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部長が襲うので安心して寝られない的な話  作者: みずはら
[第8章]奇跡の瞬間
39/44

(3)10時ちょうど

 カラカラと窓を開ける。

 心地よい風が僕の頬をなでる。

 隣を見ると、蘭花の髪も揺れている。

「ふふっ。ここから飛び降りたら、痛いかな?」

「何か、話によると、四階ぐらいから飛び降りると、重力加速度の影響で血流が下がって、途中で気を失うらしいですよ? だから、痛みは感じないんじゃないですか?」

「え~? 気を失っちゃったら駄目じゃん。ちゃんと着地できないじゃん」

「部長。これも、流れ星の話のように、何かいい話があるんですよね?」

「ん? そんな物無いよ~。ただ、な~んとなく、空を飛びたい気分になっただけ」

 僕は、蘭花とは思えない発言に蘭花の顔をまじまじと見たが、口元に笑みがこぼれるのを抑えられずにいた。


 先ほどと同じような会話であるが、今は、蘭花の言葉が心地よい。

 それは、先ほどと異なり、蘭花の心が前を向いているから。

 だから、一見やばそうな発言でも、安心できる。

 もう、大丈夫なのかな。

 無限ループから一歩前進したことで、気が楽になったのだろうか。

 教室の時計を見る。

 九時五八分。

 後、二分。

 僕は、右手の黒いライトを見た。

 何でも、ニューヨーク市警でもご愛用だとか言うライトの、小型版。

 ライトなのに、材質が金属で出来ている。はっきり言って、武器になる。

 それよりも、僕にとって有り難いのは、集光機能がついていると言うこと。

 正直言って、教室にある非常用ライトを考えていたから、かなり望み薄だったのだが、蘭花のおかげで可能性がぐっと高くなった。

 あとは、教頭が来ないことを祈るだけ。

 僕は、窓の外の市街地に目を向ける。

 遠くの方で、自動車の音、バイクの音、あ、爆音もやっぱり混じっているな。

 風がこちらを向いて吹いているので、音が良く聞こえる。

 市街地の右端に、あきらの家があるはず。

 侵入時に出ていた月は雲にすっぽり覆われ、いわゆる闇夜になっている。

 天候的にも、まさにうってつけの条件。

 僕は手元のボタンを軽く押し、点灯することを確認する。

 指の力を緩め、消灯することを確認する。

 何度かそれを繰り返し、ボタンの重さを把握する。

 ただ、点けるだけではいけない。

 信号を送らないといけないのだ。

 このライトだと、一分間に二十文字がやっと。

 頭の中で送る言葉を反芻する。

 僕は、もう一度時計を見た。

 十時ちょうど。


「部長、ドアのところで見張っててください」

「うん。わかったよっ」

 蘭花の足音が、後ろの方へ遠ざかっていく。


 僕は、軽く深呼吸すると、あきらの家の方に向かって、ライトを持った腕を伸ばす。

 時計回りに、大きく円を描く。

 三回。

 次に、五芒星を描く。

 三回。

 反時計回りに、大きく円を描く。

 三回。

 鼓動が高鳴る。


 しかし、いつも超現実的かつ論理的に物事を考える蘭花が、よく反対しなかったものだ。

 あの後、僕は蘭花に『作戦』を説明した。

 まあ、確かに代案もないのだから、反対のしようが無かったのかも知れないが、蘭花は 何も突っ込まず『うん、それやってみよ!』と言ったのだ。

 僕は、足下に落ちている半透明のビニル紐をぼんやりと見下ろす。

 作戦を実行するためには、縛られている紐を切らなくてはならず、その事を蘭花に話したところ、『まかせといて!』と、とんでもない場所にナイフがあることを僕に知らせた。

 何の罰ゲームだ?と思いながら、僕が、恐らく一生分の嫌な汗をかきながら、蘭花が身につけていたナイフを無事に取り出し、紐を切り、晴れて拘束を解かれたというわけだ。

 その後、またとんでもない所からライトが出てきて、生暖かいライトに無意味に緊張しながら信号を送り、現在に至る。

 蘭花がいつもの明るさを取り戻したので安心し、蘭花が実際どう思っているかについて深くは考えなかったが、もしかして、僕の言うことに全く反対せずに付いてくるのは、僕が大声を出したことが尾を引いているのだろうか。

 この件については、全てが終わったらちゃんと謝る事にしよう。


 もっとも、蘭花がどう考えているのかというより、一つだけはっきりしていることは、今、この瞬間、僕は、緊急信号を送るという、あきらと中学の頃にした他愛もない約束に、蘭花と、僕の命を預けていると言うことだ。

