アジサイ【時代恋愛】
タイトルの横に大体な作品ジャンルを併記することにしました。
「必ず戻る。待っていてくれ」
そう言って彼は、雨の中、一人去っていった。
頬を濡らしていたのが雨なのか涙なのか、それすら分からず、私は地面に臥して、あの人の名前を叫び続けた。
それでも、あの人は行ってしまった。
あれからどれだけの時が経っただろう。
いくら待てども彼は帰らず、やがて、私はこの見合いを受け入れた。
「君は雨の日、いつも悲しげだね」
縁側で佇む私の隣に、夫はすっと腰を下ろす。
朝方から降り始めた雨は昼過ぎに勢いを増して、庭の紫陽花を強かに打っている。
その様子をぼんやりと見ていた私の肩に、「今日は少し風が冷えるよ」と言って夫は羽織を掛けてくれた。
夫はとても優しい人だ。
私の過去を知ってなお、何も聞かず、ただ寄り添ってくれる。
あの人とは何もかもが違う。
あの人は自分の意見を曲げないし、思い立ったらすぐ行動してしまう、そんな人だった。
いつも私は彼の後を追いかけてばかり。
……それが、魅力でもあったのだけれど。
夫は私に安らぎと穏やかさを与えてくれる。
きっと、これが私の運命だったのだろう。
生死さえ分からない人よりも、隣に居る、この人を愛したい。
「ねえ、あなた……」
「おや? 誰か客人かな」
夫は不意にそう言って、庭の垣根の向こうを見つめる。
胸騒ぎを覚えながら、その視線の先に目をやった。
そこには——。
「どうして……」
どうして今更。
そう思った時には、いつの間にか雨の降り頻る庭に足を踏み出していた。
冷たい雨が、また、私の頬を濡らした。
【解説】
アジサイは古くから日本で親しまれてきた花で、誰もが知っている梅雨時期の花でしょう。
江戸時代、日本にやってきたドイツ人医師のシーボルトが、日本人妻である「お滝さん」の名にちなんで、現在のホンアジサイにあたるアジサイに「オタクサ」と学名を付けたのは有名な話。
やがてシーボルトは、日本地図などの国外持ち出し禁止品を持ち出そうとしたとして、国外追放処分を受けます(シーボルト事件)。
こうして二人は離れ離れになりますが、約30年後、シーボルトは再び日本を訪れ、お滝さんと再会したと伝えられています。
しかしその間、お互い別の相手と結婚しており、子供もいたのでした。
アジサイの花言葉である「辛抱強い」は、雨に濡れても咲き続ける姿だけでなく、シーボルトを愛し、その帰りを待ったお滝さんのエピソードにちなむとも言われています。
他にも、花が集まった様子から「家族団欒」、咲いてから枯れるまで色が変化していく様子から「移り気」という花言葉もあります。




