り出した。
「ところで、君にセインの遺品を渡しておくわ。これが、そうよ」
手のひらに落ちたのは、見覚えのあるペンダントだった。
金属の縁に細い傷。中央の青、弱い光を抱えている。
「どうして君が」
「検査の過程で荷物を改めただけよ。特に役に立ちそうなものはなかったけどね」
「助かる。本当に、ありがとう」
胸のあたりが急に軽くなり、僕は目の前の皿を勢いで片づけた。伝票に紙幣を置き、立ち上がる。
「詳細は明日以降、詰めよう。エイビス達にも共有しておく」
「分かったわ。とりあえずよろしく」
店を出ると、夜の冷気が熱を整えてくれた。廊下は静かで、古い灯りが点々と続く。
歩くたび、首元のペンダント達が胸元で触れ合う。
僕がもともと持っていたものと、セインのもの。
二つが当たって、澄んだ小さな音が生まれる。
意味のある音だと思うだけで、足取りがまっすぐになる。
部屋に戻り、ペンダントを掌で回して夜の光に透かす。
石の奥に、ほつれた糸のような模様が見え隠れする。
五つを揃えると仕掛けが作動する、だっけ。
明後日になれば揃うだろう。
セインはいつも、遠い目標を言葉で近くしてくれたことを今さら思い出した。




