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僕と、彼女と、ペンダント  作者: ミシェロ
第十章【女神】

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「ミカロ、回復を……!」


僕は我に返り、ミカロの方を振り向く。

ミカロは倒れ込んだまま、痺れる腕を無理に持ち上げようとしていた。

歯を食いしばりながらも、ミカロの指先は震えて、シャルルローゼスに届かない。


「・・・御姉様。泣かないで……ください」


シャルルローゼスが、自分の方からエイビスの手を握り返す。

その動き一つ一つが、見ていられないほど遅く、弱々しかった。


「私は……幸せ者です」


淡い光が、シャルルローゼスの指先からあふれ出す。

呼び出されたフロラメリアの花弁が、僕たちの傷口に降りてきて、痛みを和らげていく。


「シャル、やめなさいっ! 自分を治して! お願いです、もう――」


エイビスの声が、すすり泣きに変わる。

それでもシャルルローゼスは首を振り、微笑みを崩さない。


「御姉様と、シオンさんと、ミカロさんと……エルジードさん……皆さんが、少しでも先へ進めるなら、それで、十分です」


光が強くなり、同時に彼女の顔色が、雪のように白くなっていく。

僕は、一歩近づくことしかできなかった。

最後の言葉とともに、シャルルローゼスの腕から力が抜けた。

握っていたエイビスの手が滑り落ち、開いたままの指が冷たい床に触れる。


「シャル……シャル、起きなさいっ!

