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僕と、彼女と、ペンダント  作者: ミシェロ
第六章【隔界】

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 ワタシはお姉ちゃんを自由にしてあげたい。

いつも見せてくれたあの無邪気な笑顔にさせてあげたい。今はそのために、目の前の敵を倒すだけ。


砂漠の古都跡の吹き抜け、崩れた柱が並ぶ円形の広間。熱の層が視界を揺らしている。

向かいに浮かぶのは箒にまたがった火の魔法使い、エルジード。

ブルームスパイアで逃げられた苛立あるような何度も動かす肩を見せると、自分が圧倒できる状況に笑いを含んだ顔で目線を合わせてきた。


「言っとくが引くなら今だぞ。俺もやらなきゃいけないことがあるから忙しいんだ」

「アンタの都合なんてどうでもいい。お姉ちゃんを縛る鎖を焼き切るまで、ワタシは止まらない」


ワタシは手首の内側に薄い風紋を重ねる。普段使いの細かな風魔法を点描みたいに散らして、エルジードの炎がどの距離で膨らみ、どの角度で屈折するかを測る。

床板、壁、砕けた欄干に触れて戻ってくる空気の温度差が、空間の地図を作ってくれる。


エルジードはその意図に気づいたらしい。視線が研ぎ澄まされ、口元だけ笑った。


「やるじゃねぇか。退屈が少しは紛れそうだ。

ま、相性の悪さは何にも変わらねえけどな。風で火に勝つのは、どう考えても無茶だぜ」


彼の周りに紡がれた魔方陣が赤へ白へと明滅する。

熱がさらに濃密になり、空中でひとつの大火球が膨らむ。


「見せてやる。俺の“正解”を」


広間の中央に炎の太陽が生まれた。敵意の塊がまっすぐ迫る。

ワタシは視線だけで位置を確かめ、呼吸を一段落とす。


相性が悪さなんてもう知ってる。だから、やることは決めてある。

シオンとシャルのおかげで使えるようになったこの魔法、無駄にはしない。

床の焦げ目が広がる。ワタシの姿はそこから消える。

エルジードは箒で高度を少し上げ、熱の海を俯瞰するように言った。


「床に焦げのない場所は……そこか。防ぐだけならできるようだな」


彼女が箒を滑らせて降下してくる。けれど、ワタシはいない。いたはずの座標は空っぽ。

エルジードの眉がわずかに波打つ。

その瞬間、彼女の頬を薄い傷が掠めた。炎を無効化した突風が、ひとつだけ別の規則で走る。


「不思議な魔方陣だな」


彼の視線が、ワタシの足元に咲いた魔法陣に吸い寄せられていく。

円でも多角でもない、積層した紋線が呼応して空気の位相をずらす。

炎の干渉域を外れた風が、沈黙のまま刃になる。


「編み出したのは自殺行為かよ。俺が自分の魔法をコントロールしきれないとでも?」


エルジードの声がかすれる。魔法陣の解析に入ろうとしたが、構造の基準が違いすぎて手が止まる。

見慣れた座標軸がない。


「やはり魔法陣を変えてきたか。面倒なことしやがって」


エルジードは箒を蹴って上空に抜け、姿勢を整える。

広間の天井は落ちて空が穴のように開いている。熱の塔がそこへ登っていく。

ワタシは地上で風を重ねていく。足元から真っ直ぐに。

自分の背中を押し上げるジェット気流があれば箒と同じような動きはできる。

攻撃は片手だけど、古代魔法ならそれでも十分だ。

空気の軌道が伸びるたび、古代式の補助陣が淡く点く。


「お姉ちゃん、見てて。ワタシ、やるから」


彼方にいるお姉ちゃんの言っていた“ボク”の声を思い出す。無邪気に笑うときの瞳。

誰かに厳しく立ち向かうときの硬い横顔。ぜんぶ守りたい。だから、手を抜かない。

エルジードへ向けて、古代式の矢を放つ。風の相をずらして炎の干渉域を避ける一撃。

エルジードは炎の手であっさり受け流し、肩で笑う。


「悪くないが、軽すぎるな」


