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「女神の寵愛に、何の問題がある」
ボルディミアスが静かに言った。
エイビスは首を横に振ろうとする。しかし、その腕をボルディミアス自身が掴み、女神の前、たった一歩分の距離まで連れていく。
ベルメディアはエイビスを見下ろした。
「綺麗ね。姿も、眼差しも、聡明な知識も。よくここまで壊れずに来たわ」
その言葉だけなら、ただの賛辞だ。だが、声に乗る温度が冷たい。氷を薄く塗りつけたような、感情のない評価。
そして、彼女は指を鳴らした。
エイビスの身体が横へ吹き飛ぶ。咄嗟に地面に膝をつきながら、彼女は自分の胸元を確かめる。そこには何の傷もない。
代わりに、ベルメディアの前にいたボルディミアスの身体が、六本の黒い剣に貫かれていた。
「ボルディミアス!」
僕は思わず叫んだ。喉が焼けるように痛い。
巨体の鱗が灰色に変わっていく。刺し貫かれた傷口から、色が抜け落ちるように広がっていく。
「どうして……私を、助けようと……」
エイビスが震える声で問う。
ボルディミアスは、灰色になりつつある首を、少しだけエイビスへ向けた。
「・・・考えるより先に、手が、動いた。全く不思議なものだ」
その言葉を最後に、彼の身体は細かな灰の粒に変わり、空気に溶けていった。
胸が締めつけられる。僕は手を伸ばしたが、指先が触れる前に、彼の輪郭は完全に崩れた。
ベルメディアは、灰の散った空間を一瞥した。
「裏切り者にしては、少しだけ、見どころがあったわね」
まるで、壊れた道具を処分した感想を口にするような軽さだった。
そして視線を、エイビスへ向ける。
「次は、あなたよ。豚のように醜く太らせて、泣き喚く顔を見てみたいと思っていたの」
「・・・初対面にしては、随分と乱暴だな」
気づくと、僕はもう走り出していた。のどに残る悔しさと怒りを、そのまま剣先へ乗せる。
そこで、鋭い火花の光がベルメディアと僕の間に散った。
「姉姫様を豚呼ばわりとか、いい度胸してるな」
炎の筋が空を裂き、ベルメディアへ殺到する。エルジードだ。箒から飛び降りるように突っ込みながら、剣にまとわせた炎を連続して振るっていく。
「正々堂々って言葉、知ってるか? 避けもせず、油断している相手を刺したやつが偉そうに語ることじゃねえ」
ベルメディアは少しだけ首を傾げた。炎が触れる寸前、彼女の周囲に薄い光の膜が生まれる。
炎斬の一撃が、燃え尽きた鉄板に氷を擦り付けたような感覚で消えていく。熱は奪われ、威力は外側へ滑っている。
「焚き火一個分くらいには役立っている。ただ、私にはどうしても届かない」
エルジードは顔をしかめた。
「焚き火、ね。じゃあ、森ごと焼くくらい、増やしてやるよ」
彼女は続けて四連の炎魔法を放つ。矢のような形の炎が次々とベルメディアを目がけて飛び込んでいく。
しかし、ベルメディアは片手をゆっくりと払っただけだ。
炎は軌道を外れ、壁や天井へ逸れていく。石が赤く染まり、熱風が逆流する。
「・・・足りないな。量も、質も」
ベルメディアは欠伸をかみ殺すように口元へ手を当てた。
エルジードの呼吸が荒くなる。二十発目の砲弾は形を保てず、空中でほどけてしまった。額から汗が流れ、肩が上下する。
「焚き火の時間は、もう終わり?」
黒く染まった三日月の口でベルメディアが問う。
「なら、」
右手の指が静かに鳴った。
「もう、終わり」
その言葉に、空気が反応した。エルジードの身体を囲むように、見えない圧縮の膜が迫る。骨が軋むような嫌な感覚が、こちらにまで広がった。
「今だ、ミカロ!」
僕は叫んだ。エルジードが作ってくれたほんのわずかな隙。そこに全てを重ねるしかない。
「分かってる!」
ミカロは杖を構え、風と水、それに闇を絡めた魔力を一気に練り上げた。
同時に、エイビスも剣を抜いて踏み込む。
エイビスの斬撃は、まず弾かれた。それでも、ベルメディアの身体がわずかに後退する。
女神の頬に、一筋の浅い傷が走った。
「・・・あら」
ベルメディアは指でその血をなぞった。赤い液が指先を伝い、すぐに傷が消える。
その赤が、ミカロのほうを向いた瞬間、彼女の舌が静かに動いた。
「いい目ね。拒む力を持つ者の色」
舌舐めずり。獲物を見つけた獣のような、しかし感情の温度を感じさせない動き。
「遊び相手には、ちょうどいい」
ベルメディアが指を鳴らすと、黒龍が咆哮をあげた。
「エルジード、エイビス、あいつは任せる。僕とミカロで女神を抑える!」
「了解だ、シオン。正面から叩き込んでやる」
エルジードは箒に再び跨がり、黒龍の眼前へ飛び出した。エイビスもその背中を追う。
ベルメディアは、彼女たちを一瞥しただけで背を向ける。
「黒龍。遊んであげなさい。私は、こっちを終わらせる」
瞬きするより速く、彼女はミカロの正面にいた。
「ミカロ!」
僕は思考より先に動き、ミカロとベルメディアの間に身体を滑り込ませた。
ベルメディアの指が弾けると、床に散らばっていた剣の破片が一斉に宙へ舞い上がる。
それらは矢のような速度で、ミカロの胸元へ収束していった。
「させるか」
僕は剣を大きく振り抜いた。
火と水を同時に纏わせた斬撃。刃の軌道に沿って、熱と冷気が入り混じる。
剣の破片が次々と軌道を外れ、床へ落ちる。流れの中に残ったいくつかが、僕の頬や肩をかすめていったが、致命傷にはならない。
動きの余韻のまま、僕はその斬撃をベルメディアへ繋げた。
「・・・割れた?」
僕自身が、一番驚いていた。
僕の斬撃は、エルジードの攻撃とは違い、紙を裂くように障壁を切り裂き、そのままベルメディアの肩口をなぞった。赤い線が彼女の白い肌に走る。
ベルメディアはすぐに後方へ位置をずらし、肩に触れた。
「私に攻撃できる男が現れるなんて、妙なこともあるわね」
彼女の赤い瞳が、僕とミカロの間を何度か往復する。
「セイン・カルトレット。あの子のせいね」
セインの名が出た瞬間、胸の奥が鋭く痛んだ。
「・・・どうして、セインのことを」
「あの子は私の結果よ。クリスタルの中での出来事は全て記憶しているわ」
ベルメディアは空を見上げた。
「私の力を見せたいのでしょう? なら、みせてあげるわ。代償は、この星」
その視線の先で、空間がねじれ始める。音楽ホールの天井に、円形の裂け目が現れ、奥から光が漏れてきた。
「何を……」
ミカロが息を飲む。
裂け目の向こうから、ロクサリエンの住人たちがぞろぞろと現れた。兵士だけではない。民間人らしい服装の者も混じっている。皆、混乱と恐怖の表情を浮かべていた。
「力が欲しいのでしょう?」
ベルメディアは、静かに言った。
「なら、くれてあげる」