……お願い、返事を、返事を返してぇえええ……」


エイビスが何度も名前を呼ぶ。

それでも、閉じられた瞳が開くことはない。

その上から、甲高いのにどこか楽しげな笑い声が降ってきた。


「アハハハハッ! 実に滑稽ね。醜いあなたにはお似合いよ」


見上げると、砕けたバルコニーの上でベルメディアがこちらを見下ろしていた。

子どもが転んだのを見て笑う大人のような、悪意と退屈が混じった顔だった。


「仲間同士で傷つけ合って、無垢な娘がひとり死んだ。ねえ、エイビス。これほど無意味な搾取も珍しいわ。あなたたち、本当に哀れね」


言葉が、刃物より冷たく肌を刺す。

僕の視界の端で、エルジードが立ち上がるのが見えた。

彼女の手足には血管が浮き出ており、自分の炎で焼けただれたように赤黒く染まっている。

それでも目には、燃えあがる怒りしかなかった。


「・・・妹姫様を殺しておいて、その口の利き方かよ。いいぜ、ベルメディア。今ここで、アンタの因果ごと燃やし尽くす」


エルジードが炎を纏い、ベルメディアに向かって突進する。

だが、ベルメディアを包む薄い膜のような障壁に触れた瞬間、その炎ごと動きが止まる。


「薪火はもう飽きたの。記録として価値はないわ」


ベルメディアが横に視線を流す。

次の瞬間、エルジードの足元から岩の柱が立ち上がり、彼女の身体を包み込む。


「エルジード!」


僕が叫んだときには、岩は幾つもの剣の破片に貫かれていた。

表面に赤い筋が広がり、そのまま床へと落ちていく。


「黒龍。まだ働きぶりが足りないわ。あの豚姫も含めて、纏めて焼き払ってあげなさい」


ベルメディアが軽く指を弾く。

黒龍が翼を広げようとするが、その動きは途中でぎこちなく止まり、翼が縮むようにして震えた。


「・・・私に恥をかかせないで。ブレスくらい、すぐに撃ちなさい」


黒龍が再び大量の黒霧を吸い込み始める。

そのとき、耳に、金属が鞘に触れる控えめな音が届いた。

嫌な予感がして、僕は横を振り向く。

そこには、瞳の周りを黒い影が縁取り、紫色の血を舌でなぞるエイビスが立っていた。


「エイ、ビス……?」


ミカロが息を呑む。

エイビスの瞳は、どこか遠くを見ているようで、しかし標的だけははっきりと捉えている。

次の瞬間、黒龍の喉元から放たれかけたブレスが、形を成す前に細切れにされていた。

喉、首、腕、腹、脚――数え切れない斬撃の線が、龍の身体を彫刻のように刻み、残骸だけを床に落とす。

僕の目が追いついたのは、黒龍が完全に動かなくなったあとだった。


「あなたの血は、どんな味がするのかしら」


エイビスが小さく呟く。

その姿は、さっきまで泣き崩れていた姫ではなく、何か別のものに引っ張られているように見えた。

彼女は、僕には認識できない速度で空間を飛び、ベルメディアの目の前に現れる。

六連の各方面の斬撃が、舞踏のような軌跡で障壁に叩きつけられた。

だが、障壁は砕けない。

ベルメディアは初めて一歩後ろに下がったものの、その表情には興奮よりも退屈さが残っていた。


「面白いわね。でも、あなたの刃は私には届かないのよ」


ベルメディアが指を払うように動かす。エイビスの身体が弾かれ、僕たちの足元まで滑り落ちてきた。


「白龍。三人の相手を任せるわ。私は奥で、準備を進めるわ」


呼び出した白銀の鱗を幾層にも輝かせ、吐息だけで周囲の温度を奪い取るほどの冷気を放ちながら、咆哮ひとつで空間と大気を震わせる威容を誇る巨躯の白龍が、エイビスの前に降り立つと、ベルメディア自身は、奥の部屋へとふわりと姿を消した。


「エイビス、大丈夫か」


僕は駆け寄りながら声をかける。

エイビスはうつむいたまま、瓦礫を片手で払いのけて立ち上がった。


「シオン様。ベルメディアは、私が必ず……と言いたいところですが、今は白龍の方が優先のようです。どうか、ミカロと一緒に先へお進みください」


かすれた声だったが、言葉の芯はいつものエイビスだった。


「でも、今の君の状態じゃ――」

「シオン、今はエイビスに任せようよ」


ミカロが僕の言葉を遮る。彼女は額の汗を拭いながら、真剣な目で僕を見る。


「ベルメディアを止められるの、今ここではワタシたちしかいない。今は抑えられてるみたいだけど、エイビスまで暴走したら、それこそ手が付けられないよ」


確かに、エイビスの瞳にはまだ紫の光が残っている。

それでも彼女は、見えない何かに抵抗するように肩を震わせながら立っていた。


「・・・エイビス」


僕が呼ぶと、エイビスはゆっくり顔を上げる。

瞳の黒い縁取りの奥で、いつもの理性的な光がまだ消えていないのを見て、少しだけ安心する。


「シオン様。白龍くらい、私ひとりで十分です。ベルメディアは……どうか、シオン様の剣で」


エイビスが、瓦礫を払う最後の一撃で、近づいてきた暴走戦士を粉々にする。

その破片が床に散る間に、彼女は短くだけ続けた。


「後で……必ず助けに来てください。私だって、一人の淑女なんです」

「必ず行く」


僕は頷き、肩越しに笑みを作る。

エイビスも、ごくわずかに口角を上げた。


「もちろんです。シオン様は、約束を破らない方ですから」


背後で白龍の咆哮と斬撃の音が重なり始める。


「急いで」


エイビスの短く呟いた声に押されるように、僕とミカロは奥の通路へと走り出した。

暴走戦士が開いた通路を塞ごうとする中、その身体もすぐに横から叩き斬られ、粉のようになって崩れた。

剣戟と咆哮と、砕ける音が混じり合う音も、階段を下りるごとに薄れていった。

残されたのは、右手に伝わるシャルルローゼスの最後の温度と、必ず戻ると告げた約束の重みだけだった。

僕は握った剣に、もう一度だけ力を込める。


「ミカロ、ベルメディアを、彼女を止める」

「うん。今度こそ、ワタシたちの手で」


やがて僕らの足音だけが、奥の闇へと続いていく。


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