彼女は守りを高めるように全身に炎を纏っていく。

衣の縁が光の輪郭に置き換わり、続けて空から火の矢が雨の列のように落ちる。

速度も角度も読みにくい散布で私と遊ぶように同じ魔法を仕掛けてきた。

ワタシは古代式の盾を重ねて迎撃に備える。


「くっ」


けれど、全ては受け切れない。肩口に熱が刺さり、脇腹が焼ける。

肺に重さが入り口の中が暑い。それでも前へ進むのは諦めない。

ワタシは逆にエルジードの炎そのものへ古代式を重ねていく。

火に触れる前に火の式を読み換えて、燃焼の筋道を崩す。

炎の衣の一部が解け、エルジードの動きがわずかに鈍る。

彼女は頬に指を当てて小さく息を漏らした。血の線。


「回数で伸びるタイプ、か。重ねるほど痛くなる。悪くねぇ」


火矢が途切れ、彼女は珍しく降下しながら拳を握った。魔法のタイミングに拳を差し込んでいく。

拳を抜くと火山を割ったように熱波が噴き出してくる。片手の私と戦うつもりみたい。

ジェット気流をさらに強くして高さの距離を取っていく。けど天井に近づくほど酸素が薄い。

少し辛いだけだと思っていたけれど、呼吸の流れが収まらないくらいに苦い。

滞留する炎が酸素を喰っているからその影響が出ているのかも。

気流がねじれ、ワタシの体は意図しない方向へ滑っていく。

くやしい。ここで外すのはダメ。でも現実の空気は正直だ。

ワタシは軌道を立て直そうとして、広間の床に膝をついた。

エルジードは間髪入れず、掌の前に巨大な火球を作る。


「ま、相性が悪い割には頑張った方だ。終わりにしてやる。

ここから先はどの道消耗戦だしな。お前の変な魔法が出てくる前にな」


大火球がしなやかに伸びる。

ワタシは風の柱を立てた。即興の支柱。熱に囚われない速度域で貫く一本。

エルジードは一瞬、鼻で笑った。


「苦し紛れの楯にしては子供みたいだな」


次の拍で、彼女の頬を柱の縁が浅く掠めた。熱の層の外側、炎では曲がらない風の芯が通る。

彼女の目が細くなる。


「柱の中にある魔法は見えなかったんだ。子の一撃で貫いてあげる」


了解の声と同時に、彼女は決断した。


「分かった。俺も遠慮はしない」


広間中の炎が一箇所へ集まりだす。壁の焦げ、天井の火筋、散った火矢の残光、彼の纏う火衣。

そのすべてが音もなく中心へ滑っていく。圧が重くなる。

皮膚が悲鳴を上げる前に、耳が内側から痛む。

ワタシは膝を浮かせ、呼吸をひとつ細くする。


焦らない。ここは待つ場面。

エルジードは両掌を合わせ、集束した炎を放とうと前傾する。

炎が形を決める瞬間は、誰の魔法もわずかに隙を生む。そこだけは同じ。


「勝ちはもらうぜ、炎華蘭月!」


エルジードが放つ。

その瞬間、ワタシも放つ。


「白式・ドラウフェニル!」


風の系統に龍の意匠を借りる。

細い古代式の核を、圧縮した気流で何重にも包み、蛇行する尾で軌道を変える。

炎の舌が迫るわずかな手前、龍の頭が姿勢を低くする。

風が炎の芯の下へ潜り、浮力の線を断ち、炎の塊をわずかに持ち上げ、空間の重さをずらす。

正面衝突じゃない。支えをひっくり返す。


エルジードの炎は広間の縁へ逸れ、柱に沿って上へ抜けた。彼女の姿勢が崩れる。

箒の軸が傾き、重心が泳ぐ。ワタシの龍が、真正面から彼女の胸郭を叩く。

収束した風が、身体の奥に残る空気を一拍だけ奪い取る。


「風のわりには、やるじゃ……ねぇか」


エルジードは視線をワタシに向けたまま、ゆっくりと落ちる。

床に膝をつき、そのまま意識を手放した。


勝った。

けど、終わりじゃない。


広間の空気に残った火が消えない。集められた炎の余燼が、壁の割れ目や瓦礫の影にしつこく残っている。

層になって貼り付いた熱が、肌の下を焼くように重い。

まだ、まだ終われない。お姉ちゃん、シオン、皆を助けなきゃ。

