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僕と、彼女と、ペンダント  作者: ミシェロ
第六章【隔界】

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 落ちる途中で、空気の層がねじれた。

抱き上げたセインの体温が腕に残る。僕は剣を岩壁へ滑らせ、摩擦で減速しながら身を翻す。

頭上で石の軋み。見上げれば、額と肩が血塗られたシェトランテがこちらへ駆け寄っていた。


「シェトランテ、ここからは自分が前にでます」

「遅すぎよ。おかげで服が汚れたわ」


冗談が言えるようなら特に問題ないな。

ボルディミアスが見上げるような高所から腕を振り下ろし、天井の氷が槍状に生まれる。

落石と混じる白い軌跡。僕は剣を立て、火の式を三段で重ねた。

熱が刃に通って、炎の斬撃が連打で氷を蒸散させる。

霧が晴れるより早く、僕はセインを抱え直してシェトランテへ押し渡した。


「頼む。後方へ運んでくれ」

「結局、いや分かったわ」


彼女は素直にセインを抱え、重心を落として走る。

血は止まっていない。それでも背筋は真っ直ぐだった。

頭上から、嫌に通る声。


「こと切れたその女がそんなに大切か、小僧。壊し切れなかったことを悔いるといい」


ボルディミアスの嘲りは、こちらの迷いを測る探針だ。

僕は安堵した。こいつに情けをかける必要がなくなった。

シェトランテの背後から、軽い足音と桃の香り。


「お待たせいたしました、シオン様」

「御姉様、状況は大方把握済みです」


エイビスとシャルルローゼスが壁際から滑り込む。


「人数がいれば勝てるとでも?」


ボルディミアスは肺腔を膨らませ、咆哮の陣を喉に組み上げた——が、横から風が割り込み、その式が崩れる。


「遅れてゴメン。派手にやるよ」


ミカロが指先で風の相をねじり、咆哮の息路をずらした。ボルディミアスの口元が歪む。


「ぬうぅ」

「全員で行くぞ。ここで終わらせる」


返事はいらない。全員の重心が前に出ていく。

ボルディミアスが薄笑いを消し、掌で空間を裂いた。

床が命を失い、足元の地層が砂に変わる。視界が崩れ、支えが消える。


「シオン様!」


駆け寄ってきたエイビスが、崩落と同時に僕の胸元にしがみつく。

僕は片腕で彼女の腰を抱え、もう片方の腕で剣を岩肌へ差し、壁沿いに留まる。


「シャル、支えを」

「承知しました。現れよ、レヴァンティス!」


シャルが杖で重力の縫い目を作り、レヴァンティスの力を借り浮き上がっていく。

ミカロは自身の足元に風柱を立て、落下の勢いを削るなか、ボルディミアスは僕達を見上げ咆哮を飛ばした。

空間ごと押し流す圧。岩が怯えるように鳴り響く。

タイミングを合わせなければ一溜まりもない。ボルディミアスに目線を——。

そのとき、エイビスの両手が僕の頬を包んだ。距離が近い。視線が合う。


「シオン様、私は敵を倒して戻ってまいりました。ですから、撫でてください。褒めていただきたいのです」

「いまは非常時だ。後で——」

「いま、でなければ嫌です」


ルーティーンであるかのように驚くほど真剣な顔だった。よほど頭が固いらしい。

僕は小さく息を吐き、彼女の頬の弾力を確かめ、それから頭を一度だけ撫でた。

エイビスの瞳が和らぐと彼女は僕の手を除けブレスの咆哮へと落ちてゆく。


「蒼潮奏唱!」


剣の大振りはボルディミアスの頭に一撃を放ち、剣筋が消えたかと思えば波状の水が飛び散り顔を地面に押し込んだ。

ボルディミアスのブレスが逸れ、底の見えない砂の喉奥へ攻撃が吸い込まれていく。

本当にルーティーンなのかもしれない。


「シオン、次いくよ」

「ああ、分かった」


我に返り、ミカロと落下の位置を合わせる。

僕は水の式を組み始め、彼女は風で圧縮の器を作っていく。

ボルディミアスが氷の印を結び視界に乳白の糸を紡いでいく。


「はい、首を上へ」


シェトランテの円盤が天井へ伸び、ボルディミアスの首を打ち上げる。

頭蓋が岩に当たり、氷の陣が崩壊した。

エイビスが手のひらを一瞬掻いた。


「さすがの大きさに痒みがありますわ……ですが問題ありません。シャル、一緒に攻撃を図りましょう」

「はい、御姉様」

「この程度っ」


過去の痛みを思わせる所々に穴の開いた赤紫の羽。

僕らへ風を飛ばす度に近距離から空間が揺らめいて見える。


「風剣冷原!」


エイビスとシャルルローゼスの作り出した氷の風が突き進むと、

やはりボルディミアスの腹に近い部分だけ溶けるスピードが早い。ここは僕の出番か。


「ミカロ、頼む」

「オッケー」


背中に風が乗り僕の周りに渦を立てていく。僕は水の式を層で重ね、刃の内へ流速を通した。

熱の壁の向こう側へ、僕らは飛び込んでいく。


地面の相が入れ替わりボルディミアスが足下の空間を再構築し、冷たい岩床は赤い光を抱いた溶岩帯に変わった。

表面張力の厚い液体の上を、黒光りする岩塊が浮遊し、やがて二足で立つ輪郭を取る。

溶岩に棲む岩体のモンスター——鈍角の刃を全身に埋めた巨躯だ。