 あきらが忘れていないことだけは、確実に言える。

 停学になったあの日、二人で確認したではないか。

 速攻忘れるような事があれば、それこそ二人の友情とやらは終わってる。


 僕は、あきらの家の方向をしばらく凝視する。

『いいか、その合図を受け取ったら、受け取った側は、同じ動作でもって、返答の合図とするんだ』あきらは、続けてそう言った。

「来ないな。向こうに届いていないのか、向こうの光が見えないのか、両方か」

 僕は呟く。

『返答がなかった場合、十秒おきに同じ動作を五回繰り返す。ここまでで一〇〇秒』

 僕は、再びライトを回す。

 相変わらず、自動車の音、バイクの音。

 その後、五回まで、あきらからの返答は見えなかった。

『五回で駄目なら、届いているかも知れないから、その後、必要事項を送る』

 僕はライトを持ち直し、心の中でもう一度復唱した後、

「えっと、ア……だから、ツーツートツーツー、ツートツートト……」

 口の中で呟きながら、ライトのボタンを操作する。

 ライトから発せられるビームが、かなり遠くの家の外壁に点滅する光を映し出している。

 これだけあれば、あきらにもわかるはず……だよな。

 喉はカラカラだ。



 遠くの方でパトカーのサイレンが聞こえる。

 窓を閉めたから、遠く感じているだけで、市街地の方だろう。

「薫君、汗びっしょり」

 蘭花が心配そうな顔で、僕をのぞき込む。

 僕の鼓動は、先ほどから高鳴ったままだ。

 結局、十時十分まできっちり何度も『送信』した。

 だが、返答はなかった。

 だから、届いているのかどうか判らない。

 たまたま、あきらは今日見なかったかも知れない。

 逆に言えば、今日あきらが何か送ったとしても、僕は家にはおらず、あきらの信号を受信することは出来なかったのだ。

 そのことは、蘭花には言っていない。

 蘭花は何も追求せず、『うん、わかったわ』とだけ言い、僕の提案に従って次のアクションを待つことにしたのだ。

 冷静に考えれば、何という儚い望みにすがっていたのだろう。

 先ほどまでは、絶対大丈夫だと思っていたのに、急に様々な懐疑心が心を満たしていく。

 第一、あきらが今日『出動』だったら、望みは全くない。

 あのバイクの爆音の中に、あきらがいたら……。

「あ、すみません。大丈夫です」

 僕は、うつろな視線を蘭花に向ける。

 蘭花は、スカートのポケットをごそごそやっていたが、

「あちゃ~、ハンカチもティッシュも忘れちゃってる。駄目だな~あたしって」

 ばつの悪そうな笑みを浮かべ、肩をすくめた。

 おいおい、エアガンとナイフとライトは忘れないのにかい?

 僕は心の中で突っ込むが、表情を改める。

「部長。教頭が来るかも知れませんから、ね?僕は大丈夫ですから」

 僕が蘭花を促すと、蘭花は頷き、僕に身体を寄せた状態で手を後ろにして腰を下ろした。

 僕が『教頭が来るかも』と言ったのは、その儚い望みにまだすがっている証拠。

 あきらが信号を受信していれば、何事かと電話をしてくるだろう。

 あきらのことだ、僕が出るまで電話するかも知れない。

 教頭が手に余り『よけいな事言うなよ』とか言いながら、電話を僕に手渡すという仕組みだ。

 電話さえ出来れば、こちらのものだ。

『初等暗号入門』をお互い勉強した間柄。

 教頭にばれずに、状況を伝えることはたやすい。

 とにかく、それだけが望み。


 ――本当に、来るのか?


 突然、僕の中で闇の部分が鎌首をもたげる。

 いや、絶対に来る。

 よけいなことを考えるな!

 ――だけど、もう五分も経っているぜ? 電話ならすぐに来るはずだろう

 教頭が無視しているだけだろう。

 ――まあ、いいさ、安易な希望にすがるのは自由だからな

 僕の呼吸が荒くなる。

 額から、手から再び嫌な汗があふれ出てくる。

 何だか目眩がしてきた。

 これが、プレッシャーって奴か?

 僕は呼吸を整えようと試みる。

「薫君。本当に大丈夫?」

 顔を向けると、蘭花の心配そうな顔。

「……大丈夫です」

 僕は、なんとか頷く。

 蘭花は、しばらく僕を見ていたが、おもむろに僕の両手を握り、

「信じよ? 結果は結果。だけど、まだ結果はわかっていない。そうでしょ?」

 口を開いた。

 蘭花の目は、笑っているわけでも怒っているわけでも、心配しているいるわけでもない。

 敢えて言えば、その瞳には、蘭花自身の感情は何も映っていないのだ。

 ただ、僕の不安に満ちた顔が映っているだけ。

 そうか、多分、蘭花は、僕の心を視ているんだ。

 今まで、たまに蘭花が何も言わずに僕をじっと見ることがあった。

 僕が、解を見いだせずに迷走しているときだ。

 だけど、その次に発する蘭花の一言で、何度も心のループから抜け出して来られたのだ。

 今回も、その言葉に救われようとしている。

 心のもやが少しずつ薄らいでいく。

 そうだ、そうだよな。作戦の大前提を疑ってはいけない。

 蘭花の瞳の中の僕が、落ち着きを取り戻した。

 同時に、蘭花の瞳に、ホッとしたような感情が映る。

「ありがとうございます。もう大丈夫です……ん?」

 僕は蘭花に礼を言ったところで、僅かな変化に気付いた。


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