ワタシは立ち上がろうとして、脚が言うことを聞かないのに気づく。

さっき受けた火矢の痛みが遅れてくる。古代式の盾で散らした熱が、いまさら体内で暴れている。


「シオン」


名前を口にすると、少しだけ呼吸が戻る。彼なら、ワタシが倒れてるとき、まず状況を見てくれる。

丁寧に、落ち着いて、それでいて躊躇なく助けてくれる。ワタシはそこに甘えていい。

助けてくれたことを、勝手に忘れたりしない。


でも、ここにはいない。

ここはワタシの戦い。

お姉ちゃんを取り戻すと決めたのはワタシ自身だ。


エルジードは眠っている。彼の炎の理はまだ揺れている。

ワタシは指先に古代式をもう一枚。

熱を熱として扱わず、運動の余剰として置き換える調整式。

手を伸ばすと腕が重い。視界のふちが暗くなる。


「あなたはセインさんを解放するのではなかったのですか?」


エイビスの顔が浮かぶ。

静かに笑ってワタシの無茶を咎める、あのやさしい言い方で。エイビスはもっとはっきり叱ってくるはず。

けど最後は紅茶を用意して、桃の香りを混ぜて、落ち着くまで一緒に座ってくれる。

オラクリエは横で寒い冗談を言って、場を台無しにしようとしてくるんだ。

お姉ちゃんは、笑いながら止めてくれる。


「私はミカロちゃんのそういうところ、好きだよ。でも危ないのは嫌いかな」


耳の奥にセインの声が残っている。ワタシの背中が押されたように前に倒れていく。

でも、押されすぎないように引き戻してもくれる。だからワタシは、どこまでだって進める。


古代式が完成する前に、体が前へ倒れた。

床の石が近づく。腕で支えようとしたけれど、筋肉が遅れて動く。視界が揺れて、熱の層が崩れる。

最後の意地で、風の柱をもう一本、細く立てる。

炎の残り香がそれを嫌がるように後退する。

石の床に頬を寄せた拍子に、浅い傷が痛む。

エルジードの拳が掠めた場所。火より質が悪い種類の痛みだ。

生きてる証拠、と考えたら、少しだけ笑えた。


そこで、空間が裂けた。

広間の中央、エルジードの炎が拾い残した熱の線が、蜘蛛の脚のように一点へ集約し、そこに黒い輪が膨らむ。

歪みは音を持たず、光だけを食べる。

輪は縦に伸び、内部に水面のような揺らぎを見せる。


ポータルだ。新しい道。新しい厄介。


「タイミング、最悪」


ワタシは言葉に出してから、自分で笑ってしまう。立ち上がれるなら、飛び込む。

けれど、いまは体が重い。意識もそう長く続かない。

それでも手を伸ばす。届かない距離に、指を伸ばす。

誰かが来る前に、誰かを巻き込む前に、ワタシが見て、決めないといけない。


「シオン。ワタシ、ここで待ってるから」


誰に向けたのかわからない宣言を口の外へ押し出したところで、視界の端に、見慣れた光の線が走った。細く、まっすぐで、どこか懐かしいきらめき。


「ミカロちゃん」


幻聴かもしれない。けれど、ワタシは安心してしまった。

エルジードの炎はまだ消えていない。新しいポータルは口を開けたまま。

ワタシは床に横向きに倒れ、指先だけで風を撫でる。

古代式の線がふっと灯って、すぐ消える。繰り返す余力は、もう少しだけ残っている。


ここで折れない。お姉ちゃんを助ける。ワタシが決めた。

ワタシは目を閉じ、ひとつだけ呼吸を整える。熱と痛みを横に置き、耳の奥で風を鳴らす。

ポータルの向こうに何があっても、次の一手は作れる。相性が悪いなら、相性ごと書き換えればいい。


だから、起きる。もう一度、起きる。

ワタシは掌に風を集め、体の下に滑り込ませ、静かに体を起こした。視界の輪郭が戻る。

ポータルが、こちらを待っている。


「行くよ、お姉ちゃん」


ワタシは自分に言い聞かせ、広間の熱を背に受けながら、一歩、前へ出た。


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