「排除に移ります、御姉様」

「ええ、シャル。シオン様の前を空けましょう」

「私は後衛に移るわ。……セインのことは任せなさい」


シェトランテは身を翻して僕らと溶岩帯の間に立った。

リングの紋を幾重にも広げ、ボルディミアスの四肢を天井へ縫い付けている——はずだった。


澄んだ金属音が震える声をあげる。リングのひとつが解かれる音が耳に刺さった。

シェトランテはセインの身体を守る位置を優先した、その一瞬の手順の乱れが、拘束をひとつ外した。

喉の奥で湿った起動音が鳴り。ボルディミアスが肺腔を深く引き、ブレスの式を組み始めた。


「シオン、いったん離れよ。体勢を立て直してから——」

「いや、このまま行く。これ以上、思う通りにはさせない」


直観だが、恐らく吸収できる。さっき光を飲んだみたいに、炎も、混ざった属性も。

未完成のままでも、止めなければ勝てない。何が何でもやってみせる。

ミカロは僕のお腹を強く押して、短く頷いた。


「わかった。じゃあ落とすよ、シオン」

「ありがとう」


風が背を押し、僕は一直線にボルディミアスの正面へ降りていく。

間髪入れず、咆哮とともに炎の奔流が空気に流れていく。


「斬れる」


そう判断して刃を入れた——が、手応えが奇妙に重く弾かれそうな勢いがする。

呼吸の位相がひとつズレ、刃がブレスを割り切れない。

僕は足を残し、咆哮を正面で受ける形になった。

胸の奥に、嫌な引っかかり。吸収の式が滑る。


「能力に驕ったな」


ボルディミアスが空間の綴じ目を捻り、そこから現れたのは、大岩の体を持つゾウ。

眼孔に溶岩が灯り、岩皮の鼻が振り上がる。


「上等だな」


自嘲にも近い笑みが零れる。鼻が振り下ろされ——届く前に、ゾウの額に風穴が空いた。

風圧というより、削り取る風。


「集中してシオン。他に手出しはさせないからっ!」


ミカロの一撃がゾウの内部圧を弾けさせ、巨体は砕けて崩れた。


「まだ側にいたんだね」

「当たり前。シオンならできるでしょ」


喝の言葉が骨に響く。ああ、そうだ。僕は頷き、刃を握り直した。

ブレスはまだ押し続けている。

吸収が追いつかない苛立ちの、その隙間に、くもった綿あめのような声が落ちてきた。

——仕方ないなあ、シオン君。助けてあげるから、ちゃんと前を見て。

セインの声に似た響きが脳裏でした。集中するにはちょうどいい。


「ミカロ、手を」

「うん」


彼女の手を短く握り、風の相を刃の芯に通す。吸収の式が、風の流路で噛み合った。


「来い」

ブレスの圧が刃から僕の体へ沈みはじめる。熱と毒と、混ざった属性のノイズ。

一本にまとめ、飲み下す。胃の底に火を置く要領。勢いが相棒へと流れ、流れを変えて留まっていく


「やった!」


ミカロが口角だけ上げる。

ボルディミアスは諦めず、風魔法でハリケーンを起こした。

渦が視界を剥ぎ取り、音が方向感覚を盗む。

喉の奥では新たなブレスの準備音が聞こえる。


「御姉様、風に穴を」

「ええ。あなたに合わせます、シャル」


二人の刃が、交差する一瞬だけ同じリズムを取る。エイビスの氷の斜突と、シャルの重力線を纏った刺突。渦に潔い孔が開いた。熱と風がそこだけ空白になる。

僕は深く一度だけ息を吸い、吸収した属性を刃に重ね最後の一撃へ研ぎ澄ましていく。

——が、距離が足りない。ブレスの口がこちらを向き、射程の真ん中に僕はまだ入れていない。


「離れて——」


言いかけたとき、ミカロが僕の背中に掌を当てて押し出した。


「私の加速で連れてくよ。乱暴に行くけど振り落とされないでよね、シオン」

「分かったよ。ミカロと僕はいつも一緒だね」

「何いきなり言ってるの。ま、大体合ってるけど」


軽口の間にも、背中の風が三段階に分けて強くなっていく。

刃を低く肩を下げて、渦の孔道を一直線に抜ける。

ボルディミアスの顔の目前、喉の境界線へ距離を詰める。


「来い」

「舐めるナァ!」

「空爆烈断!」


溶岩や毒、炎と光を混ぜ合わせたようなブレスが放たれた。

僕の一撃は、それを真中で割った。

吸収した属性を返す刃は、炎の芯を両断し、そのまま顔面の骨格を斜めに断ち切る。

爆風が遅れて届き、衝撃が溶岩の柱を揺らす。

僕とミカロは後退し、姿勢を落とす。しばらくしても、気配が上がってこない。


「終わったのか」


頬へ鈍い痛みが飛び抜ける。視界が跳んだ。

飛び跳ね頬を掠める蹴りを入れる人の影。皮膚は鱗で覆われており、靴すら履いていない。

ボルディミアスが人のように姿を変え、拳で僕を吹き飛ばした。

胸に鉄塊が降ったような勢いに口は血を流していた。

反射で刃を立てるより早く、別方向で金属の鳴りが響く。


「ミカロ!」


彼女は空間に走る鎖に絡め取られていた。輪はポータルの縁から生え、空中で彼女の四肢を固定する。


「だ、大丈夫。これくらい……何とかするから」


それでもミカロは笑っていた。風がまだ、彼女の周りで生きている。


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